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28 魔サバと名誉王国民

 フォークとナイフを手にする。フォークで押さえようとすると、ぐっ、と身が金属を弾こうとする。おいおい……笑っちゃうだろ。なんだよこの身は。力を込めてナイフで半分にする。ナイフにべったりと脂がつくのがわかる。


「はむっ」


 おれは一気に口に運んだ。

 まず香り――オリーブオイルの植物的な香り。ああ、いいオイル使ってんなあ! そこに岩塩の塩味がふんわりと広がる。すげーなこの岩塩。すぐに溶けた。ザラッともしない。

 咀嚼。

 歯ごたえ……すご。

 この歯ごたえ、すご!

 歯に絡みついてくる。繊維を切断していくとあふれ出る魚の味わい。

 血や生臭さは一切ない。皆無。こりゃ、火を通さないで生で食わせるよな。

 純粋な……サバの身は、まるで果実を食べてるみたいだ。そこに脂がじゅわーっとやってくるから、こいつが動物であることを自覚させられるんだけど。

 胃に落ちていくのが惜しい。

 ずっと食べていたい。

 だけど、驚きはここからだった。

 胃に落ちたサバが……熱いんだ。ものすごく熱いんじゃなくて、身体を心地よくさせるような温かさ。

 温かさの波動が身体に広がっていく。

 身体中の血液が浄化されるような、感覚。


「あ、ああ、あああ……」

「ディラン卿! しっかり!」

「ああ、ああ、ああ」


 放心したように泣いている重鎮がいる。

 その気持ち、わかるよ。

 他の重鎮も涙を目に浮かべてるのもいるからな。

 ……え? ちょ、ちょっとジイさん! なに股間をもっこりさせてんだよ! そういうことか! 不能だったコンパクトロッドが魔サバで復活したってことか、そりゃ泣くわ! でも隠して!


 すごい力だ。

 おれはサバに感謝した。それから料理長にも感謝した。最後に、この恵みをもたらした海に感謝した。

 とんでもない魚だ。

 2切れを食べ終わるのはあっという間だった。

 だけど濃密な味わいのおかげで、ものすごい時間が経過したようにさえ感じられた。


「メインディッシュには少々量が少なかったですが、満足度としては十分でしたでしょう? あとはお水を用意しますので、そちらをお飲みください」


 デザートもなし。コーヒーや酒もなし。

 そうだよな。このサバを食ったら他のものは要らなくなるもんな。

 重鎮たちは中年男性が多かったけど、彼らは明らかに血色がよくなっていた。

 水を飲むだけの長い沈黙のあと、王女様が口を開いた。


「ハヤト殿。わたくしのそばにいてくれませんか」


 え……あ、それってお抱え釣り師ってこと?

 うわー、その話、ここで来たか。どうしよう。魔サバの感動とともにうやむやにできないかなってちょっと思ってたんだけど、そうは行かないか……。

 と思っているとリィンが言葉を挟んだ。


「恐れながら、王女様――」

「いいの、リィン」


 はあ、残念ね……とため息で王女がリィンを遮る。


「いいわ、それ以上は言わなくて。わかっていますの。ハヤト殿は稀代の釣り師。この国に留まるだけの人材ではない……そういうことでしょう?」

「ご明察であると存じます」


 リィンが深々と頭を垂れた。え、なに? なに? なんの話?


「ですが、わたくしたちはこのようなすばらしい晩餐を提供してくれたハヤト殿に報いる必要があると思います。そうでしょう、皆さん」


 王女様が水を向けると重鎮たちが、うんうんとうなずいた。中には渋々って感じの人もいるけど。アレかも、ロードノート伯爵の友だちとか?


「いや、別に、釣っただけだからそんなに感謝しなくても……それに料理してくれた料理長がいちばん偉いですよ。もうこれ芸術じゃないですか」

「聞きましたか? これほど謙虚な釣り師がこの国にいたでしょうか? 自らの釣果を誇るのではなく、それを調理した料理人を褒めるべきなどと」


 なんだか感極まって王女様がテーブルの上で握り拳を震わせてる。そんなに魔サバ美味かった?


「お父様」

「うむ」


 王様が立ち上がる。


「今日、この日をもってハヤト=ウシオをビグサーク王国名誉国民とする!」


 ……え?

 名誉国民?


「ビグサークにいる間は終身、税金を免除し、国内で生活するにあたっては不自由なきよう給金を授与する。またその身を守るためにビグサーク王国騎士団より守護騎士を遣わす。――リィン=ロールブルク」

「はっ!」


 立ち上がったリィンはイスの隣に移動して、片膝をつく。


「ビグサーク王国名誉国民であるハヤト=ウシオの守護騎士として任命する。その身をもっていついかなるときもハヤト=ウシオの危険を排除するのだ。いいな!」

「はっ! この身に替えましても!」


 なに、なに? どういうこと?


「ハヤト殿、お受けくださいますね?」


 にっこりと王女様が言ってくる。


「え、ええと、あのー……税金免除でお金もらえるってことですかね?」

「はい。この国にいる間は」


 ああ、なるほど。だからこの国にいてね、ってことかな?


