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深夜の戦いは是非おれ抜きでお願いします

 おれがゴーダ港でまさかの「ネンブツダイ泳がせ」による「アオリイカ捕獲」に成功すると、それを見守っていたリィンは呆れながらも、


「……早く宿に戻って寝ましょう。もうだいぶ遅い時間ですよ」


 と言った。

 そうか、そろそろ日付も変わるって時間か。

 日本にいたときは朝4時からの釣行でも前日遅くまで起きてて、2時間3時間の睡眠で出かけたもんだ。ましてやここなんて港のすぐ近くの宿なんだから余裕じゃない? だからもうちょっと釣っても……ダメ? あ、はい、戻ります。

 リィンに連れられて宿へと向かう。カルア、スノゥ、ランディーはもう寝ている。クロェイラは「一泳ぎする」と言って海へと入っていった。あいつ、宿で寝るときと海竜の里に帰るときとがあるんだよね。今日は里に帰るんだろう。

 宿については、釣り大会1日目が終わっているので確保はそう難しくなかった。むしろ魚が出回り出した首都は、宿がなくて大変らしい。釣り大会の経済効果ってすげーのな。

 ともかく、おれはリィンと宿への道を歩いていたんだ。

 明日の釣りが終わって、日没後には釣り人ギルドに顔を出せるかな——とかそんなことを考えていたときだ。


「——ハヤトさん」


 リィンがおれの前に出て、おれを止めた。


「ん、なに……」


 それ以上は言えなかった。前から5人の男が——背後に月を背負って影がこちらに伸びていて——やってくるのだ。

 道に広がって、先に行かせないとばかりに。

 彼らの全員が全員、黒のフードに黒のマスクをつけていた。目だけが爛々としている。


「!」


 後ろを見る。後ろからも同数の男がやってくる。

 この道は脇道がなくてしばらく直線が続く。左右の家々は固く戸締まりされていて静けさに包まれている。

 男たちの歩くザッザッという音だけが聞こえていたが、俺たちから10メートルほど空けたところで男たちは停まった。


「……ハヤト=ウシオだな?」


 くぐもった声で聞かれる。

 友好的な態度じゃない。リィンの警戒心もビンビンで、今にもショートソードを抜き放って斬り掛かりそうなほど。


「え、えーっと……誰ですか、あなたたちは」

「人違いでも構わねえさ。抜ぐぞ」


 なまった口調で男が言うと、全員が全員白刃を引き抜いた。


「ハヤトさん」


 おれの腕をつかんでリィンが早口で言う。


「正面を突破します。隊列が崩れたら全力で走ってください。あとは振り返らないで」

「え、で、でも——」

「来ますよ!!」


 男たちが雄叫びを上げて突っ込んでくる。

 2対10だ。向こうの目的は明らか——おれを殺そうとしてるんだ。

 なんで、とか、話せばわかる、とか、そんなこと言ってる余裕はなかった。


「せいっ!!」

「ぎゃあ!?」


 リィンが鋭い突きを放つと、男の肩にグサリと刺さった。男はまだ生きているが刃を取り落とす。


「走って!!」

「わああああああ!」


 おれはとにかく走った。

 横のヤツが振り下ろした刃の切っ先が腕をかすめる。痛みを感じるような余裕もなくて、走っていく。

 抜けた。

 目の前に道が開ける。

 走って逃げる——。


「くっ」


 そのとき、おれの耳はリィンの声をとらえた。振り返ってはダメだと言われていた。だけど、振り返ってしまう。

