前へ次へ
79/113

72 とっさの行動

 え? としか思えなかったおれはだいぶ滑稽だったと思う。というか、無理。反応なんてできっこない。たとえば車が急に突っ込んできたとして、猫や犬は走って逃げるという。でも人間は違う。身体がすくんでしまうんだ。そんな訓練を受けてきていないし、文明に守られすぎて本能が退化しているというのもあるんだろう。大体おれなんて、冷凍マグロに衝突して異世界にやってきたくらいだ。ビクッてして筋肉が収縮する程度がせいぜいなんだろう——。

 つまるところ、


「ウオオオオオオオ」


 身の丈3メートルを超える連中が、サーフボードみたいな剣を振り回して突っ込んでくるのを、おれは眺めていることしかできなかったんだ。

 おれは腕を引かれるのを感じた。おれの前にリィンが立つのを見た。彼女は鞘からショートソードをすでに抜き放っていた。迷いなんて一切なかった。連中の剣に比べれば、リィンのショートソードはなんとまぁ細いことだ。子どもが、武装した大人を相手に枝切れを手にしているようなもんだ。


「——だ、ダメだ——ダメだ、リィン、ダメ——」


 かすれた声が出たけれど、おれの声なんて誰にも届かなかった。ダメだ。リィンが、このままじゃほんとに、ほんとに殺され——。


「ハヤトさん、逃げて」


 前だけ向いたリィンが、おれに言った。ただ、それだけ。味も素っ気もない短い言葉。

 おれの脳裏にリィンと過ごした日々がよみがえる。おれが転生してきたフゥム村での出会い。魔イワシでカルアを助けると言ったおれと対立したこと。攻撃魔法からおれを助けるべくいっしょに船に落ちた。フワフラ探しではふたりきりで村を回って——なんだか距離が近くなったような気がした。そして夜の堤防でなんか雰囲気いい感じになって、おれが勢いで「飲み直そう」とか言っちゃって——ああ、おれのバカ。なに考えてんだ。それはフラグだ。リィンが、これからマジで死んじゃうっていう——気づけばおれの身体が動いた。


「止めろォォオオ!!」


 おれはリィンの横から飛びだした。すぐそこまで迫っている巨人たち。おれはリィンの前で両手を広げた。


「なっ!? ハヤトさん——」


 巨人がデカイ剣を振りかぶる。おれはぎゅっと目を閉じる。

 そのとき。



《愚か者がァァァァアアアアアアアア!!!!!!!!!!》



 声が——いや、声自体もすごかったけど、それだけじゃない、なんだか、爆発するような勢いとともに発せられた「音圧」で、おれの身体は横に吹っ飛んだ。

 地面に身体がぶつかる。天井と地面が視界の中で行ったり来たりして、おれはようやく止まった。

 なんだ。なにがあった?

 転がったせいで腕を地面に打ちつけたみたいだ。ちょっと痛い。頭がくらっとしたけど、それは声じゃなくて転がったことで平衡感覚がおかしくなっただけだった。

 ぶるりと首を横に振っておれは身を起こす。と——、


「え……」


 巨人が吹っ飛んでいた。おれなんかとはまったく違って、壁まで吹っ飛んでた。ていうか何人か壁にめり込んでるぞ……?


「……まったく、身体ばかり大きくなって。中身はカラッポ」


 やれやれという感じで言ったのはクロェイラだった。

 おれの近くにカルアとリィンも倒れている。ふたりもすぐに起きた。


「あ。ごめん。みんなも飛ばしちゃった。なんかボーッとしててそこまで思いつかなかった」

「い、いや……いいんだけど、それはいいんだけども。……なにしたの?」

竜天声(ドラゴンボイス)でちょっと。竜相手に使うものなんだけど……人間にも影響があるの」


 ちょっとて。ちょっとやっただけであんなんなるのかよ……? ひとりなんて上半身壁にめり込んで、ケツから下がだらーんってぶら下がってるぞ。


「いったいなんの騒ぎですじゃ! ——フオアッ!?」


 奥から老人っぽい——どうせこの人も海竜なんでしょ? ——人物が出てきて、死屍累々たる有様にびびっている。


「これは——ああっ! わかりましたぞ! お嬢様(・・・)の仕業ですな!」

「こいつらが、あたしの客人を殺そうとしたから、灸を据えた」

「まったく……」


 老人は日本の浴衣みたいなものを着ているが、色は墨染めっぽい黒で、袖がびらびらしていた。壁際に歩いていくと片手で悠々と突き刺さった連中を引っこ抜く。

 なんかもうワケがわからん。説明を求める!




