前へ次へ
99/183

99.









 ◇



「おいリンク、おまえどういうことだ」


 教室内で普段通りに過ごしていただけで急に胸倉を捕まれてしまっては、俺は困惑することしかできない。


 眼前にいるのは教室内でもほとんど話したこともない男子生徒だった。プリムラの一派でもないし、何か裏がある生徒でもなかった気がする。プリムラとの戦いではむしろ俺を応援してくれていた一般生徒。

 恨まれる理由がまるでわからない。


「まずは落ち着け。何があったんだ」

「美女三人連れ回して、挙句他にも手を出すのか。とんだくそ野郎だな」


 手は離してもらえたが、依然として怒りは収まっていないようだ。


「何言ってるんだ。俺が他の女に手を出すなんて――」


 数秒止まってしまった。


「――あるわけねえだろうが!」

「説得力がねえよ」


 ごもっとも。自分で自分が恥ずかしかった。

 おふざけはそれくらいにして。


「で、本当に何の話だよ。この三人に気があるのなら、悪いことしたなと思うけど」


 会話を見守っているマリー、シレネ、アイビー。この三人に恋慕しているのなら、少し話は変わってくる。俺は絶対に手放したくはない。恋愛のため、霊装のため、打算のために。


「別にそっちの三人はいいよ。リンクのことしか見てないのは最初っからわかってるからな。高嶺の花ならまだしも、人の手に渡った花に興味はない」

「だったらなんだよ」

「俺のスイレンちゃんに手を出すなって言ってんだ」

「誰だよそれ」


 あまり聞き覚えのない名前だ。

 首を捻ってから、最近出会ったばかりの少女だと気が付いた。


「ああ、あの子か」

「なんだその余裕のある態度は。てめえ、もう手を出したんじゃないだろうな」

「おまえはおまえで、なんでそんなに余裕がないんだよ……」


 俺が身を退くと、眼前の男の肩が捕まれた。

 第三者。また別の同級生が参入し、男の肩を掴んでいた。


「ねえ、君。今、スイレンって名前を出した?」

「なんだおまえ」

「スイレンちゃんは僕の恋人の名前だぞ」

「はあ? ふざけろ。あの子は俺に好意を伝えてくれたんだぞ」


 俺を差し置いて二人は喧嘩を始めた。

 その喧騒は教室中を巻き込んでいく。


「お、俺もスイレンちゃんと話したけど」「僕だってスイレンちゃんと手を繋いだよ」「俺だけだって言ってたぞ」「おまえのことなんか何も言ってなかったぞ」「俺の子だって言ってるだろ!」


 数人の男子生徒がやんややんやと揉み合いを始めた。

 俺はさりげなくその中心から離れて、事の次第を客観的に確認することにした。


 確かにスイレンと名乗った少女は美人だった。背筋もぴしっと伸びていたし、良い匂いもした。いいところのお嬢さんなのだろう。あんな子から好意を向けられたら、大抵の男は舞い上がってしまう。


 俺には別にそんなそぶりは見せなかったが、なかなか思わせぶりな子なのだろうか。前世でも出会ったことはないし、このクラスにもいないから判断しようがない。

 結局はただの色恋のもつれか?


