77 秘密の会合
おれたちは長い廊下を歩いていた。海竜の里を出てから2日が経っている。大賢者様主催の釣り大会は目前で、ほんとうは釣りの準備をあれこれしていたいんだけど——今のところそんな余裕が全然ない。
「——では中へどうぞ」
丁重に礼をするメイド。その横にはいかつい顔をした護衛騎士がにらみを利かせている——「こんな唐突な訪問客を、なぜ我が主は招き入れるのか」とでも言いたげな顔だ。いやほんと、突然の訪問でごめんなさい。
おれはびくびくしながら部屋へと入る。
磨かれた大理石の床が広がっていて、部屋の真ん中にはテーブルがあって、ちょうどお茶をしていたところのようだ。
「あなたからたずねてくるとは思いませんでした」
ちょっと歳はいっているけれども上品な女性がふんわりと微笑んだ。彼女——ノアイラン帝国皇帝は、横に子爵であるディルアナを立たせている。
そう、おれがたずねてきたのは、ジャークラ公国首都にあるノアイラン皇帝の別邸。外交や催し物がある際にやってきて宿泊する場所だ。
アポなしで会えるような人ではもちろんない。今、おれの横にいるランディーがディルアナを通じて話だけは通してある。そして今日、この時間は自由時間だという情報を得て、こうしてやってきたというわけだ。
表向きは「アポなし」なんだけどね……。
「おれも、こんなに早く来ることになるなんて思ってませんでしたよ。釣り具の手入れとかしたいのに……」
「あらあら。ということは『ノアイラン帝国所属で釣り大会に参加する』——その参加表明に来たのではないのですね? てっきり、そのために今日来てくれたのかと思っていましたのに」
「そこはやっぱり無所属で出ようかと」
おれがだいぶフランクな口調で話してしまうので、部屋の四隅にいる護衛騎士たちがバチバチに視線を飛ばしてくる。ご、ごめんよ! ちょっとだけ敬語が苦手なんだよ、ちょっとだけ!
「あ、あの、でも今日は……それ以上に重要な話なんですよ」
「今、釣り大会以上に重要な事があるのですか?」
「はい。あのぅ——」
おれは護衛騎士たちを見る。できれば彼らに聞かせたくない——海竜の里で起きたことは。
「人払いはなりませんぞ、陛下」
機先を制して騎士のひとりが言う。
「——と、我が忠実な騎士が言っているのです。ごめんなさい、釣り人ハヤト。こればかりは」
「もともと陛下がおれに頼んだことですよ」
「余が頼んだ……? っ!」
その言葉で、皇帝は察したようだ。そう、皇帝がおれに頼んだのだ。
——ノアイラン帝国皇帝として釣り人ハヤトに依頼したいと思います。『人竜文書』の内容を確認してくることを。
ってな。
「ま、まさかほんとうに……海竜の里に行ったというのですか?」
「はい」
「あの文書を読んだ? 現物を?」
「はい」
「……わかりました」
皇帝は護衛騎士たちに退室を命じた。騎士たちは猛反対する。せめてひとりだけでも残して欲しいと言ったが、皇帝は聞き入れない。……それだけ「人竜文書」が大事だと思っているってことだよな。
代わりに、皇帝は書記を呼ぶように言う。「人竜文書」の内容は筆記できないのだが、書記は暗記力が抜群らしい。だから同席を許して欲しいとおれにたずねた。
おれは了解した。護衛騎士たちも、書記がいるなら……と下がった。一応ディルアナも残っているんだけどな。
「お待たせしました……陛下」
メガネをかけたちっこい女性が入ってくる。おれたちから離れたところに立ったが、おれの後ろにいるリィンのまとう雰囲気が変わった。どうやら、あの書記は結構できる人らしい。書記でありながら護衛もできるって感じなのかな? まあ、それはそれでいいや。
「では、いろいろ話すことがあるので——まずおれに全部話させてください」
「わかりました。……その前に、そちらの女性を紹介してはもらえないのですか?」
「ああ。そうですね——先に紹介しましょう」
そちらの女性。
実はおれが連れてきたのは、ランディー、リィンだけ——ではない。
