ありがちなMMT批判の問題点と、主流派経済学との根本的違いについて
どうにも、MMT批判の様式を見ているとアホらしいものが多い。MMT理論だとかMTT(ただの名称間違い)だとか、そんなのがとても多い。内容批判においても、MMTの書籍や公表論文やら、何かしらを見て書いたとは思えないズレた批判がやたら目に付く。
そして、本当に不思議な事に、主流派経済学というヤツは科学を自称する癖にやたらと権威主義的である。歴史がどうの、異端がどうのと何処が科学的、論理的な批判なのか? そんな理屈が有効ならば、現在、地動説が正しいとされるのは、17世紀の教皇庁がそのような反知性活動を容認し譲歩したからだという事になる。当時の天動説というのは誰もが認める学説であり、歴史があり知見が蓄積された素晴らしい学説だ。
そもそも、MMTをパッと出だから~とか言う批判だが、貨幣論というのはケインズからずっと蓄積のある話であるし、ポストケイジアン(ニューケイジアンとは違う)からの延長でもある。体系化され公表されたのが1990年代というだけの話ある。
だいたい歴史の短さ云々言うなら、リフレ理論も大概だし、なんかいつの間にやらリフレ政策に組み込まれているシムズ理論などパッと出も良いところだろう。インフレ誘導する目的が根本的に違う、リフレ理論とシムズ理論が同一視されて運用されているのも意味不明である。
そう、MMT批判者は色々いるのだが、特に印象的なのが、リフレ派、それも8%への消費増税を”黙認”していた連中のMMT批判である。彼らは、ハイパーインフレ芸人や財政破綻論者がリフレ政策に浴びせかけた屁理屈を、今MMTに対して使っているのだ。おまけに、意味の解らん主流派経済学擁護までしている。
なんぞ、クルーグマンだのピケティだのがいるから主流派は財政破綻論なんか述べてないんだァ~とか言い出す人もいる。こういうのは、そもそもの財政破綻論の歴史や構造に無知ゆえの間違いである。「カラスは黒い」と述べるのに、全てのカラスが黒い事を証明しなければならないのだろうか? そして、アルビノだのムナジロガラスだのと「カラスは白い」と言われる馬鹿らしさよ。
主流派経済学という言葉は、とても広範な学派を含んだ言葉である。ぶっちゃけ、主流派経済学の共通見解等と言うモノは存在しえない。ましてや、主流派経済学の共通見解として、デフレ脱却の為に財政赤字容認するなどと言う事など、構造的にあり得ない話である。何故って? シカゴ学派やらの新自由主義的派閥も主流派経済学だからだ。というか、今の世の中を席巻している主流派経済学の主流は新古典派や新自由主義である。ちなみに、ケインズ経済は主流派では無い。今、ケイジアンとか名乗っている連中は、ケインズの権威だけ利用しようという、多少マシな古典派に過ぎない。
更に言えば、リフレ派も色々であり、本邦におけるリフレ派というのは、浜田宏一や岩田規久男などの”金融緩和を十分すれば増税しても問題ありません”派である。彼らが財政拡大に肯定的である等と言う評価は、おおよそ現実に即していない。それとも、今の体たらくが”十分な財政拡大をした”という事なのだろうか? 財政の不足を問うと、彼らは金融政策の成果ばかりを強調しようとするばかりである。おまけに、金融緩和政策の効果が不調である事もについても、銀行が貸し出さないのが悪いとか言いだす有り様。コレが本邦のリフレ派”である。財政拡大は馬場財政で戦争への道だの、社会主義だのと迄言い出す連中が、財政拡大に賛成している?
