38 エギでエギング、アジでアジング、だがチヌでチニング、てめーはダメだ
連れてこられたのは帝都に隣接している港だった。こぢんまりとしているが、小舟はほとんどない。水深が15メートル以上の場所が点在しているために海竜が入り込むことも多く、手練れの船頭でないと船を扱えないからのようだ。
倉庫街が真横なので人通りは少ない。おれは工房長の前で海中に目を凝らす。
……海藻が海中で揺れている。うーん、2メートルくらい潜らせたら海藻に引っかかりそうだな。
でもコンディションとしては十分だ。
「で、どんな釣り方をするって?」
工房長が腕組みしてこっちを見ている。威圧感あるな。
おれは、ラズーシで釣りができなかった恨みをここで晴らすべく、あるルアーを手にした。
「ん? ……なんだそりゃ?」
「エギです」
エビの形をしたルアーだ。
このエギを使ってイカを狙う釣りをエギングと言うんだけど、エギって餌木って日本語なんですがそれは。
まあそれを言ったらアジを狙うアジングに、黒鯛を狙うチニングとかこれもうほんとわからねえな。
「エギだと!? いや、お前そりゃあ……とんでもない色じゃねえか……」
こっちのエギはササミをまくためのもので、エビの形をしつつもその外側をいろんな色で塗ったりしている。イカにアピールする目的だ。
だけど塗料がそんなに発達してないから、くすんだ赤一色くらいが限界。
対しておれが取り出したのは——蛍光ピンクに金ラメ。「とりあえずエギングやるなら1つ買っておけ」という定番モデル。あとはレインボーや蛍光オレンジも人気がある。
ほとんどエギングはやらないけど、ちょびっとは持っている。持っててよかった、エギ。
「ハヤト! それを売って——」
「ごめん、売れない」
「——だよな……」
途端にしょんぼりするコルトのオッサン。釣具屋的に気になるのはわかるけど、これももう手に入らないんだよ……日本なら100円ショップにもあるんだが。つーか最近の100円ショップすごすぎな。延べ竿まであったぞ。どこへ行こうとしてるんだよダ○ソー。ほんとお世話になりました。
「そ、それで、ササミはどうやってまく?」
「いや、巻きませんよ」
「む?」
「このまま投げます」
エギが結び終わったので、おれはキャストして見せた。
「…………」
ぽかん、と大口を開けている。
あ、そうか、そもそもここに、投げ釣りを見せにきたんだった。
「あっ、今ので40メートルくらいですね。このロッドはエギに向いてないんで実はあんまり飛ばないんです」
「ちょちょちょちょっと待てぇい! なんだ今のは!? なんであんなに飛ぶ!?」
「あー……説明するのは難しいんですけど」
くるくるとリールを巻いてエギを回収するおれ。
……ん?
おい。
おいおいおいおい。
イカが追ってきてる! 追ってきてるじゃん!
「見たことないぞ!? 説明してくれ!」
「…………」
「ハヤト!?」
おれはもう一度キャストした。
「すみません、スミマセン……」
「ハヤト?」
「すみません……」
「ハヤト!?」
イカがいた。アオリイカが。リールの説明している場合じゃない。
「ハヤトの釣り魂に火が点いた」
「あうぅ」
「ハヤトさん……」
女子3名の呆れた声が聞こえたような気がしたけど、いや、だってさ! いるんだもの! アオリイカが、そこに!
本来なら着底するまでカウントして、そこからしゃくる。
だけど海藻が生えていることがはっきりしているから、底まで落とすと根掛かりしてしまうだろう。早めにロッドをしゃくってやる。
エギングの基本は、軽いしゃくりと、リールでのライン回収だ。
くん、としゃくると、海中でエギが跳ねる。跳ねたエギが沈む間にラインを巻き取る。もう一度しゃくるとエギが跳ねる。ラインを巻き取る。これの繰り返し。
エギは1回ごとに、右、左、と左右に跳ねるように設計されているので、水中をエビが跳ねながら移動するようにアクションする——。
「むっ」
ジイイ、とリールが鳴る。
緩めにしておいたドラグが鳴っているんだ。
竿先が重い……めっちゃ重い!
のった。
イカがのった!
