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11 叩かないで、と奴隷は言った

「カルアっていうのか。聞きたいんだけど、君って、人間じゃないの?」

「ごごごめんなさいぃ! お願い、叩かないで、叩かないで」


 両手で頭を抱えるようにしてうずくまってしまう。


 ……え? 叩く、ってなに?


 驚いたおれは彼女をよく見てみる。

 着ている服はシャツにズボンだ。麻でできていて、ところどころ汚れているし襟周りなんかは垢がこびりついてる。泥までついてるな。

 尻がもっこりしてるんだけど……これ、お漏らししちゃってるとかじゃないよね?


「もしかして……尻尾?」

「ごめんなさいぃ!」


 だからなんで謝る?

 怯えているカルアは、年齢で言えば10歳とか9歳とかその辺か。鳶色の髪に鳶色の瞳。ちゃんと女の子であることがわかる顔立ちだ。

 髪はショートヘアだけど、かなり乱雑に切られている。

 よく見ると、顔のあちこちに血のような汚れがついている。


「傷……傷痕か?」

「は、はい、ごめんなさい……!」

「なあ、どうして謝るんだ?」

「だ、だって、傷がついてると、商品としての価値が下がるって……」


 自分が傷つけられ、相手を怒らせないために謝る。

 おれの心がひどくもやもやした。

 彼女の両手首には黒いリストバンドみたいなものがついていた。

 金属製のそれは、奴隷錠。

「持ち主に絶対服従」という魔法がかけられているらしい。


「ひゃあっ!?」


 おれは無言で手を伸ばすと、その奴隷錠に小さなカギを突っ込んで解錠した。


「……え?」


 ぱちんと奴隷錠が外れて落ちる。両手のそれを外してやる。


「もう、自由だ。君がおれを恐れることはない。謝ることもない」

「あ、う、え?」

「君はもう奴隷じゃない」


 呆然としてる。

 ちょっとは、おれの心のもやもやが薄れた。


「カルアは……奴隷じゃないの?」

「ああ、もう奴隷じゃない」

「もう叩かれない……?」

「理不尽に叩かれることはなくなる」

「もう引きずられない……?」

「もちろんだ」


 そんなことまでされてたのか……。

 フゥム村のみんなはすばらしい人たちだった。だからおれは知らなかったんだ。この異世界にだって、クソみたいな人間はいるってことを。


「うううぅぅぅぅううううぅ……ああああああぁぁぁぁぁぁ――――」


 こらえていたものが噴き出すように、カルアは泣き出した。泣いて泣いて泣いて、そのまま彼女は気絶するように眠りに落ちた。




「バウワウ族の少女……ですね」


 と、リィンが言った。

 おれが魔イワシを手放したショックからようやく戻ってきたな。


「バウワウ族? なにそれ」

「人間に近い亜人種族です。高い生命力が特徴で、小さな傷などは彼らが舐めればすぐさま癒えると言われています」

「ふうん……そう聞くと、なんかすごい種族みたいに思えるけど」

「治癒魔法が一般的にある以上、それほどではないでしょう」


 生命力が高いから、殴られて放置されていたのだろうか。

 どうしてだよ……。

 どうしてこんなに小さい子を殴ったりできるんだよ……。


 毛布の上で身を小さくして眠っている姿を見ると心がどす黒くなってくるのを感じる。

 よくないな。

 そういう同情は止めよう。

 カルアに必要なのは明るい未来だ。

 暗い過去を忘れられるほどの、明るい未来だ。


「それで……ハヤトさんはなにをしているんです?」


 そう、おれは野営地で絶賛調理中なのだ。

 単なるマイワシもかなり釣ったからな。鮮度の高いうちに調理をしたい。


 他にも理由がある。


 魔イワシを奴隷商に渡したことでリィンが相当おかんむりだ。

 空腹だと怒りっぽくなるしな。

