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46 アオリイカ例大祭・釣り大会最終日

 ずらりと堤防に並んだ釣り人たち。

 朝焼けが東側――山の稜線に現れたころ、ジャァァアアン、ジャァァアアンという銅鑼の音が聞こえてきた。

 釣り大会開始の合図だ。

 そう、それは2週間ほど前にハヤトが見た光景とほとんど変わらない。

 空の色が夏の様相を帯びてきて、肌寒さはまったくなくなって。

 釣り人たちの顔が、大会最終日を迎えて引き締まったことをのぞけば。


「……よし」


 びゅうびゅうと竿がしなってあちこちでキャストされる。

 目の下にクマを作ったランディーは、鈍い金色に輝くリールを手に、最終日の第1投を放った。


「!?」

「んなっ!?」

「ありゃなんだ!」


 釣り人たちが驚きの声を上げる。

 弧を描いて飛んでいく、蛍光ピンクのエギ。

 リールから吐き出される白銀の糸は朝焼けを受けて熱せられた鉄のように輝いていた。

 エギは、他の釣り人ではまったく届かない場所へ着水した。

 さあ、ランディー。

 ここから1時間が勝負だ。


 アオリイカを釣るには夜間のほうがいい。夜のほうがイカの活性が高いからだ。

 だけれど今回の大会は日中だ。

 そうなると朝と夕、日の出日没周辺の時間が最も狙い目となる。


「むっ!? お、重いぞっ……」


 着水後、エギはゆっくりと沈下(フォール)していく。

 最初のフォールでイカが食ってくることが多い。

 竿を引いて合わせたランディーは、ずしりと手元に来る重さに顔を引きつらせる。

 彼女がこちらを振り向く。おれはうなずいて返す。リールからジジジとフワフラ糸がどんどん出ていく。大丈夫、想定通りだ。

 ランディーがリールを巻いていく。ジィーと音を立てながらリールは糸を回収していく。

 海面に現れたのは——。


「でかいっ」

「こいつぁいいサイズだ」

「タモ入れ!」


 おれは飛びだしてランディーの横に並んだ。釣りの手伝いをしてはいけないルールだが、タモ入れ——釣り上げる際に網を入れて補助する行為は許されている。

 網に、イカが入り込む。おれは柄をたぐり寄せてアオリイカを引き揚げる——重っ。めっちゃ重い!

 周囲の釣り人たちがどよめく。

 抜き上げられたアオリイカがぶしゅーと墨を吐いた。


「すごいぞ、ランディー! 記録更新じゃないか!?」


 胴長で30センチ以上はある。2キロ行ったか?


