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コーンとチ○チン

 釣ったボラの査定が終わると、証拠品としてボラは拉致られていった。釣り大会で釣れた魚はこうして回収されるらしい。すぐに割安で市場に卸されて、商店や飲食店に流通する。

 こうすることで主催側は費用を回収し、民衆は割安な魚を食べられる、と。

 まあ釣り人は「誰かが美味く食ってくれるならまぁいいか!」と思ってしまう傾向があるので、おれとしても特に構わない。お金が欲しければまた釣ればいいし。「魚魚魚が食えるぞ〜」なんて歌ってる子どもたちを見かけてしまえばなおさらだ。

 昼時になって、ランディーと合流した。


「……ハヤト、マズイかもしれん」


 ランディーは青い顔でいきなりそう言った。


「どうした?」

「……まったく釣れん。私以外にも誰も釣れていない。ナマハ湖は死の汽水域だ……」




 昼をさっさと食べておれたちはナマハ湖へと向かった。おれはこれ以上釣らなくても大丈夫だったし、ナマハ湖がどうなってるのかも興味があった。

 貴族たちが広々と確保している釣り座が見える。明るくなったところで見てみるとさらに人が増えているらしい。

 イスにどっかと腰を下ろし、サイドテーブルにはワイングラスや果物が載っている。お付きの連中が釣り竿を4、5本、湖に出している。


「……あのさ、ランディー。まさかと思うけど、あれってどの釣り竿で釣れても貴族のものになるわけ?」

「……まぁ、そうだな」

「……貴族って」

「……言わないでくれ、ハヤト。一応あれができるのは初日だけなんだ。2日目以降はちゃんと勝負しなければいけないし、貴族からすれば初日を通過すれば面目が保たれる」


 どうやらいちばん大きな魚を貴族の名前でエントリーするから、お付きの連中を2日目にもエントリーするにはそのぶん数を釣らなければいけないらしい。それに2日目からは衆人環視の厳しい状況になるから、ズルはやりにくくなる、と。

 それでもズルをやる貴族はいるみたいだが……。

 そんなんだから、堂々と「そのボラを売れ」とか言ってくる貴族が出てくるんだよなあ。


「ランディーはどこで釣ってたんだ?」

「あそこだ」


 ランディーが指したのは、20メートルほど先から急に深くなっている場所だ。足下からそこそこ水深のある場所は貴族たちが押さえているようだが、今のランディーの装備(タックル)なら20メートルを投げることは可能だろう。

 海底が急な坂になっている場所を「カケアガリ」と言う。ここは魚が居着く場所で、底にはハゼ、キス、カレイなんかがいやすい。


「悪くなさそうだけどな……」

「他は水草が多くて根掛かりしてしまう」

「あー」


 根掛かりからの仕掛けロストは、ありがちなことだけど、続くと心に堪えるんだよね……。

 水質がわからないし、どんな魚がそもそも釣れるのかわからないから、おれにアドバイスできることは少なそうだ。


「エサは?」

「活き餌でジャリメを使っている。貝も探してみたが見当たらなくてな」


 ジャリメは細くてにょろにょろしてるゴカイだ。

 持ってきた餌以外に、現地調達という手もある。それが今ランディーの言ったような「貝」を探したりすることだ。魚はその水域にある餌をふだんから食っているわけだから、貝をつぶして餌にすると驚くほど釣れることがある。

 ただ——ランディーの言うとおり、このあたりに貝は見当たらない。


「とりあえず手返しよくラン&ガンで行こうと思う」

「ああ、頑張れ!」

「うむ!」


 午前の釣果なし(ボウズ)にもめげず、ランディーは意気揚々と釣り竿を振った。「ラン&ガン」は、一箇所に留まらず、移動して釣りをする方法だ。魚がどこにいるのかわからない場合や、餌のニオイで魚を集められないルアー釣りなんかでは一般的な手法である。


「ハヤト。ランディーは釣れるかな」


 スノゥが聞いてくる。


「ん〜〜……ランディーのやり方は間違ってないっぽいんだけどなぁ。他の連中も釣れていない以上、魚の活性が低いのかも……」


 おれはナマハ湖の湖面に手を触れる。……ん? 冷たいぞ?