 よし美味いもん食わせよう――という理由で調理中だ。


「なにを作っているんです?」

「イワシ料理と言えばこれなんだよな~」

「?」


 天使は料理をしない模様。

 まず鱗と頭とはらわたを取ったイワシを塩水に漬ける。ほんとは30分以上がいいんだけど、まあ、短くても問題ない。短いほうが塩気が少ないから保存が利かなくなるだけ。

 そのイワシを鍋に敷く。こう、隙間がなくなるように敷き詰めるんだ。テト●ス感覚な。つーかでかすぎなんだがこのイワシども……ま、いいか。でかくて困るのは借金だけと相場は決まっている。

 つぶしたニンニクとブラックペッパー、ローリエをのっける。あとは種を取った鷹の爪を2つ3つ。それぞれ量は適当。

 で、イワシの身が沈む程度まで――オリーブオイルを投入!

 鍋を火にかける。オリーブオイルが沸騰しすぎないようにな。小さい小粒のあぶくが出るくらいで火を調整するんだ。オリーブオイルでイワシを「煮込む」イメージ。

 このまま20分くらいでできあがる。


 簡単だろ?

 でもな、これがめっちゃ美味いんだ。


「これは?」

「オイルサーディン」

「???」


 リィンが小首をかしげる。

 なにそれ可愛い。マジ天使。


 ほんっとこの世界、調味料とか充実してるのにその使い道が肉料理ばっかりなんだよな!

 保存食としてフゥム村のみんなが持たせてくれた干し肉とかハーブまみれで泣けるほど美味いのに、あいつらの魚料理って言ったら「塩焼き」「刺身」この2択だぜ。

 全然研究が進んでないんだ。

 まあ海竜や海魔? モンスター? のせいで魚が獲れないからしょうがないんだろうけど。


「さ、召し上がれ」


 パンと干し肉で軽い朝食を食べたところだったけど、おれはできたてのオイルサーディンを勧めてみた。

 切れ目の入ったパンに載せる――と、オリーブオイルがパンに染みこむのよ。

 分厚い肉厚のマイワシは火が通っている。

 身が柔らかくて崩れそう。

 脂のってるな~。

 香りはほのかなニンニクだ。

 ごくり、とリィンののどが鳴る。


「し、しかし、わたくしは騎士で――」

「体裁としてはいっしょに王都に向かってる、ってことだったよな? じゃあ利害関係もない。ただの旅の道連れが振る舞った朝食だ。ほら、食え」

「う、う、う~~」


 欲望にはあらがえなかったのか、おれの適当なへりくつを受け入れたリィンはパンを受け取った。

 形の良い口を開いて――ぱくり。


「んんんんんんん~~~~~~~~!!」


 空いた手を頬に当ててニッコニコだ。

 おいおい、そんないい顔できるんかい。

 おれも同じものを作って食べてみる。


「おおっ……」


 やば。このマイワシやば。

 ふだんはおれ、カタクチイワシでやってるんだよ、オイルサーディンって。缶詰とかで売ってるあれはカタクチイワシ。細いんだ。骨まで余裕で食えるからさ。

 それをマイワシでやったから……骨はちょっと邪魔に感じるな。やっぱり。

 そんなことより、だ。

 脂。

 すごい。

 オリーブオイルまみれのくせに、魚としての脂を主張してくる。それがパンとあいまって口の中に幸福エキスが広がっていく。


 ぐうううぅぅぅぅぅぅ……。


 え? 腹が鳴った?

 おれはリィンを見る。リィンは赤い顔で首を横にぶんぶん振る。


「そんなにあわてて取り繕わなくてもいいんだけど……」

「ちっ、違います! ハヤトさんは勘違いをしています!」

「まだイワシいっぱいあるし」

「違ますって! わたくしではありません!」


 リィンが指差す必要はなかった。おれも気づいたんだ。

 カルアが身を起こしていた。

イヌミミに悪い子はいない。

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