釣り大会1日目は大物(失笑)の登場とともに
宿の主人は「釣り大会参加者? またまたぁ。だって昨日からだろ、大会は。どうやってこのナマハ湖まで来たって言うんだい?」とまったく信じてくれなかった。大会の腕章を見せてもだ。
ともあれ、翌朝からおれたちは行動を開始した。
夜明け前のナマハ湖周辺には大会運営側の係員がちらほらいる。おれたちが正規の参加者だとわかるとひどく驚いていたが、ランディーの顔を見ると、
「ああ、なるほど」
と、なにかよくわからない納得をしていた。
ひょっとして貴族枠だと思われた?
まあいいや。
「すみません、今日、許可されてる釣り場の範囲はどこまでですか?」
「ナマハ湖の南側半分ですね。あそこに赤い柱が見えるでしょう」
係員が指した方に、高さ5メートルほどの柱が立っているのが見えた。ナマハ湖の水際である。かがり火も焚かれているのでよく見える。
柱の北側は養殖地なのでダメらしい。
「南半分……ってことは海はどうなんです?」
ナマハ湖は汽水だ。海に面していて、淡水と海水が混じり合っている。
数十メートルの陸地によって遮られているだけで、海は目の前である。
「ナマハ湖の真南に位置する砂浜であれば問題ありませんよ」
なんだか含みのある笑顔だった。
ふーむ……これはアレか。実績がないのかな。
ここまで事前調査できなかったからなあ。
おれたちは係員に礼を言って釣り場を探す。
夜明けまであとわずか。実は、ナマハ湖沿岸には柱以外にも大量のかがり火がある。
そこはテーブルやイス、テントまで用意されている。
テントの上に掲げられているのは——旗だ。
「なあランディー、あれって……」
「貴族の旗だな。国旗と、自家の旗と、大抵2種類掲げている」
貴族が釣り座を確保しているのだ。場所によっては隙間がないほどに隣り合っているところもあって、そこは使用人たちが向かい合って視線の火花を散らしている。
いやさぁ……釣りは楽しくやろうよ……。
「おれ……ちょっとわかったよ。このナマハ湖は『貴族専用』ってことなんだな」
あらかじめ、釣り場として知っていなければ、こんな事前準備できるわけがない。そして一般参加者はここまで来ることはない。
貴族専用の釣り場なのだ。
「うーむ……」
ランディーが腕組みして首をひねる。
「確かに貴族が優遇されることはあるのだが、これほど露骨なのは珍しい……」
「ジャークラ公国が貴族優遇にしているのか?」
「いや、ジャークラ公爵はそのような人物ではないはずだが」
おれの中で、大賢者やジャークラ公国へのイメージがどんどん悪くなっていく。
とはいえ、釣りそのものには関係ないからいいんだけどさ。
「あっ、ハヤト様! 夜明けです!」
「おー」
おれたち4人は東から昇ってくる太陽に目を細めた。
どこかで銅鑼が鳴らされている。釣り大会開催の合図なのだろう。
あ、4人というのは、スノゥとクロェイラがいないからだな。どうしてるかって? 当然寝てる。
「ではハヤト、また昼にな」
「ああ」
ランディーは汽水域で戦うという。おれは貴族がちょっとイヤになってきているので、砂浜へ向かうことにした。
せっかくの朝マヅメだしな! 回遊魚が来てるかもしれない。
おれと、リィンと、カルアは砂浜へと向かった。昼にランディーと会うというのは、宿の主人に渡された弁当を昼に使おうという目的である。もちろん汽水域の情報も交換する。ランディーとは同じ参加者同士だけど、最終日までは協力プレイで行くぞ。
「閣下、アレを見てください」
「くくく。浜に向かっておるぞ。誰か教えてやれ。ここは死の海だと」
「所詮は民草の釣りでしょう。ネンブツダイでもいるのかもしれませぬ」
「違いない! わははははは」
