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閑話 女騎士のひとりごと(後)

「ほい、食ったー」

「またですか!?」


 ハヤトさんの釣り竿が大きくしなります。そうして海面に引きずり出されたのは、赤みがかった茶色の、不細工な魚です。ハヤトさんはこれを「カサゴだー」と言って喜んでいます。


「じゃんじゃん釣るぞ」

「もう9匹釣ってますよ!?」

「おお、『ツ抜け』目前だな」


「ツ抜け」、とは「10匹以上」のことを言うのだとハヤトさんが教えてくれました。「ひとつ」「ふたつ」……「ここのつ」と、最後に「つ」がつく数え方も「とお」でなくなるので「つ」が抜けると。釣り用語らしいです。他に使い道は知りません。

 ハヤトさんの声に、向こうで釣っている商人がこちらを振り返りました。部下のひとりが走ってきてこちらの釣った数を確認すると、顔を青くして戻っていきます。

 商人が何事かをわめいていました。それから部下に指示して袋のなかのものを海に流し込んでいます。


「あ……あ~あ~、ぶちまけちゃった」

「ハヤトさん、彼は今なにをしたのですか?」

「寄せエサだろうね。魚を寄せて、興奮させるためのエサ」

「えっ、向こうが本気を出したってことじゃないですか!? こっちも急がないと!」

「いや、大丈夫。それよりそろそろ30分かー」

「なにが大丈夫なんですか!?」

「大丈夫大丈夫」


 ハヤトさんはそんなことを言いながら、竿を振りました――。




「商人さん。商人さーん。そろそろ30分ですよ?」

「ま、待て、今魚が食っている――食った!」


 商人が竿を上げると、小さく可愛らしい赤い魚が針にかかっていました。……口に、ではなく、お腹に針が刺さった状態で。


「スレ掛かりですか」

「す、スレ掛かりでも釣ったは釣ったですよ! 見てください、これで10尾!」


 商人の目の前には10尾の魚が並んでいます。ほとんどがこの赤い魚で、1尾だけ黒っぽい魚がいました。


「ネンブツダイが9尾に、子メジナが1尾か」

「くっくっく、これで10尾! そちらは確か、9尾でしたかな?」

「ああ、部下の人が様子見に来てましたもんね」

「なかなかいいサイズのカサゴを釣ったようですが、今回は数釣り勝負――」


 言いかけた商人の目が剥かれます。それもそうでしょう。わたくしが今両手にぶら下げているカサゴは、優に30センチを超えるものがいるのですから。


「あ、危なかった……サイズ勝負だったら明らかに負けていた……というか、あの釣り場にこれほど大きなカサゴが……」

「あー、そうじゃないんですよ」

「ん? さ、最後に釣ったネンブツダイを数に入れないというのか!? 入れますよ! なんなら、司祭に訴えてもいい!!」


 汗のせいで濡れた顔を歪ませながら商人が力説します。

 ふむ……争い事の仲裁は各町の司祭が行いますが、この様子だと商人に抱き込まれている可能性がありますね。

 王都に戻ったら報告しましょう。


「えーとそうじゃなくて」


 ハヤトさんが頭をぽりぽりとかいてから、


「おれが釣ったの、全部で11尾なんで」

「…………はぁっ!?」


 わたくしとカルアちゃんが魚を並べます。

 そこには確かに11尾の魚がいました。

 ……ほんとうは、釣った数は13です。しかしそのうち2尾は、ハヤトさんが「これは小さすぎるからリリースだよなあ」と言って逃がしてしまったのです。この人はなにを考えているんでしょうか……。


「な、な、な、なん……インチキだ! インチキに決まっている! あの『沈黙の入り江』でそんなに釣れるわけがない!! 私だって寄せエサを大量に入れたのに!!」


 商人がわめきました。


「……ほう?『沈黙の入り江』なんていう呼び名があるのですか? 言葉だけで釣れなさそうな場所ですね?」


 わたくしは声を低めて、商人にだけ聞こえる声でこう告げます。


「それを一方的に釣り場に指定した釣り勝負、これを釣り人ギルドに報告したらどうなるでしょう」

「ぐっ!? い、いやだなあ、騎士様……これは公平な釣り勝負でしたよぉ」


 急にへつらうように揉み手する商人。

 釣り人ギルドは各種釣り大会を開催し、釣具屋の認定なども行っているいわば釣り業界を牛耳る存在です。ここに目をつけられれば釣りはおろか、商人の通常業務である商売にも影響が出るでしょう。

 ……わたくしが騎士でよかった、と思います。

 わたくしがいなければこの商人は、暴力を振るってうやむやにする可能性もあったのではないでしょうか?


