閑話 鍛冶師の娘は心も火の玉
あたしが二度寝から起きたとき、ランディー様……ランディーはもう出発したあとだった。
ノアイランに行くみたい。アオリイカを釣るため。ハヤトと同じ、釣りが好きで好きで仕方ない人。
「……さて、ハヤトはどうなったかな。ちゃんと負けたかな」
ゆっくりと朝食を取ってから、あたしは港へと出かけた。
そろそろ帰ってくる頃合いだろうと思って。
それにしてもハヤトは面白いヤツ。
釣り具だけじゃない。釣り方も、魚料理にも、あたしたちの知らない知識をいっぱい持っている。
どこか遠い国から来たみたいだけど、あたしは違うふうに考えてる。
……未来から来たんだ。
なんつって。
「?」
港に着くと、なんだかいつもと違う騒がしさが耳についた。「毛布もってこい」「海難か?」「小さい女の子が流れ着いたんだ」――そんな声が聞こえてきた。
なんだろ。
あたしは人垣ができてるほうへと向かった――。
「カルア!?」
中心にいたのは、ずぶ濡れになって息も絶え絶えのカルアだった。
息が止まるくらいにあたしはびっくりした。
駈け寄ると、カルアは体温が下がってるものの、なんとか呼吸があった。
「どうしたの、なにがあったの」
答えられないカルアの代わりに、周囲の大人たちを見渡す。
「この子、確か朝早く出てった子だよな?」「そうだと思うぜ。トマスの船だろ」「それがトマスが言うには海竜に襲われたって」「なんだと? まっとうに行きゃあ海竜なんていねえはずだろ」「ルートをずれたのか?」
「ちょっと待って。トマスという船頭は無事なの? 他にもいたでしょ、釣り人と、騎士様が」
あたしが聞くと、誰も彼もが首をかしげるだけだった。
ひやりとしたイヤな予感があたしの身体を突き抜ける。
もしかして――ハヤトとリィン様は。
「……スノゥ、さん……」
「カルア!?」
そのとき、抱き上げてたカルアがうっすらを目を開いた。
「襲われ……たんです」
「海竜だよね? ハヤトとリィン様は?」
「ちが……」
かすれていたカルアの声だけど、あたしははっきり聞き取った。
「……伯爵様の船から、魔法が放たれて……ハヤト様は溺れたリィン様を助けようとして海に……」
あたしはそのとき、全身の体温が下がったように感じた。
「……勝ったのに……ハヤト様は釣り勝負に、勝ったのに…………とっても大きな魔サバを釣って…………」
この瞬間、あたしはなにが起きたのか正確に理解した。
伯爵に勝ってしまったハヤト。ハヤトはやっぱりバカだ。釣りバカだ。おおかた、磯を前にして釣らずにはいられなくて釣ってしまったんだろう。
そうなればなにが起きるか――報復、だ。
伯爵は魔法を船に撃ち込んで、亡き者にしようとした。リィン様がいなくなればハヤトの言葉を信じる人間はこの町にはいないから――。
あたしが、次に感じたのは熱だった。
身体中が焦げるんじゃないかと思うくらいの熱い感情。
怒りだ。
「お嬢ちゃん、こいつを使え、毛布だ。体温が下がってるからこいつを巻いて」
あたしは毛布を受け取ると、カルアの身体をぐるりと巻いた。
「……医者はどこ? この子を連れて行きたい――」
「待って……」
カルアの震える唇は紫色だった。
だけど彼女ははっきりと、こう言った。
「……スノゥ様、王城へ行くんですよね……?」
あたしの心まですっかり読まれてた。
「……連れて行ってください、カルアを……カルアじゃないと証言できないから……」
意志が強い子。
逆境に歯を食いしばって耐えられる子。
「カルアは、鍛冶師に向いてる」
あたしは立ち上がった――毛布にくるまったカルアを抱いて。
重たいけど、あたしだって鍛冶師だ。もっと重たいものを何度も扱っている。
「お、おい……?」
「嬢ちゃん、どこ行くんだ! 医者はそっちじゃない――」
漁師や船乗りたちが止めようとしたけど、あたしは止まらなかった。
あたしはカルアとともに王城へと向かった。
「い、いや、困りますよ、さすがに、いくら『北極星鍛冶工房』のスノゥさんでも!」
数人がかりで兵士たちがあたしを止めようとする。
王城の城門を何食わぬ顔で通り過ぎようとして、そこで捕まったんだ。
「お前の兵団の、団長が佩いている剣はうちの工房が作った。鎧も、兜も。その工房の娘であるあたしが来たのに、通さないのか」
「しかしそれとこれとは――」
「いいの? お前たちの一存であたしを止めたってことなら、うちの工房が納品先を変えるかもよ?」
「ううっ」
兵士たちが悩んだ隙にあたしはすり抜ける。
「あっ! 待て!」
走る。カルアを抱えたまま。王城内へと。
「す、スノゥ様……」
