21 本物
クランハウス『オリュンポス』。その多目的室にて。
普段はここ、多目的室でダンジョン攻略の打ち合わせやパーティの組み合わせ。その他には連携や報酬の分け前なんかが話し合われるそうだが、今は――
とんがり耳のアネットを前に、俺は頭を抱えていた。
アネットの呼び掛けに応じて現れたのは、まず、手癖の悪そうな猫人の男。
猫人の特徴と言えばエヴァのような姿勢の良さだが、こいつは少し背中が曲がっていて目付きも悪く、野良猫のような雰囲気が付きまとう。根性も悪そうだ。
「ほお……お前がアレックスの言ってたディートか。まだガキとは聞いてたが……」
「はい、ディートハルト・ベッカーです。以後お見知りおきを」
名乗って見たものの、向こうからの名乗りはない。
まぁ、今の俺は十歳程度のガキだ。実績も見せずに、一人前に扱えというのはいかにも厚かましい話だ。気にしない事にしておいた。
ついで深緑色の髪の女。こいつの耳も尖っているが、アネットとは少し雰囲気が違う。えらく顔立ちが整っているのは同じだが、俺を見て、ずっと眉間に険しい皺を寄せている。
「ディートハルトです。貴女は……」
「……」
そして何も喋らない。とんがり耳二号は何も喋らない。口が利けないのかもしれない。
他にはメイドが三人。全員が猫人で姿勢が良く、物腰に品がある。
スタイルのいい猫人は、金持ち連中からは人気のある種族だ。そういう人材を集めたのだろう。
まあいい。人物評定は後だ。
俺は最悪の事態に備えて口を開いた。
「現在、アレックスさんたちは回復役抜きでダンジョンアタックをやっています」
「知ってるよ。馬鹿なヤツらだ」
とは野良猫の談。俺もそう思う。
「……」
とんがり耳二号は、眉間の皺を一層深くしただけで何も喋らない。
「……私は、アレックスさんからの依頼で、この『オリュンポス』の回復役として雇われました。最悪の事態に備えて、クランの皆さんのご協力を頼みたいのですが……」
野良猫が顎を擦りながら言った。
「幾らアレックスのヤツでも、回復薬ぐらいは持ってる筈だから、特別構える必要はねえんじゃないか?」
「それなら、それでいいんです。その時は私を悪く言って構いません。問題は、そうでなかった時です。一刻を争うような怪我人が出ていた場合の事です」
「……ふむ。まぁ、可能性はゼロじゃねえな」
見た目に依らず、野良猫は物分かりがいい。だが、言外にこうも言っている。
ダンジョン慣れしたアレックスのような上級の冒険者でも、不測の事態は有り得る、と。
とんがり耳一号も二号もそうだが、この野良猫も、その不測の事態を嫌ってクランハウスに留まっている。この三人は良く言えば賢く、悪く言えば臆病とも取れる。冒険者として最高の資質がなんなのか知らない俺には何とも言えないが、個人的には好感が持てる。
挑戦意識が先走るあまり無謀とも取れるダンジョンアタックを敢行するアレックスと、安全マージンを確保しつつ堅実な探索を行う三人。
そこで、漸く口を開いた二号がこんな事を言った。
「……別にいいんじゃない?」
「分かりました。二号さんは、私に協力するつもりはないと解釈してよろしいでしょうか?」
「うん。そんな簡単に死ぬヤツは、オリュンポスにはいらない」
俺は驚かなかった。
ある程度以上の個性があつまる集団には必ずこういうタイプがいる。
二号は個人主義だ。協力を引き出すには対価が必要。
「そんな事より、アネットの足の瘤を取ったって聞いた。私はその話の方に興味がある」
「はい。それがどうかなさいましたか?」
俺は二号の話に辛抱強く耳を傾ける。
この手のタイプは面倒だが、一度味方に付けてしまえばメリットは大きい。
「ガンってなに?」
個人主義。更には自己中心的な性格。こいつ……エルフだ。エルフと言えばとんがり耳一号もそうだが、雰囲気が全然違う。何故だ?
