37 理想のラインを探しに
宿に戻るとスノゥも目を覚ましていた。いつもよりいっそう眠そうな目をしているのが可愛らしい。もうおれは保護者的な感覚になってきている。
「そう……ラインが切れたの」
釣り大会であったことを説明する。カルアがすぐにも泣きそうな顔をしているのでその間おれはずっとカルアの頭をなでている。大丈夫だぞー。道具にも寿命はあるんだぞー。それが今日だったってだけだぞー。
「替わりになるラインが必要なんだけど、この手のラインってどこか造ってるところを知らないか?」
「釣具屋で売っているものではダメなの?」
「あれはちょっと……」
天蚕糸だしなぁ。PEとまでは言わないから、せめてナイロン糸が欲しい……無理か、無理だよなあ。
「なにが違うのですか? 釣具屋の糸と、ハヤトさんの糸とでは」
「あー……強度が違うんだよね」
「強度……」
「リィンにもわかりやすく言うと、おれの使っているこの糸は、細くても非常に強力なんだ。引っ張られる力に対して特に強くて、横からの傷に弱い。より細い糸を編み込むように造っているんだ」
「へえ……」
おれがリィンの鼻先に掲げたリール。そこに巻かれた糸をじっと見つめている。
「PEがなくとも、それに準じるようななにかがあるといいんだけど——」
「……フワフラ」
ぽつり、とスノゥが言った。
「ん? なに?」
「『キャス天狗』のコルト会長が言っていた。ハヤトのリールを触ったあとに、フワフラ、って……」
あの釣具屋社長か。おれは覚えてないけど、スノゥが覚えているのならそうなのかもしれない。
「ってことは、あのオッサンにはなにかアテがあるのかな?」
「かも」
行ってみる価値はあるな。
乗合馬車にぎりぎり乗り込めた。帝都に戻ったのは昼も過ぎてから。食事をとってからキャス天狗本店へと向かうと、案の定そこにコルト=パーイナス、すなわちオッサンがいた。
「おう、昨日の今日でどうしたい?」
オッサンがいたのは「キャス天狗商会長室」。派手さもきらびやかさもなくシンプルな部屋だが、よく磨かれたテーブルやイスの輝きは美しい。きちんと手入れされている。
「オッサンが、なんかあったら来いって言ったから来たんだ」
「まさかまた魚を釣ってきたのか? 買い取ってやると言いたいところだが、実は鮮魚の卸から文句言われてよお、そっちを紹介してやるぞ」
「え……なにか迷惑をかけたってこと?」
「そうじゃねえ、そうじゃねえよ! むしろ逆だ。アオギスなんてなかなか出回らねえから、貴族連中が買っていったんだ。卸したのが鮮魚じゃなくて釣具店ってなことになったから鮮魚卸の面目丸つぶれだろう? お小言をちょうだいしたってわけだ。まあ、俺っちからしたらいつものことだ」
「そ、そうなんだ」
なんかめんどくさそうだな、そういうビジネス。
釣具店なんだから釣り人と店員と、それだけの関係でいいじゃない。「最近なにが釣れてる?」「シイラが回ってますよ」こんな程度でいい。
「それで、ハヤトの用件は?」
「うん——」
おれはラインが切れたことを説明した。
「フワフラ、ってなんなんだ?」
「ああ、その話か……その前にちょっと聞きたいんだが、ハヤトのそのラインは、どうやって造ったんだ?」
「おれは知らない。釣り人だし。でも断言できるけど、おれが作り方を知っててもたぶんオッサンたちじゃ造れない」
「ほう……」
オッサンの目がぎろりとこっちを見据える。
いやさ、しょうがないよな。PEとか完全に人工物だもん。工場で量産されるようなヤツだよ。文明的に全然造れっこない。
「まあ、いい。フワフラについて教えることは構わない。フワフラを使えばこれによく似たラインを造ることができるはずだ」
「マジで!?」
喜ぶおれたち。
「だがなあ……ちょっと問題があって」
「問題?」
「その工房、つぶれそうなんだわ」
オッサンが言うには、フワフラという素材を使える工房は帝国広しといえどもその工房ただ1つ。
だが、工房長はすでに老齢で跡継ぎもいない状態。
さらにはフワフラの入手量はまったく安定しないために3年ほど前に「フワフラ糸」を造って以来、工房の操業は止まり、工房長も腰を痛めて寝込んでいるのだとか。
「オッサン、ついてきてくれるのはうれしいけど、仕事とか大丈夫?」
その工房へ向かう道すがら、おれはオッサンにたずねた。
「おお。店は若いもんがやりゃあいいんだ。俺っちはふんぞり返るのが仕事みたいなもんだからよ」「ふぅん……?」
「今から行くそこもよお、そういうふうにやってくれたらよかったんだが。若手が育ってくれりゃあなあ」
確かに。
PEラインはメチャクチャ優秀だ。おれがこの世界で釣りを続けるにあたっては、是非ともPEラインに近い性質のラインが安定供給されるようになってほしい。
「ここだ」
帝都の裏道をうろうろすること20分。
着いたのは……古ぼけた家だった。
「糸流細細工房」と書かれた看板が出ているが、看板に蜘蛛の巣張ってるぞ。
オッサンは気にすることなくドアを引き開けた。
「おーい、工房長、いるかあ?」
声を掛けながらオッサンが中に入っていく。
いいのかな? と思いながらも、釣り糸を造るのがどんな工房なのか興味が勝って後をついていく。
繊細な仕事なんだろうな。PEとか編み込む前の1本1本はめっちゃ細いし。
入ってすぐは商談用なのか、小さなカウンターと、テーブルがある。
壁にはいくつかの糸が束になって置かれているが、うっすらほこりをかぶっている。
というかすでに空気もほこりっぽい。
「アァ!? 金なら返さねえぞ!」
だみ声が奥から聞こえてきた。どっすんどっすんと音を響かせて現れたのは、2メートルを超えようという男。
筋肉はもりもり盛り上がり、シャツはぱっつんぱっつんだ。
頭はつるんと禿げていて、口ひげは暴走するように生えている。
「——なんでえ、守銭奴コルトか」
「守銭奴たぁ、言うじゃねえか。工房長よ」
工房長。
この人が?