もうひとり女性がいた。カルアやスノゥ、それにクロェイラじゃないぞ。
リィンと同い年くらいの女性が——目深にかぶったフードを外す。
彼女を見た皇帝の目が見開かれる。
「ま、まさかあなたは……」
「はい。先日のパーティーではご挨拶ができずに申し訳ありませんでしたわ、皇帝陛下」
オレンジ色の髪はふわりと長く、育ちのよさを感じさせる上品な笑顔が可愛らしい。
「いえ……あの場で余らが挨拶することは不可能でしたでしょう。キャロル王女」
ビグサーク王国王女、キャロル様である。
ノアイランに話を持ってくる前に、すでにビグサークには話を通した。王様はおれが海竜の里で見聞きしたことを信じてくれ、「アガー君主国が一枚噛んでいるのだろうな」と同じ意見だった。
アガー君主国が重金属を川に垂れ流し——マスに食わせて海に放流しているかどうかを確認するには、調査団の結成が必要。だがそれを通すには数カ国の参加が必要だ。
おれが思いついたのはビグサーク以外だとノアイラン。するとビグサークの王様は大笑いして、
「我が国とノアイランが協力したとあれば他国も指をくわえてはおらんだろう。是非話をまとめて欲しい」
と言って、キャロル王女を連れて行っていいと言ったのだ。もちろん、この建物の外には王女の護衛が大量に潜んでいる。廊下にも3名、待っている。お付きの人はそこまでと言われてしまっていたから仕方なく。
ビグサークとノアイランは犬猿の仲だって聞いてたけど、国のトップ同士に限ってはそこまで恨みが溜まっているわけでもないみたいなんだよな……仲直りのきっかけを探しているというか。
それはともかく、こうしてキャロル王女はおれとともにやってきた。
「皇帝陛下。本日わたくしは、父の名代として参りました。わたくしの言葉は父が保証するものでありますわ」
「これはこれは。……ハヤト、どうやら『人竜文書』の問題だけではないようですね?」
「そのとおりです」
そうしておれは海竜の里に向かったことを話した。そして竜の奇病の原因が重金属にあること、それがジフ川のマスが運んでいたこと、上流はアガー君主国の領地につながっていることを説明した。
「……ハヤトはアガー君主国が海洋汚染をしていると?」
「はい」
「マスの養殖はジャークラ公国の主要産業のひとつですよ。ジフ川中流にも養殖場があるはずです」
おれが答える代わりにランディーが説明した。
「おっしゃるとおりです。その点についてはビグサーク王国から海洋汚染についての注意をジャークラ公国に投げかけています。マスが汚染されたとなればジャークラ公国の被害も大きいため、公国は調査してくれるものと考えます」
「一方で、アガー君主国は調査をしないだろう、あるいは調査結果を非公開とするだろう、と考えているのですね?」
「ご明察、恐れ入ります」
皇帝はちょっと考え込むそぶりを見せる。ディルアナや書記は驚いたのかぽかんとしていた。
そりゃそうだよな。人間の誰も行ったことのない海竜の里に行った、って話から始まって、海が汚染されててヤバイって話に飛んだんだもん。
ランディーに話したときにも「ごめん。悪いけどもう一度最初から話してくれないか?」って2周したもん。
「……ハヤト、この問題と『人竜文書』はどう関係するのです?」
皇帝、すごい。まだその話をしてないのに、関係があることを見抜いてきた。
しかも2度も3度もおれに説明させないもんな。ああ、いや、それはランディーの説明がわかりやすいってことかもしれないけど。
もちろん半信半疑の部分はあるんだと思う。でもこうしてキャロル王女が出張っている以上、ビグサーク王国はおれたちの話を「信じた」。それを疑うってことはキャロル王女を疑うことにもなるから、一応は信じたフリをしているんだろう。
「『人竜文書』の内容を説明すると——」
おれは目次から全体の流れを大体話した。細かいところは結構忘れてるんだけど、大まかな内容はまだ覚えている。ここで書記の人も覚えてくれるのならラッキーだ。おれの責任が減る。