「は、ハヤト……ほんとうに釣れた……」

「なにぽかんとしてんだよ、ランディー。こっからが勝負だぞ。まだ1杯しか釣ってないんだからな! 時間との戦いなんだ!」

「! そ、そうだったっ」


 すぐにエギを外してランディーはキャストする。

 驚くのも無理はない。おれだってこんなピンクのルアーにイカが食ってくるなんて眉唾だと思っていたもんな。

 でも、実績のあるルアーなんだ。

 おれには勝算があった。


「ハヤト、次のイカがかかったっ!」

「タモ要るか!?」

「頼む!」


 立て続けに2杯、アオリイカを釣り上げる彼女に他の釣り人たちはますます注目する。

 でも、リスクだって当然ある。


「あっ……」


 彼女の口から気弱な声が漏れた。

 ぎゅん、としなる竿。

 あれは、


「根掛かり……!?」


 釣り人の背後、リィンやカルア、スノゥのいる場所に戻ったおれ。

 根掛かりの対処で補助することはできない。


 エギングでの釣りはエギを沈めることがポイントだ。そのあとに、ちょん、ちょんと竿をしゃくって、手前にエギを引き寄せる。まるでエビが泳いでいるように見せる。

 だけれどイカが食ってくるのはエギが沈むときがほとんど。

 だからなるべくエギを沈めようとしてしまう。沈めすぎたときに待っているのは——根掛かり。通称「地球釣っちゃった」だ。


 これはおれたちにとっていちばんのリスクだった。

 なぜなら、エギがもう他にないからだ。

 おれはエギングほとんどやらなかったからな……持ち歩いてないんだよな。

 1点もの。

 つまり、根掛かり紛失(ロスト)したらエギング終了だ。


 このリスクについてはランディーも十分理解している。

 だから彼女は焦る。なんとかエギを回収できないか、と——。


「——あっ」


 ふわぁっと竿先が軽くなる。リールを巻くと海面にエギが現れる。エギの針には海藻が絡まっていた。

 明らかにほっと胸をなで下ろすランディー。

 見学してるこっちも一安心だ。


 ——おいっ、なにをしている。

 ——昨日までと同じようにやっているんですが……。

 ——投げ込みが足りない。どんどんやれ。


 ランディーの周囲で男たちの声が聞こえてきた。

 ササミが海に投げ込まれる。

 これが嫌がらせか。

 自分たちの釣り竿では本来届かない、ランディーのキャストでようやく届く海面に向かってもササミを投げ込んでくる。


「おい、お前らなにやってんだ」

「そうだぞ。あんなことやったら釣れなくなる」

「大体海を汚すな」


 これには他の釣り人たちからも苦情が上がるが、


「ルール内だ。不当な言いがかりはつけないように」


 係員がにらみを利かせると釣り人たちは黙り込む。


「思っていた以上にひどいですね……」

「ああ。こんな状況でランディーもよくがんばってたよな」


 リィンの言葉に、おれはうなずいて返した。

 ランディーはそれからもう1杯釣ったが、そこで、おれたちの「勝負所」と決めていた開始直後1時間が過ぎてしまった。

 ディルアナは16杯。ランディーはこれで14杯。

 3杯か……上出来だろうか? いや、勝つことを考えたらもう1、2杯は欲しかった……。

 ディルアナだって今日、釣果を追加する可能性がある。


 ランディーは一度、釣るのを止める。

 タックルやエギの確認だ。ふだんやっていない投げ釣りをしているのだから、装備に傷がついていないか確認する必要がある。


 だけど目的はそれだけじゃない。ランディー自身の疲労回復だ。

 昨晩、エギングで釣果を伸ばす作戦を伝えてから、ランディーにはエギの使い方を教えた。釣り方の注意やおれが気になっていた懸念点を教えると時間はいくらあっても足りない。

 1時間かそこらしかランディーには眠る時間がなかった。くわえて、大会も最終盤になっていてこれまでの疲労の蓄積、ランディー自身の勝とうとする意気込み。彼女自身、すでに体力の限界にあると見て間違いない。


 だから、途中で休憩(ブレイク)が必要なんだ。

「釣り具を確認しろ」という「目的」をしっかり与えないと、ランディーは釣り続けてしまうと思った。彼女の額には玉のような汗が浮いている。陽射しもきつくなってきた。

 ここからが勝負だぞ、ランディー。


「ハヤト様。ランディー様はすぐに3杯釣りましたけど、他の人は全然釣れてませんね」


 カルアが純粋に不思議がっている。


「うん。もう“スレ”きってるんだろう」

「すれ……ってなんですか?」

「魚ってのは学習するんだよな。同じ仕掛け、エサを使っていると、それが魚にとって危険なものなんだって学習する。これを『スレる』という」


 その釣り場で絶対釣れるという「鉄板」仕掛けやルアーであったとしても、みんながみんな同じものを使っていると魚はすぐにそっぽを向く。

 ルアーフィッシング業界では「ハイプレッシャー」とか言うんだけどね。なんで英語にしたがるのか。「エギングはエギのフォールでバイトさせるけどハイプレッシャーなフィールドではアピールできるカラーをそろえて」——とかふつうに言うからな。おれもだいぶそんな用語に染まってきてるけど。