「黙って。カルアがしゃべるのは今じゃない。それまで体力を温存してて」
でも大人の足にはかなわない。あたしたちはすぐに包囲された。
あたしがさっき言った、兵団の団長に。
「困りますな、スノゥ嬢。王城を守護するは我らの役目」
「通して」
「お約束があるのですか? ないでしょう――もはや工房の娘ではないあなたに」
「!?」
もう、バレてる。あたしが工房を出たってこと。
さっき脅した兵士たちがきょとんとした顔をしてる――ここの団長はお父さんと仲がいい。だからお父さんから聞いたんだろう。
なにを娘が出て行った自慢話してるのよ。許さないよ、お父さん。
「お帰りください。今なら、ボルゾイの娘としてちゃんと扱いましょう」
「…………」
「これ以上面倒をかけないでください」
「……貴族が起こした非道は、誰が罰するの」
「は?」
「平民のあたしが訴えたとして、誰が聞いてくれるの。ううん、今やらなくちゃいけないのは、救助隊を送ること。ハヤトを死なせたらこの国の損失よ。リィン様だってこんなところで死んでいい人じゃない」
「――リィンが死んだのか? いったいどういうことだ」
そこへお腹に響くような声が聞こえてきた。
がちゃんがちゃんと金属鎧を揺らして歩いてくる人物は、身の丈2メートルを超えるこの国トップの騎士。
騎士団長レガード=オルサードその人だった。
「これは、レガード殿」
王城守護兵団の団長から見るとレガード様は格上だ。
兵士たちは最敬礼で迎える。
「娘。リィンの名を口にしたな。今リィンはどこにいる」
「……海の底です」
「ほう」
眉を持ち上げたレガード様は、興味を惹かれたようだった。
白髪交じりの髪を後ろになでつけ、口にはヒゲを蓄えている。深く刻まれた皺を横切るように顔には傷痕がある。
鋭い眼光があたしを貫く。
「ウソを申してはいまいな?」
「もちろ――」
「う、ウソ、じゃ、ないです……海に落ちたリィン様は、鎧が重くて……ハヤト様も潜っていって……カルアは、なんとか、泳いで帰って……」
あたしを遮って話し出したカルアへと、レガード様は眼光の矛先を変える。
「その話、詳しく聞かせろ。場合によっては国王の前で証言してもらうぞ」
得意げなロードノート伯爵がゲンガーを連れて釣果を披露していた。
並んだアジは釣れたばかりというのもあってつやがいい。
王様は、早く食べたそうな顔をしていたけど、その横にいる王女様はつまらなそうだった。
「失礼しますぞ」
「ん? どうした、レガード」
王様がレガード様に気がつく。それから、その後ろに付き従っているあたしたちにも。
伯爵とゲンガーはあたしとカルアを見てほんの少しだけぎくりとしたように見えた。でも、すぐに平然を装う。
「王様、どうも妙なことを聞きましてな。今朝の釣り勝負で不正が行われたと」
「不正? 余が聞いたのは、釣り勝負に本来来るべきハヤトが来ず、ゲンガーの不戦勝であったということだぞ。しかしせっかく準備をしたのだから、釣りをして、アジをこうして献上するのだそうだ。晩餐が楽しみだな」
「ほう。話が食い違っていますな。私はわざわざ部下のリィンを見送りに出しました。しかし彼女は戻ってきていない。この者たちが言うには、そこにいるロードノート伯爵が手下に魔法を使わせて、リィンの乗っている船を沈めたのだとか」
「――なに?」
レガード様はリィン様が伯爵から攻撃された、という形で話を切り出した。
騎士が殺されたかもしれない、しかも身内の手で――これはショッキングな情報だ。
だけど伯爵は相変わらず平然としてる。
「なにをそのような。船が沈んだのであればおおかた海竜にでも飲まれたのでしょう。腕の悪い船頭はいますからな」
「なるほど、そういう筋書きってわけですか」
「言葉が過ぎますぞ、オルサード卿。なんの証拠があって言いがかりをつける」
「証拠なら、ほらここに」
レガード様がアゴで指したのは当然あたしたちだ。
さすがに毛布をかぶっては来られなかったので取り上げられたけど、カルアはしっかりと両足で立って、一歩踏み出す。
「釣り勝負は、ハヤト様が勝ちました! こーんなに大きな魔サバを釣って! それなのに……帰りの船で、魔法を撃ってきたんです」
「なんだなんだ、そのみすぼらしい格好をした亜人は。奴隷か? 王城のここまで深くに奴隷が入り込むなど前代未聞。オルサード卿、ご自身がなにをしたのかは自覚があるのですかな?」
伯爵は、自信たっぷりに真っ向から否定してくる。
「奴隷じゃ……ありません。ハヤト様はカルアを奴隷から解放してくれました」
「ならばまた奴隷になればよかろう」
