10 パルマの貧乏長屋
小さいが石造りの建築物。
それなりに高価な調度品がそこかしこに飾られている広い部屋で、デカいテーブルを挟んで筋肉ダルマ……アレックスと対峙している。
「要は、ディート。あんたをウチのクランで囲いたいんだ」
「そういう話はアビーとやってくれ」
「駄目だね。今朝、あんたがアネットにした事を忘れたとは言わせないよ」
そいつを言われると弱い。
俺自身はまだ『神官』というクラスに詳しくなく、理解が欠けていたが、力のある神官の『言葉』には強い力が宿る。
無茶苦茶簡単に言うと、『呪い』のような力がある。アビーやアネットが怯えていたように見えたのは気のせいじゃない。
「……すまなかった。あの場所での発言は俺の勘違いだった。全面的に撤回する……」
アレックスは、したりと破顔した。
「そいつはいい。後は、二度と顔を見せるな、ってのも取り消して欲しい」
「分かった。取り消す」
そこで俺は伽羅の欠片を口に放り込み、それをカラコロと口の中で弄んだ。
「話は終わったな」
「まだに決まってるだろう。って言うか、まだ何も話してないよ」
「面倒だ。そういう話はアビーとしてくれ」
そもそも俺には無欲の戒律がある。多少の嗜好品ならアビーが用意するだろうし、それ以外には、衣食住の三つが確保されているなら求める物はない。
「は、はは……徹底してるね……」
俺は、黙り込んだ筋肉ダルマの前で席を立った。
「……」
筋肉ダルマの眉がヒクヒクと怒りに震えている。
「仕事はちゃんとしてもらうよ……!」
「何度も言わせるな。アビーと話せ」
そのまま、俺はアレックスの部屋を出た。
◇◇
部屋の外では、アビーと鬼娘が半泣きで手を揉み絞るようにしながら、そわそわして待っていた。
「話は終わった」
俺が短くそう答えると、アビーは目を丸くした。
「は、話は終わったって、どういう話になったんだい?」
そこで、俺は伽羅の破片を吐き捨てた。
「どういうって……俺の上にはあんたしか居ないんだ。あんたがそう言った。あんたが決める事だろう」
「……」
沈黙があり、アビーが息を飲む音が聞こえた。
俺はというと、睡眠不足なのか今一頭がはっきりしない。
遠巻きにこちらを見ていたゾイを招き寄せ、肩を抱くようにして凭れ掛かった。
「伽羅は? 二、三個出してくれ」
「あ、うん。それは……」
意外そうに俺を見上げるゾイの衣服を探っていると、鬼娘が袋に入った伽羅の破片を突き出して来たので取り上げる。
「なんでお前が持ってる」
袋の中から幾つか伽羅の破片を取り出し、ポケットに突っ込んだ後は残り全部をゾイに押し付けた。
「無くさないように持っていてくれ。それがないと俺はムカつくんだ。切らさないようにな。後、離れる時は一言言ってくれ。身の回りの事は頼んでいただろう。朝起きて居ないから驚いたぞ」
ゾイは何度も強く頷いた。
「ご、ごめんなさぁい……」
「ああ、だが強制するつもりはないんだ。俺には言いづらいだろうから、嫌になったらアビーに相談するといい」
新しい伽羅の匂いが鼻腔を突き抜け、ぼんやりとした意識を幾らかはっきりとさせてくれるのを待って言った。
「アビー、今朝は色々あって休み足りない。まだ少し休みたいが、いいか?」
「あ、ああ。そうだね。確かに顔色がよくない。アシタに背負ってもらうかい?」
「いらん」
一言で切り捨てると、鬼娘の肩が小さく震えた。
俺はゾイに凭れ掛かったまま、ゾイを杖代わりにアレックスのクランハウスを出た。
◇◇
アレックスとの交渉を終え、帰って来たアビーの説明はこうだ。
「今、アレックスさんのクランには十人の冒険者がいる。ディ、あんたはその十人の面倒を見なきゃいけない」
「……」
「その見返りとして、アレックスさんはパルマの長屋を貸し切りにしてくれた。七つも部屋があるんだ。そこがあたしらの新しい
「……悪くないな。だが……パルマの長屋……?」
それに答えたのは鬼娘だ。
「貧乏長屋さ。同じような長屋がクソみたくあって、その一つがあたいらの塒になった。でも、ディ。あんただけは違う」
