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14 ガキ共の流儀

 ゾイたちが居る隣室から突然悲鳴が上がり、ずしんと長屋全体が揺れるような衝撃があった。


 何事かと身構える俺だったが、アビーは何事もなかったかのようにゆったりと湯船に浸かりながら、手を打って笑った。


「やったやった。さてさて、やったのは誰だろうね。あたしはアシタのやつがやったと思うね」


「……何の話だ?」


「エヴァだよ。一方的に、あんたを嫌ってたろ?」


「……」


 流石に抜け目ない。アビーは気付いていて放置していたのだ。


「猫の獣人には悪い癖があるからね」


「……悪い癖?」


「こりゃ驚いた。あんた、賢いけど、時折、何も知らないように見える事があるねえ」


「……」


 鋭い。そもそも俺はこの世界の人間じゃない。今はこの世界の文化を手探りで模索している最中だ。

 アビーは諭すように言った。


「猫の獣人には、仲間同士で『つるむ』傾向があるのさ」


 そこで俺もピンと来た。


「なるほど。仲間意識が強いという事は、裏を返せば排他的でもあるという事か……」


 そこで、俺は漸く猫娘に嫌われていた原因が分かった。そもそも俺は新入りの分際で、三日後にはNo.2の立場になった。仲間意識の強い猫娘はその俺を異物と感じ、排斥しようと考えた。


「まぁ、猫の獣人は賢いし魔力もあって、才能だけで言えば光るものがあるんだけどね」


 そこまで言って、アビーは厳しい表情になった。


「……あんたの言った通りさ。あたしらは、まだまだ小さくて弱い集団だ。力を合わせなきゃ生きて行けない。そろそろ分からせる必要があったんだよ」


「そうか。俺としては、それでも問題なかったが……」


 湯船から立ち上がり、アビーは腰に手を当てた格好で俺に向き直った。


「問題はあるね。あんた、エヴァとアシタの事を嫌ってるだろう」


 これは隠していた訳ではないから、鋭いというには当たらない。だが、小さい集団とはいえ、伊達にリーダーを張ってないようだ。仲間の事は見ていないようで、しっかり見ている。


