前へ次へ
57/113

51 魔イカはどこに消えたか?

 白く発行している魔イカは、なんかもう近寄りがたいくらいに神々しかった。つーかデカイ。遠近感狂ったかと思うくらいの大きさだ。


「すごい……すごいぞハヤト!」

「おお、おぉ……」


 ランディーがおれに抱きついてきゃいきゃい喜ぶ。おれはおれで脳みその言語野が一時的にマヒでもしたのか「おお」しか出てこない。

 がっくんがっくんランディーに横から首を振られていると、


「ご、ごほんっ、ランディーさん……そろそろそのくらいになさっては」

「あっ」


 リィンの声にランディーがおれから飛びのく。


「い、いや、これは違うよ? ちょっとはしゃいじゃっただけだからな! リィン殿、私は別にそういう気持ちがあったわけでは……」

「べ、別にわたくしとしては特に他意があったわけではありません。そのように、必死で否定していただかなくとも構いません」

「必死!? 必死ではないぞ!? なあ、カルア!?」

「ランディー様……侮れない……」


 なぜかカルアがすすすとおれのそばにやってきて、腰にがばりと抱きつく。


「カルア、おれさっきからイカ触ってたから生臭いけど大丈夫か?」

「くしゃいでしゅ」


 鼻をつまみながら言われた。えぇ……そっちから抱きついてきてそれはひどくないか? 娘に「臭い」って言われるお父さんの気持ちを疑似体験した気分だ。


「……すごい歯形」


 スノゥはと言えば、エギをためつすがめつしていた。イカは触腕を広げてエギを抱くんだけども、そのあとに噛みつくんだ。おれのプラスチック製エギは、あちこち塗装が剥げるほどに噛まれていた。

 さて……それにしても、このイカ、どうすっかな。タモ網の中でのたくってる腕がかなり太い。あの吸盤に吸われたらめっちゃ痛そうだ。絞めるのも一苦労くさい。

 と、そのときだ。


「これが、例大祭最終日に現れるという伝説の魔イカですか」


 釣り人の人垣が左右に分かれ、騎士に先導されてやってくるのは――またしてもノアイラン帝国皇帝だ。

 ……なんか、ビグサークの国王もそうだったけど、この世界の国のトップはやたらとフットワーク軽くないか?

 皇帝は魔イカをじっと見つめてからおれへと視線を上げる。


「あなたは……この国の釣り人ですか?」

「えーっと、旅人です。釣り人ギルドにはこの国で登録しましたけどね」

「名を名乗ることを許します」


 うう、許されても言いたくないなぁ……。

 名前覚えられてプラスになるような雰囲気じゃないじゃん。


「ハヤトです……」


 でも言わざるを得ないよね。これ逆らったらもっと悪いことになるよね。

 すると皇帝は形のよい眉根を少しだけゆがめ、なにかを考えるようにしてから言った。


「そうですか。ハヤトよ、これを余に献上するならば、それに見合った褒賞を与えましょう。大金が欲しければ望むだけの額を、爵位が欲しければ爵位を授与します」


 おおおおっ、とどよめきが広がる。

 すごいな、釣りって。やっぱこっちの国でも「釣ったヤツが偉い」っていう考えが徹底してるんだよな。

 でも、


「すみませんが、これは差し上げられません」


 ダメなんだ。このイカを献上することはできない。

 おれの拒絶に、今度はネガティブな感じのどよめきが広がる。騎士に至っては命令さえあればすぐさま剣でも抜きそうな顔でこっち見てる。怖いっつの。皇帝の後ろのほうにいたディルアナは腕組みしたまま瞳を閉じている。「やっぱりか」みたいな顔。わかってたんなら最初から釘刺しといてくださいよほんと。