砂浜に歩いていくおれを見た貴族とその取り巻きが笑っている。
死の海ねぇ……。
あいにくそういう前評判を、おれは信じないんだよ。ノアイランでも「皇家のテーブルクロス」という砂浜は魚が釣れないって話だったけど、試してみたらアオギスがいっぱいいたもんな。
「むう」
と口をへの字にしているカルアの頭にぽんぽんと手を載せる。
「ま、釣りなんてのは釣ったヤツが偉いんだ。好きに言わせておくさ」
「……ご主人様、その言葉は大賢者様の言葉です」
あっ、そういやそうだったな。
砂浜は広々としていて、そして誰もいなかった。
風が強く波が立っている。あー、これはバッドコンディションですね。ほぼ向かい風。投げても飛ばないわ。
さっきあんなこと言ったけど、おれも湖のほうに戻ろうかな……。湖は周囲に木々が生えていりと結構風を防げるんだよね……。
「……ハヤトさん? 表情が優れませんが」
「あ、ああ! 大丈夫! 風が強くてちょっと寒かっただけだよ。よし、やるか!」
朝マヅメは1分1秒が重要なんだから、弱気になってる時間はもったいないよな。
おれはここで、新兵器を取り出す。
スノゥに作ってもらった「弓角」である。
ルアー竿で投げることはほとんどないこの弓角だけど、別に投げていけないわけではない。模しているのはシラスだ。ジャークラ公国はシラスが結構獲れるようなので、弓角が利くんじゃないかと思ったんだよね。
釣り竿から伸びる道糸の先に、ジェット天秤をつける。このジェット天秤もついでに作ってもらった。さすがスノゥ、なんでも作れるぜ。さすスノ! 言いづらい。
ジェット天秤の先には3メートルほどフロロカーボンのリーダーをつけて、その先に弓角をつける。ルアー竿でほとんど投げないルアーである。
「よし、やるぞ!」
ジェット天秤の下に、だらーんと3メートルのリーダーが垂れている。絡まないように気をつけて——、
「せいっ!」
ぶん投げる。
オモリはちゃんとこの竿に合うように調整されている。うーん……。重さが足りなくてあんまり跳ばないか。ふつうは、エサ釣り遠投用の磯竿とかを使うんだよな。
ともあれ、70メートルほど先の海面に、飛沫が立つ。天秤が着水したのだ。
そこからあとは——ひたすら巻く。
わかりやすい!
脳筋万歳だぜ!
ただ面白いのは、海面ぎりぎりを巻いたり、ちょっと落として中層を巻いたり、底まで着けて低層を巻いたりもできる。
引っ張られる弓角は水中でひらひら舞って、シラスが泳いでいるように見えるんだ。
シラスをふだんから食っている魚がいれば、ここでパクーですよ。
ターゲットは、イナダ、サバ、ソーダガツオ、アジ、ヒラメ……回遊魚はもちろん、フィッシュイーターも外道でかかってくる。簡単な割りになかなか美味しい釣りなのである。
「……ハァハァ」
「ご、ご主人様、大丈夫ですか?」
弓角を投げ始めてから1時間。おれ、すでに汗だく。やべーわ。体力がもたない……。
青物のトップシーズンである秋、相模湾の砂浜に行くと、上半身むきむきの釣り人たちがこの弓角をぶん投げているのもわかろうという釣り方である。
ちなみに言えば、青物の時合いである夜明けから1時間か2時間程度までしかやらない人が多いようだ。
「う、うーん……駄目な感じだな」
投げている感じだと、潮の流れが結構速い。
特に低層を巻いたときなんか、引き上げてみたら仕掛けが絡まっていた。どんな潮をしているんだ。
それに回遊魚が回っている感じがしないんだよな。
「湖へ行きますか?」
リィンに聞かれ、おれとしてもその誘惑にあらがえないところである。
でも。
でも、である。
このまま戻ったら、明らかに「体力がないから早々に湖へ戻った」っていうふうにリィンに思われるよね!?
