39 海竜から見える世界 3 そして、釣りより大事なもの
彼女は自由気ままに泳いでいた。海竜なのだ。海の覇者なのだ。彼女を止められる者などどこにもいないのだ。
『お嬢、人間はまた釣り大会をやっているらしいぞ』
そんな情報がもたらされたのは、やはり知り合いの年老いた海竜からだった。
『生意気ね、荒らしてやるわ!』
『ふぅむ。だがそううまくいくかのう? なんせ今年の「連中」はすごいのだ』
『……連中?』
海竜の少女は、詳しく話を聞いた。
『へえ』
聞いたあと、彼女の顔に浮かんだのは——冷笑だった。
『そんなら、あたしが食らい尽くしてやるわ!』
『またそんな強い言葉を口にして……注意しなさい。ワシは忠告したからな?』
年老いた海竜はすいーと去って行った。
『小魚ばかりで飽きていたのよ。たまにはイカも食べたいわ!』
そうして彼女は泳いでいく。
× × ×
フワフラの捜索にはおれとリィンが当たり、スノゥとカルアは「糸流細細工房」に残ることになった。
理由は簡単で、「糸流細細工房」の糸を紡ぐ設備の手入れが必要なのだ。
3年も使ってないからほこりが溜まっている、と。
あとはスノゥも、設備に興味があるから自ら残りたいと申し出てくれ、カルアもモンスター回収より掃除のほうが役に立てると思ったんだろう。
モンスター回収……そうだよな、フワフラはモンスターなんだよな。
「? どうしました、ハヤトさん」
戦闘は全面的に天使にお任せします。
「いや、なんでもない。馬車はあるかな?」
「問題なさそうですね。さすがは帝都、といったところでしょうか」
天使とふたり旅。わくわくしないと言えばウソになる。
工房長と話をした翌朝、おれとリィンは乗合馬車の乗り場に来ていた。
朝いちばんの馬車に乗り込む。
馬車は楽なんだけど便を確認しなくちゃいけないのが大変だよな。うぅむ、乗馬を覚えたほうがいいんだろうか。自転車とかないんだろうか……。
「ハヤトさん。ここまで急ぐ理由はあるのですか?」
「え?」
「いくらカルアちゃんとスノゥさんの意志とはいえ、出会ったばかりの工房に置いていくとは……いっしょにフワフラを見つけてから、戻ってもいいのではないかと」
「ああ」
実は昨晩、その話もすこしした。
得体の知れないジイさんの工房に、ちびっこ2名を置いていくことについてだ。
リィンは心配していたしおれも心配だったのだけど、カルアとスノゥは逆だった。
スノゥは技術に対する探究心の強さで理解できる。でもカルアは——たぶん、今回ラインが切れたことが自分のせいだと思ってるんだろう。それをすごく気にしている。「気にするな」って言われても気にしちゃうことってあるよな。借りたルアーを一発根掛かりロストしちゃったりして、「だ、大丈夫……」って震え声で言われても気にしちゃうよな。弁償しました。それ以来その人とは釣り場で会ってもぎくしゃくしました。
コルトのオッサンに工房長の評判についても、非常に堅実な生き方をしてきたと確認できた。借金があるというのは工房を閉じた結果、収入がないから軽い借金がある程度だということもわかった。宿から工房へ通うようにしたから夜もまあ大丈夫。ボディーガードととして2人の冒険者も金で雇うことができたので、カルアとスノゥを残していこうという決断ができた。
「お金はかかったけど、身の安全も生活も大丈夫そうだから」
「うぅむ……そうですね。わたくしたちがついていても完全に安全というわけでもありませんしね」
「やっぱり帝国にいるから不安がある?」
「不安がないと言えばウソになります。ですが旅に出た以上、割り切らないといけませんね……」
苦笑してみせたリィン。
彼女は騎士としておれの身の安全を守るように言われている。だからこそ、おれ以上に心配してくれるのだろう。カルアとスノゥが、おれにとって大切な同行者だということをわかっているからこそ。
そういう気持ちってありがたいよな。
「では急ぐ理由はなんでしょうか?」
「ランディーのことが気になってさ」
「ランディー卿……ランディーさんですか?」
元貴族ランディー。リィンの中では貴族のイメージがあるんだろうな、ランディーは。
「釣り大会さ、間に合うようならフワフラ糸を巻いたこのリールを見せてやりたいんだ。おれのラインを切ったとか、そういうのを気にして釣るのはつまらないじゃん。フワフラ糸を使うか使わないかは別にしても気分良く釣って欲しい」
「ハヤトさん……」
リィンが微笑む。おや、彼女の背後から光が射してくる。天使かな?