「……理由を聞きましょうか?」


 あ、皇帝がちょっと不機嫌になってる。


「先約があるんですよ。イカを釣ってやるって約束しちゃったんで。他のイカならいっぱいあるんで、持ってってもらってもいいんですが」

「約束した相手はこの国の者ですか? であれば余が直々に話をつけましょう」

「あ、いや、この国っていうか、海っていうか、人っていうか……」


 おれがごにょごにょ言っていると、騎士のひとりがキレた。


「貴様! 陛下がここまで仰せになっているのだぞ! きりきり全部吐け!」


 おれの斜め前にリィンが出てくる。彼女が腰にショートソードを吊っていることに気づいた騎士たちは、皇帝を守るフォーメーションを組んで、一斉に剣の柄に手を伸ばす。


「待ってリィン」

「止しなさい」


 おれと皇帝がそれぞれ言うと、彼らは止まった。だけれどもピンと張り詰めた空気はそのままだ。

 あー、もー、どうしよう……。


 ずずずずずずずざざざざざざざざばぁぁぁぁぁぁぁんんんんんん。


 水音を立てて、突然なにかが海面から上がってきた。

 それは、おれの両腕じゃ抱えきれないほどの「頭」。桜色の鱗に包まれた顔には、金色の両目がある。

 耳まで裂けた口からはみ出る2本の巨大な牙と、頭から後方に生えている真っ白な角は淡い光を放っていた。

 たてがみは長く続いている。

 身体は――見えない。

 見上げるほどに高いのに、そいつの首だけで、それほどの高さになっていたんだ。


「竜」という言葉が、いちばんしっくりくる。

 誰かが叫び声を上げた。

 釣り人たちが一斉に逃げていく。

 騎士が皇帝を守るべく剣を抜く。

 おれにしがみつくカルアの手に力が込められる。リィンもまた剣を抜き、ランディーとスノゥを下がらせる。

 だけどおれは、特に動揺もしなかった。


「――もしかして、クロェイラか?」


 フワフラ探しのときに出会った彼女と同じ雰囲気を感じていた。


『くくく、人間よ。我が言うたとおり、イカを釣ったようだな』

「あれ? そんな話し方だったっけ?」

『……竜のときはこういう感じなの。突っ込まないで』

「あ、はい」


 威厳を出そうとしているんだろうか。海竜も大変だな。

 おれがクロェイラと言葉を交わしていると、皇帝が声を発した。


「海竜……! なぜあなたがここにいるのですか!? いにしえの契約によりて、浅場の海域には近寄らないはずでしょう!」


 ん? いにしえの契約ってなんだ?

 もしかして海竜が水深15メートル未満の海域に来ないっていうのは、そういう約束事があるからなのか?

 クロェイラはちらりと皇帝に視線を向ける。

 騎士たちが皇帝を守るように剣を構えている――切っ先が震えている。


『人間よ、なにか思い違いをしているようだな。竜と人間との契約は、水深15メートルにも満たぬような浅場を「荒らさぬ」こと。「入るな」とはなっておらん。それに我らは姿を変えることもできぬ。変身時は契約除外だ』

「なっ……なんですって!?」

『「竜人文書(りゅうにんもんじょ)」を見直すがよい』

「…………」


 ぎり、と皇帝が歯を食いしばり、悔しそうな顔をする。

 なんだなんだ。おれの知らないワードがまた出てきたぞ。いや、まあ、こっちの世界でおれが知ってることのほうが少ないんだけど。


『して、ハヤトよ……そのぉ、我のお願い、覚えておろうな?』

「ああ、うん。見てくれよ、おれ――おれたちは魔イカを釣ったんだぞ!」

『わかっておる! わかっておる! にっくきヤツの気配が水中から消えたから我もやってきたのじゃ! それで――おぬしは我に』

「もちろん、魔イカを上げるよ」


 すぅ……と一瞬、息を吸い込んだクロェイラは、


『ヴォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!』


 天へと咆吼を放った。

 すっげぇ……うるっせえ! めちゃくちゃうるせえ!