 リィンが片膝をついていた。

 腿を斬られて服に血が滲んでいた。

 その周囲に3人ほど男が倒れていたけど、まだまだ相手のほうが圧倒的に多い。


「リィン!!」

「なっ!? ハヤトさん、早く逃げて——」

「うおおおおおお!!」


 おれはロッドやケースなどを放り捨ててダッシュする。リィンに刃を振り下ろそうとしていた男の背中にショルダータックルをかますと、男は叫びながら前のめりに転ぶ。

 足下に落ちていた片刃の剣を拾う。おれは構えた。——めっちゃ震えてる。がくがくだ。


「なんで逃げなかったのですか!?」


 相手はほぼ無傷で7人。頼みのリィンは負傷している。


「…………」

「ハヤトさん!! あなたを逃がすことがわたくしの使命なのですよ!?」

「…………」


 リィンが怒ってる。そりゃ、そうだよな。彼女は自分の命よりおれの命を優先するように言われてるわけだし、騎士ってのは弱い者を助けるのが仕事だ。


「ハヤトさん! 答えてください!! あなたは大会が終わったら話があるとおっしゃいましたが——」

「うるさい」

「——え?」

「ごちゃごちゃうるさい! 惚れた女を助けるのに理由なんて要らないだろ!!」

「え——え?」


 言った。言ってしまった。こんなどさくさの、めちゃくちゃなタイミングで。

 でも、今言わなければ、もう言えないかもしれない。

 この男たちはおれの命を狙ってるんだから。

 言ってすこしだけスッキリした。

 震えが止まる。

 そうだ。おれは、リィンのためにここに戻ったんだ。

 男たちをにらみつけてやる。


「おれは釣り人だし、剣の素人だけどな……ひとりくらいなら確実に道連れにしてやる。その覚悟で戻ったんだからな」

「!」


 男たちに動揺が走る。雑魚だと侮っていたおれが突拍子もないことを言い出したからだろうか。


「……ハッタリだ! 殺すど! こいつを殺せばおらたちは自由だ!」

「オオッ!!」


 おれの度胸はほんのわずかの時間を稼いだだけだった。

 こっちに迫ってくる男たちを見据える——。


「ぐげっ!?」

「ぎゃああああ!!」


 なんだ?

 男たちから叫び声が上がる。

 彼らは、彼らの背後から——道の先と道の後ろの2方向から攻撃を受けた。


「おいおいおいおい、来て早々に襲撃事件とは穏やかじゃあねえな」

「ジャークラ公国は治安が悪いようだ」


 おれはびっくりして声が出なくなる。

 そう、言ったふたりはそれぞれ見たことがある顔だ。


「リィンよ……鍛錬が足りないんじゃねえのか?」

「き、き、騎士団長!?」


 ビグサーク王国でいろいろ便宜を図ってくれたリィンの上司、騎士団長である……確かレガード=オルサード。

 筋骨隆々のオッサンで、10人ほどの騎士を率いている。


「そっちは……」

「ふん。皇帝陛下の勅命があったのだ。でなければお前のような者を救いには来ない」


 覚えてる。ノアイラン帝国のアオリイカ例大祭のあと、居酒屋で打ち上げしてたおれたちのところへやってきたノアイラン皇帝。そのお付きの騎士だ。遮音効果のあるマントを広げて内密の話をさせてくれた、なんていうか、警備員っぽい感じの騎士だ。


「毒味と称して結構イカ食ってた騎士さん!!」

「!? な、な、なにを言ってる!?」


 おれの言葉に明らかに動揺している。あれ? あの人たちだよね?「次は私が毒味だ」「いや私だ」と言い合ってた人たちだよね?

