21 しゃぶしゃぶしちゃう?
「おおお、できたか、ウシオ!」
おれが王家の食堂に現れると王が立ち上がって喜んだ。
壁際にいたロー……なんとか伯爵は苦々しげな顔でこっちを見てくる。いやほんと、にらまないで。
「まあ、この方がイナダを釣ったの?」
……はい?
この方はどちら様ですか?
おれ、横のリィンに怪訝な目を向ける。リィン、蒼白になる。
「きゃ、キャロル王女もおいででしたか……」
王女。
ああ、はい。
知ってます。
王様の娘ですよね?
なんでだよおおおおおおおおお! 王家増やしちゃダメ! 安易な王家の増員に反対! おれの処刑リスクを上げないで! リスクが上がってもリターンはないのよ!
震えるおれにリィンが囁く。
「……ハヤトさん、キャロル王女は……大変な食通でいらっしゃいます」
リスク上昇天井知らず!
「ご自分で釣られる上にお料理までできるなんてすごいですわ!」
無邪気に笑ってる。
あれ――なんつーか、可愛い。
10代後半なのは間違いないけど、はっきりとはわからない。
オレンジ色の髪はふんわりと長く、着ているドレスは明るいレモン色でこちらもシルエットがふんわりしている。
あー、これはアレですか。体重が気になるお年頃ですか。
トレーニングで引き締まったリィンとは違う。でも、おれは健康的にふっくらしている子も好きだ。包容力あるしね。そうね。あれね。む、胸とか大きいしね……。
「? どうされました?」
ヤバイ、胸のこととか考えてる場合じゃなかった。おれは今、処刑の危機に直面してるんだ!
「す、すみません、王女のお口に合うか心配で」
「まあ」
ぱっちりとした目をぱちぱちしている。パチンパチンと音でも鳴りそうだ。
ていうかそのリアクションはなに?「あたくしのメガネに適うとでも思っているの?」っていうアピール? 怖すぎるんだが。
「キャロル王女。このような者と話をなさることはありませんよ」
おれをにらみまくってくる伯爵がそんなことを言いながらおれと王女の間に入り込んでくる。
もうこの人おれのこと嫌いすぎでしょ。今までここまで他人から嫌われたこと、なかったよ。
「ロードノート伯爵、優秀な釣り人に敬意を払うのは王家の一員として当然ですわ。この世界では今や優秀な釣り人を抱えることこそが国を富ませる近道」
え、そこまで?
「それに……お魚はヘルシーですしね?」
あ、やっぱり体重とか気になってます?
やだもう、この子可愛いんだが? 王女じゃなきゃL●NE交換してるレベル。ウソです。そんな度胸ないです。
「王女。しかしですな、この者が実際に釣ったかどうか、証明できていないんですよ。大体魔イワシを釣ったというのもほんとうかどうか」
「まあ! 魔魚も釣られたんですの!?」
「おそらくウソです。ウソに決まっている」
「ウシオ様、魔魚はどうされたんですか!?」
「キャロル王女! こんな者に『様』付けなどなりませぬ! ほれ、お前も近寄るな、分を弁えろ!」
しっしっ、と犬でも追い払うようにやられるおれ。
……ってかなんでおれがそこまで言われなきゃいけないの?
