12 因果
アビーは悩みに悩み、結局は七部屋ある内の二つの部屋を居住区として機能させる事にした。
「ディ、あんたの意見を聞かせておくれ」
「文句はない。強いて言うなら、寝る場所と生活する場所の二つの区域に分けたらどうだ?」
「……そうだね。特に夜は固まっていた方が、何かあったときに都合いいだろうし……」
時刻は昼下がりになり、今のところアレックスからの呼び出しはない。
猫娘は、ぎゃあぎゃあと喚き散らしてガキ共とメシの準備をしている。時折、トカゲ娘のスイが視線を送って来るのが気になるが、特に興味は湧かない。
そして、鬼娘のアシタとドワーフの少女ゾイは、片時も俺から離れない。
「アビー。一つ提案があるが、いいか?」
アビーは上機嫌で頷いた。
「ああ、あんたの意見なら、なんでも。言ってみな」
「……もう少し余裕が出来てからでいい。ガキ共に服を買ってやってくれ」
「……いいだろ。分かった……」
アビーは澄ました表情で言ったが、僅かに視線を逸らした。
返事はしたが、分かってない。
アビーの『お宝』は、ディートハルト・ベッカーただ一人。他の事はどうだっていい。そう思っている事が顕著に分かる態度だった。
これはいずれ大怪我の原因になるだろうが、俺の知った事じゃない。いずれ……
そこが分水嶺になる。
アビーは分かったフリをしているが、『集団』というものを舐めている節がある。
さて、母は如何なる因果を以て、軽率な女王蜂を苛むだろう。
◇◇
昼飯は魚の煮付けだった。
予想外だったのは、猫娘が意外にも料理上手だった事だ。きちんと野菜も食卓に並んでいるし、スープも付いている。
まともな食事にありつけた事に感謝を捧げ、祈っていると猫娘が皮肉っぽく呟いた。
「神さまなんかより、あたしに感謝しなよ」
「……勿論、感謝している。俺に何かして欲しい事はあるか?」
「ないね!」
俺はこの猫娘に嫌われるような事をした覚えはない。
「……」
一瞬、鬼娘の視線を感じ、そちらに目を向けると、鬼娘は気まずそうに視線を逸らした。
相変わらず、こいつの考えている事は分からない。
しかし猫娘の方は……
「なにさ! やらしい目で見るんじゃないよ!!」
こうもはっきりと嫌われると、却って清々しいものがあった。
◇◇
昼食を終え、神力に余裕があった俺は、ガキ共の皮膚病の治療をする事にした。
「よし、ゾイ。来るんだ」
「…………いいよ」
だからなんだ、その間は。
時折、ゾイからはセクシャルなものを感じる時がある。
風呂場がある部屋に行き、取り敢えずゾイを裸に剥いてしまう。
「……ふむ。結構」
先日、治療したゾイの場合、予後は良好で一部掻き毟った痕こそあるものの、それも時を追って消えていくという程度になっていた。
「……」
ゾイは後ろ手に手を組み、小首を傾げて俺の顔を覗き込んで来る。
「ゾイ。一つ質問があるが、いいか?」
「…………いいよ」
くそっ、またセクシャルなものを感じる。その間はいったいなんなんだ。
「……他にも身体を掻いているやつがいるな。知ってるだけでいい。何人ぐらい居るか分かるか?」
「……スイとアビーは痒そうにしてない、かな……」
「む……そうか」
問題はその他のガキのようだ。
アビーとトカゲ娘のスイはともかく、他は全員が皮膚病に冒されていると見るべきだろう。
その後は前と同じようにゾイの身体を念入りに拭き上げ、祝福を与えた。
「わぁ……きれい……」
そう見えるだけで虚仮威しだ。神力を節約する為、回復効果自体は痒みを軽減させる程度に留まる。
「…………ねえ、ディも一緒にお風呂に入るんだよね……」
「そうだな。そうしよう」
貧乏長屋の風呂場はそう広くない。ゾイの提案通り、入浴はなるべく複数で、かつ早急に済ませるべきだった。
風呂場では、ゾイに全身を余すことなく洗われた。
前も後ろも全てだ。
特に抵抗はない。ここまでに俺は何度も気絶していたし、その度に俺の身体を拭いて清潔を保っていたのはゾイの献身のお陰だったからだ。
