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23 磯がおれを呼んでる。

 船はゆったりゆったりと進んでいく。櫓を漕いでいる船頭は慣れたものでなかなかスピードが出てくる。


「う……」


 揺れが気持ち悪いのか、さっそくリィンが青い顔をしている。と思ったらカルアも青い顔をしている。

 こんなんで気持ち悪がっていたら船釣りできないぞ。


 王都の港を出ると、向こうに磯が見えた。

 沖磯というヤツだ。

 そこに至るまでの水深は確かに浅いのだろう、底が見えている。砂地だな。海藻がゆらゆらしてるわ。


 シロギスがいそうだなあ。

 そう言えばこっちにはアオギスはいるのかな?

 江戸前のキスと言えばアオギスだったんだが、東京湾では絶滅したと言われている。一度くらい釣ってみたい。

 でも……深いところには海竜がいるんだよな。そう思うとやっぱり怖い。


 伯爵の船はとっくに磯についていた。

 広い磯だ。400平米とか、もうちょっとあるかもしれない。

 東側にそそり立つ岩がある。茅ヶ崎にある沖磯、烏帽子岩を思い出した。行きたい行きたいと思いながら結局一度も渡船を頼まなかったな。


 おれたちが着くころには、ゲンガーはすでに釣り座を押さえていた……3箇所ほど。

 えー、弟子に場所取りさせるの? それはちょっとずるいなあ。まあ、負ける気だからいいはいいんだけども。


「遅い。ようやく到着したか」


 腕組みをしたロードノート伯爵が吐き捨てるように言う。いやいや、船のサイズが違うでしょうよ。そっちは帆船だし。


「釣り勝負のルールは王都大会のルールに準じるものとする。審判はこの者が務める」


 ひっそりと手を挙げたのは伯爵の付き人だ。

 それを見たリィンが、船酔いの残る青ざめた顔で口を挟む。


「お待ちください、伯爵。審判までそちらから出すというのは……」

「釣れた魚が大きいかどうかを比べる審判だ。誰がやっても同じことよ。それともなにか? 貴様は我らが不正をするとでも言いたいのか?」

「い、いえ、そういうわけでは……」

「では異論はないだろうが。よし、勝負始め!」


 うわー、始まっちゃった。おれ、船から下りたばかりでなんの準備もしてないんだけどな。あと王都大会のルールっての、知らないぞ。

 ゲンガーは準備万端だ。「始め」の声で第一投を放り込んでるもの。


「申し訳ありません、ハヤトさん。伯爵は勝ちを焦るあまりこうなっているのです。貴男が嫌いなわけではありませんし、ビグサーク王国の人間がみんなこうだということもないのです」

「や、リィンが謝ることはないよ。……別に勝つ気もないし……」

「え? 今なんて?」

「あー、いや、こっちの話。それで王都大会ルールってのは?」


 リィンは「王都大会」ルールについてよく知っていた。

 制限時間は3時間。その間に、いかに大きな魚を釣るか。それだけ。

 魚種はなんでもいい。重さは対象外。サイズがいちばん重要なんだとか。


「じゃ、ちょっくらゲンガー先生の様子を見に行こうかね」

「え!? ハヤトさん、釣りは!?」


 おれはタックルを下ろしてカルアに任せるとゲンガーの様子を見に行った。

 まず気になったのは竿だ。

 長い。すんげー長い。7メートルくらいあるか? こんな竿、見たことないぞ。


「ふんぬううっ!!」


 びゅおうと円を描くように振り回して、ハンマー投げみたいな容量でぶん投げている。

 うお……すっげえ迫力。

 額に青筋立ってるし。

 ていうかこんな投げ方で竿も折れないんだな。あの白いヤツ、竹じゃないな。変わった素材だ。あー、スノゥに来てもらえばよかった。

 うーん……なんの素材なんだろう。

 知りたい。

 ん? そうか、スノゥに聞く必要なんてないじゃないか!


