13 アビー
ガキ共のリーダー、アビゲイル。
通称、『アビー』。
古参のガキは『ビー』と呼ぶ。
女王蜂。赤の装飾を好む彼女は、簡素な革の胸当ての下に赤色の肌着。その下には鎖帷子を装着している。
ゴツいサッシュベルトには鉈のような大振りのナイフを二本差していて、腰下には冒険者が着るようなゆったりとした革のレギンスを履いている。ブーツは厚底で、いかにも何かの仕掛けがありそうだ。
襤褸ばかりを纏うガキ共の集団で、こいつだけは違うと一目で分かるのが、このアビーの特徴だ。
風呂場に着くなり、アビーはくすんだ赤毛をかき上げ、俺に微笑み掛けてから、サッシュベルトをナイフごとその辺りに投げ出した。
そこからは、あっという間に全裸になった。
音もなくゾイが進み出て、当然のようにアビーの装備や衣服を拾い上げ、ちらりと俺を一瞥した後は静かに浴室を出て行った。
「見とくれよ。いい身体してるだろ?」
「……」
脱いでしまうと、確かにそうだ。
幼さは残るが、しっかりと張り出した胸。くびれのある細い腰。レギンスで分からなかったが、足は筋肉質で荒縄のような筋が浮いている。
亜人の種族的な才能もあるだろうが、この鍛えられた身体付きは、本人の努力の賜物でもあるだろう。
「……ぱっと見たとこ、異変はないな。健康体に見える……」
皮膚病は勿論、とんがり耳にあったような腫瘍の兆しもない。
アビーは大きく手を広げ、その場でくるくると二度回転した。
「そりゃ、そうさ。この世界で、この身体以上に大切なものなんてありゃしないよ」
……まあ、そうだろうな。
何もかも、命あっての物種。喜怒哀楽、全てが生ある者の特権だ。やはり、アビーは賢い。
「……しかし、本当に綺麗な身体をしているな……」
「最低でも、二、三日に一回は身体を拭く事にしているからね」
砂利のような小石が敷き詰めてある地べたに置いてあった椅子に大股で座り込み、アビーは言った。
「さぁ、やっとくれよ」
と、言われてもやる事はない。
だが、アビーがその気になっているので、全身をくまなく診させてもらう。前も後ろも、全部だ。
好きなように体位を変え、全てを診ている間、アビーの浮かべた笑顔は変わりなく、また身体を隠そうとする素振りも一切なかった。
「……異常なしだ。お見事。栄養状態に至るまで、全て問題ない……」
アビーの健康がガキ共の犠牲の上に成り立っているとは思わない。そのガキ共の面倒を見て、守っているのは他ならぬアビーなのだ。自身を守れない者に他者を守る資格はない。このクソみたいな世界で自己管理に優れている点は称賛すべき資質だった。
粗末な樽製の浴槽から手桶で湯を汲み取り、そっとアビーの足に掛けて様子を見る。
「……熱くないか?」
「あぁ、いい湯加減だ。ざばっとやっとくれ」
ここからは自分でやれと言いたい所だったが、そう言うとアビーが機嫌を損ねるような気がしたので……まぁ、続ける事にした。
「♪」
俺に身体を洗われている間、アビーは上機嫌で鼻唄まで歌い出す始末だ。
「前もだよ。前も。言い出しっぺはあんたなんだ。丁寧に、しっかりやっとくれ」
「……ああ」
「尻尾もだ。そこは念入りにね」
今はまだ幼さが残るが、二、三年もすれば目の玉が飛び出るようないい女になるだろう。
眼福だがしかし……
石鹸もシャンプーもリンスもないこの原始的な生活は気に入らない。
「なぁ、アビー。身体を洗う石鹸や洗剤のような物はないのか?」
「セッケン? センザイ? なんだいそりゃ。あんたと来たら神官さまだからね。小難しい言葉を使うのは止めとくれよ」
「……言い方を変えよう。身体を洗う時に使う薬液……のような物と言えば分かるか?」
「はん? あぁ、錬金薬液か。そんなもんは貴族様の使うもんさね。あたしは見たこともないねえ」
「……そうか。なら、油と灰は用意出来るか? 自分で作ろうかと思う……」
