53 ち、違うんだ……!
しん……と静まり返った。
そんなふうに感じた。
騎士たちのマントの遮音性はなかなかのもので、酒場のざわつきはあるもののおれたちの周りだけは静かだった。
皇帝の依頼――海竜のすみかに行って、なんか文書を読んでくること。
報酬は、「望むものなんでも」。
「えっと、無理です」
「ありがとう。あなたなら快諾してくれる――え?」
「お断りします。すんません」
「…………」
ぺこっ、と頭を下げたおれは、カチャ、カチャッ、という音とともに騒音が流れ込んでくるのに気がつく。
顔を上げると騎士たちが剣の柄に手を掛けていた。
「「「殺しましょう」」」
殺伐としすぎぃ!
「あ、いや、えっと、あのですね――」
弁解、弁解しなきゃ、リィンが剣を抜いちゃう。酒場がスプラッタ劇場になっちゃう。
でもおれがなにかを言うよりも前に、皇帝が口を開いた。
「お止めなさい! まったく、嘆かわしい。栄えある帝国騎士が交渉ごとの趨勢にいちいち殺気立っていると他国に知れたら、こんなに恥ずかしいことはありません」
「しかし、陛下! この者は無礼にも陛下の破格の条件を――」
「この者は、余が与えられるようなものは必要としていないのです。迂闊でした……ハヤトほどの腕があれば、余が今言ったようなものはすぐにも手に入れられるでしょうに」
え? え? そうなの? 大金はともかく、び、美女まで手に入っちゃうの……?
うんうん、ってリィンがうなずいてるけど――いまだにぼくはリィンさんのハートを手に入れていませんが?
「ハヤトよ、忘れてください。それとお邪魔しましたね。余らはそろそろ帰りましょう――ディルアナ」
「はっ」
皇帝が立ち上がり、テーブルから離れていく。
ディルアナはおれのそばに寄って、手に革袋を握らせる――この感じ、金貨だな! え、いいの?
「食事代です――また会いましょう」
小さく笑ったディルアナは、そう言い残すと皇帝を追って去って行った。騎士たちもまた。
行った……か。
ディルアナは初めて会ったときにくらべるとものすごく柔らかくなった感じがする。それはとても好ましい変化だ。
「ハヤトさん、ひやひやしましたよ。よく、皇帝の依頼を断りましたね?」
「当然でしょー、あんなの。上から目線。受けてもらって当然、みたいなの。あたしがハヤトだったら100パー蹴るわ」
「クロェイラさん……それがなかなかできないのが人間なんですよ。ハヤトさんの勇気、わたくしも見習わなければなりませんね」
おぉ……天使の笑顔や……。
「――でも、どうして断ったんです?」
「え!?」
いや……その……。
依頼を受けてたら大賢者主催の釣り大会にエントリーできなさそうだな、ってだけだったんだけど……。
これは、うむ。
正直には言わないほうがいい気がする!
「く、クロェイラがおれに加護をくれたのは純粋な好意じゃない? なのにおれが、彼女を利用するような形になるのはイヤだったんだよ」
「――ハヤトさん」
天使が笑顔を深める。
おれのハッタリはどうやらうまく行ったらしい――ハッ、クロェイラがこっちを見ている!
