閑話・陰謀と、デイドリーム・ビリーバー
公国首都にある、アガー君主国公邸。表にはアガーの国旗が翻っており、武装した兵ががっちりと警備に当たっている。
夜も更けたその一室——殺風景な部屋にぽつんとある1脚のイス。そこに座っているのは金髪にオールバッグの男、君主代理だ。
「……俺様は今、最高にイラついてる。なぜかわかるか?」
君主代理が言うと、直立不動の30人はびくりとした。その中には釣り大会2日目でハヤトに絡んでいったゴリラ2人もいる。
「10位までアガーで独占しろと言っただろうが!! 半分しか取れてねえじゃねえか!!」
足を床にたたきつけると乾いた音が鳴る。誰も一言も発しない。死のような沈黙のなか、君主代理が再度口を開く。
「ライヒ。お前はよくやった」
「はっ」
「レウングとネッコウの2人」
「——は、はいっ」
「はひっ」
返事をしたのはゴリラ2人だ。
「……俺様がなんと言ったか忘れたのか?」
「わ、忘れてはねえですっ! なあ!?」
「へっ、へいっ!」
「じゃあなんであのハヤトとかいうガキが20位内に入り込んでんだ!! 徹底的に妨害しろっつったろうがカスが!」
「すすすすみませんっ……!!」
「ずみばせん!」
レウングとネッコウのふたりは土下座する勢いだ。いや、もう土下座した。身体中から脂汗が噴き出しており、腋はぐっしょりだ。
「——明日の最終日は、わかってるな?」
静かな部屋で、君主代理の冷たい声だけが響く。
「ハヤトとかいうガキにデカイ魚が掛かったら——釣り糸を切れ」
「は、はいぃっ!」
「もし切れなかったら……」
立ち上がった君主代理が土下座しているふたりへと歩いていく。その前に立っていた他の男たちは左右に分かれていく。
君主代理は、ふたりのそばにしゃがみ込む。
「……お前らの首と胴体は、オサラバだ。国に残した家族も無事じゃあ済まねえぞ」
「は、は、は、はい」
「わ、わがっでまずっ!」
ふん、と鼻を鳴らすと君主代理は立ち上がる。
「俺様が見たいのは、1位から10位まですべてアガーで押さえることだ。記録が出てねえヤツはせいぜい他のヤツを妨害しろ。いいか。お前らの小せえ脳みそをフルに使って、勝ちに行け!!」
はい、という声がそろう。
君主代理はその声を聞くとひとり、部屋から出て行った。
廊下は暗い——だが彼は、まったく気にせず足取りも確かに歩いていく。
(戦争の代わりに魚を釣れ、などと……ふざけた教えを広めた大賢者め。これで堂々と、お前の作ったまやかしの平和をぶち壊すことができる)
暗闇で君主代理は、口元を歪ませた。
ノアイラン帝国公邸では皇帝とディルアナ子爵がお茶を飲んでいた。王と家臣という関係性とは思えないほどに和やかな雰囲気だ。
それを皇帝が許していることもあり、この空気を壊さないよう小間使いたちがお茶を淹れている。
「ディルアナ。よくやってくれたわ。10位内に入れば女性として大会史上初の一桁順位よ」
「ありがたきお言葉です。しかしながらまだ明日がございます」
「彼は……ハヤトは、残念だったわ」
「初日の記録を破壊したのはアガーなのでしょうか? それに2日目も、彼に妨害があったと聞いておりますが」
「ええ、間違いなくアガーよ。彼らは狡猾に、ルール内で、あるいはルールに抵触するようであれば必ず身元が把握されないよう行動している」
ディルアナが下唇を噛む。
「……ディルアナ。あなたが気に病むことではないわ。アガーのやり方に疑問を感じている元首は多いのですから、きっと大会後に正式な抗議を入れます」
「釣り大会が公的なものと採用されてから大陸における紛争はほとんどなくなりました。この平和のための釣りは続けていくべきです」
「きっと守るわ。余が約束する。大賢者と親友であった父から受け継いだ、とても、とても大事なことですもの……『釣りを通じて人を笑顔にすべし』という言葉のままに」
深々とディルアナは頭を下げた。
「さあさ、ディルアナ、お茶が全然減っていないわ。ジャークラはお茶の名産地でもあるからとても香りがよいのよ」
「ありがたく頂戴します」
「あなたのライバル、ランディー男爵も100位内に入っているようね」
「ええ、不調のようですけれど」
小さく笑うディルアナ。ランディーのことを「不調」と言いながらもそのくせ心配している様子はない。
「1日目2日目と釣り場がかぶらなかったのですが、明日は戦えそうです」
「それがいちばん楽しみかも」
「ですが陛下、他の釣り師も多く出場されていますから……」