 そこへ通りがかった見学客らしき地元のおっさんを呼び止める。


「ちょっと聞きたいんですが、一昨日に雨は降りましたか?」

「んん? 一昨昨日から昨日の朝までずっと雨だったぞ」

「そうですか……ありがとうございます」


 おれたちが到着したときには止んでいたが、やはり雨だったらしい。


「ご主人様。雨だとなにかあるんですかぁ?」

「水温が下がったんだろう。それに、汽水域の塩分濃度が下がったかもしれない。いずれにせよ魚の活性が低いんだ」

「じゃ、じゃあ、ランディー様も砂浜に移動したほうが……」

「あっちも環境はあんまり変わらないからな」


 ルアーにはボラが食ってきたが、ひょっとしたらあれはただのラッキーで、どんな魚も食わなかった未来があったかもしれない。

 おれはふと、膝下くらいしか水深がない浅場——シャローと呼ばれるエリアに動く影を見つける。

 小魚だ……群れをなしてる。

 魚はいるんだな。


「……夕方まで釣果がなければ、ランディーにアドバイスしよう」




 日が傾き始めたころまで、結局ランディーは10センチに満たないハゼを1匹釣っただけだった。俺たちは近くの食堂でいいニオイをさせていた焼きもろこしをかじっていた——クロェイラがたいそう気に入って5本目を食っている——ところだ。


「ランディー、ひとつ提案があるんだが」

「……お、おお、ハヤトか。どうした?」


 ランディー、焦ってるな。


「浅場を攻めてみないか?」

「なに? あんなところに魚なんていないだろう」


 ふつうはそう考えるよな。

 それが……いるんだよなあ。

 浅場は小魚の宝庫で、それを追った大型の魚が入ってきたりもする。

 ナマハ湖はごろごろした石が転がっているゴロタ場も多く、そこならソイなんかの根魚だっているかもしれない。


「しかし今から夕マヅメだ……

「ランディー、わかるよ。でもシャローがいいのはまさに夕マヅメなんだ」


 これでもランディーが、同じように攻めたいと言うのならおれは引こうと思った。


「……わかった。やってみよう」


 だけどランディーはおれの提案を受け入れた。

 浅場へと移る。この辺は他に釣り人もまったくいないし、ランディーも今まで攻めてこなかった場所だ。

 監視員だけがいて、不正がないか目を光らせている。……いやいや、おれたちを見張るくらいなら、堂々と手下に釣らせている貴族に注意してくださいって。

 ともかく、ランディーはシャローでウキ釣りを始めた。


「……あっ!」


 すすーっ、とウキが沈んでいく。

 ランディーは竿を立てる。だが、かからない——すっぽ抜けた。

 餌はしっかり食いちぎられている。


「い、今、確かに魚がいた! いたぞハヤト!」

「わかってる。針掛かりしなかったんだ」

「早すぎたか?」

「多分」


 あの感じは……。いや、変に期待をさせないでおこう。

 ランディーはジャリメをつけ直して仕掛けを投下する。


「…………」


 だが、今度はうんともすんとも言わない。

 ……さっきの1回で見切られたか?

 だいぶ賢い相手だ。

 こういうゲームのほうが燃えるんだけど——今日はそうも言ってられない。日が沈み始めている。日没が制限時間いっぱい。


「…………」


 釣り針を回収するランディー。餌は残ったまま。

 もう、同じ餌には食ってこないのだ。警戒心が高い——あの魚(・・・)が、いる。

 太陽が稜線にかかろうとしている。湖面がオレンジ色に輝いている。


「がんばれ……ランディー」

「ランディー様……」

「…………」


 スノゥとカルアのちびっこふたりが両手を組んで神に祈るようにしている。リィンは真剣な目でランディーと釣り竿を見つめている。

 ランディーは——きっと考えているんだろう。釣り竿の先、釣り糸を通して自然と対話している。これでいいか? どうして釣れない? 水の中はどうなってる?

自然がそれに応えてくれると、釣れるんだ。その瞬間が釣り人にとって最高に幸福で、最高に興奮するんだよな。ああ、おれのやろうとしていたことは間違っていなかった——絶対にウソをつかない自然が、認めてくれたみたいで。

