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24 本気

「貴様ぁぁっ!! なんだその態度は! この私が自らやってきて、このロードノート家お抱えの釣り名人を連れてきたというのだぞ!!」


 面と向かってブチ切れられて、おれはようやくわかったんだ。

 あ、この人、「わざと負けられても怒る人種」なんだ、って。

 超めんどくさい。

 ランディーが考えた作戦だから間違いないやって思ってたけど、よくよく考えたら「手加減しろ」とか「はたから見てもわかるくらい手を抜け」とは言ってなかったんだよな……。


「今のはクロソイだったな!?」

「えーと、はい。目がいいんですね。ていうか魚種もよくわかりますね」

「かなりのサイズだった! なぜリリースした!?」

「いや、リリースじゃないですよ。取り込みに失敗してバラしたんです」

「ウソをつけ! 貴様がすくい上げて針を抜き、エラを海面で洗わせながら逃がしたのを見たぞ!!」

「げっ。全部見てたの? さすがにちょっと気持ち悪いんですけど」

「き、さ、ま……ここまで私をコケにするとはな……!!」


 やべ、言い過ぎた。

 顔真っ赤にしてぷるぷる震えてる伯爵はもう顔赤いっていうかどす黒くなってきてる。


「…………?」


 すると、なにかに気づいたように、


「は、はは……そうか、そうだったのか。貴様、最初からそのつもりだったな? このロードノートを『笑いもの』にする気だったんだろう」

「へ?」

「どこの家の者だ? どこから金をもらっている?」

「い、いや、そんなことないですよ。どうしてそういう発想になっちゃうんですか? おれはただ自由でいたいだけですよ」


 つーか怖いよこのオッサン。


「ははは。自由か。なるほど? ほんとうに自由が得られると思ったか?」

「……どういうこと?」

「いいか。これで貴様が負けたら、貴様がこの国に二度と入れないようにしてやる。そっちの亜人は奴隷か? 貴様の所有権を奪い、この国の所属――そうだな、うちで飼ってやろう」


 は?


「後悔しても遅いぞ。残り時間はわずかだ。恨むなら、私を笑いものにしようとした浅はかな計画を立てた人間を恨め!」

「いやいや、ちょっと待ってよ。なんでそこでカルアが出てくるんだよ。カルアは奴隷じゃねーし、そもそも関係ないだろ」

「それを決めるのは権力者(わたし)だ!」

「お待ちください、ロードノート伯爵。ハヤトさんは確かな実績を残している釣り師。ここでビグサーク王国を追い出すような真似は……」


 間に入り込んだリィンに、ぎょろりと目を向ける伯爵。


「ゲンガーのほうが優れた釣り師だと証明されるのだ。なんの問題もないだろうが」

「しかし、これは王国にとって損失――」

「ははあ? なるほど、なるほど。女だてらに騎士を目指した貴様もまた、女だったということか」

「なにをおっしゃりたいのですか」

「実績ある釣り師だとはどの口で言うんだ? ん? その男の股に生えた汚らわしい竿をくわえた口か?」

「なっ――」


 リィンの顔が真っ青になったあと、すぐに紅潮する。


「そ、そ、そんなことはありません! 今すぐ撤回してください!」

「騎士団長にもそのように言っておこう。私情を優先した女騎士など、そこいらの娘となにも変わらんと。よかったな。その男とともにこの王国から出ることもできよう――いや、私が、この国に戻ることを許さん! 当然だ!」