「え、ええ……彼らもがんばってるわよね、ええ……」
皇帝の歯切れが悪くなる。
実はディルアナが10位内に入ったことで、ノアイラン所属として出場している釣り人たちが大いに奮起しているのだ。簡単に言えば死ぬほど暑苦しい。今も集まって決起集会を開き「明日は釣るぞ!」「おおおお!」「絶対釣るぞ!」「おおおお!」とかやっている。ノンアルコールで。
「……我が国の女性釣り師を増やすには、もっと華やかな場を作るべきね。たとえば、そう、こういったお茶会とか……」
皇帝は密かに心に決めた。
ビグサーク王国公邸には、国王とキャロル王女のふたりが王族として宿泊している。
ふたりは、鍋を前に唸っていた。
「……キャロルよ」
「……はい、陛下」
「……これは失敗じゃな」
「……はい、失敗です」
それはハヤトが教えたしゃぶしゃぶの用意だった。しかしながらふたりは、箸がまったく進んでいない。
「ソウダガツオはしゃぶしゃぶには向かんのだ!」
そう、よりにもよってハヤトが釣ったソウダガツオを国家権力によって1尾確保し、しゃぶしゃぶにしたのだ。
「血の味がしますわ!」
「身も崩れるのう!」
新鮮な状態ですぐに締めて、血抜きをし、血合いを取り除いてあるのならまだしも、計量後に首都に送られさらに1日経っているのである。うまいわけがない。
「よし、どうやって食せばよいかハヤトに聞いてみるかの」
「——い、いやちょっと、それはお止めください陛下」
それまで呆れてふたりの行動を眺めていただけの騎士団長レガード=オルサードだったが、さすがに口を出した。
「ハヤトは明日の3日目があるんですから」
「むう……ではレガードよ、お前ならこれをどう食す」
「え、ええ、私に聞かないでくださいよ……」
「行軍中の食料として手に入れたらどうするのかと聞いておる」
「行軍中でしたらとりあえず火を通して食いますよ。大抵のものは火を通せば食えますし、秘伝のミソをつければ味もごまかせる」
「なるほどな、火を——ちょっと待てレガード。今なんと言った? 秘伝のミソ?」
「あ」
余計なことを言った、とレガードは思った。
「持って参れ! そのミソ、食してみたいぞ!」
「いやぁ……もう遅いんで、明日にしませんかね?」
「今じゃ! 今すぐじゃ!」
「わたくしも食べたいですわ」
「……かしこまりました」
食にうるさい主を持ったのが運の尽きだ。はぁ、とため息をついてレガードは自分の宿舎へと向かった——。
「おい、陛下たちが生のままあの魚を召し上がらないように注意しろよ」
と騎士のひとりに忠告だけして。
「ええ……あなたのおっしゃるとおり、早くも新しい世界の秩序を維持するのが難しくなってきた、というところでしょうねぇ」
この国の長であるジャークラ公はそう言うと、ワインの入ったグラスを傾けた。
明るいこの部屋にいるのは彼女——ではなく彼、と、もうひとり。
相手に向けて公爵は言う。
「それでもあなたの提案した『釣果によって順位を決め、世界会議での発言権を与える』というのは実行されたし、そして、着実に効果を出しているわ」
公爵が言うと、対面の人物が何事かを言う。
「ええ……。そう、これは擬似的な戦争なの。アガー君主国はそれにとっくに気づいて、あらゆる手を使って戦争に勝とうとしている」
公爵はワイングラスの表面をつうとなでた。
「あたしだって主催国じゃあなけりゃ、アガーの連中に大きい顔なんてさせやしないわ。ここで連中に負けたらそれこそ元の木阿弥——10年前、あなたの提案に夢を見たあたしたちは白昼夢を見ていたってこと」
話している内容とは裏腹に、しかし公爵の表情は明るい。
「え? なぜそんな顔をできるのか、って……? 言わなかったかしら、今年は面白い——とぉっても面白い釣り人が参加してるのよぉ! この大会はきっと、彼のために用意されたものなんだわ。そして後年こう言われるの——『大賢者の再来と言われたハヤト=ウシオのデビュー戦だった』って。うふふ! それを後援するあたしって構図! うふふふ!」
くねりんくねりんする公爵だったが、存外、対面の相手が冷静なことに気がつく。
「……あらぁ、大賢者のあなたはとっくにお見通しだったってわけね? 今回一波乱あることなんて」
その問いに、彼は答えない。
大賢者は、答えない。
ただ、よく日に焼けた手でグラスをつかむと、ぐいっとワインを喉に流し込んだだけだった。
大賢者様チラ見せ(名探偵コナンで言うところの犯人状態)。