「ゲンガーさん、それって投げサビキですか?」


 おれ、ゲンガーに直接聞く手段に出る。

 まさか話しかけてくると思わなかったのか、ゲンガーがびっくりした顔をし、子分や取り巻きたちもぎょっとしてる。

 ちなみにケバいお姉さんはイスを出して座っていた。

 あ……そんなふうに膝を組んだらスカートの奥が見えてしまいますよ。


「む、ま、まあ、そうだが……」

「いやしかし、すごいっすね。あんなに飛ぶなんて」

「たいしたことはない」


 褒められてうれしいのか、竿を持ったまま自慢げな顔をする。

 投げサビキとは、先端に重りをつけて、その手前に枝のように針を分岐させた仕掛けを使う釣りのことだ。

 先端に重りがあるからぶん投げやすくて、広範囲を探れる。

 針は疑似餌だ。ひらひらが針に巻きつけてあるサビキ針。

 海中をサビキ針が漂うことで、エビや小魚のように見せる。それによって魚に食わせる仕組みなんだ。


「その竿って、もしかして……」

「わかるか。これがあの有名な、ブルードラゴンの骨を利用した竿よ」

「ええっ!? ブルードラゴン!?」


 マジかよ! ドラゴンかよ! いるのかよドラゴン!


「そうとも。あのブルードラゴンよ。これまで討伐されたのも数頭という希少種で、その肉の美味なることから――」


 なんか滔々と説明してくれてるけど、おれとしてはドラゴンがいることのほうにびっくりだわ。

 まあな。魔法があるくらいだもんな。ドラゴンがいてもおかしくないよな。っつうか海竜だってシードラゴンみたいなもんだよな?


「お前、なにをなれ合っている!!」


 伯爵が気がついてやってくる。相変わらず怒りっぽいな。

 ゲンガーもマズイと思ったのか、取り澄ましたような顔になって、


「なるほど。こちらの釣り方を参考に、追いつこうという作戦か。浅はかだな」


 と言ってきた。

 いやー、単に興味があっただけなんだけど。

 とりあえず聞けることは聞けたからいいか。


「なにをしているんですか、ハヤトさん……」

「ご主人様、大丈夫でしたか? ケガはありませんか?」


 戻るとふたりに心配された。

 いやいやケガなんてないよ。大げさだな、釣りに来ているだけなのに。……とか言ってるとフラグっぽくなってくるから言わないほうがいいな。


 それからおれはぐるっと磯を回ってみた。

 なるほど、確かにいい場所はゲンガーが確保してるな。

 風向き、潮の流れ、海底にある沈み根の位置……こういうのを総合すると、すぐそこに魚がいそうな場所はもう他にないっぽい。


 そのゲンガーはぽつぽつとアジを上げていた。釣り上げるたびに取り巻きたちが「うおーっ」と拍手する。

 ん? あれ? 弟子も釣ってる?

 あー。そういうことか。

 弟子が釣れたらゲンガーがそこに行くわけか。で、どの辺で釣れたかを聞いて、同じところに仕掛けを投げ込む。

 基本的にアジは群れる魚だから、同じようにやれば釣れるんだよな。

 ずりー。

 まあ、負けるつもりだからいいんだけど……負けるつもりだから。

 負けるつもりだから。

 負け、る、つもり……。


「…………」


 一級の沖磯。

 こんな釣り場を前に、おれは釣らなくていいんだろうか。

 い、いや、負けるよ?

 負けるつもりだよ?

 でも手が、もにょもにょする。うずうずするんだ。


「……ハヤト様?」


 カルアが怪訝な顔をする。

 おれがロッドケースから釣り竿出してリールをセッティングしてるんだもん。そりゃ怪訝な顔をするよな。おれはなんせここに「負けに」きたんだから。


「フリだよ、フリ、釣ってるフリしなきゃ」

「あ、なるほど」


 と納得したカルアだったけど、


「……フリ、ですよね? ほんとにフリだけですよね?」

「…………」

「ハヤト様!?」


 磯が、おれを呼んでる。

 ざっぱーんと波があたり、白い泡を立ててうねる。

 こんな磯を前に釣らなきゃ、釣り人じゃないでしょ!


