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25 暗い暗い水の底

レビューいただきました。ありがとうございます。原稿を進めるほうにかかりっきりで感想返し全然できてなくてすみません……!

「そん、な、バカな……」


 その場に崩れ落ちたのはロードノート伯爵だった。

 あんぐりと口を開けたあとに目を見開いているのはゲンガーだ。


「すすすすごいですっ、ご主人様!」

「まったく、貴男という人は……」


 おれの横ではカルアが飛び跳ね、リィンが呆れたような優しい目でおれを見ていた。


「いやぁ……まだ手が震えてるわ」


 ここまで引いたのも、釣り上げられるか焦ったのも初めてだった。

 引き上げた魚体は、なんと60センチというトンデモサイズの「サバ」だった。

 種類で言うとマサバだ。

 でも……なんか、青色の光を帯びてるわけで。


「これ、もしかして……魔魚?」

「無論です」

「魔サバとか言ったりする?」

「そのとおりです」


 うんうんとうなずいているリィン。魔イワシ釣ったときにはめっちゃびっくりしてたのに、もう慣れたものか。

 しかし……キレイな魚体だ。

 サバの背は青く、腹は銀色なんだけど、鏡みたいに美しい銀なんだよ。そこに青色の光がもやのように掛かってる。

 脂すげーのってるぞ、これ。


「サイズとしても、魚種としても、ハヤトさんの勝ちですね。そうでしょう、審判?」


 リィンがたずねると、審判に任命されたロードノート伯爵家の人間は、伯爵をうかがった。

 がくりと伯爵が頭を垂れた。


 そして制限時間はいっぱいとなる。


「しょ、勝者はハヤト=ウシオ殿となります」


 こうしておれは、釣り勝負に勝利した。




「どうするんですか、ご主人様……」


 勝ったのはいいけど、確かにいろいろと困るんだよな。

 ゆらりゆらりと小舟の上。

 相変わらず船酔い気味のリィンにおれは聞いてみる。


「なあ。お抱え釣り師って、断れるのかな?」

「無理に決まっているでしょう……そもそもどうして断るという発想になるんですか」

「自由がなくなっちゃうのはなあ」

「自由ですよ。好きに釣りをしてていいし」

「でもこの国だけだろ?」

「それはまあ……大体、他国に行ったとしましょう。魔魚を釣った、しかも王女直々のお抱え釣り師、となれば奪い合いになりますよ?」


 怖いな。釣りは平和にやろうよ。


「ハヤトさん……あの、そんなに、イヤですか? この国が?」

「え? 別にそういうんじゃないよ。ただいろんなところで釣りがしたいだけ」

「ふふ。ハヤトさんはすべて『釣りが基準』なのですね」

「い、いや、そういうわけでもないんだけど……」


 笑ったリィンがまぶしすぎる。

「リィンが基準」でもいいんですが、ぼくとしましては。


「それにしてもっ」


 おれとリィンが話していると、ぐい、とおれの袖を引いてカルアが言う。なんかちょっと不機嫌な感じである。

 どうした? 腹減ったか? おれは減ったぞ。


「あの伯爵様はどうなるんですか? ここまで大々的に釣り勝負をして負けたんですよね? ご主人様が危なくないですか?」

「ええ、不安になる気持ちもわかりますが安心してください。危険はそれほど大きくないと言えるでしょう。正々堂々と勝負したのです、ここで逆恨みをしたらそれこそ笑いものになります。貴族というものはなにより面子を大事にするのですから」

「でも」

「それでもまだ……不安ですか? そうですね――魔サバを釣ったのですよ、帰ったら大騒ぎになるでしょう。お抱え釣り師になるのはもちろん、一躍有名人になります、ハヤトさんは。そうなれば騎士団が直々にハヤトさんを守ることになりますし、ますます危険はなくなるでしょう」

「……そう、なんですかね」


 カルアは納得してないふうだ。

 どうしたんだろう? おれはリィンの説明で結構安心したんだけど。ていうか有名人になるって……おいおいおい~町を歩いたら女の子に囲まれちゃったりするのか~? ヤバくなーい? それってヤバくなーい?

