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3 マナフィッシュ

 紫色の光?

 アジが光るの?

 ……アレか? なんかヤバイ化学薬品を吸い込んで異常になってるとか……。

 ちらっ、とギャラリーたちを見る。

 彼らが気にしてるのはおれだけだ。海の中の紫色アジに興味を示していない。珍しくもない……のか?

 わからない。

 でも、とりあえず釣ってみよう。だってデカイんだぜ、あいつ。他のアジよりもどう見てもデカイ。

 アジは群れで動く。群れが去る前に――。


「せいっ!」


 群れに目がけてメタルジグをキャストする。食ってきた――のは、違うアジだ。


「お前じゃないっての」


 おれが20センチ強のアジを釣って即リリースすると、ギャラリーから声が漏れる。


「なにアイツ逃がしてんだよ!? アジだぞ!?」

「アジの価値を知らないんじゃないか」

「いや、30センチ程度のアジは確保してる。尺アジだと叫んでいたからな」


 さ、叫んでました?

 よく考えると恥ずかしいな。

 でも気にしない! 釣りは楽しんだもん勝ちだ!


「せいっ!」


 また釣れたのは20センチ強のアジ。

 リリース!

 ギャラリー、がっくり。


『アジをどんどんリリースする飛び入り参加の若者! アジになんの恨みがあるのでしょうか!?』


 ちょっとアナウンスの人、煽らないで!

 いや……ね? アジは結構釣ったからもういいよね? おれだってふだんなら20センチのアジ釣れたら「ラッキー! 夜は刺身とビールだぜ……」とひとりニヤニヤしながら確保するよ? でもなあ、尺アジを始めとして|ギリギリ30センチ未満《泣き尺》もいる状態で、そんなに釣っても食い切れないから。


「……むう」


 またしても20センチのアジがかかってリリースした時点で、おれはふと考える。

 あの紫アジ……ちっともルアーを食ってこないどころか、反応すらしない。

 色が悪いのか?

 イワシカラーのメタルジグを、ピンクカラーに変更する。

 アピール度抜群だぜ!


「……むう」


 今度は一尾も食ってこない。あるぇー?

 群れはだいぶこっちに近づいてるな……待てよ!

 タックルケースに……ふだん使わないけど、確か……。


「あった!」


 大きめの針、針の根元にはぷっくりとした目玉のようなおもりがくっついている。

 ジグヘッドだ。

 針に、疑似餌としてぷにぷにワームを通してやる。

 このワームをうまく刺してやらないと違和感が出る。正直、あまり使ったことがなくて苦手なんだけど……よしっ、上手くいった。


「せええいっ!」


 ちょっとだけ気合いの量が増える。

 というのもこのジグヘッド。軽いんである。

 なんと1グラム。

 さっきまでのが20グラムだから、もうね、針がついてるんだかついてないんだかわからないほど。

 おれの竿だとキャストしても飛びにくい。


 ぴとん、とジグヘッドが着水した――。


「っきたぁあああ!!」


 潜っていくジグヘッド。

 それを目にした紫アジが動いたのは、一瞬だった。


「――は?」


 食った。

 針にかけた。

 瞬間、おれの手にかかるとんでもない重さ。


「おいおいおいおいおいアジじゃないのか!? なんだこの引きはっ……!!」


 ぐん、ぐんっ、ぐんぐん、と竿先が引き込まれる。

 右腕でロッドを挟み込むように固定。

 左手でリールを巻こうとするものの、アジのほうが力が強い。

 ジイイイイッ、とリールが鳴って、糸が出ていってしまう。


 今まで釣った中でも1、2を争う引きだ。

 65センチのシーバスとファイトしたときを思い出す。

 あのときもこうだった。

 右腕が感じる異質の引き。細い糸でつながる未知なる生命の存在感。

 アドレナリンが分泌されて海しか見えなくなる。


「逃がさねぇーっ!!」


 シーバスと戦える装備なんだぞ。アジごときに持って行かれてたまるか!

