9 天使にアジの開きを味わわせるとエロくなる。世紀の発見だ。
料理のために火をおこすだけのマジックアイテムが普及しているんだ。
見た目は小さい石ころなんだけど、ぐっと握るとじわじわ熱くなる。それを地面に置いて木をくべる。少しだけ時間が経つと石から火が出てくるって仕組み。
その名もずばり「火石」。
火はしばらくすると止まる。料理が終わったら回収して再利用ができる優れもの。
「軽くあぶるだけでも美味いんですよね~」
おれが釣ったアジの干物を網で焼いているのだ。
「ま、待ってください、わたくしは食べませんよ!?」
「お金は要らないですよ」
「ならばなおさらです! 賄賂は受け取れません!」
「賄賂って……んな大げさな。どのみちおれも食べきれないから村の人たちに配るつもりですよ」
「く、配るですって!? こんな高価なものを!?」
ほんっとこの世界は魚が高価いんだな。
「気にしなくていいですって。――どうです、そろそろ焼けてきましたよ」
もくもくと煙が上がっている。
ああ~香ばしいんじゃ~。
魚ってさ、生でももちろん美味いんだけど、干物も最高だよな。味わいがぎゅっと凝縮されて……。
ごくり。
おお、天使がつばを呑んだ。
リィンの両目にはアジの干物しか映ってない。
脂がのってるんだよ、このアジ。
身から汁が垂れて落ちるとじゅわあと音がする。
干されて焼かれて黄金のような色合いになってきてる。
「はい」
おれはリィンに箸を渡した。
いいよな、この世界。みんな箸使えるし。
通貨単位は違うんだけど距離とか重さの単位はメートルにグラムだ。
これは助かった。
一間二間とか一匁二匁とか言われたらピンとこないもんな。
ちなみに文字については絶賛勉強中。日本語に似ているからそのうち読めそうだ。
「…………」
リィンは無言で箸を受け取ると、アジの身に箸を突き立てた。あふれる汁がまたもこぼれてじゅわあと音を立てる。
中の身は白くてジューシーだ。
リィンは身をつまむと口に運んで――。
「んんっ」
声を漏らした。
目を閉じて咀嚼している。
自分で自分を抱きしめて、これ以上声を漏らさないように必死に耐えている――なんか、あの、エロイです……天使の神性を保ちながらもエロイ。
天使にアジの開きを与えるとエロくなる。
世紀の発見だ。
「――ぷはっ」
呑み込んだのだろう、リィンはようやく息を吸った。
「はぁ、はぁっ、はぁ、あ、貴男という人間はぁ、こんなもので、こんなもので、わたくしを懐柔しようなどとぉ……」
潤んだ目で訴えてくる。
「どんどん食べてください」
「食べるわけないじゃないですかぁ! 快楽に心を奪われそうになって危なかったんですよぉ! これは悪魔の食べ物ですぅ!」
なんか子どもっぽい言い方になってるけどそれも可愛い。どうしよう。もっとアジを食べさせたい気持ちになってくる。
干物でこの堕ちっぷりなら、魔アジの刺身だったら……?
隼斗さん。これ以上はいけない。R-18になっちゃう。ノクターン行きになっちゃう。
「――ん? 声が聞こえると思ったらここにいたのか、ハヤト」
ランディーが姿を現した。
「ああ、やはり魔アジの確認のために来たということですね」
おれたちは集会場に戻っていた。
リィンがランディーに事情を説明したところだった。
ランディーが「フゥム村の釣り大会で魔アジが釣れた」という報告を王都に行ったのがきっかけでリィンがやってきたのは間違いなかった。
国内で魔魚が釣れたのは2年ぶりだとか。
「派遣されたのはリィン殿おひとりですか……」
ふとランディーが残念そうな顔をした。なんだろ。
「わたくしひとりでも十分に確認は務まります」
「ええ、わかっております」
とランディーはテーブルに手を伸ばす。さっき焼いた干物が置いてあるんだよな。
そのまま捨てるのももったいないから持ってきて食べてる。おれとランディーだけ。リィンは頑なに食べない。
「魔魚を釣った」ことの真偽を確認しにきたのに、その担当者が相手から饗応を受けるのは問題があると。
さっき食べてしまったのは「不覚だった」と言っていた。
真面目すぎな。
「…………」
リィンはちらちらとランディーが干物を食べるのを見ている。
食べたいんじゃん。無理しなくていいのに。くくく、身体は求めているんだろう? アジのように心も身体も開いたらどうだね?