 まあ、バレているなら仕方ない。俺は素直に頷いた。


「俺にも好き嫌いはある。嬉しいと思う時もあれば、嫌な思いをする事もある。そんな時、嫌な感情を捨てるゴミ箱があれば便利だ」


 だから、いつだって。

 俺は腐った感情を捨てる為、幾つかのゴミ箱を作る事にしている。


 アビーは困ったものを見るように目尻を下げた。


「あの子らは古参だからね。回りに対する面子もある。特にアシタは腕力が売りだから、男で新入りのあんたに舐められないように必死だったのさ」


 なるほど。鬼娘の態度が酷く中途半端に感じた理由にも納得行った。しかし……


「そうか、特に問題ない。嫌われたままでいい。寧ろ変わらないでいてほしい」


 アビーは更に目尻を下げ、泣きそうな顔になった。次は脅して来るかと思ったが、アビーは泣き落としの方向で俺を諌めたいようだ。


「……頼むよ。二人を許してやっておくれ……」


「嫌だ」


 この際だ。俺は正直に言った。


「俺にはゴミ箱が必要なんだ」


 俺は欠点も美徳もある普通の人間だ。大切な人を更に大切にする為に、腐った感情を捨てるゴミ箱があれば凄く便利だ。


「誰も憎まず、誰も嫌わない者は、誰も愛する事はないだろう」


 三十年生きて来たが、この考え方を不便に思った事は一度もない。


「俺は、誰かを愛せる人間でいたい」


 アスクラピアも言っている。

 公正であれば、不偏不党でいる必要はないと。つまり、俺の人生哲学は神にも認められている。


「なあ、アビー。俺をなんだと思っているんだ? 一方的に嫌がらせされて、それでもヘラヘラ笑ってるような奴だとでも思っているのか?」


 その言葉に、アビーはショックを受けたようだった。震える声で言った。


「あ、あんたは神様に近いから……だから……」


「ふざけるな。馬鹿者が。完全は神ののっとるところ。人の有り様ではない」


 アビーは俺を神の使いだとでも思っていたみたいだ。


 憎みもせず、愛する事もしない者にお似合いなのは棺桶と墓場だ。


 アビーの勘違いを正せた今回の議論には、大いに意味があった。


◇◇


 邪悪であるか、無垢であるか、人はそれぞれ二つの特性を持っている。そして、その特性故に自滅する事も珍しくない。それは邪悪であれ、無垢であれ、なんら変わる所はない。


《アスクラピア》の言葉より。


◇◇


 アビーとの議論を終え、俺は急ぎ、隣室に戻った。


 扉を開け放つと、部屋の中央で仁王立ちになったゾイと猫娘が、お互い向き合って対立していた。


 俺は小さく舌打ちした。


 剣呑な雰囲気で向かい合うゾイと猫娘の二人を囲うように散らばったガキ共が、面白そうに囃し立てている。


「ゾーイ! ゾーイ! ゾーイ!」


「エヴァ! エヴァ! エヴァ!」


 ゾイはこちらに背を向けている為、表情は分からないが、猫娘エヴァの方は髪の毛を逆立ててゾイを睨み付けている。


 二人共、お互いから一切視線を逸らさない。


 俺は二人を止めるかどうか少し悩み……結局は止めた。


 何せ、アビーが黙認しているのだ。No.2とはいえ、俺がその判断に口を挟むのは憚られる。


 次の瞬間、猫娘が凄まじいスピードで部屋中を駆け回った。なんとか目で追えるスピードだが、それは、まるで猫科の猛獣を彷彿とさせるスピードだった。


(これが獣人か……!)


 エヴァはその凄まじいスピードで部屋中を縦横無尽に駆け回り、擦れ違い様、鋭い爪でゾイを何度も引っ掻いた。


 飛び散った鮮血が辺りを濡らすが、ゾイは両手を十字に組み、頭をガードした態勢で動かない。急所だけを守り、ひたすら反撃の機会を窺っている。


(これはいかん……!)


 ゾイが猫娘のスピードに対処できてないのは一目瞭然だった。


 一方、やんややんやと囃し立てるガキ共に混じって静観していた鬼娘のアシタは、現れた俺の姿に仰天し、今もまだ争うゾイと猫娘の姿を交互に見比べている。


「おい、鬼娘。なんで二人を止めないんだ」


 鬼娘は慌てて首を振った。


「いや、あれは、その……!」


 事態は急を争う。鬼娘の中途半端な態度に、俺はますます苛立った。


「なんなんだ、お前は。いったいどっちの味方だ」


 こうしてくっちゃべる間にも、猫娘の攻撃は苛烈を極め、防戦一方のゾイはみるみるうちに傷だらけになった。


 ただの喧嘩と言ってしまえばそれまでだが、猫娘の攻撃スピードは尋常ではない。ゾイは我慢強く耐えているが、力尽きるのは時間の問題だろう。

 このまま、ゾイを見殺しにする訳には行かない。俺は負傷を覚悟で二人の間に割り込もうとして――

 鬼娘に、ぐいっと腕を引っ張られた。


「だ、駄目だ! 危ない!!」


「やかましい! この役立たずが!! お前の売りは腕力なんだろう。何故、見ているんだ!!」


「だから、それは……」


 鬼娘には言い分があるようだったが、奥歯に物の挟まったような口振りには苛立ちが募るだけだった。


「……」


 斯くして俺は沈黙を選ぶ。

 話す価値のない相手との問答は無駄なだけでなく不毛だったからだ。


 鬼娘は尚も何か言いたそうにしていたが、慌てながらも掴んだ俺の腕を離さない。

 焦慮の余り、俺は思わず叫んだ。


「――ゾイ!!」


 その時、傷だらけのゾイの背中が大きく震えたような気がした。


「シャアアアアアッ!」


 猫娘は鋭い呼気と共に気炎を吐き、猛スピードでゾイに襲い掛かった。


 ――決めに来た。


 その瞬間、これまでガードを固めたまま動かなかったゾイが動いた。


 勝敗は一瞬で着いた。


 背後に居た俺には見えなかったが、ゾイは猫娘が勝負を決めに来るその瞬間を狙っていたのだろう。強く両腕を振り払ったようにしか見えなかったが、結果は劇的で――

 ずがんと凄まじい音がして、同時に弾け飛んだ猫娘は貧乏長屋の壁を突き破り、隣の部屋まで吹き飛んだ。


 ゾイは、接触の瞬間、猫娘の爪を弾くのと同時にカウンターのパンチを叩き込んだのだ。


 乾坤一擲。

 その威力は正に一撃必殺。


 壁に空いた大穴から猫娘を見たが、うつ伏せに転がったまま、立ち上がる気配は一切ない。


 なんという膂力。

 これが、ドワーフか……。


 驚愕する俺の前で、ゾイは肩を怒らせたまま荒い息を吐き出した。小さい身体故に不利だと思っていたゾイと猫娘の勝負は、実の所、互角のやり取りだったという訳だ。


「……」


 猫娘はぴくりとも動かない。完全に失神している。

 ガキ共が歓声を上げた。


「ゾーイの勝ちだ!」


「ゾーイ! ゾーイ! ゾーイ!」


 最後は力が物を言う。

 これが、ガキ共の流儀やりかただった。

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