 ……うん、たいていの場合、釣れないんだけどさ。


「クロェイラ、ちょっといいか?」

「む?」


 我関せずという感じで焼きもろこしをほおばっていたクロェイラを呼ぶ。そして彼女と交渉の末——釣り餌(・・・)を譲ってもらった。


「ランディー、この餌を試してみないか?」

「う、うん? ……おいハヤト、冗談だろう?」

「騙されたと思ってちょっとだけ、やってみて欲しい。おれの読みが確かなら——ここにいる魚は、こいつを食う」

「…………わかった。ここまで来たら最後までハヤトの言うことを聞いてみよう」


 おれが渡したのは黄色の粒。

 トウモロコシだ。

 ランディーは釣り針に黄色のトウモロコシを3つ刺していく。


「ハヤトさん、魚の釣り餌ですよ!? 野菜なんて食べるわけが——」

「リィン、ちょっと静かに」


 ランディーは真剣そのものの顔で釣り竿を振る。ウキが放物線を描いて、夕焼けを映すナマハ湖の湖面に突き刺さる。小さな波紋が立って——辺りはまた静けさに包まれる。

 だけど、静けさは長く続かなかった。

 ツンッ。

 ウキが、小さく沈む。

 ツンツンッ、スィー。

 斜めに、沈んでいく。


「————」


 ランディーがおれを振り返る。

 あとちょっと待て。あと1秒。


「今だ、ランディー!」

「ああ!!」


 竿を立てるランディー。ピンと張る道糸(ライン)。ぐんぐんぐんっ、と竿先が引き込まれる。


「掛かった……っ!」

「急げランディー、日が沈む!!」


 太陽はもう半分以上稜線に沈んでいる。係員がこちらへと歩いてくる。


「だ、だが、こいつはなかなか引く……」


 時間はない。しかも魚は手強い。ランディーは渋い釣り場でなんとか釣るために仕掛けの(ハリス)を細くしているから、無理矢理引くとハリスが切れるかもしれない。

 それなのに——ああっ、もう、ランディーのヤツ、めっちゃ楽しそうじゃないか!

 そうだよなあ。

 魚を掛けたあとの1対1は、釣り人と魚だけの世界。他のものがまったく見えなくなるんだ。

 でもランディー、本気で急がないとまずいぞ。


「ランディー、もう日没になる!」

「わかってる! だが、力任せにやると……」


 波打ち際で魚を引き寄せてはジイイとドラグが鳴って糸が吐き出されている。一進一退の攻防だ。それでも徐々に近づいては来ているのだが。

 おれは玉網(タモ)を持ってランディーの隣に並んだ。


「ここは浅い。いざとなればタモで引き寄せる」

「わ、わかった! 行くぞ——」


 バシャッ。

 水面に背ビレが現れ、銀色の魚体が水を跳ね上げる。

 夕陽がきらめいて、まるで火花が散るようだった。


「引き寄せろ、ランディー!」


 おれは丸石の転がる湖へと入っていく。靴が、ズボンが濡れていく。


「せええええええい!!」


 ランディーが一気に竿を立てる。

 届く——おれはタモを伸ばし、魚をその網に入れた。

 やっぱり、いた。

 ウキ釣りのメインターゲットにして、王道中の王道、クロダイが。


「受け取れ!」


 タモを引き寄せてから振り向きざま、岸へと放り投げる。

 それを受け取ったのはリィン——ランディーはその横に、ひっくり返るようにして転んでたからな。

 そんな彼女たちが、おれの目にはナナメ(・・・)に見えた。

 なんでナナメかって?

 そりゃぁ——。


 ざっぱーん。


 おれも転んだからだ。

 注意。丸石はぬるぬるしてるから、派手に動くと転ぶ。




「やった、やったぞハヤト!」


 ずぶ濡れながらすぐに起き上がったおれに、ランディーが魚を掲げて見せる。

 その銀色の魚体は美しい。ギザギザに立った背ビレも威圧的だ。

 ま、まあ、引く割りに「あれ……意外と小さい」となってしまうのはしょうがないんだけどな? パワーがあるからこそ釣り人を魅了するんだし。

 係員がそれを記録して、ランディーに証明証を渡している。

 ばしゃばしゃと水を蹴立てておれは戻っていく。

 サイズは20センチちょいだろうか? 一応出世魚のクロダイは、25センチだと「カイズ」とか呼ぶんだよな。カイズと言うには小さいかもしれん。それより小さい呼び名は——。


「ハヤト!」


 喜色満面でランディーが走ってくる。


「カイズには満たなかったが、十分チ○チンサイズだ! チンチ○を釣ったのは初めてだ!」


 ちょっ、ランディーさん!? 若い女性が連呼しちゃいけないワードですぞそれは!! 確かに、確かに20センチ程度のクロダイをチ○チンと呼びますけども!


「よ、よかったな、ランディー、あのな、その呼び方は——うおあ!?」

「ありがとう!!」


 正面から抱きつかれた。そしてその勢いのまま、おれたちは、


「うああああ!」

「へっ?」


 ざっぱーん。


 注意。ぬるぬるしてる丸石はヤバイんだってば。


チ○チンを連呼する釣り女子ランディーは可愛い(真顔)。

コーンだけでなく、スイカ、サナギでも釣れるチヌはマジ雑食。


カワハギ釣りは、信じられないほどの強風でまったく釣りになりませんでした……とはいえ20センチ程度のを1匹釣りました。パワーイソメってほんとに釣れるんだね! 疑っててすんませんでした!

肝醤油の刺身はやっぱ美味いですね。アラも美味いらしい、ということで、頭と中骨のアラを使って、醤油、白だし、日本酒で軽く炊いてみましたが、確かに美味かったです。カワハギ最高や!


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