「伯爵! わたくしはそのような――」


 リィンが言葉を止めた。

 おれが手で制したからな。


「あー。おれ、確かに負けるつもりでここに来たわ。他の国にも行きたいし」


 おれのことはどうでもいい。なんと言ってくれても構わない。

 だけどな。

 カルアに手を出してみろ。

 リィンにふざけたこと抜かしてみろ。


「……でも止めだ。負けるのなんて、止め」


 絶対に許さねえ。


「くくく、はははははは! 残りわずかな時間でなにができる! さっき釣った魚を呼び戻して見せるのか!? わはははははは――」


 おれは歩き出した。

 何事かとこっちを見ているゲンガーたちがいたが、無視して、彼らの反対側に向かう。

 向かい風。

 風のせいで、こっちの釣り座は確保されていない。


 あいつらからしたら、おれのやろうとしていることはさぞかし滑稽だろう。

 でもな。

 おれの目はもうとらえていた。

 80メートルほど先――海面がふつふつと白い。

 ナブラが立っている。

 ゴールデンオレンジのメタルジグ40グラムを装着する。


「ハヤトさん、今からではさすがに無理では……」

「リィン。泣くなよ。お前は笑ってるほうがかわいい」

「なっ!?」


 うっすら目がにじんでたからな。

 リィン、言葉で攻められると弱いんだ。

 しかも「女」ってのは「騎士」であろうとするリィンのいちばんの弱点だもんな。


「ハヤト様……」

「大丈夫。お前が悲しむようなことは、もう二度と起きない」


 カルアの心配そうな顔。

 もう、こいつに悲しい思いなんてさせてたまるかよ。

 両親に見捨てられ、さんざんいたぶられた。もう一生分、つらい思いはしたろうが。

 大丈夫だ、カルア。大丈夫だよ。


「うおおおおおおおおおおっ!!」


 おれは――シーバスロッドを振りかぶり、ぶん投げた。


 あとで聞いたところによると、ゲンガーは口をあんぐりしてこっちを見ていたらしい。

 まあな。

 いくらブルードラゴンの竿でも、リールは片軸受けリールだ。ゲンガーがぶん投げても40メートルがいいところ。

 それを、おれは余裕で超える。倍以上の飛距離を出す。しかも向かい風。


 メタルジグはナブラの向こうにきれいに着水した。

 風によってふくらんで流れていった(ライン)を、リールを巻いて回収する。

 竿先からじんわりと伝わってくる。

 感じる抵抗は、メタルジグが海中を進んでいく感触だ。


 さあ、こっからだ。

 おれは竿をしゃくる。

 くんっ、とメタルジグが上がる。

 ラインの張り(テンション)を緩める。

 ひらひらひらっ、と降りていく。

 もう一度上げる。

 降りていく。

 イメージは弱ったイワシだ。なんとか逃げようとしている。でも、力尽きて今にも泳ぐのを止めてしまいそう。


 さあ――食いついてこい。

 こい。

 こいっ。

 お前がそこにいるのはわかってる。

 イワシを捕食する殺戮者(フィッシュイーター)よ――。


「!?」


 思考が一瞬、吹っ飛んだ。

 頭ん中が真っ白になったんだ。

 だけど筋肉が反応していた。

 いきなりだ。

 いきなり持って行かれそうになった。

 立ち上げた竿、ピンと張ったライン。

 ぐん、ぐんぐん、ぐんぐんぐんっ、と引き込まれていく竿先。


「な、ん、だ、これ、は……!?」


 未知の引き。力強さ。

 いまだかつて感じたことのない重さ。

 おれは不安を覚える。これほどの重さで――ラインは耐えられるか? いや、ジグの針を曲げられて逃亡(バレ)ないか……?


 あわててリールの張力を緩める。じいいいいっと音が鳴ってラインが出ていく。

 竿の柔軟性、リールの絞り、ラインの先に結んでいるショックリーダーの伸縮性。

 これらを総合して魚の急な動きで逃げられるのを防ぐ。

 総力戦だ。

 魚とおれの一対一。

 こちらに鼻先が向いた瞬間、巻き上げる。だが下へ、向こうへと逃げ出そうとする魚のためにまたもラインがじいいいっと音を立てて出て行ってしまう。

 心臓がイヤになるくらいの鼓動を刻む。

 逃がしたくねえ。

 引き寄せていく。徐々に、徐々に。


「がんばってっ、ご主人様っ……!」


 カルアの祈るような声。


「がんばって、ハヤトさん!」


 力強さの中に優しさがあふれているリィンの声。


「おおおおおおおっ!!」


 一気に引き寄せる。

 魚体が海面に現れる。

 その瞬間、放たれる光は、青――。



 釣り上げた魚を見て、おれが感じたのは――「またやっちまった」という淡い後悔と、「ま、これなら負けることは100パーねえな」という安心感だった。

いったい何を釣ってしまったんだ……(棒)。

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