だいたい、リフレ派がMMT批判において述べる「主流派経済学でも財政破綻論は間違いなんだァ~MMTは必要ない~」的な主張などは、一般人にはどうでも良い学閥闘争に過ぎない。そもそも、リフレ派などの言う財政破綻論の否定はMMTのモノと、言語的には全く違う。
そもそも財政破綻論の根幹は均衡財政論であり、均衡論は主流派経済学の共通見解である。MMTが述べている破綻論否定は『赤字国債はそもそも問題では無い』であり、リフレなどが述べている破綻論の否定は『赤字国債は問題だが、その後の経緯で結果的には問題ならない』という構図である。根本的にはリフレ派ですら財政均衡論には肯定的であり、単に、デフレで不景気だから財政赤字を容認するという話に過ぎない。
要するに、『日本は1秒後に破綻するゥ』とか言うのを否定しているだけで『孫たちの世代へのツケまわしがァ~』とかいう話は否定していないのである。特に本邦のリフレ派がゴッツリこの論理に従っている。従っているからこそ、債務圧縮の為の理論であるシムズ理論なんて言い出した訳である。
だいたい、財務省のポチ学者共は立派な主流派経済学である。例えば、コロナ諮問会議に入り込み、中小企業をブチ殺して効率化しよう論を述べている小林慶一郎などは、シカゴ大学に留学しており、そこで師事したのは、1995年にノーベル経済学賞を受賞したシカゴ学派のロバート・ルーカスである。また、彼が書いた財政破綻論本で引用した論文は、 ハーバード大学経済学部教授でニューケイジアンのケネス・ロゴフだ。この引用論文は誤りが指摘されているのだが、ケネスは結論に変わりないと主張している。
そもそも財政破綻論というのは、80年代から拡大した新古典派やら新自由主義が、自分たちの自由原理主義的なグローバルマンセー的な経済政策を進める為に広めた道具に過ぎなかったという歴史がある。それが時を経て、信仰を集めるようになって宗教になったわけである。つまりは、新自由主義的な思想の連中にとっちゃ、財政破綻論というのは、信仰はしないがとても都合が良いのである。
では、主流派経済学をひいてはリフレ派を狂わしている定義とは何なのか?
その前に、ちょっとした算数の復習をしてみよう。
A=X+Bという式がある。Aを求めるにはどうすればよいだろうか?
そう、X=A-Bとすれば良い。これは数学的には正しい解法である。
さて、主流派経済学の最も基本的な定義、貯蓄投資バランス式を見てみよう。
S-I=(G-T)+(EX-IM)、こう数式っぽく出されると、一般人はビビ散らして退散すると思っているのだろう。経済とは、社会事象であり、価値観やら倫理やらを含んだ代物で自然現象ではないって事を忘れ散らした連中のマウンティングである。記号を言葉に直して分かり易くすると最終的にこうなる。
民間貯蓄=財政赤字+貿易黒字。
さて、さっきした算数の復習を思い出して貰いたい。
財政赤字=民間貯蓄-貿易黒字となる。
なんという事でしょう!
赤字国債発行の原資は民間の貯蓄だったのです!!
つまり国債を発行すると民間貯蓄が減少するのです!!!?
すると!
おカネの希少性が上がってしまう!
だから!
貨幣市場からおカネを引き出しにくくなり!
金利が上昇するのです!
国債を発行すると!
民間が自由におカネを使えなくなるのです!!!!?
コレが『クラウディング・アウト』なのです!!!!???
ハイ、嘘です。日銀総裁にでも国債発行すると民間預金が減少するか聞いてみると良い。事後的にだのうんぬんムニャムニャ言った後に、民間預金は増えますと言うしかないのが現実だ。だいたい、何処に存在してんだよ貨幣市場。主流派経済学の脳内にしか存在しない架空の存在だ。
そもそも、そのクラウディングアウトを回避する為に貨幣供給量を増やしましょうというのが、いわゆるリフレ派の理屈であるが、中央銀行は市中に貨幣を供給する事など出来ない。出来ないからこそ、金融緩和至上主義者はヘリコプターマネーという概念を生み出した。だが、現実問題としてヘリコプターにカネ積んでばら撒くなんて行為が容認されると思うか? それはおカネの信用がぁ~みたいなおセンチな話では無く、そのカネ使って財政支出しろやという話にしかならない。
というか、クラウディングアウト仮説だの非ケインズ効果なんて代物を容認している癖に、財政拡大を容認していますなんて論説じたいか怪奇極まる。政府が支出を増やす事の経済効果はマイナスです! とぶち上げた定義を戴きながら、政府支出を増やす事を容認してます?
ま、可能であると”言い換える”事も出来るのかもしれない。しかし、そんなのは『殺す』を”ポアする”と言い換えて本質を変えようと試みる言語の大道芸に過ぎ無い。クルーグマンのクラウディングアウトの言語運用など、カネはモノだとの認識を前提にしなければ理解も擁護も不可能だ。
しかしまぁ、つくづく竹中平蔵”大”先生は偉大な人物である事よ。現代戦車並みの面の皮の厚さが大先生が大先生たるゆえんである。何が偉大って? コロコロと言う事変えまくる癖に、自分が利益を得られるような立ち位置に常に居るって事だよ。ケインズの言うところのクソ経済学者とクソ商人を悪魔合体したような存在だ。
「自分は権力はありません~だから責任もありまチェ~ン」