 ともかく、この湾内はこの1カ月大量のササミを放り込まれているんだ。スレきってると見ていいだろう。


 勝負できるなら湾の入口だ。外から入ってくるアオリイカはまだササミを食っていないから、スレていない。

 だけど湾の入口に陣取っているのはディルアナであってランディーじゃない。

 こっちはこっちの戦い方をしなきゃいけない。


「だからハヤト様はエギで釣りをするようにランディー様に伝えたんですか?」

「そういうこと」

「これだけ釣り人がいるんですから、カルアはもうアオリイカがいないのかなって思っちゃいました」

「イカはいるよ。それはランディーがさっき釣って証明した」


 かなりポテンシャルの高い湾だとおれは思っている。

 まず広い。

 それに深さもある。

 海藻もしっかり生えているしアオリイカが食べるイワシやアジなんかも十分な数がいる。

 いないわけがない(そしておれも釣りたい)。


「あっ、ランディー様がまた投げますよ」


 ひゅんっ、と軽い音を立ててキャストする。エギが飛んでいく。

 ランディーの姿勢はとてもいい。直立不動で竿を握っている。元貴族だから姿勢がいいんだろうか。それともランディーという人間がそうなんだろうか。

 いつもだったら、もうちょっと肩の力を抜けよとおれは言うだろう。

 でも、今日は違う。今日しかない。ランディー、がんばれ。無理をしてもいい。

 プライドばっかり肥大した帝国貴族の鼻を明かすために。友だちの心を救うために。




 釣果に変化がないまま正午を迎えた。これはランディーだけじゃなく他の釣り人たちも同じ状況だった。太陽が南に上がり、どぎつい陽射しを降らせてくる。風がそよとも吹かないので暑い。だけど釣りをする立場で見ると、風に影響されないから釣りやすい環境ではある。

 そんななか、ジャァァアアン、ジャァァアアンという音が聞こえてくる。

 えっ——もう終わり!? 日没までだろ!?


『皇帝陛下、御来駕』


 魔法による拡声器でアナウンスが聞こえてきた。

 そうか、最終日は皇帝が来るんだっけか。そのお知らせかよ。びっくりした……銅鑼使わないでくれよ。

 湾に面して櫓が組まれており、そこにひとり——おれたちがいる場所からは米粒にしか見えないけど、緋色のマントを羽織った人が上がっていく。

 うわああ——と歓声がすごい。やっぱりあれがノアイラン帝国皇帝か。皇帝が手を振ると歓声はますます上がる。

 ランディーも「へー」って感じで見てる。ディルアナは地面に片膝を突いて臣下の礼を取っている。

 ここからだとはっきりそうとは言えないけど、どうも皇帝はディルアナの方向を見つめている気がする。そりゃ、現在1位の帝国貴族だもんな。


「……ん?」

「どうしたの、ハヤト」

「いや……ディルアナのところの様子が変だなと」


 スノゥにそう言うと、彼女もそちらを見た。

 皇帝への礼が終わり立ち上がった彼女が、竿や仕掛けを引き上げているのだ。

 そうして後ろにいるお付きの人たちになにか告げている。あわてたような雰囲気……? なんかもめてるような。


「ハヤトッ、タモを!」

「!」


 ランディーの声に、おれは立ち上がった。ランディーの竿がしなっている。引き上がってくる茶色いイカ——アオリイカ。

 デカイ。


「よしっ、入ったっ」


 おれがタモに入れてアオリイカをすくい上げると「ふぅーっ」とランディーが大きな息を吐く。


「15杯目。あと1杯でディルアナに並ぶ」

「昼に釣れたのは大きいぞ」

「ああ……私はやるよ、ハヤト」


 力強い言葉。

 ランディー、お前カッコイイよ。男前だよ。

 あとは夕マヅメが勝負だ。

前半好調のランディー。エサ釣りの中で誰も届いていない海域にルアー放り込めるんだから強いです。ラン&ガンで移動しながら釣れればもっと良かったでしょうけど。

どうでもいいですがアオリイカってネンブツダイの泳がせでも釣れるらしいですね……。


次回、決着。

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