さすがにちょっと頭に来たわ。
「つーか、イナダしゃぶしゃぶを作ってくれって言ったのは王様なんですけど。あなた関係ないでしょ?」
言った。言っちゃった。
「なっ――」
しん、と静まり返る食堂。
にらみ伯爵の顔が真っ青になったと思うと真っ赤に変わった。
リィンの天使の顔が彫刻のように強ばり、カルアの瞳から光が消え、スノゥだけはうんうんとなぜかうなずいていた。
「――面白いですわ」
沈黙を破ったのはキャロル王女だった。
「これは是が非でもイナダしゃぶしゃぶとやらを食べてみないと! お父様に無理を言って正解でした!」
と言いながらも目が笑ってない――あ、ヤバイ。いちばん火を点けちゃいけない人に点火した可能性が……。
そんなタイミングで料理長がカートを引いて入ってきた。
広々としたテーブルに着席しているのは王様と王女のふたりだけ。
「ほう! なんだねこれは」
テーブルにまず置かれたのは熱を供給できるマジックアイテム――おれから見るとどう見てもガスコンロなんだが、機能的には同じだ。
そこにドドンと載せられる土鍋。すでにほかほかの湯気が立っている。
いやー、土鍋があると思わなかったわ。びっくりだわ。
透明なお湯がぐらぐらと煮えている。うーん、初夏にしゃぶしゃぶ。まあいいか。
「ふん、こんな日和に熱い料理とはな」
ぼそっ、と恨み伯爵が言う。クソ、おれが気にしていたことを……。
「この黒いものはなんですの?」
「ああ、それはポン酢です」
そうなんだよ。ポン酢なんだよ。
ポン酢に近い発想はあったんだ、この世界にも。酢に醤油、それに柑橘類の果汁な。
いくつか味見させてもらって、ちょこっと味を調整したらおれが知ってるポン酢になった。
「もみじおろしを入れてもいいですし、そのままでも大丈夫です」
「こちらのお野菜は?」
「それは――まずしゃぶしゃぶの説明をしましょう」
いいタイミングで大皿が入ってきた。
「わあ」
王女の目が輝く。
大皿には薄いイナダの切り身が盛りつけてある。フグの薄造りに近いイメージで、花が開いたような形に並べてね。
イナダの身がキレイなんだ。見ても楽しい、ってあるよな。
「早く食べたいのう」
「お父様、はしたないですわ」
たしなめるキャラル王女もテーブルの縁に載せられた指先が動こうとしている。食べたいんですね、わかります。
「イナダなのでこのまま刺身でも美味いんですが、今回はしゃぶしゃぶということで……この土鍋を使います。食べ方は簡単。切り身を取っていただいて、沸騰する中にくぐらせてください」
「この……お湯に?」
「ええ。ほんの1回か2回、しゃぶしゃぶとやるだけでいいです。そうしたらポン酢をつけて召し上がってください」
「それだけ? このお湯につけるだけ……」
明らかにがっかりしたような表情の王女。
「まあ、なにはともあれ食べてみてください」
ちなみに毒味は済んでいる。必ずやらなきゃいけないシステムらしい。王族も大変だ。
半信半疑という顔で――いや、9割方疑った顔で、箸を手に取るふたり。
つままれたイナダは、ぷるんと弾力がある。そうなんだよ、釣りたてのイナダはコリコリの弾力がすごいんだよね。
疑った顔の王女だったけど、こんなに鮮度のいいイナダは初めてなのかもしれない。目がきらんと光った。
イナダの身がお湯に浸かる――「お湯につけるだけ」と言ったよな、王女さんよ。違うぜ。ただのお湯じゃねえ。
底に敷いてあるのは昆布だ。これがどんな意味を持つかわかるかい?
一瞬で、ピンクだったイナダの身が白くなる。その間に昆布のダシがイナダの身に染みこむんだ。
引き上げられたイナダから立ち上る湯気。それをポン酢の皿にダイブさせる――。
「はむっ」
口に運んだ王女は、もぐ、もぐ、と口を動かして――目を見開く。
横の王様を見る。
同じように食べていた王様がうんうんとうなずく。
「美味しぃっ!」
思わずおれ、ガッツポーズ。
中は生なのでぷるんとしているけど、外は昆布のダシを吸っている。
そこに加わるポン酢のさっぱりとした味。
本来魚ってのはさ、中骨に太い血管があって血が溜まるんだ。うまく血抜きしてもゼロになるわけじゃないからな。
それに、生き物だ。生臭さは多少なりともある。
だけど外側を湯に通したら?
「全然生臭さがない……それに昆布の香りがついてる! それにこの――ポン酢というの? このタレのおかげでものすごく口の中がさわやかなの」
「そしてこの歯ごたえよ! イナダがコリコリとしていてのう、魚の凝縮された旨みが爆発する!」
王女と王様が感激している。
いやー、そこまで喜んでもらえてうれしいよ。
確かにイナダのこの食感ばっかりは釣ってすぐじゃないと味わえないからなあ。釣り人の特権ってヤツだな。
「さて、ではお二方……」
おれが話そうとしているのに王様と王女がぱくぱくとしゃぶしゃぶしてはイナダをぱくついている。それを眺めることしかできない料理長やお付きの人たち、お偉いさんや嫉妬伯爵もゴクリって感じでつばを呑んでいる。
「あの、いいですか? この野菜ですが、これも入れてみましょう」
わずかに出ていたアクをすくった料理長が、野菜を追加する。水菜や春菊といった葉物だ。
これを……しゃぶしゃぶしたイナダでくるんと巻いて食べると、
「へるしぃ~っ!」
ほっぺたに手を当てて王女が声を上げる。
そう! ただでさえサッパリしてていくらでも食べられるイナダしゃぶしゃぶ。
そこにしゃっきりした葉っぱが追加されて、ますます箸が進むってわけだ。
もみじおろしもあれば違った味も楽しめる。
「何パターンかポン酢もご用意しました。お好きな味で食べてみてください」
最初のポン酢はおれの知ってるミ●カンの味に調整したもの。
他のは、料理長オススメや他の料理人たちが推薦した味。
「ほう、余はこちらのもののほうが好きだな!」
王様が選んだのは料理長オススメだ。
さすが料理長。王様の好みを熟知してる。
「わたくしはやはり最初に食べたものがいちばんですわ」
「それは――ウシオ殿が調整したものですね」
料理長の指摘に、王女がおれを見た。
っていうかアレだ。
おれのことをようやく思い出したって感じ。
忘れてたよね?
