釣り大会3日目・開会
* 会場 *
ジャークラ公国首都の南は海へと開かれている。凹んだ入り江は大きな港になっており、入り江の入口が水深30メートル未満であることから「海竜の入り込まない港」として慣れ親しまれていた——もっともこれは人間の勘違いに過ぎないのだが、ほとんどの人間がこれを知らない。港湾内部の水深30メートルオーバーのところにならば海竜は出現することができるし、魚を食っても問題ないのである。
それはともかく、この「首都港」は小舟を浮かべて釣りをする場所として使われていた。しかし今日ばかりは小舟が1艘も浮かんでいない。それもそのはず、すべては今日行われる大賢者主催釣り大会のためだ。
『釣り人の入場です』
それはまだ夜の明けていない未明。うっすらと東の空が明るんでいる程度の時間帯。
声を大きくする魔法によって司会の声が聞こえてくる。
オオオオ——。
暗がりの中、すでにギャラリーは集まっていた。彼らは港にぞろぞろと現れる釣り人に狂喜する。
だが釣り人たちの表情は硬い。緊張のあまり顔を青ざめさせている者もいる。
そんな彼らも一歩港に入ると、一気に走り出す。
釣り大会3日目は、順位の低い者から順に入っていく。そして好きな釣り座を確保できるという仕組みだった。
ほとんどの釣り人が港の先端へと走っていく一方、ランディーは港の中間に位置取りした。彼女の周囲には誰もいなかったが、釣り人がさらに入ってくると彼女の近くに釣り座を置く者も増え出した。
そして、入場する釣り人も残り10人となって——。
「ランディー、ここにしたの?」
彼女に声を掛ける人物がいた。
声を聞くだけで見なくともわかる。ノアイラン帝国所属、ディルアナ子爵だ。
現在ランキング7位にして、このままの順位で終えれば女性としては新記録となる。
「ああ——先端で戦うには邪魔が多いだろう?」
「そうね。でも……あなたはここに勝機があると?」
「ディルアナだって知っているからここに来たのだろうに、なにを言う」
ランディーの問いに、ディルアナはにやりとした。
「あなたも情報をつかんでいるのね」
「当然さ。そのために早めに首都入りしたのだから」
実のところランディーは、ハヤトよりも早く首都に入っていた。それにはスノゥとともに「飛ばしウキ」を作るという目的もあったのだけれど、別の目的——情報収集もあった。
釣り大会3日目が首都の港で行われることはほぼ確実。であれば首都の港について情報を仕入れておけば、満遍なくいろんな釣り場を調べるよりも効率がいい——とはいえ3日目に残らなければ意味がないが。
「この場所……ちょうどあの、いちばん大きな山」
ランディーが指したのは遠目に見える山並みだ。
「それにこちらの半島の山」
次に指したのはノアイラン帝国のある半島の山だ。
「このふたつが見え、なおかつ堤防の先端とあの山が一直線に見える場所——それがここ」
「そのようね。ここから20メートルほど先の海底に、岩場がある」
首都港の海底は砂泥がほとんどだったが、いくつかの岩場がある。これを「根」という。
根回りには魚がつく。
大型の魚はほとんど根につくと言っていい。
「ランディー、あなたなら20メートル先なんてたやすく投げることができるものね」
「お前だって届かせる自信があるんだろう? だからここにやってきた」
「私はあなたと戦いたかっただけよ?」
「よく言うよ。私との戦いより、1位でも順位を上げるほうを優先したいだろうに」
「あなたと戦えて1位も狙えるならすばらしいとは思わないかしら」
「なるほど、お前も確信しているというわけだ。ここには大物が棲んでいると」
「ええ——」
ディルアナは薄く笑うと、ランディーに右手を差し出した。
それをランディーもまた握り返す。
「今日は楽しみましょう」
「ああ。勝つのは私だけれどね」
「あら、あら。せめて10位内には入って欲しいものね」
「はっははは。確かに」
「ふふ」
ふたりが笑っていると、
『おおっとぉ! ノアイラン帝国所属にして現在7位のディルアナ子爵と、ビグサーク王国所属のランディー元男爵ががっちりと握手! これは熱い戦いが見られそうです!』
『美人釣り師のふたりは特に有名ですからね。この戦いを楽しみにしてきた方も多いのではないでしょうか』
拡声器でそんな声が聞こえてくる。いつの間にか「実況」と「解説」がいるらしい。
ウオオと盛り上がるギャラリー。ちなみにギャラリーは港湾部への立ち入りが禁じられているのでその外側や、特別に櫓が組まれた見物台から見ている。
それほど遠いのによくもまあ見えているものだと思う一方、やたら歓声が大きいことに驚くランディーである。
「……ひょっとして私たちは注目されているのかな?」
