48 皇帝陛下とコミュニケーション
ちょっと体調崩していました。季節の変わり目ですね……。
「お久しぶりです……皇帝陛下」
ランディーがなんとか礼を示そうとすると、
「いいのよ。あなたはもう貴族ではないのですから……そうだったわね?」
皇帝はにこりと微笑んだ。
赤色の長い髪はすとんと下りていて、優しさを漂わせる垂れ目もきらめくような赤。
唇は肉感的で、身体はふんわりとした上等な布に包まれていてわからないけども、やせぎすと言うより若干ふっくらとした女性だ。
年齢は30歳前後だろうか? 国のトップだと思うと若いな。
しかもなんというか……やたら色気を漂わせている。
「それで、ランディーの釣ったアオリイカはカウントされるのかしら?」
皇帝がたずねると、ひれ伏した係員が答える。
「い、いえ、カウントされません。引き上げられませんでしたから」
「でも網には入っていたのでしょう?」
ちら、とおれを見る皇帝陛下。えーっと、おれもひざまづいたほうがいいの? よくわからん……ランディーも立ったままだからいいかな?
すると皇帝の横から脂ぎってはげ散らかしたオッサンが口を出す。
「陛下、恐れながら申し上げます。網に入っていても岩壁まで上げなければカウントしないということです。よって、優勝はディルアナ子爵となりましょう」
オッサン——そうだな、脂ぎっていて禿げだからアブラボウズでいいか。
ちなみにアブラボウズという魚はめっちゃ脂がのっている……というかのりすぎていて、味は良いものの食べ過ぎると下痢になるから気をつけよう。
「あれほどの大きなアオリイカですよ? 今大会いちばんの大きさをカウントしないというのは寂しいではありませんか」
「陛下、恐れながら申し上げます。規則は規則ですので」
アブラボウズが言うと、釣り人の誰かが「さっき決まった規則じゃねえか」と言った。
「何者か!」
騎士たちが色めきたったが、釣り人たちはそっぽを向いて口笛を吹いている。なにこの人たち。反骨精神があって面白いんだが。
「でもあんなに大きいのに……」
ちら、ちら、と皇帝がアオリイカを見ている。まだ絞めていないアオリイカがうねりんうねりんと動いている。
ああ、これはアレか。食べたいのか。こんだけデカイアオリイカだ、どんな味がするのか興味があるんだろうな。
おれもある。
「陛下、恐れながら申し上げます。アオリイカはラズーシにおいて特別なイカ。釣り大会以外でのアオリイカ釣りは禁止されております。この者の釣ったアオリイカは騎士団が接収し、後ほど陛下に献上することとしましょう」
「おお、それはいい」だとか「ブラボウ伯爵の提案のとおりにしよう」だとか言う、アブラボウズの腰巾着貴族たち。
……は?
いやいやいやちょっと待て。大会で釣ったアオリイカは所有者が持って帰れるんだよな? ランディーが釣ったアオリイカを、大会で認めないどころか取り上げる気か?
「おい、ちょっと待て——」
「ハヤトさん、ダメです」
おれの前にリィンが立ちはだかった。
「どいて、リィン」
「ここはノアイラン帝国で、ハヤトさんはただの旅行者です。それ以上は言わないでください」
「……でも」
「いいのだ、ハヤト」
おれの肩に手を置いたのはランディーだった。
「あんな大物を釣った……その興奮でまだ身体が震えている。私はそれだけで満足だよ」
「ランディー……」
でも、でもさ。
こんなのってないだろ。
友だちのためになんとかしようとがんばったのに。ルール化されてなかったことでカウントを取り消されるのは、百歩譲ってしょうがないとしても、釣ったイカまで取り上げられることはないじゃないか。
「——皇帝陛下、一言申し上げたい」
だけどおれのモヤモヤをよそに、ランディーは皇帝へと顔を向けていた。
「下がれッ! この王国民風情が!」
「左様!! 身の程を知れ! 貴様はもはや貴族ではないのだぞ!」
貴族たちがランディーに罵声を浴びせる。
ムカつく。ぶん殴りたい——ああ、おれはこっちの世界に来てずいぶんと感情豊かになっちまった。日本で真っ黒働いていたときには釣りにも行けず、感情まで死んでしまったようだったのに。
頭がカッとなって、身体が熱くなっても、おれは動かなかった。