「なんだ、それは。どういう事だ?」
「あんただけは特別さ。アレックスさんのクランハウスに自由に出入りしていい。休むのも泊まるのも自由。なんなら遊びに来いだってさ」
「……」
それは見え透いた引き抜きだ。
アレックスが欲しいのは俺だけで、その他はゴミ同然の扱い。アビーや鬼娘の心配は理解できた。
ゾイが俺を遠巻きに見ていたのは、そこから来る疎外感からだろう。
俺はゾイの頭を撫でておいた。
それを横目に見ながら、アビーの話は続いた。
「あんたはクランの仕事を優先しなきゃいけない」
「呼び出しがあれば、すぐに応じなきゃいけないって事か?」
「そうさね。その見返りが貧乏長屋と銀貨五枚」
そう言って、アビーは懐から銀貨を取り出して見せた。
「全然、足りないぞ。安売りするな。アビー、そういう時は吹っ掛けるんだよ」
俺のその言葉に、アビーを含めたガキ全員が震え上がった。
「な、何を言ってんだい、ディ。貧乏長屋だけど、ちゃんとした塒があって、一日に銀貨五枚だよ!?」
俺に通貨の価値は分からない。分かるのは、筋肉ダルマが俺を飼い慣らして便利使いしようとしているって事だ。
「じゃあ聞くが、アビー。その金でガキ共を腹一杯食わせてやれるのか?」
「そ、それぐらいなら……多分……」
言葉の後半は自信なさそうに口の中に消えていく。
だらしない。
「住む場所だけじゃない。ガキ共を見ろ。全員が虫の湧いたボロを着て、薄汚れてる。こいつらの格好をもう少し見れるもんにしてやらなきゃ、そいつはウソだろう」
「そいつは……そう、だけど……」
「だけど、なんだ? 物ははっきり言え。今のお前と話していると苛々する」
「……」
アビーは項垂れ、途端にしょぼくれた。
「なあ、アビー。筋肉ダルマにとって、貧乏長屋と銀貨五枚なんてのは、小遣い程度の端金なんだよ。お前はそんな小金で俺を売ったのか?」
この俺の言葉には激しい反応があった。
「――違う! 違う違う違うッ!!」
「だったら、しょぼくれてるんじゃない」
確かにアレックスの出した条件は破格だろう。だが、それはスラムのガキ共にとっての事だ。
一杯喰わされたんだよ。
俺は肩を竦めて息を吐く。
ゴミはゴミ箱に。
新しいゴミ箱が増えた。
◇◇
薄汚れた路地裏を抜け、『パルマ通り』の貧乏長屋に辿り着いた時、アビーは怒り狂っていた。
「クソがッ! あの筋肉ダルマ! あたしを馬鹿にしやがって!!」
パルマの通りの貧乏長屋。
『パルマの貧乏長屋』と呼ばれるそこは、ずらりと平屋作りの長屋が並んでいて、アビーは新たに割り当てられた長屋にある七つの部屋を一つ一つ自分の目で見て回った。
俺は適当な部屋を選んでゾイと入ろうとしたが、それはアビーに止められた。
「ディ。あんたは一番奥の部屋だ。あと、ゾイの他に二人付けるけど文句は許さないよ」
「……分かった」
「アシタ! スイ! あんたらはディに付くんだ。分かってるだろうね!!」
アシタは言わずと知れた鬼娘。スイの方は青白い肌を持つ少女……『トカゲ』だ。
スイと呼ばれた少女はニコニコと機嫌よさそうに笑っている。
鬼娘の方は、ちらりと俺を一瞥して、強く鼻を鳴らした。
一番奥まった部屋を割り当てられた理由は、裏手に排水路があって、その部屋にだけ風呂があったからだ。
尚、アビーは猫娘のエヴァを側近にする事に決めたようだ。
猫娘はアビーに散々細かい指示を出され、その度に文句を言っていたが、アビーはその度に苛烈な暴力で猫娘を黙らせた。
「さっさとメシの支度をするんだ! ディには一番上等なメシを用意するんだよ! ガキ共には水汲みでもさせな!!」
この貧乏長屋に限った事じゃないが、水道なんて洒落た物は付いてない。アビーの指示は妥当だった。
そして、この貧乏長屋には何もない。雨風が凌げるぐらいで何もない。テーブルもベッドもない。毛布もない。ないないないない何にもない。
俺は一瞬だけアネットの部屋が恋しくなったが、それはアビーの精神衛生の為に言わないでおいた。