「ひゃっほう!」

「ハヤト様!?」


 おれ、早速ルアーをつけてキャストする。

 ジグヘッドにワーム、という組み合わせ。前の町でカサゴやアイナメを釣ったときと同じ装備だ。

 釣り針は摩耗してたけど研ぎ直してある。


「お?」


 うねりの中に落として、沈んでいる岩場のぎりぎりを攻めていく。

 するといきなりコツンと当たりがあったのだ。


「来いやぁっ!」


 かけ(ヽヽ)たっ。

 くん、くんくんっ、と引き込まれる気持ちのよい引き。

 水面に姿を現したのは――、


「お前かよっ」


 アイゴだ。

 フゥム村の釣り大会でランディーが釣ってたあの毒魚な。


 実はこいつ、磯場の海藻もかなり食う。アイゴが繁殖すると磯焼けって言って剝き出しの岩場になっちゃうんだよ。城ヶ島にはこいつがいっぱいいてな……。

 で、植物を食べるから内臓が発達していてびろーんと長い小腸があるんだが……その小腸を食うという文化が九州のほうにはあるんだとか。

 すんげーニオイですんげー珍味なんだとか。

 ちょっとぼくにはむりです。


「リリース!」

「あ、ちょっ、ハヤトさん!? なにをしているんですか! 釣り勝負なんですよ、今のはなかなかのサイズだったんじゃ……」


 あ……リィンがいるの忘れてた。


「え、えーっと? そうでもなかった。そうでもなかったよ、うん。ゲンガーの釣ってるサイズに比べれば小さかった」

「いい勝負のように見えましたが」

「水の中ではそう見えるんだ。大きく見える」

「そう……なんですか?」

「うん、そう」


 リィンを丸め込むことに成功した。

 あぶねー。

 アイゴって簡単にでかくなるからな。ゲンガーがぽつぽつ上げているアジと比べたらヘタすると勝っちゃうぞ。


「…………」


 カルアがジト目でおれを見てくる。

 おいっ、お前、おれはご主人じゃないのかっ。


 以降はおれ、なかなか大物を釣り上げないよう注意しながら釣りをする……つもりが、そんなことできるわけないんだよ。

 釣りなんて魚の気分で食ってくるもんだし、その気にさせるのが釣り人の腕ではあるんだけど。


「やべっ」


 めっちゃ重い引き。

 無理矢理ぶっこ抜くと、どこからどう見ても30センチオーバーのアイナメです。

 こいつがまた刺身にしても美味いし、焼いても美味いし、煮ても美味いし、あらを使って味噌汁も美味いし、


「リリース!」

「ハヤトさん!?」


 速攻でリィンからのツッコミが入り、カルアがおれをジト目で見る。


「産卵期の魚だから釣ってはいけないのだ」

「で、でも釣り勝負が」

「リィン。おれは自分の信念を曲げてまで釣りをしたくない」

「ハヤトさん……」


 なにかに感動したのかちょっとリィンの目が潤んでいる。

 すまん。今のアイナメはオスだ。


 よっしゃ、じゃんじゃん行くぜ!


「くっ、カサゴか……リリース!」


「ぬおー、引くぞこいつは! ヒ・ラ・ス・ズ・キィ! リリース!」


「ソイのデカイ口がたまらねぇ! リリース!」


 40センチに迫る個体もいたが全部リリースした。

 そうこうしているうちに残り時間は30分になっていた。いやーほんと釣りって時間を忘れるわ。


「ん……」


 おれは――こっちに向けられている視線に気がついた。

 ロードノート伯爵だ。


 おれはこのときまで、貴族って生き物がどういうものなのかわかっていなかった。

「わざと負ける」道を選んだことに、さすがに、ヤツも気づいた。

 するとどうなるか――ヤツは「本気になった自分をコケにした」と考える。それってつまり「面子をつぶされた」ってこと。

 自分が卑怯な手段を使うのは構わないが、相手にバカにされるとブチ切れる。

 貴族はそんなめんどくさい生き物なんだ。

 ロードノート伯爵が、肩を怒らせておれのほうへとやってきた。

「釣りに行きたくなった」っていう感想がいちばんうれしいです。

……なぜなら私も死ぬほど行きたいから。

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