「では、勝負に負けたことを認め、お金を払いなさい」

「うぐぐぐ……おい!!」


 商人は部下を呼び、お金を支払いました。身分証を持たない人間の入場料と同額であることはわたくしが確認しました。ひとりぶんで済ませようとしたので、カルアちゃんのぶんも含めたふたりぶんをきっちり支払わせました。




「――ところでハヤトさん。どうして他の釣り人もいないところで釣れたのでしょう? 釣りにとっていちばん重要なのが『場所』なんですよね?」


 宿場町へと向かいがてらわたくしがたずねると、カルアちゃんも疑問に思っていたのでしょう、ハヤトさんを見上げます。


「ああ、それは簡単。彼らの仕掛けだと太刀打ちできないだけで、魚はいたんだよ。彼ら……というよりフゥム村もそうだったけど、こっちの仕掛けは浮きと針をつけて流している『フカセ釣り』か重りを先端につけて途中に針をつける『胴突き仕掛け』、胴突きっぽいけどエサをつけないで疑似餌でやる『サビキ』かのどれかなんだよな。ああいう潮の速いところだと胴突きとサビキはダメだね。流されちゃって食いが悪くなる」

「その……フカセというのならいいのですか?」

「フカセなら問題なく行けることが多いはずだけど、フカセの技術がそこまで高くないっぽい。たぶん岩に根掛かりしまくるんだろうね。針をどんどんなくすのは避けたいだろ?」


 釣り針は実のところかなり高価です。


「だからリスクを避けて、安全な小魚釣りをするんだろうね。まあ、おれの場合はルアーだから全然違う釣り方だし、こっちの釣り場は釣り人が全然いないから魚が全然スレてなくて――」


 と、ハヤトさんはそれからも説明を続けましたがわたくしにはよくわかりませんでした。


「ハヤト様。あっちの商人は袋からエサを海に流してましたけど……」


 そう、それです。カルアちゃんの疑問は、わたくしも抱いたものです。

 あの商人は金に物を言わせて釣りまくろうとしたのだと思いますが、ハヤトさんは全然あわてた様子もありませんでした。


「カルアさあ、よく考えてみなよ。寄せエサだってエサなんだよ。エサがあれば魚は喜ぶ。興奮する。だから釣り針にも食ってくる――それはそうなんだけど……まだわからない?」

「?」


 カルアちゃんがコテンと首をかしげます。わたくしも同じようにかしげます。


「わからないかあ。……ネンブツダイはさ、小さいんだ。そんな小さい魚に大量のエサを放り込んだら、どうなる?」


 あっ、とわたくしは声を上げました。

 簡単なこと――満腹になってしまうのです。




 宿場町に戻ったハヤトさんの行動は早かったです。


「リィン、これ見てくれよ。あっという間に金に化けたぞ」


 ハヤトさんは革の袋を持っていました。そこにはぎっちりと銀貨、大銀貨が詰まっています。

 先ほど釣った魚をすべて売り払ったのです。

 わたくしの周囲にいた町人たちが「おおお」と声を上げました。

 ……ええ、とてつもなく注目されています。それもそのはずです。騎士であるわたくしですら珍しいのに、それにくっついてやってきた奇妙な服を着た男性。しかもわたくしたちは11尾の魚をぶら下げています。