「……悪性腫瘍の事です。または悪性新生物とも言います」
「あくせい……しんせいぶつ……?」
個人主義者を動かすには分かりやすいメリットが必要だ。
俺は自らのものと母から授かった知識を元に、この世界の『癌』について説明した。
「……ダンジョンのモンスターが、外のモンスターと違う事は知っていますね?」
「ダンジョン外に出ると消える?」
「そう。ただし、多量の魔素を帯び、受肉したものはそうでない。魔核を持つモンスターがこれに当たります」
まぁ、モンスターには色々とある。こと『魔素』の存在するダンジョンに関しては説明が本当に面倒臭い。
「……通常、ダンジョンのモンスターはダンジョン外では消滅してしまいますが、ダンジョン外でも唯一存在できる場所があります。それは……」
「私たちの体内」
二号は理解が早く賢い。そして、この手のタイプに言葉を尽くして説明する必要は少ない。
「……っ!」
小さく呻いた二号は途端に動揺し、目を右に左にと泳がせ始めた。
ダンジョンアタックを繰り返す以上、怪我は付き物だ。目の前の二号にも当然古傷は存在する。そして賢い二号には、『瘤』に思う所がある。
「……アスクラピアの神官は、特に問題ないって言った……」
……『教会』とやらに所属する、俺以外の神官の事だろうか。俺は俺以外の神官については全く知らない。
「そうですね。嘘は言ってないですよ」
瘤が良性である内は、そうだ。放置しても問題ない。ただし、ダンジョンアタックで多量の『魔素』に晒される環境では悪性のものに変化しやすい。
「…………」
母の声が聞こえる。
「……私たちの存在によって、貴女たちの寿命が伸びるという事はありません。人は皆、天が定めた命数を生きるのです。その定められた命数を達者に過ごすのか、それとも傷付いた獣のように惨めに過ごすのか。その点に於いて、私たちには大いに存在意義があります」
「…………」
まず、野良猫が鼻白んだ。軽く唇を舐め回し、改めて俺に刮目する。
「……マリエール。今の見たか? こいつ、ガチもんだ。アレックスが惚れ込む訳だ……」
なんだ? 俺は何かしたか?
「……エンゾだ。先生、あんたを認める」
遠造と名乗った野良猫が手を差し出して握手を求めて来たので受け入れる。
「ありがとうございます、遠造さん……?」
まだ何もしてない。俺は、母の言葉をそのまま口にしただけだ。それでも遠造は俺を認めるという。
「――!」
そこでハッとしたように震えた二号が、だぼだぼのローブの袖から細っこい腕を突き出して、こちらも握手をもとめて来た。
「先生、改めてオリュンポスにようこそ。私はマリエール・グランデ。魔術師よ」
「はい、ディートハルト・ベッカーです。改めて、よろしくお願いいたします」
無難に挨拶を交わしながら困惑する俺の前で、アネットだけは当然というようなドヤ顔で、うんうんと何度も頷いている。
遠造が言った。
「それで、俺たちは何をすればいいんだ?」
「……」
一号も二号も真剣な顔で俺に頷き掛けて来る。
個人主義者というのはいつだってそうだ。己の利に聡く、信頼を得られれば話は早い。……まぁ、それも信頼に応え続ける場合に限っての事だが。
……とりあえず、『準備』を進める形にはなった。
まず、俺は言った。
「根っ子ごと、ギリザリス草を用意して下さい。なるべく多く。多ければ多いほどいいです」
「ギリザリス草?」
「川辺に生える草です。一年中、何処にでもありますよ」
「そりゃ雑草じゃねえか。何に使うんだ?」
「それだけでも効果はありますが、色々な薬の基本的な素材になります。毒消し、傷薬、増強剤……中間剤として非常に有用です」
「知らねえ。聞いた事もねえ。それに毒消しや傷薬なら、買った方が早くねえか?」
俺は遠造の言葉にカチンと来た。アネットもそうだったが、この遠造は遠造で、『薬』について知らな過ぎる。
「……遠造。確かにお前の言う通りだが、それは薬師が売ってる高価な代物の事だな。その辺に生えてる雑草で似たような物が作れるのに、お前は敢えてそうするのか?」
様子の変わった俺に、遠造はやや怯んだように肩を竦めた。
「あ、いや……それは……」
「そもそもが買ってきたもので済ませるのなら、俺がいる必要はない。山ほど薬を買い付けてダンジョンの入口に行くといい。筋肉ダルマは喜ぶだろう」
「筋肉ダルマって……」
苦笑する遠造と俺の会話に、アネットが肩を震わせて笑っていた。