それはさすがに情けない!
今、おれはリィンにはいい格好を見せなければいけないのですよ!
「もうちょっと粘ろう。夜明けから2時間くらいは可能性がある釣りだから」
強がりました。うん。投げてみたらすでに腕がぴりぴりしてくる。
これは投げて巻いて投げて巻いての繰り返しだから、とにかく試行回数が多いんだよね。ルアーを替えようとかそういうアクションもないので、ようは休憩ができない。
もちろん青物が通り過ぎるのは短い時間だから休憩なんてしてたら釣り逃しちゃうんだけど……。
おれが、そろそろヤバイ、明日筋肉痛どころか今夜からヤバイぞ……と思っていたときだ。
「!?」
当たるときは、なんの前触れもない。 いきなり、来る。
巻き続けて常に負荷のかかっていた竿先が、唐突に引き込まれたのだ。
「ぬおっ」
即座に竿を引いてフッキング。かかった。重い。なんの魚だ? 青物か?
「ハヤト様!」
「魚ですか!?」
「あ、ああ、かかった……重いぞ!」
海中で魚が暴れているのを感じる。小刻みにクンクンクンクンッと引く。
なんだ、なんだこいつ? ちょっとなんの魚をかけたのか、想像ができない。
横に走るサバやソーダガツオではないし、フルパワーで引き込んでくるイナダ系統でもない。
アジやイワシほど軽いわけではもちろんない。
「……まさか」
海面にちろりと白い魚影が見えたとき、おれの脳裏にいやーな予感が走った。いや、でもね、弓角だしね? 釣れるなら回遊魚っしょ? うん……。
「上がってきましたっ!」
カルアがうわずった声を上げる——が。
「お、おおぅ……」
波打ち際に、寄せる波とともに姿を現したのは——背は黒っぽいが腹は白く、うろこ雲みたいな模様の魚体である——どう見てもボラです。ほんとうにありがとうございました。
「大きいな……」
「ご主人様すごいです!」
地面に両手両膝をついて悲嘆に暮れているおれをよそに、興奮した様子のリィンとカルア。
そう、このボラ様。デカイんである。
サイズ的には50は超えてそうだ。まぁ、引いたしね……。
つーかボラって弓角食ってくるのかよ! 確かに弓角投げてる皆さんをバカにするように、ボラがばしゃばしゃエラ洗いしているの見たことあったけどさ!
「は、ハヤトさん? どうたんですか、先ほどからガッカリしているようですが……私にはじゅうぶん立派な魚に見えます」
「そうですよ、ハヤト様!」
「あ、ああ……わかってる、この大会はサイズを競うものだったもんな……」
ようやく立ち上がったおれ、弓角を外してフィッシュグリップでボラを持ち上げる。……重ッ! 無駄に重いなこいつ!
「あー……一応ふたりに説明しておく。こいつはボラだ」
「ボラ?」
「ボラ……ですか?」
「あんまり聞いたことなさそうだな。まあ、食用に適してないんだよね。めっちゃ臭くて食えたもんじゃない」
おれが過去にかけたボラは、もうね、鼻を近づけるまでもなく臭かった。磯臭さと泥臭さをミックスしたような感じ?「あ、自分、食べられるつもりないんで」みたいな顔してやがるんだよ、ボラって。
……あれ? でも、このボラはそんなに臭くないような。
「ほう!」
おれが、臭かった過去のボラに思いを寄せていたときだ。
声をかけられた。
振り返ると——ピンと立ったカイゼルひげをお持ちのオッサンが、取り巻きを連れてこっちへ向かってきているところだった。
「なかなかいいサイズではないか! ワシに売れ!」
……売れ、って? 買ってどうするの?
おれの目が正常なら、ひげオッサンも釣り大会参加者を示す腕章がついているんだが……。
平塚港のボラは死ぬほど臭いです。