おれの隣でリィンが唇を噛みしめて震えていたのがわかったし、カルアがおれの後ろからぎゅっと抱きついてきたからだ。
そしていちばんは、ランディーが平然とした顔をしていたからだ。
「発言を許します」
皇帝が言うと、貴族たちは、
「なぜ!?」
「陛下、お考え直しください!」
わめき立てるが、皇帝は右手を小さく挙げてその声を鎮めた。
「ランディーは大会準優勝の釣り人なのでしょう? 彼女には当然、余と話をするだけの価値があります。——ランディー、言いなさい」
「はい。では」
ランディーが意識したのは、彼女の後方にいる——ディルアナだろう。
「ディルアナ子爵を自由にしてあげてください。彼女は腕のいい釣り人です。そしてあなたへの忠誠を誓った貴族です。自由にしたらもっとすごいものを釣りましょう」
ランディーの言葉に顔色を変えたのは、他ならぬディルアナ、そしてアブラボウズやその他の貴族たちだ。
「……どういうことです? 子爵には所有領土がないぶん行動の自由が与えられているはず」
「ほんとうにご存じないのですね。賢明なる陛下ならば、子爵の顔を見ればわかるでしょう。疲れ果てた顔を。あれが、釣りを楽しんでいる顔に見えますか?」
「!」
皇帝がディルアナに視線を向ける。その瞬間、ディルアナはひざまづいて頭を垂れた。
「……ディルアナ、顔を上げなさい」
「恐れながら申し上げます。陛下、私は過分な扱いをいただいております。これ以上なにを望みましょうか」
「余が言ったのは、顔を上げよということです。3度は言いませんよ」
「…………」
ディルアナはおそるおそる顔を上げた。
うん……おれから見てもやつれた顔だと思うよ。
よく、まあ、ここまでがんばったもんだよ。今日もデカイの釣ったし。ランディーの言うとおり、自由にやらせたらいろんなもの釣ってきそうだ。
「……ディルアナ、気づかなかった余を許して欲しい」
「な、なにをおっしゃいます!? 私は、ただ陛下のために働けることをこれ以上ない喜びとして——」
「ブラボウ伯爵」
「はっ」
怒りにゆがんだ顔でランディーをにらみつけていたアブラボウズは、皇帝に呼ばれて恭しく礼を取った。
「あなたから提案がありましたね。『女性釣り師育成のための新部門設立』について」
おいおいおいおい、そんなこと考えてたのかよ。
ディルアナが失敗したら他のヤツを立てる気満々じゃねーか。
とことん腐ってるな、こいつは。
「はい。陛下のご賢察をいただきまして、近々発足を——」
「停めなさい」
「……は?」
「もう一度計画を見直します。新部門の模範となるべき子爵にこれほどの負担があるのに、進めることはできません。『釣りを通じて人を笑顔にすべし』。これが先代王より受け継いだ言葉。大賢者と親友であった我が父の言葉です。あなたも知っていますね?」
「……はっ」
これはアブラボウズがブチ切れてますわ。おれからすればザマーミロって感じだけど……大丈夫かな? こういうヤツって切れるとなにするかわからないもんな。
アブラボウズは顔を上げるとこっちに赤黒い顔を向けた。
「おい、誰か! このイカを持って帰るぞ! 献上品だからな!」
アブラボウズは腹いせのように言うと、岩壁のアオリイカを足先で突いた。
意趣返しのつもりだろうか、ランディーを見てにたにたと笑う。あー、マジでムカつくわ……。イカを蹴るなよ、イカをよ。イカに罪はないだろうが。
だけどそのときだった。
ぶしゃあああ。
アオリイカが、墨を吐いたんだ。
にたにたしていたアブラボウズの横顔に墨がぶち当たる。
その反動を利用してアオリイカはごろんと転がると、岩壁の縁から滑り落ちる。
どっぱーん、と飛沫を上げてアオリイカは暗い海へと逃げていく。
「…………」
墨まみれのアブラボウズ。
皇帝が顔を横に背けてぷるぷる震えている——笑いをこらえている。
「ぶほっ」
誰が噴き出したのが最初かはわからない。
だけどその笑いは爆発的に伝播して釣り人たちを爆笑の渦に包み込んでいく。
「くっ、こ、くっ……も、戻るぞ!! こんな臭いところにいられるか!!」
おれやランディーはかろうじて笑いをこらえていたが、アブラボウズが腰巾着を連れて帰っていくと、さすがにこらえきれずに笑ってしまった。
アオリイカ、お前、やっぱ最高だわ。