32 例大祭の消息
この世界に、投げ釣りはほぼない。
理由は明快で、リールの製造技術が発達していないからだ。
おれが使っているスピニングリールは投げることに非常に向いているが、工業レベルが低いこの世界では生産できない。
精度の高い歯車が作れないもんな。
「キスはちょい投げっつって、30メートルちょい投げられれば釣れるはずだよ。俺がやったみたいに、地面をずる引きして釣る。エサはジャリメかアオイソメだな。昔はスナメなんかも使ったようだけど」
「…………」
「ここは魔除けの石が埋まってるんだっけ? そこは避けないと、根掛かりするから気をつけてな」
「…………」
「仕掛けはもっと単純でもいい。中通し重りを道糸に通して、先端に仕掛けをつけるだけでもオーケー。ただし針は、カーブが小さいものにすること」
「…………」
「キスは吸い込むようにエサを捕食するからな。大きい針だとエサだけ吸い込まれて終わる——って聞いてる?」
「……聞いている、聞いてはいるが……」
コルトは泣きそうな顔でおれを見た。
「こんなに釣れるなどおかしいだろう!?」
おれたちの足下には30匹ほどのアオギスがいた。
ここでは誰も釣ってこなかっただろう、めっちゃ繁殖していた。
30センチ超えの尺ギスも4匹いる。
「いや、魚がいて、そこにエサを届けられれば釣れるから」
「しかし——そのリールはなんだ? 見たことのない形だ。縦にハンドルを巻いているのにリールが横に回転するなど、前代未聞だ」
「うん。いろいろがんばって開発してくれ」
「売ってくれ!」
「無理」
「だろうな……それほどの逸品だ……」
いや、逸品だからって言うより、売ったら同じものをもう手に入れられないからなんだよ。
この世界にamaz○nがあればいいんだけど。
「ではせめて触らせてもらえないか……?」
「いいよ」
「わかっている、やはりダメだよな——え? いいのか?」
「うん。仕掛け外しておくから巻いてみて」
おれはコルトにロッドを渡した。
コルトは感動しながらリールをくるくる巻いている。
「……あの気持ち、スノゥにもわかるの」
「あー。スノゥも初めのころは大喜びでいじくってたもんな」
リールの中を見たいというので一回バラして見せたことがあった。リールは定期的なメンテナンスが必要だったし、そのタイミングでな。
最初は目をきらきらさせていたスノゥは、次第に真顔になり、最後は泣きそうな顔になっていた。
——こんなの、作れない。
ギヤの数も多いし、おれだってどういうふうに歯車が噛み合ってリールを回しているのか、どうしてこのギヤが使われているのか、はっきりとはわからん。
——でもいつかは作る。
最後には、逆に燃え上がっていたから、結果としては見せてよかったかなって思ったけど。
そうなんだよな。このリールだっていつかは寿命がくる。その前に、新しいリールを手に入れられるようにしなくちゃいけないんだよな……。
「新しいリールの設計は進めている」
「おう。期待してるぜ、スノゥ大先生」
「期待してくれて構わない」
ムフー、と息を吐いている。やる気があって大変結構。
「あぅ、カルアもがんばります!」
「お、おう、ほどほどにな」
「がんばりますぅ!」
「わかったわかった」
ぽんぽんとカルアの頭をなでてやると、コルトがロッドを返してくれた。
「……ありがとう、ハヤト。すばらしいな。ハンドルの巻きもスムーズだ。それに……道糸も変わっているな? なんだろう、細かい糸を複数編み込んでいるような……素材はフワフラ? まさか……」
PEです。
「ま、まあ、その辺もナイショというか、ね?」
「ううむ、そうだな。俺っちとしては『皇家のテーブルクロス』にここまでのポテンシャルがあるとわかっただけで満足すべきだろう」
「ちなみにキスは冬場は釣れないぞ」
「げっ、そうなのか!? そうか、だからまぐれで釣れることもなかったのか。あまり見ない魚だと思った」
キスは冬場、沖の深いところに移動しているからな。
マダイ狙いで、外道で釣れるかもしれないけども、針の形もあるからほとんどキスは釣れてこなかったんだろうなあ。
海魔の確認のためか、砂浜に騎士たちがやってくるのが見えたのでおれたちも砂浜から出るように移動していく。
アオギスについては大きな魚籠に入れて運ぶ。
「なにかあったら俺っちを頼ってくれよ。ハヤトにならいつだって手を貸そう」
「いいのか? っつうかコルトは何者なんだ?」
「俺っちは」
コルトは指差した。
そこにあったのは——「キャス天狗・皇家のテーブルクロス前店」。
「あっ、思い出した」
ぽん、とスノゥが手を叩く。
「コルト=パーイナス。釣具屋キャス天狗を展開する商会の会長!」
「おう。ま、そういうことだ」