「伯爵、言葉が過ぎます。亜人であれ、自由市民の権利は保障されています。それに彼女は先日のイナダしゃぶしゃぶのときにいたではありませんか」
口を挟んだのは王女様だった。
「わたくしもハヤト殿が釣り勝負を前に逃亡したというのは信じられません。海竜に襲われた、というのものね。彼は王家との面会を忘れるほどの釣り好きですし、王都の船乗りたちは海竜がどこに出るか正確に把握しているでしょう」
「――お言葉ですがキャロル王女。あのどこから来たのかもわからないハヤトとかいう若造は自分で船を漕いだのかもしれませんぞ。それこそ、釣り好きが高じて」
「どこから来たのかもわからない若造に、船を貸しますか?」
「ならば盗んだのかもしれませんな。なにせ手癖が悪そうでしたからな」
あっはっはと高笑いを上げる伯爵。
「いずれにせよ、ゲンガーの勝ちは揺るぎません。どうですか、キャロル王女。そろそろ我が息子との縁談をお認めになっては? 我が伯爵家にはこのとおり王都一の釣り名人であるゲンガーもおりますぞ」
「……その話と今回のことは、関係がありませんわ」
「めでたいことは続いたほうがよい、ということです。ゲンガーの勝利、キャロル王女の婚姻。こんなにめでたいことはそうそうありません」
「ちょっと待ってください! ハヤトは負けてない!」
気づけばあたしも声を上げていた。
レガード様が面白そうな顔をしてあたしを見ている。
「なんだお前は。奴隷仲間か」
「あたしは鍛冶師です」
「どこの工房だ」
「……工房は、ありません」
「話にならん」
伯爵が一笑に付す。
そうだ。あたしはただの鍛冶師。もう「北極星鍛冶工房」とは関係のない、ただの鍛冶師。
こういう場所で発言力がなくなることなんてわかりきってた。
ただのスノゥだ。
鍛冶師スノゥになった。
ボルゾイの娘だけど、工房の娘じゃない。
たったひとりの鍛冶師。
でも――そうなってもいいと思って家を出た。ハヤトについていこうと思った。ハヤトなら、凝り固まった常識を壊しくれると思ったから。ただのスノゥでも来ていいと言ってくれたから。
だから。
だからこそ。
ここであたしは負けない。
「ハヤトは当代一流の鍛冶師すら作れない釣り具を持っています。腕も確かな釣り師です」
伯爵はなんとも思わないようだったけど、ゲンガーは違った。なにかを考え込むようなそぶりを見せたんだ。
「釣り勝負はハヤトの勝ちだったとあたしは信じてます!」
「バカも休み休み言え」
「バカではありません! ほんとうのことです!」
「魔サバを釣ったと? 昨年、ビグサークでは釣れず、隣国のノアイランでたった1匹釣れただけの魔サバを?」
「カルアがそう言うんです。間違いありません」
ハッとしてカルアがあたしを見る。
カルアが言うなら、ハヤトは釣った。こーんなに大きな魔サバを。ハヤトなら、さも楽しそうに釣ったんだ。この国の釣り人の誰しもが憧れる魔魚を。
カルアの手を、あたしは握った。
あたしはカルアを信じる。
ハヤトを信じるカルアを、あたしは信じる。
「そうでしょう、ゲンガーさん」
「!」
びくり、と身体を震わせたゲンガー。
釣り師としてちょっとでも矜持があるのなら、認めてくれるはずだ。
釣り勝負でなにが起きたのかを話してくれるはずだ。
「……それは」
「ゲンガー!」
矢のような鋭い伯爵の言葉に、ゲンガーがびくりと口を閉ざす。
「伯爵。彼は今なにかを言おうとしたわ」
「いえいえ、そんなことはありませんよ、キャロル王女。どうも当家のお抱え釣り師であるゲンガーは体調が優れないようでしてな」
「…………」
キャロル王女は不服そうだけれどそれ以上は押さなかった。
なにせ、こちらの言うことを証明できるものはなにもないのだ。
せめてリィンがいれば。
せめて魔サバがあれば。
そのどちらもない。
どうしたらいいの? どうしたら。
覚悟を持って家を出たのに、あたしなにもできないままハヤトを失わなければいけないの?
「……魔サバをもしほんとうに釣れたというのなら、食べてみたかったわ」
ぽつりとキャロル王女が言った――そのときだった。
「夕飯でいけるんじゃないですか? 先ほど料理長に渡しましたから、きっと美味しく調理してくれると思いますよ。血抜きもばっちりなんで期待しててください」
聞こえてきた、声。
「ハヤト、様……」
カルアの両目から涙があふれて、
「ハヤト……?」
あたしも振り返るまで――信じることができなかった。
「いやー大変な目に遭った」
ハヤトが、ずぶ濡れで生乾きのハヤトが、同じ状況のリィン様とともに立っていたんだ。
スノゥがんばった。カルアもがんばった。