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10 第2の魔魚

 王都に向かうことになった。

 おれはリィンとともにフゥム村を出発した。


 村のみんなはおれとの別れを惜しんでくれたけど、干物を全部上げると言ったら大喜びだった。

 アレですか。

 魚が食えなくなることが悲しかったんですか。

 おれだってそういうこと気づいちゃうと傷つくよ? 泣くよ?


 ともあれ旅路はリィンとおれのふたりきり。

 2日かけて隣町に行けば乗合馬車があるらしい。

 フゥム村は王国一の辺境である。


 リィンは馬に乗っていたので、おれの釣具装備品(タックル)を持ってもらった。

 移動の間は手ぶら。

 でも長距離歩くからしんどい。

 時期はそろそろ初夏の頃合い。

 夏から秋にかけて回遊魚がどんどんでかくなるんだよな~。

 うおー、楽しみだ。


「……楽しみ過ぎて起きちまった」


 リィンとおれは野営してたんだ。

 野営って言っても距離を置いて寝るからね? なんかよからぬ男女の営みとか起きないからね?

 起きることは大歓迎でしたけども。

 リィンの寝顔はマジ天使。


 リィンの黒い毛並みの馬がぶるるんと鼻を鳴らしている。

 全身黒だが目や鼻に褐色があると「青鹿毛」というのだとリィンは言ってたけどその辺のことはおれにはよくわからん。

 おれにわかるのは魚だけだ。

 ソウダガツオのヒラソウダとマルソウダの違いなら見て一瞬でわかる。ソウダガツオ食い過ぎてヒスタミン中毒を起こすなよ?


 夜明けの直前ってとこか。

 おれは毛布をはねのけて起き上がった。

 身体があちこち痛いわ。

 現代人が野営とかちょっと無理があるでござるよ……。


「む」


 耳を澄ますと、ざっぱーん……と小さく波音が聞こえる。

 周囲は森っぽかったけどひょっとして海が近いのか?


 で、探してみたら……あったわ。

 磯だわ。

 岩場でごつごつしてるけど全然入って行ける。波が高いときに足下が濡れるし、そのせいでぬめりもあってかなりハードな環境だけど磯だわ。

 こういう地続きにある磯場のことを地磯という。


 目を疑ったよね。

 磯からすぐの海面が、青く黒々してるんだ。

 かなり深いぞ。

 足下から深いとか最強ね。

 最強の地磯ね。

 ただし遊泳したら急な潮に持ってかれて死ぬかもしれないから絶対に泳ぐんじゃないぞ。


「めっちゃイワシおる!」


 海面をぎらぎらの銀色の魚体が集団で動いている。

 すんげーおる。

 しかも魚体がデカイ……マイワシだ。

 おれ、カタクチイワシやトウゴロウイワシ――トウゴロウのヤツはイワシとか言うけどボラに近いヤツな――は釣ったことあるんだが、マイワシはなかった。

 うん、釣ろう。




「ハヤトさん、なにをしているんです!? 勝手にいなくなって! 誰かにさらわれたのかと思ったじゃないですか!!」

「あ、すんません」


 マイワシ釣りに興じていたおれ、しばらくしてやってきたリィンに怒られる。


「……で、釣りをしていたんですか?」


 あ~、これは呆れてますわ。呆れ返ってますわ。


「や、いっぱいいたんだよ、イワシが」

「そうですか。ですが、勝手にいなくなるのは止めてください。王都に連れていくとランディー男爵に約束してしまったんですよ。釣りをしていていなくなったなんて最悪です」

「フヒヒ、すんません」

「このあたりはモンスターも出ますからね。ひとりでさまよったら確実に死にますよ?」


 やべ、笑いが引っ込んだわ。

 モンスター? マジで? 遭遇したらおれ死ぬの?


