31 スノゥ大先生とサーフ釣り
カルアが食べたそうにしていた肉をふんだんに使った夕飯を食べて、翌朝、たらふく食ったのと久しぶりに落ち着いて眠れたのとですっきり目が覚めた。
旅の疲れとか出そうなもんだけど、今のところは全然ない。おれもこっちに来て丈夫になってきたのかもしれない。
コルトと約束していた「皇家のフィンガーボウル」へと向かう。
それは「皇家のテーブルクロスにほど近い場所にある、すり鉢状になった巨岩だ。
昔、才能ある魔法使いが「海から上がったら潮でべとべとするからなあ」と言ってこの巨岩を創りだしたらしい。
これには魔法が付与されており、常に清冽たる水が湧き出でている。
……なんつーかオーバーテクノロジーなのか遅れているのか判断につかないよな。
「よお、ちゃんと来たか」
おれたちに気がついてコルトのオッサンが手を挙げる。
「砂浜で釣れるチャンスがあるっていうのに釣らない釣り人はいないでしょ〜」
「かっかっか。お前さんはほんとに釣りが好きなんだな。確かに『皇家のテーブルクロス』での釣りは貴重な体験だが冬場なら誰にでも許可が出ているんだぞ? それなのに金貨20枚も払うなんてなあ」
「え?」
「え? ってなんだ。金貨を払うと言っただろう」
「ああ、うん、釣れなかったらね」
「……かっかっか! こいつは傑作だ。本気で釣る気でいやあがる」
「その前に大丈夫なの? ほんとに釣っていいの? 釣り禁止なんでしょ?」
「おお。午前中だけだがな。午後に海魔がいないかどうかの確認をする。そうしたらいよいよ海開きってわけよ」
あー、なるほどね。みんな泳いでるところを開けるわけじゃないよね。
確かに今日泳げと言われたらかなり肌寒いことになりそうだ。
あと1週間……んー、2週間くらいか? 水泳日和になりそうだな。
「それじゃ早速行こうぜ!」
おれは歩き出す。
いやいや、だってさ、もう足下からして砂地になってるのよ。短い草は生えてるけどな。
松林の向こうは一面の砂浜。
そして海が広がっている——。
「うおーっ、でけえ!」
白い浜が広がっている。思っていた以上に砂が白っぽいな。
浜から離れた場所では木造の建築が進んでいる。海の家だろうか。なんかもうアレだ、ファンタジーと日本文化がところどころ融合している。
「ところでお前さんの竿は……そりゃなんだ?」
波打ち際まで歩きながら(おれはスキップでもしそうな勢いだけど)コルトがたずねてくる。
2ピースに分かれているシーバスロッドは珍しいのかもしれない。
「こうやってつなげるんだよ」
「ほう。あまり長くはないんだな。その1本だけか?」
「ああ」
実はおれはシーバスロッド1本しか持っていない。それはこっちの世界に持ってこられたのが1本だけ、という意味ではなく、日本でもシーバスロッド1本だけで過ごしていた。
すべての釣りはシーバスロッドで行ける。
そういうポリシーである。
とはいえそれはとあるプロ釣り人の受け売りなんだけどな。
「こいつは丈夫だし、小物もぎりぎり行けるし、大物も得意だし、最高なんだぜ?」
「ほう……変わった素材だな」
すごく興味深そうにおれの竿を見ているけれども、手を出したりはしない。
この世界はおれが思っている以上に道具を大事にするみたいだ。
「さて——ではお手並み拝見といこうか。なにを釣るつもりだ? マダイか? イカか?」
波打ち際にやってきてコルトがたずねてきた。
足がずずずと沈む。よい。なかなかよい。
「いやいや、マダイなんてここからじゃ狙えないでしょ」
マダイは論外だな。マダイはある程度水深があるところの海底付近にいる。
砂浜だと水深を稼ぐのにかなり遠投が必要だし、それなら最初から水深がそこそこある堤防に行ったほうがいいだろう。
サーフなら、クロダイやアオリイカは時合いが合えばいけるっぽいけどね。
といってもクロダイなら川の流れ込みが近くにあるほうがいいから、「皇家のテーブルクロス」はクロダイには向いていないかも。
「スノゥ大先生。例のものを」
「うむ」
芝居がかった口調でおれが言うと、スノゥもそれに乗っかって重々しく——その仕掛けを取り出した。
コルトが怪訝な顔をする。
「……ハヤト、なんだそれは?」
雫の形をしている重り——いわゆるナス型重りに、針金が2本くっついている。
1本はそのまま上に伸びて、もう1本は90度の角度で伸びている。
それぞれ15センチくらいか。先端はぐるりと曲げられて輪にしてある。
「『天秤』だな。これは重りと一体型」
しかし見事だな。重りも磨かれてつややかな銀色を放っていて、針金もおれがオーダーしたとおりしなやかに曲がる。
「す、すごいです……スノゥが作ったですか?」
「見事ですね」
「まあ、たいしたことはない」
と言いながらも腕組みしたスノゥはムフーと鼻から息を吐いている。
褒められてうれしいらしい。
いやこれは褒めるべき。
「実際よくできてるよ。さすがスノゥ大先生」
「ムフー」
「ご主人様、それはどのように使うのです?」
「おう、そうだな」
おれは道糸の先を針金に結ぶ。90度で横に飛び出ているほうには、仕掛けをつける。
この仕掛けは、ハリス——釣り針に続いている糸——をより合わせて強度を増したものを中心に、15センチ程度、枝のようにハリスを分岐させて(枝ス)その先に針をつける。
この分岐は全部で5本ほどあり、針と針との間隔は20センチ程度あるから、仕掛けは全長で1メートル近くにもなる。
自作である。
釣りの準備のための夜更かしってなんであんなに楽しいんだろうな?