「ほんとうにハヤトさんは、釣りがいちばんなんですね」
「え? い、いや、そうでもないよ?」
「そうでしょうか?」
「ちゃんと釣り以上に大事なものがある」
「あら。なんでしょう?」
おれはリィンを指差した。
「……え?」
「釣りよりもリィンのほうが大事だ」
「え? え? え——」
「ランディーも、カルアも、スノゥも大事だ。みんな仲間だから」
「あ……あ、あ、は、はい、そうですよね! みんな大事な仲間ですもんね!」
リィンはぽん、と手を叩いた。……なんか頬が赤い。どうしたんだろう、後光を浴びすぎて暑いのかな?「もう……驚きました……」とぶつぶつ言ってるけど。
「というわけだけど、まあ、フワフラばっかりにかまけてはいられないんだよな。魚も釣らないとね。お金がこれですっからかんだ」
ボディーガードはコルトのオッサンが紹介してくれたから、かなりの腕利きを格安で……ということだった。
それでもふたりで1日金貨1枚。2週間分、14枚を前払いした。
イナダの賞金である金貨20枚はこれで大半が吹っ飛ぶ。
「あれ……? ハヤトさん、そんなに無駄遣いしましたっけ?」
「ん? 釣り勝負で釣った根魚を売った代金と、イナダを釣ったときに王様からもらった報酬で、金貨23枚だろ? 旅費とか宿泊費とかあれこれ引いて、さらに冒険者雇用で金貨14枚で、あと金貨3枚くらいしかないな」
「え……? え?」
リィンの表情が青ざめる。
どうしたんだろう。おれの計算間違ってるのか? 不安になってきた。いや、合っているはずだ……。
「ハヤトさん」
「は、はい、なんでしょうか」
「魔サバは?」
「ん?」
「魔サバの報奨金は?」
「報奨金? そんなものあるの?」
「ありますよ!?」
リィンが身体を浮かせて大声を上げたので、他の乗客たちがびくりとしてこっちを向いた。
「でも、おれも魔サバ食べたし。料理もしてもらったし。名誉国民みたいなのにもなったし。だからそれでチャラなんだろ?」
今思い出すだけでつばが出てくる。あれめっちゃうまかったな。また釣りたい。ていうか釣ろう。これから秋になったら青物のトップシーズンだ。いや! 冬の寒サバ狙いも捨てがたい……しかしそうなると沖に出る必要がある……ううむ。
「そんな……バカな……」
よろよろと座り込むリィン。
どうしたんだ。顔色の青い天使なんて気の毒すぎる。なんとかして慰めてあげたい。
「リィン、どうした?」
「え、ええと、その、魔サバについてですが——あの……ちょ、ちょっと王国に手紙を出したいことができました」
なんか確認が必要なんだろうか。まさか、魔サバ食べちゃいけなかったとか? んなわけないか。王様が率先して食ってたし。
「あなたは釣り人ですか?」
と思っていると他の乗客に話しかけられた。
「ええ、まあ……」
「そうですか! どちらで釣っておられます? いやあ、私は実は趣味でちょっとやっておりましてね」
「そういうことなら私もやっておりますよ」
「私も」
他の乗客たちも反応する。
隠れ釣り人多い。うれしい。最高すぎる。
おれは、乗客たちとの釣りトークを大いに楽しみながら目的地へと向かった。
ちょこちょこ修正していますが、ちょっと前にあった皇家のテーブルクロスで「金貨20枚」を「魔サバの代金で払う」とありましたが、これは「イナダ」の間違いでした。
「魔サバ」はもらってませんでしたね。それに気づいたリィンが青ざめます。
海竜の子が出てきました。彼女のシーンは短いので、話として独立させずにおきました。