 おれはリールを絞り込んで無理矢理釣り上げる態勢に変更。

 アジが泳ぐ向きを変えるわずかな隙を狙ってリールを巻いていく。


「おい、あの魚は」

「まずいぞ!?」

「なんてこった!!」

「誰か領主様を――違う、長老を呼べ!!」


 アジが海面近くに現れるとギャラリーが騒ぎ出す。

 でも構ってる余裕なんておれにはない。

 背びれが海面を割る。

 紫色の光があたりに散る。


 おれは――釣りの最中だってのに。


 ――きれいだ。


 なんて場違いなことを考えてた。


(タモ)は要らねーっ!」


 柄付きの網を持ってきた男に断りを入れる。

 ここまでおれは強引にねじ伏せたんだ。


「おれとお前の、一対一(サシ)の勝負だもんなあっ……!!」


 足下にやってきた紫色のアジが海面で暴れる。飛沫が舞う。

 おれは身体をかがめて、なるべく下の方の糸をつかんだ。

 一気に引き上げる。


 紫色のアジは――桟橋に上がってきても紫色の光を纏っていた。




 ……で、このアジはなんなんだ?

 見た目はマアジだよな。すんげーキレイなマアジ。

 でもってびびるのがサイズだ。

 45センチ……50くらいあるのか?

 おれがさっき釣った尺アジが小さく見えるんだが?


『誰かー! 長老を、長老を呼んでくださいー! 大変なことが起きましたからー!』


 アナウンスの人が叫んでいる。

 でもっておれの周りにはギャラリーがめっちゃ増えてる。

 ていうか、釣り大会じゃなかったのか? 釣ってるヤツ他にいなくなってんぞ。


「これ、騒ぐでない」


 すると人垣が割れて、老女が現れた。「長老」「長老が来た」「これで安心だ」なんて言葉が聞こえてくる。

 いや、ていうか。

 腰を折って、手には杖。こんな足場悪いところ来て大丈夫なのか……?

 老女の目がクワッと開かれる。


「こ、これは……魔アジじゃ!!」


 ギャラリー、しん、と静まり返る。

 おれも黙ったよ。知ってたし。マアジだろ?


「「「おおおおおおおおおおおお!!」」」


 そののち、いきなり大歓声が上がったものだからおれ、超びびる。海に落ちたらどうすんだよ。


「あんたすごいな!」

「釣り名人(マイスター)だ! 釣り名人だ!」

「兄ちゃん何者だよ!? 名のある釣り師か?」

「初めて見たぜ……これが魔アジか……」


 なんか口々に声をかけられる。


「いや、さっきから釣ってたろ? マアジじゃん」


 思わず言ってしまったおれに、


「違うわい。……お前さん、やはりわからずに釣っておったか。これは魔魚(マナフィッシュ)である」


 老女に言われる。


「まなふぃっしゅ?」

「左様」

「デカイ魚ってこと?」

「否」

「紫色に光ってる魚ってこと?」

「左様。色は魚によって違うがな」


 へ、へぇ……。

 化学物質とかじゃないのか。


「食べたら美味いのか? ていうか人体にはただちに影響ない?」


 しん、とまた静まり返った。

 え? なに? なんなの? やっぱり食べたら死ぬの?


「ははは……まさか、魔魚を『食べる』だなんて発想が出てくるとは思わなかったよ」


 とそこへ現れたのは、身なりのいい女。アイゴを釣ってたヤツだ。


「私はここいら一帯の領主をしている、ランディーだ。一応男爵位を持っているが気にしなくていい」

「男爵……」


 ジャガイモの品種の話?


「お前はずいぶん遠い地からやってきたようだ。魔魚を釣っても驚かないからな」

「あ、えーと、うん、まあ?」


 適当にうなずく。

 遠いところ。そうかもしれない。

 おおかたおれは夢でも見てるんだろうし。え、夢だよな?


「だが私とて、魔魚を食べるなんてことはできない。魔魚は、その体長と同等の純金と交換できるほどだからな」


 胡椒かよ。あれは重量か。


「それほどのカネを出しても食べたいという貴族は多い。どうだ、売る気はないか?」

「え……」

「一財産を築けるだろう」


 おれはため息を吐いた。

 できすぎている。

 やっぱ夢か……そうだよな。


「いや、食べるよ」


 おれは、周囲の空気が凍りつくのを感じた。


「せっかくだからおれがさばくよ。みんなで食べよう」


 すると――あれ? ここ、大歓声が上がるところじゃないの? みんな青い顔して逃げていくんだけど?


「そ、そうか……食べる、か……だがここは貧しい村でな」


 ランディーと名乗った女も青い顔をしている。


「いや、だからいっしょに食べようぜ。食べたことないんだろ? カネなんか要らないから」

「……ふ、ふふ、私の耳がおかしくなったのかな。冗談だよな? 冗談だと言ってくれ」

「魚食うってだけで冗談なんか言わねーよ。ははは」


 思わず笑ってしまった。

 あれ、誰も笑わない。

 アジ食べようぜって言って、こんなリアクションされたのは生まれて初めてだ。

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