「ところで釣れたんですか?」

「あ、うん。魚籠にいっぱいだよ。朝飯に食えるね」

「……ハヤトさん」

「ん?」

「わたくしの目の錯覚でなければ、イワシの中にオレンジ色の光を持ったものがいるんですが……」

「あ、やっぱこれ魔魚?」

「やっぱこれ魔魚? じゃないですよぉー!!」


 似てないよ。

 おれのモノマネかもしれないけど。

 似てないけど可愛いよ。


「な、な、な、なにをさらっと魔魚を釣っているんですか!? ここここれが魔魚!? 生まれて初めて見ました!?」


 なんかテンパりだした。

 こうなるとリィンは、毅然としてるところがまるでなくなって残念感が増す。残念騎士。


「いやー苦労したよ。針にかけたあとにすごい引くからイワシを狙いに来たサバとかシーバスかと思ってたんだけど、同じイワシなんだもんよ」


 デカイのよ。

 他のマイワシがでかくても20センチサイズなのに、こいつは30センチはある。

 ふつうのマイワシでも30センチくらい行く個体もあるみたいだけどね。


「魔イワシですか……」


 あ、やっぱそう言うんだ。


「そうだ! この魔魚を王都に持っていけばハヤトさんが魔魚を釣ったという証明になります!!」

「おー、それはそうだね」

「そうしましょう! 王都に急ぎましょう!」

「え……でも急いでも何日かかかるんだよね? その間に腐っちゃうよ」

「う、そ、そうですね……ど、どうしましょう?」

「じゃあ……食べちゃう?」

「食べません!」

「えー」

「えーじゃありません! 食べません! そんな畏れ多いことできませんからっ!」


 興奮して残念になったリィンがどんどん天使から離れていく。お願い。冷静になって。天使のままでいて。

 釣った魚を食べないとか、冒涜もいいところでしょうに。


「とりあえず朝ご飯にしようよ。マイワシ、脂のってるから刺身もいいし焼くもいいし……」


 と、おれたちは野営地に戻ってきたところだった。

 野営地に戻るとリィンの馬がぶるるんと啼いている。

 街道を――やってくる馬車があった。

 馬車、って言っていいのか? 鉄の檻を荷台の代わりにつないでいる。


「なに……あれ?」


 おれが聞くと、


「あれは……奴隷を運んでいるんでしょう」

「奴隷――奴隷!?」

「え、ええ。そうですが……」

「奴隷ってアレか? 農園でこき使ったり、家畜みたいな小屋で生活させたりするアレか!?」

「そういうふうに使う者もいるかもしれませんが、その奴隷です」

「おいおい……」


 すげーな異世界。

 奴隷とかいるのか……筋骨隆々でどんな力仕事でもできそうなやつなのかな?

 おれたちの前を檻が通って行く――檻の中にいたのは、ひとりだけだった。

 年端もいかない少女だった。


「り、リィンさん……小さい子なんですが……」


 さすがにあんな子を奴隷とかひどくね?


「あんな子じゃ、農作業なんてできないだろ?」

「…………」

「リィン?」

「……奴隷の使い道は、力仕事だけではありません」

「ん? 他になにがあるんだよ」

「……それは」


 ごにょごにょとリィンは言った。

 夜の慰み者にしたり、最悪な野郎は殴って憂さを晴らすためだけに買ったりするらしい。


「なんとかならないのか……?」

「……できません」

「なんでだよ!」


 おれが声を荒げたせいで奴隷を載せた馬車が停まった。

 御者――奴隷商だろうか、こちらを見ている。


「……騎士は法律を守るから騎士なのです。契約に則った奴隷の売買を止めさせることなど、できません。できるはずがありません。大体、解放したところでどうするのですか? その後の面倒をハヤトさんが見るんですか? あの子を解放したとしても、他に多くの奴隷がいるんですよ……?」

「…………」

「ハヤトさん!」


 リィンの言うことはもっともだ。

 ここであの子をなんとかしたところで、他にもいっぱいいる。

 奴隷制をなくせ、と運動でもするのか? 釣りしか脳のないおれが?


 ——それでも。


 それでも、だ。

 今この場で見過ごしたりなんてできないよ、おれには。


「おいアンタ」


 おれはリィンを離れ、馬車へと歩いて行く。

 御者がおれに返事をする。


「はあ、なんでしょうか」

「この子は奴隷なのか?」

「さようで。私が販売している奴隷です」

「……解放してやりたい」

「ええ、規定の金額を払っていただければ、奴隷として扱おうと解放しようとあなたの自由ですよ」


 売り買い。

 人の売り買い。

 ものすごく心が拒絶反応を示す。

 でも現代の日本にそれがなかったとしても、世界を見れば、似たようなことはどこかで起きていた。

 おれは、自分のいっときの自己満足のために奴隷の売買に臨んでいる。

 わかってる。

 こんな行為にたいして意味がないってことくらい。


「いくらだ」

「そうですな、もともと金貨5枚で売ろうとしておりましたが、売れ残りですからね、金貨4枚と大銀貨5枚でよろしいですよ」


 いくらだよ……金貨とか知らないんだが。

 おれはちらりとリィンを見る。彼女は首を横に振った。持っていないらしい。


「じゃあ物々交換でどうだ」

「物々交換……? 言っておきますが、金貨4枚以上のものなんて……あなたがお持ちなのですか?」


 じろじろとおれを値踏みするような目で見てくる。


「ある」

「ほう? それはなんでしょう?」

「ちょっと……ハヤトさん、もしや――」

「この魔魚(マナフィッシュ)をやる」

「ダメですぅぅぅぅぅぅぅ!!」


 おれが魚籠から魔イワシを取り出すと、後ろからリィンが羽交い締めしてきた。


「マ、魔魚ですか!?」


 御者台から飛び降りた奴隷商はおれが手にした魔イワシを見る。


「ほ、本物!? 本物だぁ!? ええ、ええ、もちろん構いませんよ。奴隷と交換でよろしいんですね?」

「ああ」

「ダメですぅ!! それを渡したら魔魚を釣った証明ができなくなりますぅ!!」

「リィンは黙ってて。おれが釣った魚をおれが自由にしたっていいだろう」


 こうして取引は成立した。

 鉄の檻から少女を下ろすと、奴隷商は丁重に紙に包んで魔イワシを持って去っていった。鼻歌交じりで。

 おれの心のもやもやは、晴れなかった。

 いっときの自己満足すら得られなかった。


「そんな、そんな、魔魚を……そんな……」


 うわごとのようにつぶやいているリィン。

 おれはリィンを無視して檻から下ろされた少女――おれより頭ふたつぶん背が低いので、腰を折って視線を合わせた。


「おれはハヤトだ。君は?」

「……カルアは、カルアです」


 か細い声で彼女は答えた。

 おれはこのとき気がついた。

 耳……? 頭の上からぺたんと、イヌミミが垂れ下がってる……?

ネコミミ……? 残念、イヌミミだ!


前話が短かったので続けて更新しております。

ブックマーク、感想、評価とありがとうございます。しばらく1日2話で続けていきますのでよろしくお願いします。

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