「——という感じです。確かノアイランには『開示請求をした場合、相手はそれに応じる必要がある』っていう文書があるんですよね?」
「そのとおりです」
「『第3節 管理義務』にその下りがありました」
「……ふぅ。ほんとうに『人竜文書』を読んでくるとは。驚きましたね……」
「あー、いや、話の流れで……っていうか向こうは読ませてプレッシャーをかけているんですよ」
「プレッシャー?」
おれはクロェイラの叔父さん(イケメン)を思い出し、思わず顔が渋くなる。
「『第8節 禁則事項』。『相手に攻撃の意志があった場合、契約を破棄できる。その場合の協議は必要なく、一方的な宣誓により契約は失われる』——こんな内容がありました」
皇帝の顔色がサッと変わる。
「海竜は——奇病を、『人間による海竜への攻撃』と捉えたということですか!?」
おれは、うなずいた。はっきりと「宣戦布告とみなす」って言われたもんな。
横からランディーが口を添える。
「海竜が契約を破棄した場合、人間が、海の恵みを得られる範囲が大幅に減ります。水深をいくら浅くしても彼らは入り込むことができるのですから。逆にこちらから彼らを攻撃することはほぼ不可能でしょう。重金属を流すことはできますが、結果、海が死んでは意味がありません」
人間にとって大打撃だ。特に海岸線を長く保有している、ジャークラ公国、ノアイラン帝国、ビグサーク王国にとっては。
一方でほぼ影響のない国もある。
海のない国——アガー君主国だ。
「……アガー君主国は、我々の国力が下がることを喜ぶでしょうね」
「おっしゃるとおりです、皇帝陛下。そして海での釣りができなくなると、大賢者様の発言力が低下します。平和を保っていた国家間のバランスを崩します」
「軍を増強していたアガー君主国にとっては絶好の機会というわけですか。なるほど、筋が通っていますね」
皇帝は納得したみたいだった。
たぶん、だけど、アガー君主国が持ってる「人竜文書」はまさにその「第8節」なんじゃないかな。なんとかして海竜に攻撃をしかければ、海の恵みが途絶えるとわかった。だから考えたのだ。秘密裏に海竜を攻撃できる方法を。
「キャロル王女」
そのとき、皇帝は王女の名を呼んだ。
「あなたはノアイランになにを求め、この場にいらしたのですか?」
「簡単なことですわ、皇帝陛下」
キャロル王女はにこやかに笑った。
「ノアイラン帝国のディルアナ子爵、ビグサーク王国のランディー、無所属のハヤト……誰でも構いません。釣り大会で優勝するのです。優勝者の褒賞として『海洋汚染の真相究明』を要求してもらいましょう。この2カ国が支持すれば確実に通ります。もちろん、優勝褒賞は代わりにわたくしたちが補償すればよろしいかと存じますわ。——海竜がウシオ様に求めた調査期限は3カ月。十分、結果を出せる時間です」
「……ふむ、よく理解しました。ディルアナ」
「はっ」
皇帝のそばでディルアナが跪く。
「釣り大会で優勝しなさい。できますね?」
「はっ。もちろんです」
するとキャロル王女も負けていない。
「ランディー。男爵位は捨てましたが、あなたはビグサークの人間。——王女として命じます。釣り大会で優勝すること。いいですね?」
「もちろんです。お任せください」
ディルアナとランディーの視線が交差する。火花が散っているのが見えるぜ……。
「釣りは楽しく、ってのがモットーなんだけどなぁ……。でも今回は、勝ちにこだわって釣るよ、おれも」
「ああ、ハヤト。全力のお前と戦って勝つぞ、私は」
「いいえ。勝つのはノアイランです」
そんなおれたちを見て、リィンがため息をつく。最初から負ける気なんてないのに、火に油を注いでしまった——と。
いやいや、海の危機なんだ。今回はマジですよ。
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いろいろ長くなってしまいましたが、ようやく釣り大会、は〜じま〜るよ〜!