出来るなら苛性ソーダがあれば良かったが、そもそも劇物であるし、俺にも作り方は分からない。ここで言ったのは昔ながらの石鹸。旧時代の石鹸に必要な材料だ。
「なんだそりゃ。そんなもんで、その……セッケン? 身体を洗う錬金薬液が作れるのかい?」
「その錬金薬液というのは知らんが、似たような物は作れる……多分」
「――!!」
その瞬間のアビーの変化は劇的だった。
がばっ、と音が出そうなぐらい勢いよく振り向いて、俺に思い切り抱き着いた。
「あぁ~ディ! ディ! あんたってやつは! あんたってやつは~!!」
何故か興奮しアビーに押し倒され、俺は顔中にキスの嵐を受けた。
「うわ、や、やめろ!」
何せ十歳程度のガキの身体だ。試してないが精通もないだろう。邪な考えは浮かばない。ただ、服が濡れてしまうのが嫌だった。
アビーは大興奮だ。
俺にひたすらキスの雨を降らせながら、糸目を益々細くして笑った。
「それで、それで、ディ! そのセッケンとやらは作るのが難しいのかい!?」
俺はなんとかアビーを押し退けて、激しく毒づいた。
「くそっ! 馬鹿力め!」
湯桶に入っていた水まで被ってしまった。お陰で全身ずぶ濡れだった。クソガキが!!
『雷鳴』を轟かせてやりたかったが、そこはぐっと堪えて言った。
「…………石鹸の作り方なら簡単だ。アホでもガキでも出来る。この答えで満足…………くそっ、抱き着くな!!」
その後は興奮の収まらないアビーをなんとか湯船に放り込み、石鹸についての話をした。
「ふうん……でも、油と灰かい?」
気分良さそうに入浴するアビーは、すらりと長い足を樽の縁に掛け、湯船の湯を両手で弄んでいる。
「……ああ、油なら何でもいい」
ぴしゃぴしゃとアビーが両手で湯を弄ぶ為、俺は少し下がった場所で用心深く答えた。
「何でもって、本当に何でも? 使い回して捨てっちまうようなやつでもかい?」
「綺麗な事に越した事はないが、あんたは安く仕上げたいんだろう?」
この答えに益々気分を良くしたようだ。アビーは変な笑い声を上げた。
「にゅふふふふ……! 分かってるじゃないか! ……で、灰の方は?」
「それこそ考える必要はない。暖炉の中に捨てる程あるだろう」
「ディ、後でまたキスしてあげるよ!」
「いらん!」
上機嫌のアビーは笑みを絶やさず、茶化すように湯船の湯を掛けて来るのだから堪らない。
「ディ! あんたも一緒に風呂に入りな! うんと可愛がってあげるよ!」
「いらん!」
そんな格闘が暫く続いた。
「あんたがやって来て、いよいよ、あたしにもツキが回ってきたみたいだ……」
アビーは悩ましく溜め息を吐き出し、俺にうっとりとした視線を向けて来る。
「……あまり期待し過ぎるな。あんたの期待に添えるものだとは限らないぞ……」
「そんな事はないね。あたしは勘が働くんだ。その勘が言ってる。こいつは結構な稼ぎになるってね」
……勘。
アビーはその『勘』に非常な自信があるようだが……何か引っ掛かる言い方だ。
ここは『異世界』だ。
俺の知らない事は山ほどあるだろう。このアビーの『勘』もその一つなのかも知れない。
不意に、アビーが言った。
「ゾイを選んだのはいい判断さ。あの子は器量もいいし、素直で扱いやすい。それに、あんたを一目見たときから、可愛いって、ぞっこんだったからね」
「男に可愛いは褒め言葉にはならんな」
「うふふ。まぁ、あんたと来たら、貴族様より偉そうだからね。そう感じると思ったよ」
そう言って、アビーは擽ったそうに笑った。
「……」
元が美しい少女だ。あどけなさの残る年相応の笑顔に、俺は一瞬だけ見とれてしまう。
その俺の不躾な視線に、アビーは満更でもなさそうな笑みを浮かべている。
「でもね、ゾイは……」
アビーが何事か言おうとして、その時の事だ。
ガキ共の悲鳴が上がり、長屋全体が大きく揺れるような衝撃を感じた。