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4 この切り身には「世界」が詰まってる

 で、村の集会場に連れてこられたおれ。

 釣り大会は中止になっていた。魔アジのせいらしい。なんかすまん。


「これ……台所?」


 今どき土間なんてあるのか? 水道もない。水だって瓶からひしゃくですくう感じだし。

 まな板もないが、調理台に直で魚を置いて刃物を使うらしい。

 うーん。公衆衛生どこ行った。

 包丁は種類があったが、どれもこれも刃が弱いな……。

 とりあえずお湯を沸かす。熱湯で消毒しないとやべえぞ。


「ここを好きに使ってくれて構わないが……ほんとうに魔アジを食すのか?」

「しつこい。その質問、もう5回目だぞ」

「わかった。私も男爵だ。もう2度と言わん」

「そのセリフは3回目だ」


 ランディー、お前結構面白いヤツだな? しかも真面目に言ってるだろ? 女なのに男爵とか夢にしてはジョークが効いてるなと思ったけど中身も面白いな?


「では好きにやってくれ」

「…………」

「どうした? やはり怖じ気づいたか?」

「……いや、お前そこにいるのか……っていうか、見過ぎ。な? 窓から入口から天井から、人いすぎぃ! 監視社会かよ!」

「みな、魔アジに興味があるのだよ」

「はぁ……」


 こりゃ、なに言っても引いてくれなさそうだな。

 おれはタックルケースから小ぶりのペティナイフを取り出した。

 釣りに行くと、稀に現地食いとかしてたからな。

 ……ひとりで、な……。

 ああ、釣り友だちが欲しい。


「ん……包丁を使わないのか?」

「これも小さいが、包丁代わりになる。……ここのは、悪いけど切れ味が」


 言って、おれは魔アジを見る。

 ででーん、とアジにしてはでかすぎるサイズだ。

 いくらおれが巨乳好きだとしても1メートル超えのバストを見せられるとちょっと萎える、という感覚に近い。


 相変わらず謎の色を発している。

 ……うむ、覚悟を決めねばなるまい。

 鱗を落とす。アジの鱗はほとんどないから簡単だな。


「せいっ!」


 頭から腹にかけて刃を入れた。

 ……お、おおお?

 切れ目からのぞく身の美しさ――。


「おおおおぉぉぉ……」


 ギャラリーからも歓声が上がる。

 すげえ脂。めっちゃ刃にまいてくる。

 しかもなんだこれ……きらきら光ってないか?


 おれは深く息を吐いて気を引き締める。

 ケツから包丁を入れて腹を割き、内臓(ワタ)を抜く。

 アジは胴体の真ん中から尾ヒレにかけて「ぜいご」と呼ばれる突起がある。

 これを先にそぎ落とす。

 くそ、めっちゃ脂すごい。うれしい。でもいちいち脂拭くのめんどくさい。でもうれしい。


「おお、流れるような手つき。お前は料理人か?」

「しがないサラリーマンだよ」

「さらりぃまん……?」


 背ビレから包丁を入れて三枚に下ろしていく。

 頭と中骨は、汁物に使えるか? アジでダシとったことなんてないけど、この脂とサイズだと捨てるのはもったいないもんな。

 ワタは……要らんな。肝とか食えるのかな? 青魚の肝は食べたことがないな。

 三枚に下ろされた身から、腹骨をそぎ落とす。

 次に皮を剥いでいく。軽く端っこを爪で剥がして、一気に剥いていく。ビニールみたいな皮が剥げるからなかなか痛快。


 それから1センチ間隔くらいで刺身を切り分け――どこにあったのか、青色の美しい丸皿を借りる。おお、冷えてるな。すばらしい。

 おれは切り身を盛りつけていった。


「刺身、完成!」


 しーん……と静まり返る台所。

 え、なんで?

 ごくり、と音が聞こえた。ああ……みんな食いたいのね?


「えっとランディー、醤油もらえる?」

「魚醤がいいか? 大豆醤油がいいか?」

「大豆に決まってんだろ……」


 刺身にナンプラーとか罰ゲームにもほどがある。生臭いってレベルじゃねーぞ。刺身にナンプラーとかそんなのにチャレンジするのはデ●リーポ●タルZくらいだ。

 刺身を持って集会場の広間に向かう。

 ……うん。

 アレだ。板敷きの広間に、膝くらいの高さのテーブルが並んで、座布団らしきものが置かれてある。

 テーブルにはワインの瓶がずらり。

 宴会場かな?


「ここって……」

「うむ。釣り大会のあとの打ち上げ会場だ」


 なんかすみません。おれが乱入したせいで大会は中途半端になって、楽しい打ち上げができなくなったようで。

 おれが大皿を持って入ると、ぞろぞろと村人がついてくる。

 おれがひとつのテーブルの前で座ると、左右から醤油と小皿と箸が出てくる。


「わさび……なんてないよな?」

「あるぞ。だが――もったいなくないか?」


 ランディーがいいことを言った。なるほど、においを消す必要がないと。そういうことだな? わさびを使ったら100%味わえないもんな。そのくせお前ら酒はワインなの? どういうこと?