老齢。フワフラ、なんていうフワフワした感じの素材を扱っている工房長。工房の名前は「糸流細細工房」。こりゃもう吹けば飛ぶような工房長が出てくるに違いない、とおれは心のどこかで思っていたんだろう……そんな思いを吹っ飛ばしてくれました。筋骨隆々であります。腰を痛めて寝込んでたとかウソだろ?
「フワフラで道糸を造ってくれねえか?」
「チッ、お前ぐれえだよ、そんなことをワシに言ってくるのは。だが、時代ってもんがある。ワシが造っても使いこなせるヤツもおらん。ならばワシとともにこの技術も墓まで持っていくと決めたのだ」
「相変わらず極端だなあ。使いこなせるヤツがいるんだよ」
「ハッ……まさか、お前の後ろにいる、そのヒョロガリか? まさかそっちのお嬢ちゃんたちってことじゃああるめえ」
はい、ヒョロガリです。
いやいや、ヒョロガリってほどじゃないよ? 工房長に比べれば筋肉が少ないってだけで……うん、ヒョロガリじゃないと思う、うん。
「ハヤトはかなりの腕前だ。俺っちも見たことないような釣り方でアオギスをぽんぽん釣ったんだ。あの『皇家のテーブルクロス』で、だぞ?」
「守銭奴にしちゃあえらい入れ込みようじゃねえか。まあ、欲しいなら売ってやる」
「なんだ、いいのか?」
「在庫ならな。何メートル欲しいんだ? 確か30メートル巻きが数本あったぞ」
「…………」
「…………」
おれと顔を見合わせるオッサン。
「……なんでえ、そのムカつくアイコンタクトは。はっきり言え。何メートル欲しい」
「150メートルです」
「……今、50メートルっつったか?」
「ひゃくごじゅうメートルです」
「…………」
今度は工房長が黙り込む番だった。
やっぱりこの世界は投げ釣りがマイナー過ぎる。
王都の沖磯釣り勝負で、ゲンガーがぶん投げていたけどあれはやっぱり異端だということなんだろう。ゲンガーすごいぞゲンガー。なんとか伯爵といっしょに罰せられてなきゃいいけど。ゲンガーはそんなに悪い人じゃないような気がするんだよな。
アレだ、「趣味は海釣りなんです」とか新入社員に言われると無条件に親近感が湧くアレだ。
「コルト。ワシは冗談は好かん」
「俺っちだって笑えねえ冗談は好きじゃねえよ? 信じられない気持ちもわかるが、こいつは——」
言いかけたところで、工房長は手を開いて押しとどめる。でっかくて分厚くてごつごつした手だ。
「ならば、だ。実力を証明してみろや。ほんとうに150メートルも必要だっていう釣りを、ワシに見せてみろ」
ほう……実力を見てみたいということか。
「わかりました。お見せしましょう。この辺りに堤防はありませんか。できれば海藻がしっかり生えているようなところがいいですね。行きましょう今すぐ行きましょう」
「お、おう……たいした自信だな」
おれと工房長が話していると、後ろから、
「……これはハヤトさん、ただ釣りに行きたいだけですね……」
「……あうぅぅ……」
「……堤防の指定までしているあたり、よほど釣りたいみたい……」
お嬢ちゃん3名がひそひそ話していた。
次回、ラズーシで釣りができずにムラムラしていたハヤトがその欲望を解き放ちます。