おれは竿を立ててリールを巻く。巻く。巻く。巻いていく——と。
「んなっ!?」
「おおおおおお!!」
オッサンとジイさんが叫ぶ。
エギを抱いたアオリイカが海面に現れたのだ。
「タモ!」
「ねえよ、タモなんて!」
「誰か持ってきて!」
リィンが弾かれたように走り出した。間に合うか? このままぶっこ抜くことも考えたけど、重すぎる。無理だ。
こっちは気が気じゃない。エギの針には「かえし」がついていない。ただ引っかけるだけ、みたいなもんだ。アオリイカがエギを離せばそのままサヨナラだ。
「ハヤトさん、これで!」
「おう、頼む——ひえあ!?」
おれが変な声を出したのもしょうがないだろ。
だって、リィンは、
「槍ぃ!?」
槍持ってきたんだから。
「せええい!!」
ドスッ、と突き込まれる。
その穂先はアオリイカの目と目の中間を貫く。
褐色の肌が急速に白くなっていく——絞めたのだ。
翡翠色の瞳がはっきりとわかる。全体的にずんぐりむっくりした形。間違いなくアオリイカだ。
「引き上げます!」
槍を軽々と持ち上げる。ざぱあっ、と飛沫が舞う。
「お、おう……」
こんな豪快な抜きあげ、初めてだわ……。
しかも上から海水がぼたぼた落ちてきて、おれの頭から濡れたわ……。
「あ、は、ハヤトさん、すみません!」
あわてたリィンが可愛いから許す。
しかしデカイ。
つーか重い。2キロはあるぞこれ……。
サイズからして化けもんだ。胴だけで30センチは軽く越えている。
ランディーが釣ったヤツもなかなかだったがこいつはもっとデカイ。
「すごいですぅ!」
「いやおれもびっくりだ。こんなところにいるんだな」
「……ハヤトさん、ほんとうは狙っていたでしょう?」
「ね、狙ってないよ」
「ほんとうですか?」
「信用ないな!」
「釣りに関しては……すぐに信用できないと言いますか……」
疑心暗鬼になっているリィン。
「おれが今までリィンにウソをついたことはあったか?」
「うぅっ……あ、ありません!」
「ほら」
「うぅ……」
信用するべきかどうか迷っているリィンも可愛い。まあ、今回はほんとに特になにか目算があったわけじゃなかったんだけど。
そもそもアオリイカなんて釣れなくて当然。足で稼ぐ釣り、っていうイメージだったもん。
「…………」
「…………」
ぽかんとしているオッサンと工房長。
忘れてた、この人たちのこと。
「あ……えーっと……イカ、どうしましょう? 食べます?」
オッサンと工房長が顔を見合わせた。
アオリイカを食べてもよかったのだが、昨日も食べたし、コルトのオッサンが高く買ってくれるというのでお任せすることにした。卸を通して売りさばくということらしい。
オッサンが去って行き、おれたちは「糸流細細工房」へと戻ってきた。
「……なるほどな、お前が自信満々に150メートルも欲しいと言った理由がわかったぜ」
自信満々に言ったわけじゃないんだけども。150メートルはかなり一般的な長さだし。
「だが……ちょっと150メートルのフワフラ糸を造るのは難しいかもな」
「えっ」
「材料が不足しているんだ。フワフラっていうのはだな——」
工房長が説明してくれる。
フワフラは、どうやら「モンスター」扱いらしい。海を漂う糸状のモンスターで、ふわふわゆらゆらしているのだとか。おれの中でフワフラはマリモのイメージとして固定されつつある。
生産量——討伐数や捕獲数が一定せず、「糸流細細工房」以外に買い取り先もないためにどんどん破棄されるのだとか。
「フワフラ糸のサンプルはこれだ」
「おお」
糸は、完全なる白だった。
太さで言うと2号程度。おれが使っているラインとほぼ同じ太さだ。編み込み方も非常によく似ている。
……すごいな。素材も、編み込みも、現代日本のPEラインに勝るとも劣らない。
これはいける。
むしろこれ以上ない釣り糸じゃないか。
異世界すげー。
「なあ、ハヤト。お前のラインはどうしてあんなにカラフルなんだ?」
「ああ、25メートルごとに色が変わるんですよ」
「ふむ……切れたときに残りの長さを確認できるように、か?」
「そうじゃなくて、投げたときに自分が何メートル投げたのか知るためですよ」
「……その発想はなかったな」
ほんとにこの世界に投げ釣りはないんだな。
「材料があれば150メートルのフワフラ糸は造れるんですか?」
「……あ、ああ、造れる」
「じゃあ、おれたちが材料を調達すればいいですね」
「それはそうだが……しかし、ワシはもうやる気がない。借金もずいぶんかさんだしな」
「借金は働いて返せばいいでしょう? いくらかならおれも負担しますよ」
「なんだと? どうしてお前が金を出す」
「釣りを続けるにはどうしてもフワフラ糸が必要なんです。先行投資ですよ。それに——工房長は言っていましたよね。フワフラ糸を使いこなせるヤツがいないって。おれの釣り方はどうですか?」
「むう……しかしお前の釣り方は、そのリールがあるからこそだろう。他に持っているヤツもいねえ、1点ものだ。違うか?」
それはそのとおりだ。
投げ釣りが普及するためにはおれが使っているようなスピニングリールか、もっと扱いの難しいベイトリールが必要になるだろう。
おれ以外に持っているヤツはいない。
今は、な。
「……あたしが造る。ハヤトの持っているリールと同じもの……いえ、超えるものを」
スノゥが言った。
「嬢ちゃんが? ワシは言ったはずだ。冗談は好かん、と」
「冗談じゃない。本気」
おれは工房長の前に天秤を差し出した。
「スノゥが造ってくれたものです。おれが欲しい形を言ったら、小一時間で。朝飯前らしいですよ」
「……ふむ」
見事な造りの天秤は、これからもちょい投げの場面で活躍してくれそうだ。
「ただのお嬢ちゃんじゃねえってことか」
「スノゥだけじゃなく、コルトさんも興味深そうにおれのリールを見てましたから。『キャス天狗』で売り出される日も来るかもしれません」
「ハッ。お前は、なにがしてえんだ? この世界の釣りに、革命を起こしたいのか?」
おれは首を横に振った。
「ただ釣りができればいいんです」
でしょうね、とリィンはそこはすんなり信用した。