「ふんっ!」
だけど彼女はぷいっとそっぽを向いた。
「に、人間ふぜいが海竜であるあたしに変な気使ってんじゃないわよ! ――ま、まぁね、今回のことは意見も一致しているから、ふ、不愉快ではないけど!」
めっちゃツンデレだった。耳の後ろが赤くなってるし。
翌朝早く、おれたちはラズーシを出発した。
実はあのあと――深夜まで続いたヤリイカ食事会の途中で、「キャス天狗」の商会長であるコルトがやってきたんだ。
釣り具チェーンのトップともなると例大祭後のオフィシャルな打ち上げ――後夜祭に参加しなければならなかったみたいで、そっちがはけてから飛んできたらしい。
「魔イカを釣って海竜にくれてやるたぁ、さすがだな! わははははは! ……でも早くこの国から出たほうがいいぞ? ブラボウ伯爵がお前らを狙ってるからな。ほとぼりが冷めるまで身を隠しとけ」
と、真顔で注意されたんだ。
でもってコルトのおっさんが個人的に持っている馬車を貸してくれた。タダで。「お前に恩を売っておいて損はひとつもねぇだろう」ということだった。
「恩を売るどころか、新たな釣り具のヒントをもらったコルト会長は、ほんのわずか借りを返しただけ。ハヤトは気にすることない」
スノゥ先生は強気である。
ともあれおれたち一行は――ランディーも加えて5人になったおれたちは、ノアイラン帝国の国境に向かっていた。大賢者の釣り大会が開催される「ジャークラ公国」へ。
クロェイラだけは海路だけど。人間の姿でいるのは「肩が凝る」んだそうだ。
馬車はごとごとと海岸線の道を走っていく。
ノアイランはいい釣り場が多かった。釣れる魚もちょっと違った気がするな……ビグサーク王国よりちょっと水温が高いのかな?
これから向かうジャークラ公国はさらに暖かいらしい。ということはまたまた違う魚が釣れそうだ。
「――ほうほう、この糸が――」
「――紡ぎに使った機械は――」
「――こうして見るととてもキレイですね――」
ランディーがフワフラ糸を食い入るように見つめ、スノゥがそれを解説し、そこにリィンも混じっている。
「……ハヤト様」
おれの横に座り、おれを見上げるカルアの表情にはいまだ影がある。
まだ気にしてるのかな……リールに傷をつけてラインを切る原因になってしまったことを。
こういうのって難しいよな。気にするなって言っても気にしちゃうってことあるし。
「カルア――ノアイラン帝国ではいろいろあったな」
「……はい」
「いろいろあって、カルアも落ち込んでる。そうだよな?」
「…………はい」
「おれたちが今どこに向かってるかわかるか?」
「えっ? ええっと、ジャークラ公国、でしたでしょうか」
「うん、そう。そうなんだ」
おれがなにを言おうとしているのかわからず、きょとんとしているカルアの背中に、ぽんと手のひらを当てる。
どうかおれの心がちゃんと伝わりますように。
「落ち込んでもいい、悩んでもいいよ。でもそれはこの国に置いていこう。次の国に行ったら、また新しい出会いがあって、新しい出来事がある。落ち込むヒマも悩むヒマもきっとない。――そのまた次の国も、また次の国も、ずっと続いて行くんだから」
「――ハヤト様」
「ついてきて……くれるよな?」
カルアの鳶色の瞳が、じわりと潤む。
「いいのですか……?」
「カルアがいなきゃフワフラ糸だって造れなかった。これからもおれを支えて欲しい」
「――はいっ!」
愛らしさがこぼれんばかりの笑顔でカルアはうなずいた。
まつげを湿らせて。
いつの間にか会話を止めていたリィンたちがこちらを見ている。3人とも、微笑ましいものでも見るような笑顔だった。
うん――そうだよ。
釣りをして旅をして。
こんな楽しいことをしてるんだから、泣き顔なんて必要ないよな。
1週間後、おれたちは国境を越えてジャークラ公国に入った。
「は、ハヤト様! お手をケガされてます!」
「え? あー、ちょっと釣り針刺さって指から血が出ただけ……」
「治しますっ、カルアが治しますからぁ! ――はむっ」
「あ、か、カルア!? こ、こんな人前で」
「ちゅぱ……あむ、ちゅぱっ……」
カルアのおれへの尽くし度合いが飛躍的にレベルアップした気がする。
しゃぶられた人差し指は、バウワウ族の力であっという間に完治した。
「……ハヤトさん」
リィンの目が冷たくなった気がした。
ち、違うんだ、おれはロリコンなんかじゃ……!
「カルア、ずるい。実力行使とは侮れない……いずれはあたしも」
「おーいハヤト。スノゥも隙あらばって顔してるぞー」
「……ハヤトさん」
違うんだ、リィン……!
ノアイラン帝国編はこれで終わりです。
カルアがさらに飼い犬化していますね。
ここから「天下一釣り大会編」(仮称)なのですが、ちょっと構想をまとめるので少し間があくと思います。
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