 そこへレガード団長が言う。


「あぁ? ノアイランの兵隊はハヤトの釣ったイカを食ったのか? そりゃあ骨抜きになるわな」

「骨抜きになどなっておらん! あれは陛下が召し上がる料理の毒味だ、毒味!」

「そりゃぁお前、職権乱用だよ。俺なんかはハヤトの釣った魔サバを食わせてもらうためにズルなんてしなかったぞ。王様に直談判しただけだ」


 それも職権乱用だよ。アンタそんなことしてたのかよ。

 聞いたノアイランの騎士が、


「魔サバ……」

「隊長、ヨダレ出てます。それよりさっさと片づけましょう」

「あ、ああ、そうであったな。——制圧せよ」

「オオッ!」


 ノアイランのほうは5人程度の騎士を引き連れており、彼らが動き出した。


「おい、お前ら! 賊の捕縛数でノアイランに負けんじゃねえぞ!! 負けたら特訓メニュー2倍だ!!」

「ぎええええ!? 行くぞおおおおお!!」


 悲痛な叫び声とともにビグサークの騎士たちが突っ込んでいく。

 こうなれば襲撃者に勝つ目はなかった。というか、あまりちゃんと訓練された襲撃者って感じじゃなかったんだよな……おれのショルダータックルで吹っ飛んでくくらいだし。

 なんにせよ——おれたちは助かったみたいだ。

 安心すると膝から崩れ落ちそうになったよ。




 今、おれたちの前には縄でぐるぐる巻きにされた男が10人いる。

 掃討が始まって5分も経ってない。15人の正規騎士は強すぎる。


「んで? 黒幕は誰だ?」

「…………」


 レガード団長が、フードとマスクを剥がされた男に聞く。素朴な顔立ちの男はムスッとした顔で答えない。


「聞いても無駄であろう、ビグサークの」

「まあ……それもそうか」

「どういうことです?」


 ノアイランの騎士とレガード団長がなんだかわかり合っているので、おれは聞いてみた。するとレガード団長は、


「こいつらは、アガー君主国の者だ」

「…………」


 やっぱり、という感じがする。

 このタイミングでおれを邪魔に思ってるのは、アガーがナンバーワンだろうし。


「公爵に引き渡しても、どのみち処刑だ。だからこやつらは口を割らん。身元がわかるものもなにもかも持っていないだろう。捨て駒だ」


 ノアイランの騎士が言う。


「……どうして、そんなことを。あなたたちは、おれが憎いわけじゃないんでしょ。命令されたのか?」

「ハッ」


 おれが言うと、男のひとりが鼻で笑った。


「海のある国にいるやづにはわがんねーさ」

「んだ。どんだけ手間暇かけて(ベコ)さ育てても小魚一匹のほうが高けぇと来てる」

「おらたちはもう生きていけねえんだ」


 それは——ショックな言葉だった。

「釣り」が脚光を浴びたせいで、魚はどんどん値上がりする。では海のない国はどうしたらいいのか? 元々牧畜は盛んなのだ——それは海のある国でもできる。

 食肉の出荷では食べていけない。

 彼らは貧しさに苦しんでいたということなのか。


「バカ言ってろ」


 と思ったら、レガード団長が言った。


「海のねぇ国なんてアガーだけじゃねえよ。どの国も必死こいて工夫してるし、川魚の養殖をやったりもしてる。『トップ牛肉ブランド』にあぐらかいて、努力もなにもしなかったのはアガーに住むお前らだろうが」


 アガーは牛肉で大陸一のブランド力を持っている——持っていた、らしい。


「お、おめぇだづは、努力もしねぇで海がそこにあるでねぇか!」

「努力してない……だと?」


 ぎらり、とレガード団長の目が光ると、ヒッ、と男たちが沈黙した。

 団長はおれを見る。


「ハヤト、お前は釣りの努力をしたことがないのか?」

「え? いや、努力の毎日だよ。毎日魚のこと考えて、どうやったら釣れるか、エサ、疑似餌の工夫はもちろん、釣り座、潮の流れ、天気のことも考えてる。あとは海の周辺環境も調べて……それでもなお釣れないから、毎日が試行錯誤だ」