 はっ。リィンが気味悪そうにおれを見ている。


「あの……ご主人様。カルアの勘違いかもしれないんですけど」


 小声でカルアがおれにささやく。


「……ああいう人は、追い詰められるとなりふり構わなくなるんです。イヤなことを……言いますけど…………ご主人様を殺そうとするかもしれない」

「え?」


 おれがカルアに聞き返そうとしたときだった。


「うわっ!?」


 船頭が変な声を上げた。


「え?」


 彼は――ジャンプした。

 どぼーんと水しぶきがあがる。


「え?」


 どうして船から下りた?


「ハヤトさん、危ない!!」


 リィンがおれに覆い被さってくる。

 その向こうに見えたのは帆船。

 ロードノート伯爵が乗っている帆船。

 そこから放出された火球――攻撃魔法だった。




 おれは押し倒されるように海に落ちた。その弾みで船がひっくり返り、カルアも海に落ちた。

 そのすぐそばに火球が着弾し、海水が爆ぜる。


(なんだ!? カルアが言ったとおり、おれを殺そうとしたのか!?)


 ゆらゆらとタックルケースとロッドケースが海中に落ちていく。ああ、くそっ。おれが残業しまくって溜めた給料とボーナスをつぎ込んで買ったのにっ。

 血抜きもした魔サバもどこかに流されていく。

 あー、もう、もう、もう!

 おれはフローティングベストを着ているから海面に浮き上がろうとする。溺れる心配はない――んだけど、


(リィン!)


 リィンは別だ。

 彼女は着ているんだ、鎧を。

 急いで鎧を脱ごうとしているけど、時間がかかるんだろう、篭手を外すのにも時間がかかっている。


「ぶはっ――!」


 海面に顔を出したおれはフローティングベストのジッパーを下げ、脱ぎ捨てた。

 そこへまた火球が降ってくる。

 ガチだ。ガチで殺しに来てる。


「すぅぅぅぅ――」


 水中に潜る。

 カルアは――いない!? なんで!? あ――いた。ひっくり返った船の中に顔を出している。海上からじゃカルアは見えないだろう。

 よし、お前はそのままでいろ。


(おれは、リィンを助ける!)


 潜水していく。

 泳ぎは正直そこまで得意じゃない。

 ちょっと潜っただけで頭に刺すような痛み。

 だけどリィンはもっと先――海底に到達している。


(リィン、リィン、リィン!)


 彼女もおれに気がついて、驚いた顔をする。首を横に振る。来るな、と言ってるみたいに。

 行くよ。

 助けるよ。

 王都に着くまでにモンスターを倒してくれたろ。

 おれのために騎士団とか走り回ってくれたろ。

 火球からおれを守るために身体を張ったろ。


 ちょっとは恩返しさせてくれよ!


 おれが手を伸ばす。

 ためらってから、彼女が手を伸ばす。

 だけど彼女は金属の鎧を着込んでる。

 どうなんだこれ。大丈夫なのか? クソ、苦しい。頭がいてえ。

 指先が触れる。彼女の手をつかむ。引っ張り上げる――ああああ、重い! 重すぎる! だから鎧脱いでって言ったのに!


 がぼっ。


 おれの口から空気が漏れる。

 リィンがおれの手を払う――首を横に振る。来るな、と言うように。

 どうすりゃいいんだ。

 どうすれば――。


 ぐっ!?


 そのとき、急な潮が流れてくる。

 リィンと離ればなれになる。

 おれは自分が浮かび上がることすらできなくなったのに気がついた。

 流されていくその先は……水深、15メートル以上の深い海があった。

やっちまったハヤトがやられちまいました。次回はちびっこたちが活躍します。

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