「でもおれ、ノアイランに行きたいんですけど……アオリイカ釣りに」


 最後はぼそっと付け加えた。すると重鎮たちが一気に渋い顔をする。


「構いませんわ」

「あれ、いいんですか?」

「もちろん。ハヤト殿はあくまで我が国の名誉国民というだけです。しかしながら、旅路には危険も多いと聞きます。リィンを連れて行けばなにかと役に立つことも多かろうと存じます」

「リィンも……いっしょに来てくれるんですか?」


 横を見ると、片膝を突いたままのリィンはうなだれたまま。

 ショートカットの髪とはいっても表情を隠すには十分だ。


「あ、あのー……リィン」

「なんでしょうか」

「……イヤなら、無理しなくていいんだよ?」

「えっ?」


 リィンがようやくこっちを見てくれる。小さい子どもに難しい質問したときのような、純粋な疑問の表情。よう、そこのガキ、ポアンカレ予想は今世紀中に解決すると思う?


「あ、いや、その……」


 がんばれ、おれ。

 そこはちゃんと聞いておかなきゃだろ。

 嫌がる女子を無理矢理釣りに同行させてもっと嫌われるとか、そんな失敗、1度で十分だ。そう、あれは大学のころ――。


「リィンは、つまんないんじゃないかと思って。おれなんて釣りしかできないし。リィンはこの国から離れたくないだろうし。……あの、まあ、おれといてもそんなに面白くないのかなって……」

「そ、そんなことはありません。ハヤトさんは釣りだけじゃないです。優しいし、いっしょにいると楽しいし、魅力的な男性だと思っ――」

「え?」


 ばっ、と立ち上がったリィンが両手で口を塞いでいる。

 その顔は真っ赤だ。ていうか露出してる肌が全部真っ赤だ。


「あ、あのぅ、旅の支度がありますのでこれにて失礼いたしますぅ!」


 甲高い声で言うとリィンは去っていった。

 え、え、なに? なんなの? 嫌いなの? 嫌われてないの? どっちなのォ!?


「よかったね」


 スノゥが淡々と言う。よかった? ってことは嫌われてないってこと?


「……やはりいちばんの敵」


 今なんて言ったカルア? よく聞こえなかったんだが。

 おれが挙動不審になっていると、くすくすと王女様が笑っている。


「リィンは喜んでいたんですよ」

「あ……そうなんですか? それならよかったですけど……」


 ほんとか? ほんとにほんとか? 疑心暗鬼になっちゃうんだが。


「正式な通達は明日以降行いますが、名誉国民の任命式などは特にありませんわ。ハヤト殿、またビグサーク王国にいらしてください。秋になれば王都では子どもから大人まで参加する釣り大会がありますのよ」

「へえ、子どもも参加できるんですか。なにを釣るんですか?」

「ハゼですわ」

「おお! 落ちハゼ!!」


 そりゃあいい。ハゼなら子どもでも釣れるもんな。

 夏が旬というハゼは江戸前天ぷらには欠かせない。10センチくらいの小さいサイズでさ。ばんばか釣れるわけ。

 とはいえ昨今の東京湾は小魚がだいぶ減ったもんだから、ハゼのくせにちょっとした高級魚扱いになってきてる。

 そんなハゼは秋になると「落ちハゼ」って言ってサイズも20センチを超えてくる。味だっていいんだ。数は釣れなくなるけど、そのぶん1匹がデカイ。


「そのとおりです。大会が終われば落ちハゼを集めて大きなお鍋で煮るんです。牛肉、生姜、ネギといっしょに」

「おお~、いいですね! 美味しそう! でも煮るんですね。天ぷらかと思いました」

「……テンプラ? それはどのような料理ですか?」


 ぴくり、と王女様の眉が動く。

 食堂の片隅に立っていた料理長もまた、にこやかな表情は崩さないまま鬼気迫るオーラを身に纏う。

 あ、これはこの世界には天ぷらないわ。間違いなくないわ。


「えーっと……そ、そうですね、今度教えてさしあげます……」

「約束ですわ! 必ずですよ!?」

「あ、は、はい。釣り大会、参加してみたいんですけどいいですか?」

「もちろん!」


 うきうきした声で王女様が王様に顔を向けると、


「はっはっは。ハヤトが参加したら優勝は決まったようなものではないか」

「いやいや、わかりませんよ王様。釣りなんて運ですから」

「よく言うわい。違うな、その謙虚さが釣果につながるのだ。皆の者、ハヤトを見習え」


 重鎮たちが頭を下げる。や、止めてくれ……そういうのほんと無理。おれは注目されずにひっそりと、誰もいない釣り場で釣りをしたいだけなんだ……。


「ハヤト殿、約束ですわ。今年の秋にお待ちしております」


 次に会う約束が、季節単位か。

 スマートフォンがあると分単位で指定されるもんな。

 なんだか新鮮な気分でおれは王城を後にした。

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