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20 イナダしゃぶしゃぶを作るための最終秘密兵器

 厨房に入っていくと、スゲー広かった。おれの宿の部屋の4倍くらいあるんだが。ここでなに作るの? 500人規模の結婚披露宴でも対応できそうだよ?


「やあ、あなたも災難ですね。うちの王様はなんでもかんでも試してみないと気が済まない人だから」


 にこにことした卵みたいにつるりとした顔の男が出てきた。

 いちばん長いコック帽をかぶっている、料理長だという。

 よかった。いい人もいるんだ。

 でも壁際に整列している料理人たちが怖い。兵隊みたいに直立不動ながらもこっちをじろじろ見てくる。

 問題は連中が包丁の扱いに長けているということだ。その包丁、よく肉が切れそうだけど、人間の肉とか切ったりしないよね?


「えぇ、まぁ。イナダしゃぶしゃぶを作ってこいと言われて」

「イナダ……しゃぶしゃぶ? しゃぶしゃぶとはなんですか?」


 この世界にしゃぶしゃぶはないのか。おれ、スゲー簡単にしゃぶしゃぶについて説明する。

 水を沸騰させますよ~。薄く切ったイナダをしゃぶしゃぶしますよ~。以上!


「? それが美味しいんですか?」


 あー、そうね。そう思っちゃうよね。

 牛肉だってお湯にくぐらせたら「え? 肉汁落ちちゃわない?」って最初思うもんな。


「しかし見事なイナダですな」

「ずっと持ってたから腕が疲れましたよ」

「ははは。私もそんなセリフを口にしてみたいですよ」


 調理台に上げられた3匹のイナダ。

 これ全部食べるのか? うーん、どうしようか。


「えーと、料理長は手伝ってくれます?」

「はい。そのつもりです。これほどのイナダを釣る人物、助けておいて損はないでしょう」


 あ、やっぱいい人だ、この人。

 おれは取引先を怒らせたり敬語が適当だったりするけど、いいヤツと悪いヤツの区別はつくつもりだ。

 ちゃんと自分にも打算があるってことをあえて教えてくれるこの人は、いい人だ。


「ハ、ハヤト様、大丈夫ですか。逃げませんか」


 緊張の面会イベントから抜け出したカルアはすっかり逃げ腰である。


「……おれはさ、カルア。まあこんな王城にいるなんてのは性に合わないよ。それはわかってる。でも、確信してることもある」

「確信、ですか。逃げますか?」


 逃げないっての。


「おれの釣った魚、美味いだろ?」

「はい。……お肉には負けますが」


 お、おう、そうだったわ。カルアに聞いたのが失敗だった。


「逃げましょうか?」


 逃げねーよ。メタルス●イムかよ。


「ハヤトさんの釣った魚はもとより、ハヤトさんの料理もすばらしいと思います」


 と天使のフォロー。さすが、わかってるわー。天使はわかってるわー。どうだい、おれに毎朝あら汁を作らせてくれねえか?


「偉い人との面会は御免被りたいけど、魚料理だったら、たぶん大丈夫だ。このイナダもむっちむちだしな。あとは、助っ人が来てくれれば――」

「助っ人? 料理なら我々が手伝いますが」


 料理長が怪訝な顔をする。

 しばらくすると、そこへ料理人のひとりがやってくる。


「料理長、こちらのウシオ殿に来客がありまして……それが、『北極星鍛冶工房』のスノゥ様です」

「なんと!?」


 スノゥは有名なのか、料理長がびっくりした顔をする。

 そう、おれが待っていたのはスノゥだ。

 いや正確には――、


「ハヤト、持ってきた」


 彼女が持ってきたもの。

 そう――抜群の切れ味の、出刃包丁。




 いやさ、こっちの調理器具は結構ぼろぼろなんだよな。包丁は切れないし、おたまはへなちょこだし。なんでなのかと聞いてみたら魔法でどうにかするみたい。スーパーテクノロジー、魔法。