「それで……結局どういうことなんだよ」


 老人に案内されて奥へとやってきた。中に入ってみると、不思議な空間が広がっていた。

 まず広い。左右に断崖が——と言っても壁はつるっとしてるが——そびえていて、そこに穴を空けるようにして集落が構成されているらしい。

 で、なんか明るいのが不思議だった。

 穴の奥は海竜の居住スペースになっているみたいだけど、個体によっては海竜の顔をひょっこり出してこっちをうかがっているのもあった。どうも、居住スペースは相当広く、勝手に海につなげていたりもするようだ。海竜は自由だな……。

 おれたちはそんな集落の、ど真ん中。だだっ広いけど誰もいないところにいた。磨いた石でできたテーブルがあって、イスに腰を下ろす。結構高いイスで、カルアを座らせるのに抱っこしてやる必要があった。


「若くて血の気の多い連中は、人間と見ると忌み嫌っておりましてな……大変失礼しましたな。お嬢様の客人方」

「危うく殺されそうになったんだぞ。なあ、リィン?」

「…………」


 同意を求めてリィンを見ると、リィンはなにも言わずにおれの後ろに立った。護衛するということなんだろうか? ていうか、なんかちょっと反応が冷たい……?


「殺されるとは。お嬢様がおられるのなら万に一つも危険はありますまい」

「お嬢様、って……クロェイラのこと?」

「はい」


 そのクロェイラは「具合が悪い」と言ってどこかに消えていた。

 さっきから気になってるんだけど……ちょっとここの空気淀んでる。死んだ魚みたいなニオイが漂ってるんだよな。


「全然説明受けてないんだが。クロェイラって何者なの?」

「海竜の長の、姪御さんでいらっしゃいます。長は、お子様がいらっしゃらないのでクロェイラ様を実の娘のように可愛がっておられます」


 そうなのか。海竜の長って偉いのか? なんかもう基準がわかんねーよ。


「こちらをお飲みください。温まりますよ」

「え? ああ……人間が飲んでも平気なのか?」

「もちろんです。お疑いになるのはわかりますが、先ほどの行為で、とりあえず私めが敵ではないと思っていただければ」


 先ほどの行為、というのは、目を覚ました海竜たちをこの老人がぶん殴っていたことだ。それを見ておれの気持ちもちょっとはスッキリしたけど。


「……わかったよ」


 出されたカップには真っ茶色の液体。うす濁り。でも香りは豊かだ。

 正直、まだまだ蒸し暑いから「温まる」とか言われてもなぁと思ったけど、あんまり香りがよかったからそのまま口に運んだんだ。


「!」


 じわっ……と身体に染み渡る。身体が溶けてしまいそうな気持ちさえした。ああ……そうか。おれ、さっき死にそうになったんだよな。だから身体が安らぎを求めてたのか。


「ふわぁ……」


 同じく茶を飲んだカルアがぷるぷるしている。カルアさん? お漏らしとかしてないですよね?


「それでご老人、あなたは……何者?」

「集落の世話役、とでも言いますかな」

「おれは牛尾隼斗。クロェイラはハヤトって呼んでる。——海竜で具合が悪いヤツらが多いんだろ? それでおれがもし、なにかわかるようなら教えて欲しいって言われて連れてこられた」

「それはそれは——ずいぶんお嬢様に信用されましたな」

「信用? どうかなあ。魔イカをあげたのがよかったのかもしれない」

「魔イカを上げたですと!? お嬢様に!?」

「え、あ、は、はい」


 めっちゃ食いついてきた。おれの膝つかまれてぐいぐい揺すぶられた。


「うおっ!?」


 住居っぽいところからめっちゃいっぱい視線を感じる! 目が爛々と光ってる! 食い意地張りすぎだろ、海竜。


「なるほど、腕の良い釣り人なのですな」

「えーと……腕がいいかどうかはわからないけど」

「ご主人様は世界一の釣り師です!」


 おれが謙遜というか、控えめに言おうとしていると、カルアがぶち壊した。——ひぃっ! 海竜の皆さんがまたこっち見てる! 釣らないよ! あなたたちのために魚持ってきたりしないからね!


「と、とりあえずご老人、教えて欲しいんだよ。いったい——なにがあったんだ?」


 ふむ、と老人はうなずいて、


「腕がよいということは、知識もいろいろとおありなのでしょう。そうですな……最近この集落で起きている奇病についてお話ししましょう」


 話を始めた。

「異世界釣り暮らし」特設サイトで、釣りアイドルのつりビットさんのインタビューが掲載されていました。おおおおおい! インタビュー取るならぼくもつれて行ってくださいよぉぉぉぉ!(魂の叫び)

陰からこっそり見てるくらいしかできなさそうですが……。

前へ次へ目次