 おれはわさびが好きなんだ! 所望する! ……と言いたいところだけど、言えない。いきなりアウェイの土地でそんなこと、言えない。


「よーし、それじゃあ……」


 おれは切り身を箸で取る。うむむむ……なんだこの身は。透き通っていて、なおかつ光が放たれている。皮と身の間に脂の層がはっきりと見える。

 ごくり。

 思わずツバを呑む――周囲の村人たちが。

 これだけ人数がいるのに誰もなにも言わずにおれを見ている。正確に言えばおれの箸の先にぶら下がっている切り身を見ている。


JISSHOKU(実食)!!」


 おれは醤油にわずかに浸してから一気に口に放り込んだ。ああっ、というため息があちこちから聞こえてきた。


「――――」


 な……なんだこれ?

 甘い。

 醤油が甘いのかと思ったけど、違う。

 切り身から飛びだしてくる旨みが――旨さを通り越して甘いんだ。

 しかも一噛み、二噛みすると歯に身がまとわりついて、すぐにはらりとほどけ、旨みが指数関数的に追加されていく。

 臭み? あるわけない。

 脂っこい? さらりとほどけていく。

 目を閉じれば浮かぶ大海。

 世界を包み込む巨大な海。

 ああ――生きとし生けるものは、すべて海からやってきたのだ……。


「あ……れ……?」


 おれは頬がスースーと涼しいことに気がついた。

 濡れていた。

 おれは、泣いていた。

 滂沱として流れ落ちる涙を止めることができなかった。


「そ、そんなに美味いのか……?」


 おそるおそるたずねてきたのはランディーだ。

 おれは、こくりとうなずいた。


「この味覚を一言で言うなれば……『世界』だ」

「せかい……?」

「この切り身に、『世界』が詰まっている」


 そう、世界だ。おれの見えていた世界は小さかった。そして今、世界の広さを改めて実感した。

 それほどにこのアジはすごい。


「お、おい……お前のその肌はなんだ?」

「え?」


 ランディーが指したのはおれの頬だ。

 えーっと……おれの頬は無精ひげがぽつりぽつりと生えていてな、連日の泊まりがけ残業のせいで土気色になっているはずだ。


「柔肌だぞ! まるで赤子のようだ。しかもその髪! あっという間に黒々と、しかも艶めいている!」

「なんだって!?」

「まさか、これが魔アジを食べた結果だというのか……!?」


 どよめきが集会場に走る。


「待て、若人よ」


 人垣が割れて、またしても現れたのは老女だ。「長老」「長老が来た」「これで安心だ」なんて言葉が聞こえてくる。それさっきも同じこと言ってたよな?


「軽々しく『世界』などという言葉を使うな。どれ、わしが試しにジュル食べジュルルてやろう」


 ばあさん、ヨダレやばいぞ。食いたいなら食いたいって素直に言えばいいのに。

 さすがにランディーも気づく。


「ず、ずるいですよ長老。私だって食べたいんですよ。でも勝手に領地のお金を使うわけにもいかないしなあ……」

「いや、食べていいよ、ランディー。さっき言ったろ。カネなんて要らないって」

「……冗談だよな?」

「魚食うのに冗談が必要なのか?」

「…………ほんとのほんとに食べるぞ? 後悔しないか?」

「いいっての。アジなんてまた釣ればいい」


 ひっ、と息を呑んだヤツが数人いた。

 なんかおれ変なこと言ったか? アジだぞ? トップシーズンには「もう要らねえ」ってくらい釣れるアジだぞ?


「で、ではわしが試しにジュルル……」

「長老! 手づかみとは行儀が悪い――」


 ばくり、と長老がアジを食った。

 長老、泣いた。


「……ここには『世界』が詰まっておる!」


 いや、だからそれおれが言ったよな?

 しかも長老、肌が若返り白髪が半分ほどに減り、一気に見た目が20才は若返っている。

 20若返っても60代だけど。


「で、では私も遠慮なく」


 ランディーは箸を手にして切り身を食べる。

 ランディー、泣いた。


「生きてて……生きててよかった……」


 大げさだよ。アジだぞ? あ、いや泣いてるおれが言える台詞じゃないな。「おい、ランディー様があそこまで……」「どんな味がするんだ?」とまたも騒ぎ出すギャラリー。


「みんなのぶんくらいあるだろ。一切れずつになるけど、食べなよ」


 おれは村人たちに言う――と、またしても一瞬、しんと静まる。

 だけどそれはほんとに一瞬だった。


 うおおおおおおおおおおおおおっ。


 箸が、おれの持つ大皿に殺到した。

 その後全員が号泣した。宴会場がお通夜会場みたいになってた。

 だけど全員、若返った。


今日は3話更新予定です。 1/3

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