 さて、お菓子や洋食はできないけど、魚料理だけはおれ、できるんだよ。

 なんせ釣った魚は食う主義だ。


 ……アパートで、ひとりで、な。


 と、ともかく。魚をさばくのにこっちの刃物は物足りない。

 おれのペティナイフもこのサイズのイナダになるとちょっと不安。

 もちろん、ここの厨房には切れ味よさそうな包丁も多いんだけど、おれが欲しい種類の包丁がないんだよ。

 幅広で、ゆるやかなカーブで先端に至る――寿司屋や和食屋の板前が必ず持ってる包丁。

 出刃包丁だ。


 ここには肉切り包丁や牛刀なんてものはいっぱいあるんだが、出刃がないんだよ、出刃が。

 あと刺身包丁な。

 刺身包丁はさすがに無理でも出刃くらいあるのかと思ったら、なかった。

 出刃は魚をさばくための包丁だしなあ。魚が高級品だと包丁も進歩しないんだな。


「ハヤトの言うとおり、在庫の中にあった。でも、これ1本しかなかった」


 形状を伝えただけで出刃を持ってきてもらえるかは怪しいところだったけど、ちゃんとスノゥは理解してくれたみたいだ。

 だけど1本しかないとはな。


「お祖父ちゃんが打ったものみたい」

「へー、そうなん……」


 なんとはなしに出刃を受け取ると、


「ぶほぉっ!」


 料理長が盛大に噴き出した。


「な、なんすか。危ないですよ、包丁落としそうになった」

「ここここれはあの高名なるゴルゾフ様の打った包丁なのですかぁっ!?」

「そう。なにに使うか、工房の者は誰もわからなかった。それをハヤトは看破した」

「なんと……」


 え? 出刃包丁だぞ? おれの世界じゃわりと一般常識だぞ?

 スノゥはともかく、料理長まできらきらした目でおれを見ないでくれ……日本の一般常識なんだが……。


「しかしそれほどの包丁を使うとは……いえ、確かに王が食すものですから、価値としては十分でしょうが、ゴルゾフ様の包丁とは……」


 え、なに? そんなにすごい包丁なの?


「……料理長、おれの代わりにこいつを使って魚をさばいてくれてもいいん――」

「ご冗談を。万一落として欠けさせでもしたら失職してしまいます」


 さっき危なかったんだぞ!? びっくりして落としそうになったんだぞ!?


「よし、逃げましょう」


 だから逃げねーよカルア。よし、じゃねーよ。いや逃げたくなってきたけども。


「落として欠けても問題ない。お父さんは、あたしを引き取ってくれた生活費代わりだって言ってた。ハヤトにくれるって」

「……ウシオ殿ぉ!」


 料理長、そんなに目を血走らせてうらやましそうな顔しないでくれ。おれはふつうの出刃包丁でよかったんだよ! amaz●nのキッチンカテゴリーに売ってるようなヤツで! 新潟県燕市で造ってるヤツで!


「ハヤトさん。そんなことより料理はいいのですか? 魚は時間が経つほど鮮度が下がると聞いたことがありますが……」


 おっとそうだった。リィンに言われてしまうとは。

 おれはとりあえず厄介事を全部いったん脇に置いて魚をさばくことにした。

 とりあえずジャジャジャジャツと鱗を落とす。

 まずはイナダを3枚におろさなきゃな。


「ふんふ~ん……ぬっ!?」


 すぱぁ――ってイナダの頭が落ちた。

 切れすぎィ!

 なんだこれ。なんか二つ名ついてる出刃包丁なんじゃないの? 卍解済みなの?


 イナダの背中に包丁を入れても、すすすぃーっと切れてしまう。これ、調子乗ったらおれの指まですぃーってやっちゃうヤツだ。気をつけないと死ぬ。リアルに。

 中骨の血の掃除は料理人さんに手伝ってもらった。ブラシでしゃかしゃかやるんだけど、自分でやるとなるとちょっと面倒な工程。


「おお……」


 片側を切り落とすと、イナダの内面があらわになる。

 うーむ、いい色だ。血合いがピンク色で、腹の脂は少なめ。

 料理長が目を瞠っている。

 腹骨をすき取って、血合い骨の部分を切り落とす。

 皮を剥けば、あとは、


「なるべく薄く切ってください。ただ薄すぎるのもダメなので、これくらいで」


 おれが実演して見せたのは刺身にしてはちょっと薄いかなーくらいの切り身だ。

 料理人さんたちが手分けしてやってくれる。楽である。

魚をさばくための出刃包丁はかなり肉厚で持った感触がどっしりしています。

肉ばっか食う世界で出刃包丁は異質。スノゥのじいちゃんはなぜか出刃を打っています。


次号いよいよ実食。

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