まあ、いいんだけど。喜んでくれたならなによりだし。つーかおれも腹が減ったよ。
「ウシオ様。わたくし、あなたに謝らなければなりませんわ。釣り人であるあなたが作る料理……もっと粗野なものを想像していました。実際に拝見したものも、わたくしがふだんから口にするものとは違いますし」
ああ、そうだろうな。
しゃぶしゃぶって言っても、釣った魚のしゃぶしゃぶなんて庶民の料理だし。
「でも王女。高級な牛肉をすごーく薄く切ってしゃぶしゃぶするとたまらないですよ。ポン酢もいいし、ごまだれなんかも最高で」
「お、お肉を……!? ご、ごまだれ……」
じゅる、って音しなかった?
するわけないかー王女がそんなはしたない音出すわけないよなー。
……ごまだれに反応するとは、やるな!
おれも大好きだぜ!
「料理長、わかってますね?」
「もちろんでございます」
ポケットから出したメモになにかを書きつけている料理長。これは食べる気だな。夏なのに高級牛肉でしゃぶしゃぶする気だな! うらやましい! いや、おれもやろう! 金ならそこそこあるからなっ。
「ともかくですね……ウシオ様、あなたを軽んじたことを深く反省し、お詫びしますわ」
数人いたお偉いさん――にらみ伯爵たちがぎょっとした顔をした。
そりゃそうだよ、王女が簡単にお詫びしちゃダメだよ。おれだって知ってる。取引先に簡単に詫びるなって。その代わり相手が仕事の発注元ならこっちが悪くなくても謝れって。
「だ、大丈夫です、気にしてないですよ。おれってこんなんだし……偉い人を前にすると挙動不審になるのは昔からだし……」
「――あなたはお優しく、誠実でもありますのね」
にっこりと笑った王女。
おお、やっぱり可愛いな。体重のことなんて気にしなくても全然大丈夫だよ。それだけでいくらでも男は釣れるよ。
「お父様」
「なんだい?」
ぽんぽんと腹を叩く王様。ちょっと食い過ぎじゃないですかね? 大皿の半分なくなってますけど……っていうかおれが王女としゃべってる間ずっと食ってたよね?
「わたくし、ウシオ様が欲しいですわ」
……はい?
はいいいぃぃぃぃぃ!?
それってアレですか!? ま、まさか! 男としてのおれの身体が――、
「キャロル、それはウシオ殿をお抱えの釣り師にしたいということか?」
あ、ですよね。
肉体的な話じゃないですよね。
「ええ、もちろん――」
キャロル王女の顔がボンッと赤くなる。
あ、これは失言に気づいていなかった顔だな。まったく驚かせやがる。
「ということだが、どうだね、ウシオ殿? 悪い話ではないと思うが?」
「いや、その前に話が見えないです。お抱えの釣り師ってなんです――」
とおれが言いかけたときだった。
「そんなこと許されるわけがありませんぞ! この国には当家お抱えの釣り名人ゲンガーもいるのです!」
恨み伯爵がブチ切れた。
「ゲンガーは30歳という若さでこれまでに魔魚を2尾も釣っております! たかだかイナダで大きな顔をされると国の面子に関わる問題です!」
そうしておれに視線を向ける。
「なぁるほど、貴様は確かにうまくやったな。キャロル王女に気に入られようとヘルシーな魚料理を提案するとは。しかしそのもくろみはここまでだ。ゲンガーが貴様の野望をつぶしてくれる」
「あ、あのー……大丈夫ですか。額の血管がヤバイくらい浮き上がってますけど」
おれの細やかな配慮をよそに、伯爵が大声で言い放った。
「釣り勝負だ! 当家お抱えのゲンガーと、貴様のな!」
さすが料理長は王様の舌をよくご存じ。
ハヤトは自分が美味いヤツを食わす、という相変わらずの考え方。
この世界、肉肉しいものばかりですが、味噌や醤油もあるためにハヤトの舌と感覚が近いのが幸いしています。
そんなこんなで釣りデュエルです。