「魔アジを釣ったのはハヤトです。このランディー=バロン=ローゼズが保証しましょう」
それがランディーのフルネームらしい。真ん中のバロンは「男爵」の意味な。そのままだな。
爵位をもらうと爵位名をミドルネームをとしてつけるのが一般的なんだとか。
「……ですが、それだけでは証明にはなりませんわ」
「やはりそういうことか」
「ええ……残念ながら」
うーん、とふたりで唸っている。
「なに、ランディー、なんか問題あるの?」
「お前が魔アジを釣ったことを証明できないんだ。確認者は階級で騎士以上。あるいは官僚の一部なんだが、現物がないとなると証明に足りないんだ」
「……ランディー様、遠慮は無用です。わたくしにも問題があるのですから」
「リィンさんに?」
「わたくしは女であり、騎士は男社会なのです。もしも男の騎士がきちんと調査し、中央に報告をすれば貴男が魔アジを釣ったと認められる可能性が高いのです」
「そのとおり。私も女だからわかるが、貴族としての女と騎士としての女は立場が全然違う。軍務が主である騎士団で女の立場は低い」
「……は?」
いや、なんつーか……これはムカついた。
おれはこの人に今日初めて会ったばかりだ。でも、この人の仕事ぶりはわかる。
この人、めっちゃ真面目じゃん?
アジの干物程度を口にしないんだぜ。
こんなに食べたそうなのに。
「さすがにおかしくないか? あなたが職務に忠実ってことくらいおれにだってすぐわかる。なのに——女だから信用しない?」
「……ハヤトさん。わたくしに信頼を寄せてくれたことを感謝します。ですが、結果としてお詫びしなければなりません。おそらく貴男が魔アジを釣ったと、中央に認めさせることはできないのです」
「いいよ、そんなの、どうでも」
「……えっ?」
「別に魔アジを釣ったことを認めてもらいたいわけじゃないから」
「しかし――魔魚を釣ったと認められれば大きな名声が手に入るのですよ? 王都で釣り教室を開けば左うちわで余生を過ごせるでしょう」
「要らないよ、そんな名声。おれは釣りができればそれでいいんだ」
「ハヤトさん……」
リィンの、おれを見る目が明らかに変わった。
信頼、まではいかないけど、ちょっとは親しみが込められた目になっていた。いや、どっちかっていうと呆れてるのか? 釣りバカ認定きた?
「そこでひとつ提案がある」
と、タイミングを計ったようにランディーが口を挟んできた。
「提案? なに?」
「ハヤト、王都に行ってみないか」
「……王都に? なんで?」
「リィン殿はハヤトが魔アジを釣ったと報告書を上げる。それは受理されないだろう。だがそこで、ハヤトが王都に行って――魚を釣りまくったらどうなる?」
「なるほど! …………どうなるの?」
「お前……ちょっとは頭を使ってくれ。受理されなかった報告書が再浮上するんだよ。ハヤトはほんとうは魔アジを釣ったのでは? という意見が出てくるのは間違いない。そうなればリィン殿が再評価される」
「ほうほう! なるほど、それはいいな!」
ランディーって頭いいじゃん。
「お、お待ちください、ランディー様。わたくしのことは気にしないでください。そんなことよりもハヤトさんの負担が心配です」
「おれの負担?」
「もし王都で釣れなかったら……ハヤトさんの釣り人としての名声は地に落ちます」
「そんなのはどうでもいいよ」
「どうでもよくありません! どうしてそんなに無頓着なのです。あれだけのアジやサバを釣った貴男のキャリアを、わたくしのせいでつぶしたくはないんです」
「釣り人にキャリアもクソもないでしょ。釣ってなんぼ。釣れなきゃ潮のせい」
釣り人あるあるである。
釣れればおれの腕。釣れなきゃ潮が悪い。
「ですが、ハヤトさん……」
「ちょっと待って。そんなに渋るってことは……もしかして王都の海ってなんかヤバイの? 釣りに適してないとか?」
「そんなことはないぞ、ハヤト。大型の堤防がある。釣具店も充実している」
ぴくっ、とおれの耳が動いた。
今なんとおっしゃいました?
「釣具店……? 今、釣具店と……?」
「うむ、わかるか、ハヤト。王都の釣具店はいいぞ。広くてな、品揃えも豊富でな……たぎるのだ」
うおおおおおお異世界の釣具店!
並ぶロッド、並ぶリール、並ぶ道糸に仕掛け! 見たことない仕掛けとか発見した日にゃ使うあてもないのに買いたくなる!
「わかる、たぎるよな! 釣具屋行くとたぎるよな!」
「うむ!」
盛り上がるおれとランディー。
最後まで抵抗するリィンをよそに、おれは王都に行くことにした。
ランディーも行くが、やらなければいけないことがいくつかあるので王都で合流しようという流れになった。
干物だとアジがいちばん食べ慣れていて好きです。
釣りは男女平等ですが人口は男性が圧倒的に多いですね。
次回、閑話を挟んで王都行き。王都へ行く途中でも釣ります(女の子とかも)。