隣に並び、立てる者(途中からランディー視点)
人の妨害専門のゴリラ2頭を追い返したおれだったが、気になっていることがあった。
ランディーのことだ。
昼時になるとゴーダ港に集う釣り大会参加者は2種類に分かれる。優雅に昼飯を食う釣り人か、必死で釣りをやる釣り人か。
1日目の100位通過者の記録が21.8センチだとみんな知っている。そのサイズはある種、2日目通過の目安だ。これに満たない釣果の釣り人はみんな必死で釣りをする。
ランディーも、そうだ。
自分がちょうど100位だと知っている彼女は午前中の結果が芳しくなかったのだろう、今も真剣に釣りをしている。
「ランディー……」
おれが声をかけると眉間に皺を寄せて振り返る。
ランディーがこんなに追い詰められたように見えるのは、アオリイカ例大祭のとき以来だな。
バケツの中にはスズメダイや木っ端グレといった小魚が泳いでいるが、10センチ程度だ。
「厳しいな。思っていた以上に釣れないよ。ハヤトはどうだ?」
「ああ……まあ、ぼちぼちだ。2日目は通過できると思う」
「そうか——」
おれがぼかして言った。さすがに30オーバー連発で、最高が35とは言えない。だが、ランディーは気づいただろう。ランディーの記録は超えたことに。
周囲を見ると、みんな同じようなやり方で釣りをしている。初日のような混乱はないのだろうが、ぼんぼんエサを放り込んで自分のところに魚を寄せようとしているのは明らかだ。
エサ釣りのいいところは、エサのニオイで魚を寄せられることにある。ある程度は魚がこっちにやってきてくれる。
ルアーはニオイがないから、そこに魚がいなければダメだ。釣るほうが移動するのがルアー釣りである。
でもこれだけ釣り人が多いと、エサで寄せるにも限界がある。
おれは、ランディーに自分の考えを伝えようと思った。
おれが釣っていたさっきの岩場だ。
あそこなら他の釣り人は少ない。そのぶん波が荒くて足場も悪いが、ランディーの今の装備なら多少の遠投ができる。港内がエサで満ちているような釣り場よりずっといい。
「なあ、ランディー……釣り方だけど——」
「待ってくれ」
おれが言おうとすると、彼女はおれを止めた。
「……ハヤト、私は自分の力で戦わなきゃいけない。ハヤトのアドバイスは確かに有用で正しいことはわかっている。だが、大会でもハヤトに頼りきりだと私はダメになってしまう。——一昨日の釣りで、私は自分の未熟さを痛感した。だから、自分の力でなんとかしなければ」
「ランディー……」
釣りなんだから、アドバイスがあってもいいとおれは思う。楽しく釣ってこその釣りだし、釣れてこその釣りだ。
でも——ランディーの気持ちも、わかるんだよな。
少なくともおれにだって、釣りに関してはプライドがある。知った顔でアドバイスされたらムッとすることだってあるだろう。
「ランディー……一昨日のサイズを超えられなかったら、2日目を通過できないかもしれないんだぞ?」
「わかってる。それでもさ」
ランディーのライバルであるネコミミ美人のディルアナ子爵も、ランディーが3日目にやってきてくれることを期待しているはずだ。ランディーもちゃんとわかってる。
それでも、と言うのなら。
おれには止められないよな。
「了解だよ、ランディー。アドバイスはともかく、これならいいよな?」
「ん?」
おれは自分のロッドを差し出した。
「おれのタックルを使ってくれ。少なくとも今のランディーのものよりは性能がいいし、釣りの幅が広がる。長さは、まあ、ランディーのほうが長いけどな」
「いい……のか?」
「もちろんだ」
ランディーはロッドを両手で受け取った。
「——ありがとう、ハヤト。必ず大物を釣る」
* ランディー *
ここで——ハヤトから、釣り竿を借りられるとは思いもしなかった。
これは大賢者様主催の釣り大会だ。1分1秒を無駄にせず、1センチでも大きな魚を釣るのがふつうだというのに。
1日目からしてそうだった。ハヤトは、私の釣りに付き合ってくれた。そしてまったく釣れていない私を導くように——釣り針にトウモロコシを刺したのだ。
ハヤトはこういう男だ。
今も私の後ろのほうに腰を下ろして見守っている。
ふつうなら、高価な釣り竿を雑に扱われないか心配で見ている、と考えるところだが、ハヤトの場合は純粋に私を心配してあそこにいるのがわかる。
底抜けに優しい男だ。
そして得体の知れない男でもある。
見たこともないルアーや洋服、それに知識を持っている。遠国から流れてきたと言っているが、そうではないと私は考えている。
きっと今も私が彼に助力を請えば、彼はなんのためらいも惜しげもなく知識を分け与えてくれるのだろう。その知識がこの国ではどれほどの価値を持つのかも知らず——いや、さすがにそろそろ価値については知っているか。単に彼は無頓着なだけだ。
だから、だ。
だからこそ、だ。
私は自分の力で釣りをしなければならない。
でないと彼の隣に立つことなどできはしない。
ハヤトは「そんなこと気にするな」と言うだろう。だけれど、私自身が許せないのだ。彼に甘やかされて釣りをする——きっと今よりずっと大きな魚を釣れる。そんな優しく甘い日々——。
(……ハヤトに、誰が優しくするというのだ)
ハヤトの知識の恩恵を受け、ハヤトの指導のままに技術を向上する。では、ハヤトは? 誰がハヤトを導くのだ?