せっせとエサをつける。エサは、ゴカイの仲間であるジャリメである。細くてうにょうにょしている。
「見たことねえな。重りも重そうだし……小舟で釣るわけじゃあないんだぞ?」
「わかってるよ、コルト。こいつはこうして——こうするんだっ」
おれは振りかぶると、ぶん投げた。
重りを先頭にしてぐんぐん飛んでいく。70メートルくらいはいっただろうか。どぼんと着水。それから天秤の腕を通じて仕掛けが下りていく。
「お、お前、今の、え? なに?」
こっちの世界じゃ遠投するっていう発想がまずないもんな。
釣り勝負をしたゲンガーは投げていたけど、かなりの力技。しかも飛んで30、40メートル。
まあ、リールの技術が発達していないからしょうがない。
とすっ、という感触が伝わってくる。天秤重りが着底したらしい。
「リィン、ちょっとどいて」
横にいたリィンにどいてもらい、おれは釣り竿を水平に構える。
すぅーっ、と手前にゆっくり引いていく。
2、3メートル進んだところで竿を戻し、たるんだ糸を巻いていく。
これを繰り返す。
竿先は重りまで直結でつながっている。重りが海底を引きずられるために海底の地形がダイレクトに手応えとして伝わってくる。
おお、おおお……いいなあ、ここ。まっさらな砂地だ。ごつごつした岩も石ころもまったくない。
ん。
手応えがちょっと重くなった。
海底にあるくぼんだ地形を「カケアガリ」という。こういう場所に魚は隠れていることが多い。
しばし手を止める——と。
コンッ、コンコンコンッ。
「はい来たー」
「え、もう!?」
くんっ、と竿を軽くあおって魚の口に針をかける。
だが1匹では物足りない。
なにせ5本も針はついているのだ。
コンコンッ。
「よっしゃ追い掛け」
「い、いやいやいや……こんな簡単に釣れるわけがねえ。大体あんな釣り方でなにが釣れるってんだよ」
「まあ、見ればわかるから」
竿先がぶるぶるるんと震える。たまらん。
おれがリールをぐるぐる巻いて回収すると——。
「やっぱりお前か」
5本針のうち3本に魚がぶら下がっていた。
「サーフと言えばキスだよなー」
天ぷらにしたら最強に美味い。刺身も行ける。塩焼きにしても優しい白身を味わえる。
このシロギスはもう……あれ?
「シロギスかと思ったけど、違う……?」
微妙に色が違うような……形も違うか……?
「もしかして——」
日本ではほぼ釣れなくなって個体数も激減してしまった魚。
100年も前なら当たり前のように釣れたのに、今や幻となってしまった魚。
「アオギス……!?」
信じられない。こんなところで釣れるなんて。おれが釣り人として、一生釣るはずもないと思っていた魚なのに。
サイズもすばらしい。いちばん小さいもので20センチ。大きいものは30センチ近い。
「すげえ、すげえよ!」
アオギスに出会えた感動におれが震えていると、
「お、お前……なんで、釣れたんだ……?」
コルトは別の驚愕に身を震わせていた。
大正前後の文豪が書いた釣りの話でアオギスがちょいちょい出てくるのがうらやましくて仕方ありません。