 両耳押さえてしゃがみこんだけど、皮膚までびりびり震えるほどだったよ! おれにしがみついてたカルアが両耳を押さえたまま転がってったよ!


「クロェイラ、うっせえ!」

『いかん、いかん、喜びのあまり思わず叫んでしもうた』

「思わず、じゃないよ! もう!!」

『なに、脆弱な人間が悪い』

「人のせいにしない! 魔イカあげないよ!?」

『それは困る……』


 しょんぼりした顔のクロェイラ。

 その顔は――完全に竜のそれなのに、美少女に変身していたクロェイラの顔になんだかダブって見える。


「…………」


 ぽかんとした顔で皇帝が、騎士が、こっちを見ている。

 うーん、これ、後で説明しろって言われるパターンかな?


「ま、とりあえず上げようと思うけど」

『うむ!』

「ランディー、いいかな?」

「え? あ? 私? なにが?」

「や、だって、タモ入れてもらったし」

「私のことなんて気にしないでいい! いいから! 海竜に献上してくれ!」


 ぺたんと尻餅をついたままのランディーが、顔の前で手を左右にぶんぶんと振った。


「タモから出すから、ぺろっといって」


 おれはタモをひっくり返して堤防の上に魔イカを下ろす。

 その瞬間、シュバンッ! と音がして、クロェイラから長い舌が伸びて魔イカを回収していった。


『ア、アァ……あぁん……』


 もぐ、もぐもぐ、と咀嚼するクロェイラ。

 金色の目がとろんと潤んでなんか色っぽくなっている。

 爬虫類系顔している竜の色っぽい顔とか誰得なんだ……せめて美少女形態で食べて欲しかった……。


 ごくん。クロェイラは魔イカを呑み込んだ。


『ふぅぅぅうううぅぅぅぅうううううう――これほどの美味いイカは何十年ぶりだろう』

「だろうね。おれも食べてみたかったよ」


 あんだけでかかったらなぁ……ぺろっと一口だとは思わないよな。


『むう、そうであったか……すまぬな、独り占めしてしまった』

「前みたいな人間の形態だったらシェアできたかもしれないね」

『次からそうしよう』

「うん――って次?」

『ヤリイカも食べるのであろう?』


 こいつ、ヤリイカもお相伴にあずかる気だな!


「ま……いいか。いっぱい釣れたし」


 おれがちらりとランディーやリィンたちに視線を向けると、彼女たちもうんうんうんうんと高速でうなずいていた。


『うむ!』


 凶悪な竜とは思えない、笑顔でうなずいた。


『ハヤトよ、我は決めたぞ』

「ん?」


 すると不意に――クロェイラの身体から鱗と同じ桜色の光が立ち上る。

 まるで蛍が舞うように。


『そなたに海竜クロェイラの加護を与える。そなたが誠実に、我に魚を捧げる限り、我はそなたの海での安全を保証しよう』


 ん、なにそれ。ボディーガードしてくれるのか……?

 わからないでいると、「海竜の加護!?」「まさか、そんなものが」「おとぎ話でしか聞いたことがないぞ」なんていう声があちこちから聞こえてくる。


『受けよ』


 クロェイラがさらに輝きを増す――そしてその光は凝縮し、おれの前へとやってきた。


「うわっと」


 両手でそれを受け取ると、光は収まり、五センチ程度の桜色の鱗になっていた。

 ほんのりと光を纏っている。

 マジかよ……ファンタジーだ。や、発光しているイカもだいぶファンタジーだったけど。


『ではヤリイカを食べるぞ』

「うおあ!? いきなり現れるなよ!?」


 堤防の上には、人間に変身したクロェイラが立っていた。

 これからずっと魚を食わせなきゃいけないのか……? 加護じゃなくて呪いなんじゃ……。


一部のニーズを先取りした「あえぐ竜顔」。

前へ次へ目次