湯船でほんのりと頬を染めて、ゾイは言った。
「ゾーイは、ディのものって事で、いいんだよね……?」
その問いに関しては簡潔に答えた。
「ああ、そうだ」
今は幼い俺たちだが、こんな事を当たり前にしている以上、時を追ってそういう関係になるのは自然の成り行きの一つだろう。
「だが、先も言ったが強制はしない。嫌になったら、いつでも止めていいからな」
「ならないよお。えへへ……」
いつものように甘ったれた口調で言って、ゾイは意見を変えなかった。
◇◇
こんな格言がある。
――ドワーフの意思は鋼で出来ている。その頑固さは年老いた山羊にも勝る――
追々、俺は骨身に染みる事になるが、この時はガキの言う事と深く考えなかった。
◇◇
ゾイとの入浴を終え――
衛生環境の改善は必須だが、この長屋を手に入れた事で解決の見通しが立っている。問題は、これが『移る』病気だというのが『ディートハルト』の見解である事だ。
つまり、全員裸にひん剥いて治療しない事には、いつまで経っても解決しない。いたちごっこになる。それが続けば、酷い感染症の原因になるだろう。そうなれば死人が出てもおかしくない。
その状況を説明した時のアビーの答えは明快だった。
「じゃあ、ディ。あんたが、ぱぱっとやっとくれよ」
「簡単に言うな」
鬼娘や猫娘が、簡単に俺の治療に応じるとは思えない。
「エヴァはとにかく、アシタの方は問題ないと思うけどねえ」
「完全に陽が落ちてしまう前に済ませたい」
夜になると、ここら辺は馬鹿みたいに冷える。服を洗わなければならないし、ガキ共が着た切り雀だという事を考えれば、服が乾くまでの時間を考慮するのは当然の事だった。
そして、だ。
入浴の文化というのは奥が深い。例えば日本人の場合、古くから入浴文化が根付いていて、毎日の入浴は特に珍しいものではない。
しかし、国によっては水質により事情が異なる。
例えば水質が硬水であった場合、入浴は肌や髪を痛めてしまう為、自然、入浴回数は減って行く事になる。フランスなんかはこれが香水の発展理由になったそうだ。
「なんだい、ディ。えらく難しい顔をしちゃってさ」
「……なんでもない。悩んでいる時間が惜しい。始めようか……」
「そうだね。それじゃ、あたしからやってもらおうかね」
症状が重いやつからだ、と言いたい所だったが、今は急を争うような時でもない。そもそも俺はアビーの部下である事を受け入れているし、ここで反論するのは余計ないざこざの原因になるだろう。
「ゾイ。風呂場でアビーの身体を見てやってくれ。処置の仕方は分かるな?」
確認するように言うと、ゾイは笑顔で頷いた。
「しっかりと全身拭き上げて、身体を洗う。それで、入浴する前にディを呼ぶ?」
「その通りだ」
ゾイは小さいが力強く、何より賢い。この少女に目を掛けたのは正解だ。自身の判断に悦に入り、重々しく頷く俺に、アビーはニコニコと笑みを浮かべて言った。
「いや、ディ。それは全部あんたがやるんだ。これは命令だよ」
「……」
アビーは狐目を糸みたいに細めて笑っているが、そこには有無を言わせぬ迫力のようなものがあった。俺は少し考え……
「……分かった。あんたはこの集団に必要な存在だしな。徹底するなら俺が診るべきだろう。あんたが抵抗がないなら、何も問題はない」
「じゃあ、早速風呂場に行こうかね。隅々まで見ておくれよ」
「……」
アビーに負けないぐらい目を細めるゾイの髪をくしゃりと撫で、改めて風呂場に向かった。
……一瞬、気になったのは、側で成り行きを見ていた鬼娘がゾイに向かって目配せして、それにゾイが頷いた事だ。
弾むように前を行くアビーの背中を見ながら、俺は考えた。
……女の考える事は分からん。
中身三十を越えたオッサンになってもそうだ。
複雑な女の心理は、俺のような朴念仁には一生分からんだろう。
漠然と、そんな風に思った。