「なにを今さら言っているの。毎年そうでしょう?」
「そうだっただろうか……これまでは釣りに必死で気づかなかったな」
「あなたもあなたで、王国を背中に背負っていたのね」
そうかもしれない、とランディーは思う。
だがランディーはハヤトに出会えた。そして彼が釣りの楽しみを思い出させてくれた。
「今はもう、気負いはないよ。全部ハヤトのおかげだ」
するとディルアナは眉をひそめる。
「……あの、ランディー。聞きたいのだけど、そのハヤトはどこ?」
そう、この港にハヤトは姿を現していないのだ。3日目開始の時点で姿を見せなくとも、というよりまったく参加しなくとも1日目か2日目で良い結果を収めていれば3日目に参加しなくてもいいのだ。
「もしかしてあの記録で満足したとか?」
「はっは。ディルアナ、あの釣りバカがそんなわけないだろう」
「そうよね……ではどうして?」
「それは言えない。だがな、ハヤトは後で必ず来る。そして——悔しいが、1位をきっと獲ってくれる」
「……あなたにそこまで言わせるのね」
「いつかちゃんと戦って、ハヤトにも勝ちたいものだよ」
「それを実現するのは私が先かもよ?」
「ふふ。ディルアナの記録も立派だが、それだけで勝てるほどハヤトは甘くないぞ」
「——ええ、そうね」
銅鑼を掲げた櫓へと、係員が歩いて行くのが見える。ディルアナの表情もまた真剣なものへと変わる。
ランディーはすでに準備万端だ。
他の釣り座では、下位の者が港の先端を確保しておき、上位の者に譲るという光景が見られる。
これは毎年よくあることだった。それをとやかく言う者はいない。上位にへつらってしまう釣り人ならば、所詮その程度の釣り人。
今日どこまで成果を出せるかが釣り人としての真価だ。
隣にいる釣り人が上位であろうが誰であろうが、結果を出すのが一流の釣り人だ。
3日目にいるような釣り人はそれくらいの覚悟ができている。
「……釣るぞ。君主代理に恥をかかせるなよ」
アガー君主国の釣り人にして、現在ランキング1位のライヒ=トングが言うと、周囲にいるアガーの釣り人たちが「オウッ」と応えた。
彼らは港の先端をほとんど押さえていた。
「回遊魚を港に入れるな! 1位から20位まで我らで独占するのだ!」
これにもまた「オウッ」と声が上がる。
東の稜線に、ちろりと光が現れた。
ジャァァアアン、ジャァァアアン——銅鑼の音が響き渡る。
直後に、ビュンビュンビュンと釣り竿の振られる音が聞こえる。
釣り大会3日目が、始まった。
* ハヤト *
港のほうから銅鑼の音が聞こえた。
あー、始まったか。朝マヅメ逃したのは痛いよなあ……。
「……んで? おめさんらはなにを聞きてぇって?」
そんなときおれがいたのは港にほど近い一軒家だ。
木造のボロ屋みたいなものだけど、家の裏手は港に流れ込む川があって、小舟が係留されている。むしろ窓から釣り竿を伸ばせば釣りができるなんていうおれにとっては理想の一軒家である。
おれの後ろにはリィンがいる。リィンはもちろん護衛だ。
ちなみにスノゥはおれの頼み事で今は鍛冶工房に行ってもらってるし、カルアはランディーになにかあったときのために港の関係者席で待機だ。クロェイラはまだ来ていない。
「おじさんは、あの港で釣りをして暮らしてるんですよね」
「おお、そうとも。知っとるか。今日は釣り大会が開かれておるんじゃ」
「知ってますよ。おれも参加者ですし」
「そうかそうか。1日目で敗退か? まあ気を落とすな。釣りは神様の気まぐれみたいなところもあるからな」
3日目の参加者なんだけど、言ったところで信じてくれないよなあ。そもそもなんでこんなところにいるんだっていう話だし。
「あの、実は聞きたいのはひとつだけなんです」
おれは手元にメモを持っていた。
ここに書かれているのはすでにランディーが調べ上げていた首都港の釣りに関する情報だ。おれが地方に回っている間に、ランディーは首都港の情報以外に、有名な釣り人の名前と住居までチェックしてくれていた。
釣り人にとって情報は命だ。だからランディーがこの情報をくれると言ったとき、おれは怯んだ。だけど——「3日目に残ったのはハヤト、お前のおかげだ。受け取ってくれなければ困る」と言う。
ランディーは男前だ。美人なのに。ずるい。
おれは彼女から情報をいただいた。
どうしたって、あんな港の奥では体長のある魚を釣るのは難しい。回遊魚を狙うなら港湾の入口なんだけど、そこは他の釣り人が押さえてしまうだろうし。
だから可能性を探るのに、情報は必要不可欠だったんだ。
そして情報の中に、ひとつ、どうしても見逃せない情報があった。
「首都港に現れる——『夕闇の巨大魚』について、教えてください」