 商業人ギルドの者はめざとくすり寄ってくると、ギルドにまとめて下取りすることを提案してきたのでした。


「見ろ、カルア!」


 ハヤトさんは無邪気に笑っています。子どものようですらあります。


「ハヤト様すごいです!」


 穴を開けてもらったズボンからカルアちゃんの尻尾が飛び出ていました。その尻尾はちぎれんばかりに振られています。

 今日の肉が確保できたことがカルアちゃんにとってはいちばんのご機嫌要素なのでしょう。ハヤトさんがどれほど優れた釣り人であるのかは理解していないと思われます。


「で、リィン。これっていくらぶんくらいなのかな? おれもカルアも金額感がわからなくてさ。ふたりなら何日くらい暮らせる?」

「そうですね……」


 貨幣の価値もわからずギルドに売ったんですか……とまた驚く、というより呆れながらもわたくしは革袋を受け取りました。

 大銀貨が25枚、銀貨が60枚。

 両替するなら金貨3枚、大銀貨1枚になります。


「ふたりなら、慎ましく暮らせば半年は暮らせるでしょうね」

「――――」


 ぽかーん、と口を開けているハヤトさん。


「どうしました?」

「あ、え、う……い、いや、30分しか釣ってないんだぞ?」

「はい。そういう勝負でしたから」

「それで半年暮らせるの……? あ! ていうか1年って何日?」


 暦が違うほどに遠い国の出身なのでしょうか?

 カルアちゃんが横から「365日です、ハヤト様。4年ごとに1度、366日となります」と教えていました。


「あ、あれ? そうなんだ……太陰暦じゃなくて太陽暦か。グレゴリオ暦だっけ……」


 ぶつぶつと言うハヤトさん。わたくしは小さく笑ってしまいました。驚かされてばかりのわたくしが、ハヤトさんを驚かせたのですから。


「ハヤトさん。付け加えますが、慎ましく暮らせば、ですよ? 一般的な生活を望むのなら……2カ月がいいところでしょう」

「十分だよ。1週間くらいかと思ってたし」

「魔魚があったらこんなものでは済まないのですが」

「……そういうことか。おれ、ようやくここで魔魚がどんな価値持ってるのかわかってきたよ」


 魔魚を奴隷商に渡したことがどんなことだったのか、ようやくハヤトさんは自覚してくれたようです。


「毎週魔魚を1匹釣ったら豪遊できるってことだよな」


 違います、とわたくしは叫びそうになりました。

 ああ……この人はまったく自覚してくれない。「釣りをして豪遊できるとか最高だな」なんて言っている始末です。「ハヤト様すごいです!」と同じく自覚していないカルアちゃんが応えます。


「なあなあリィン、難しい顔するなって。言っただろ、魔魚はまた釣ればいい。王都でびしばし釣るからさ!」


 そう簡単に釣れたら苦労はしないのですよ……。


「……わかりました、ハヤトさんがいいのなら、それでいいです」


 でもわたくしは、不思議な感情に包まれていました。

 ハヤトさんなら、もしかしたらまた魔魚を釣ってしまうのではないか……と。そんな予感があったのです。

 そして彼の釣りは、そばにいる者の心を変えていく――驚きとともにわたくしが、救われたことでカルアちゃんが、考え方や生き方を変えたように。


 ひょっとしたら。


 ハヤトさんは――世界の釣りを変えてしまうのでは?


「よーし、カルア。なに食う!?」

「よよよよろしければ少々お肉を……」

「おっしゃ! ステーキ食うぞーっ!」

「あう!? そそそんな高価なものはいただけません!」

「じゃあカルアにはサラダをやろう」

「…………」

「カルアは野菜が好きだもんな?」

「…………あうあう、ひどいです、ハヤト様……」

「正直になれ、カルア! ステーキが食いたいかーっ!」

「……は、は、ははははいぃぃ!」

「わははは! 正直者は得をするぞっ! では店に行くぞーっ!」

「はいぃ!」


 やはり無計画です……頭が痛くなってきました。

 ……さすがに、「歴史を変える」は考えすぎでしょうか?

 脳天気なハヤトさんの笑顔を見ていると、思い悩むことすら意味がないように感じられます。


「リィンも早くしろーっ」

「……え? わたくしもですか!?」

「つきあってよ! 肉食おうぜ、肉!」


 こうしてわたくしも、彼に巻き込まれていく――。

 それは戸惑いもありつつも、なんだか……少しだけ、楽しいような感情でした。


リィンから見ると札束を釣りあげているようなもの。


ハヤトからすると魚多すぎわろた。


カルアからすると肉食いたい。

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