ハヤトは「釣り友だちが欲しい」と言っていた。最初は単にそういった友だちがいないだけだろうと私は思った。でも今はそれが違うのだとわかる。彼の友だちになれるような腕前は、世界広しといえどいないのだ。どこにも! ハヤトが口にした望みなど小さなものばかりだ。「気ままに釣りだけして暮らしたい」とか「美味しい肉が食べたい」とか。ほとんどを私は叶えることができる。だけれども「釣り友だち」——これだけは、まだまだ叶えてやれない。私では彼の横に並び、立てないからだ。
(いつか、胸を張ってお前の横で釣りができるようになる。——だから今は、今だけは、お前の道具を借りる)
この釣り大会ではトラブル続きだが、ハヤトは必ずいい結果を残すに違いない。1日目の釣果で本来なら1位争いができるほどなのだから。
ハヤトに肩を並べる、と言いながら彼の釣り竿を借りている時点で本末転倒極まりないが、私にできる範囲で努力をする。装備品は努力では覆せない。ハヤトに、この借りは必ず返す。とにかく3日目にまで残り、邪魔の入らないところでちゃんと釣りをしたい——。
(港内の魚はスレている。これだけ多くの釣り人がいるのだから当然だ)
私は左右を見る。難しい顔で釣りをしている釣り人ばかりだ。ひしゃくですくったエサを海に放り込んで魚を寄せている。
そのせいで堤防沿いは薄く濁っている。
(ハヤトはこれを避けて岩場へと向かったのだろう)
それなりに釣れた、という雰囲気だった。ハヤトのことだからきっとまた疑似餌を投げて釣ったのだろうが、私にはそのテクニックがない。アオリイカ釣りのときに教わった程度だ。
では今の私の釣り——ウキを使った釣りは岩場でできないのか?
港内に釣り人がこれだけいるのだから、ふつうに考えれば「ノー」だ。「誰も行かない」というのはとりもなおさず「釣れない」「釣りにならない」のいずれかだ。「釣りにならない」というのは岩場は外海に直接触れているからだ。波の当たりが強くてウキは呑まれるし、釣りにならない。
だけれども、ハヤトのタックルなら違う。
ある程度重さをつければ投げることができる。
(……行ってみよう)
私は自分の釣り場を片づけるべく立ち上がる。ハヤトを振り返り、私の選択が正しいのか確認したい誘惑に駈られるが、これ以上彼の力を借りずに2日目を突破したい。おそらく私の1日目の記録では今日を通過できない。
バケツは係員に渡し、釣り竿と仕掛け、餌箱を持って立ち上がる。岩場は歩きづらい。慎重に進むが、早く釣りを始めたいという焦りがある。
「!」
思いっきり転んだ。ハヤトの釣り竿だけは傷ひとつつけられない。両腕で抱えてなんとか事なきを得たが、肘を打ってめちゃくちゃ痛い。それに、身体のあちこちをすりむいた。
「——! ——!」
「————」
後ろのほうでハヤトの声が聞こえる。私が転んだのを見たのだろう。そして助けに来ようとしたが係員が制止している。
本来的には釣り人同士の手助けは禁止だからな。
私はハヤトに気づかないふりで立ち上がり、元気よく歩き出す。ほんとうは肘がひどく痛んだが、そんなそぶりは見せたくない。
強がりだ。
元々負けず嫌いなほうではあるけれど、なぜか、ハヤトには、「特に弱みを見せたくない」という気持ちになる。彼と対等でいたいと思う。ディルアナにも負けたくないが、あれは「負けられない」という気持ちのほうが先に来ていて、ハヤトに対する気持ちとは違う。
岩場の先端へと立った。波が岩に当たってうねりが出ている。なるほど、釣り人がいないわけだ。こんな中に仕掛けを放り込んだらすぐにぐちゃぐちゃになる。
(……狙いは20メートルほど先、あのあたりは潮が穏やかだ)
私は仕掛けの入った箱から、秘密兵器を取り出す。
この日のために、スノゥに特別に作ってもらったウキだ。スノゥと首都に先に入り、造ったものである。
ふつうのウキよりも二回りほど大きく、ずんぐりむっくりとした、どんぐりのような形だ。
金属製だが中は空気が含まれている。
この空気のおかげで、金属の重量はあるがぎりぎり海水に浮く——というバランスが保たれている。
メリットは「重いから投げやすい」ことだ。
これを初めてハヤトに見せたときには、ハヤトも驚いていたな。私が自分のアイディアで作ったと言うとさらに驚いて、ハヤトは確か……「飛ばしウキに自分でたどり着いたのかよ」と言ったかな?
さすがはハヤトだ。私とスノゥの秘密兵器だったが、すでにそのアイディアを持っていたとは。
ともかくそれでも、彼を驚かせられたのはうれしかった。
「頼むぞ」
私はハヤトの釣り竿をリールを借りてウキをセットする。私の今の釣り竿もそこそこ投げられるが、ハヤトのものにはまったくかなわない。この場所ならハヤトの釣り竿がベストの選択だ。
竿を振ってウキを飛ばすと、想像以上に飛距離が出た——30メートルくらいだろうか。これなら十分だ。
さあ、勝負だ。
ランディーがんばります。
会社が終わったので冬休みの間は更新速度を上げたい……上げたいのですが……がんばります。