 ていうかこっちに来て、おれは毎日釣りのことを考えていられる。この世界は天国かもしれない……。


「聞いたか? ハヤトのような最高峰の釣り人でも『釣れない』日があり、毎日努力してるんだ」

「…………」

「先祖代々の飼育方法に頼っていたお前らが『努力』って言葉を口にするんじゃねえ!!」


 しーん、と静まり返ってしまった。

 襲撃者の男たちはうなだれて一言も発しない。


「ではこいつらは我々が連行していこう」

「お、頼まれてくれるか、ノアイランの」

「まさかそっちも彼の護衛を頼まれているとは思わなかったからな。我々は同じ場所にいないほうが安心であろう——立たせろ」


 ノアイランの騎士が言うと、他の騎士たちが襲撃者を立たせていく。

 ノアイランとビグサークは釣りが広まる前は戦争してた間柄だもんな……。


「あ、あの、皇帝陛下がおれの護衛を頼んでくださったんですか?」

「そうだ。光栄なことだ、感謝せよ」

「はい。ありがとうございます。助かりました」

「……私がいなくとも助かったであろうがな」


 レガード団長を見て騎士が言う。そうか、向こうは10人、ノアイランは5人だもんな。


「そんなことないですよ」

「いや、これは事実だ」

「そんなことないですって」

「気休めは言わなくてよろしい。ではな」

「そんなこと——あ、そうだ。せっかくですから、さっき釣ったアオリイカ持っていきますか?」

「!」


 ぎゅるんっ、て振り返った。怖い。目が血走ってる。


「今……なんと?」

「え、ええっと、実験的な釣りが成功して、アオリイカが手に入ったので……あそこに落ちてますけど」


 襲撃者をほっぽり出して、おれのタックルが置かれているところへと騎士たちが走り出す。うおおい! 全員で行くなよ、全員で!

 魚籠に入ったアオリイカを発見すると、「うおおお!」と雄叫びが上がった。喜んでいただけたようでなにより……。

 その後、襲撃者の連行を忘れて帰ろうとしたノアイランの騎士は、レガード団長に「忘れんじゃねえよ」としっかり釘を刺されて襲撃者を連れて行った。


「彼らは……どうなるんですかね?」


 おれはレガード団長に聞いてみた。すると、


「お前、自分が殺されそうになったのにアイツらの心配してるのか?」

「いえ、それは、そうなんですけど……直接的に彼らが悪いってわけじゃなくて、命令したヤツが悪いわけですよね?」

「まーそうだな。アイツらが包み隠さず全部吐けば、死罪は免れるかもしれん。だが釣り大会を台無しにしようとした罪は大きい」


 え? おれを殺そうとした殺人未遂罪じゃなくて、釣り大会の参加者を害そうとしたってほうが罪が重いの?


「で、ウシオ殿? 彼らにはアオリイカ、では我らにはどんなご褒美をくださるのかな?」

「え!? あ、ええっと、あの、さっきので今日の釣果は最後……だから明日釣ります! あっ、明日の釣果は全部納めなきゃいけないんだった……す、すみません! 今から釣ってきます!」

「わっはっは! 冗談だよ、冗談! 騎士が、護衛の見返りをもらうわけねえだろ! 今から釣ってくるとは面白いな、ウシオ殿は」

「で、でも、すぐですよ。今はいい時期ですから群れが来てればアジングで何匹か——ハッ」


 こんな時間から釣りとか言ったらまたリィンに怒られる!


「い、いや、違うんだよリィン、寝るよ、寝ます、今から明日に備えて寝ます」

「————」

「リィン?」

「——あっ」


 いつもなら呆れた顔をしてくるリィンが、ぼうっとしていた。

 まさか、傷が——と思ったけど、すでに応急処置で包帯が巻かれていた。騎士は手際が良くて、おれの腕の切り傷もすぐに包帯を巻いてくれていた。

 ……これは、アレですね。

 はい。

 さっきの、誰かの爆弾発言のせいですね。


「なんだ? ウシオ殿も、リィンも、黙りこくっちまって……ははぁ」


 するとレガード団長は、悪い笑みを浮かべた。


「なぁるほど、こりゃあ俺たちはお邪魔虫かもしれねぇな! わかった。早く宿に戻ろう。護衛はつけなきゃなんねえが、なるべくふたりの邪魔にはならねえようにするからな!」

「え!? い、いいえ、その、そういったことではありません、団長!」

「リィンもちゃぁんと女の子だったってことがわかって、俺はうれしいよ——あとは頼んだぞ、ウシオ殿!」


 めちゃくちゃ引っかき回したレガード団長は大笑いしておれの背中を叩いた。すごく痛かった。

 そしてこれからどんな顔をしてリィンと会えばいいのか……もう、わからないよぉ……。


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