オッサン、ただもんじゃないと思っていたけどまさか社長さんだったとは……。
「ちなみにだが、ハヤトがアオギスを売るなら、買うぞ?」
おれは自分たちで食べる分以外は、コルトに売った。20匹のアオギスが大銀貨10枚になった。10万円くらいか……相変わらずこの世界の魚は、お高価い。
おれたちはコルトと別れた。
「皇家のフィンガーボウル」でタックルについた塩水を真水で洗い流していく。
通りがかった「海の家」建築作業員たちがおれに目を向けては「釣り人だ」「コルトさんが呼んだらしいぞ」「あんな釣れない浜でなにやってたんだろうな」と言っているのが聞こえる。うーむ、やっぱり釣れない場所で有名なのか。
「あ、あうぅ、ご主人様。カルアが手伝います」
「いや、大丈夫だよ。たいしたことしてないし」
「でもでも!」
なんかカルアが必死だ。
どうしたんだろう? と思っていると、リィンがおれに囁いた。
「……カルアはハヤトさんのお役に立ちたいんですよ」
あー、なるほど。おれに助けられたことの恩返しがしたいってことか。
「それなら任せようかな」
「は、はいっ!」
嬉々としてカルアがおれからタックルを受け取る。扱いについて注意事項を伝えると、カルアは丁寧にタックルを手入れし始めた。
「おれ、ちょっとキャス天狗行ってくるわ」
「? なにか欲しいものがあるんですか?」
「いや……別にないんだけど」
時間がちょっとでもあれば釣具屋に行きたい。なにもないとわかっていても釣り具を眺めていたい。これは釣り人にしかわからない感覚だろう。
「それならあたしも鍛冶工房を見てきたい。いい?」
「おお、行ってこい行ってこい。どのみち出発は明日だ」
アオリイカ例大祭をやっているラズーシへの定期便は、昨日出発したらしく、今日帝都に戻ってくる。明日、ラズーシ行きが出るということだ。
実は釣具屋でアオリイカ例大祭についての情報を仕入れたい、というのもある。
「リィンはカルアとここにいてくれ」
「えっ? いえ、でも……」
「あうあう、カルアはひとりでも大丈夫ですから、騎士様はご主人様と行ってきてくださいませ」
「……そう言ってくれるとありがたいです。わたくしはハヤトさんを守るのが仕事ですから」
「うーん。まあ、いいか。それじゃ10分15分で戻るから」
おれはリィンを連れて釣具屋へと向かった。
こちらのキャス天狗はかなり小規模で、最低限の釣り具とエサを売っているだけだった。
「皇家のテーブルクロス」からほど近い場所に川があるようで、川釣りの釣り具が充実している。
アレ? これならサーフでクロダイも行けるか? むしろ河口でシーバス狙い? 今度やってみたいな。
「こんにちは。おれ、旅行者で帝都に来たばっかりなんですけど、アオリイカ例大祭ってどんなイベントなんですか?」
ヒマそうにしていたウサミミの店員に話しかける。
「あれはすごいですよぉ〜。帝国内でも5本の指に入る釣り大会ですねえ」
「釣り大会なんだ」
「1カ月っていう期間内にアオリイカをどれだけ釣れるかっていう大会です。2週間前から始まってますねぇ」
2週間も経ってるのか! そうだよな、時期的にアオリイカの時期も終わってるはずだし。
一応、年中釣れるイカらしいけども。
「……ハヤトさん、フルで参加したかったんでしょう?」
「えっ!? い、いやいやー、あははははは……」
リィンには見抜かれていた。
ちくしょう、参加したかったぜ! む、でもあと2週間あるなら参加しようかな?
「毎日、ランキングが更新されていて、帝都でも見られますよ」
「ほう! どこに行けばわかります?」
ランディーも参加してるはずだ。絶対アイツは参加している。
何位くらいだろうなあ。
「うちでもチラシにしてます。はい、これです」
引き出しから取り出してくれたのは小さなチラシだった。
「アオリイカ例大祭・釣り大会上位者」という表になっている。
「うわ……釣れてないな」
それがまずおれの感想だった。「3杯タイ」でほとんどの順位が埋まっているんだ。
「2週間で3杯か……」
「お客さん、3杯釣れれば立派ですよ。サイズにもよりますけど、かなりの金額になりますから」
ちょっとムッとした顔でウサミミさんに言われてしまった。すまん。2週間で3杯ならほとんど毎日ボウズってことかと思うとな……。
しかしアオリイカも高級魚なのか。
食べるだけならスルメイカ(マイカ)、ヤリイカのほうが美味いけども。
「それで1位は何杯釣ってるのかな〜……って、えぇぇぇっ!?」
1位(9杯タイ)
ディルアナ:ノアイラン帝国帝都釣り人ギルド所属
ランディー:ビグサーク王国王都釣り人ギルド所属
ここでランディー選手ゥー王国ではなく帝国で名前を売っていくゥー