「で、スイレンって誰の事?」


 ジト目のマリーに後ろから抱きしめられた。

 逃げられない。


「し、知らん」

「でもさっき、あいつかあ、みたいな反応してたわよ」

「あらあらリンク様。随分とお楽しみなようで」


 シレネも俺の腕をとってくる。


「どんな方でどんな出会いがあったのか、是非とも教えてくださいな」

「れ、レド。助けてくれ」

「自業自得だろ」

「ざ、ザクロ……」

「頑張ってねー」


 こちらを見もしない二人。薄情な男友達だ。レフも「一度痛い目にあった方がいいですよ」なんて言う始末。

 仁徳は、俺の仁徳はどこにあるんだ。


「…………………………………………」


 無言でじっと俺を見つめてくるアイビーが一番怖い。真っ黒な目をしてる。深淵に覗かれているような恐ろしさがある。


 俺に味方はいなかった。


 俺は女子に囲まれ、男子生徒たちは互いに言い争っている。

 いよいよ色んな場所で収拾がつかなくなってきたときに、


「レドさまああああ。今日も今日とてハナズオウです!」


 いつもの調子でハナズオウが扉を開けて教室に入ってきた。

 教室内の尋常ならぬ状態に、「ひぇっ」一度扉を閉めた。再度恐る恐る開きなおして、忍び足で俺たちの傍に寄ってくる。


「な、なんですか、これは」

「ちょうどよかった。ハナズオウ。助けてくれ」

「嫌です」


 断言。

 なんなんだよ全員。


「真面目な話だ。おまえのクラスのスイレンという女の子のことなんだけど」

「スイレン? 誰ですか、それは」


 小首を傾げる。

 嘘を言っているような顔ではなかった。


「……じゃあ、おまえのクラスじゃなくてもいい。寮のあたりをうろついている女だ。何か心当たりはないか?」

「知りませんよ。そもそも学園に生徒以外はいないでしょう。大人っぽかったのなら、教師や寮の管理人と間違えたのではないですか」

「……」


 なんだこれ。

 なんでいもしない少女でこんなにも喧騒が巻き起こっているんだ。



 ◇



 スイレンという少女は、いる。

 なぜそんなことが言えるのかというと、クラス内の男のスイレン目撃情報が後を経たないからだ。加えて、誰もがスイレンと良い仲だと口にするのだから始末に終えない。目をハート色に変えて語りだす男の多いこと多いこと。


 スイレンに声をかけられた者のうち、あまり恋愛ごとに縁のなさそうな者ほど彼女にのめり込んでいた。スイレンは俺のものだという言葉がしきりなしに飛び交っている。


「……」


 プリムラとの決闘で得た熱量。マリーを王女にするための仲間集め。せっかくそちら側に切っていた舵が、あらぬ方向に切られてしまった。こんな状況で俺たちに協力してくれ、なんて言えるはずがない。

 結局人間は対岸の火事よりも、持ち家の火事の方が重大だ。それは当たり前。自分の地盤がしっかりして初めて、他方向に目を向けられるのだ。自分の恋愛なんて、まさに何よりも優先される出来事だろう。

 変な方向に視線を逸らされてしまったな。


「情報がしっちゃかめっちゃかですわ」


 シレネもため息をついていた。


「集まらないか?」

「誰も彼もがバイアスのかかった情報を喋るものですから、正確性が一切ないのです。男子生徒はスイレンに好意をもって話して、女子生徒はそんな男子生徒を呆れるように話すので、よくわかりませんわ」

「誰なんだよ、スイレンってのは」

「リンク様はあれから会っていませんの?」

「ああ、姿も見てない」


 会えばまだ確認のしようもあるのだが、いかんせんあれ以来出会えていない。どこにいるかもわからないのだから、会いようもない。

 影と戦っているような気分だ。


「ああ、俺もそれを言われた」「僕も」「おまえらもか」「やっぱり、そうだよな」


 そんな会話が聞こえた。

 その言葉の後、彼らの視線が一斉に俺を向いた。男に熱烈に見つめられて、鳥肌が立った。


「……なんだよ」

「俺はスイレンちゃんに、リンクが一番だからって言われた」「僕もリンクと付き合ってるから、僕とはこれ以上できないって」「やっぱりリンクさんが……って思わせぶりな感じだった」「リンクが」「リンクが」「リンクが――」


 ぞっとして俺が席を立つのと、霊装が飛んでくるのは同時だった。顔のすぐ横をかすめていった。


「あいつ、調子乗ってるな」「四聖剣に勝ったからってなんだよ。全部他人の霊装だろ」「何がおまえの陣営だ。勝手に言ってろ」「入学時は何もできてなかったくせに」


 同調意識は悪い方に進んでいく。

 今まで俺に向けられていた善意の気持ちが、一気に反転して悪意へと変わる。


 俺は元々どうしようもない人間だ。教室の隅の埃。それが短い期間で栄光の階段を駆けのぼったものだから、ないのだ。積み上げてきた土壌が。彼らが納得する過去が。

 下積みをしてこなかった栄光の階段は、簡単に崩れ落ちる。


「落ち着け。俺はそんな人間じゃ」


 ない。その言葉に重さはなかった。

 俺は軽薄で無頓着で、そう見られるように振舞ってきた。今更真面目をアピールするには遅すぎる。

 自業自得。これ以上この状況を簡潔にわかりやすく説明できる言葉はなかった。


「リンク!」


 俺の眼前を霊装が飛んでくる。それをアイビーがナイフで弾いたところだった。


「き、君たち、こんなところで霊装なんか使って――」

「なんだよ、リンクは女に守らせんのかよ」「何もできないくせに、女の扱いだけはうまいんだな」「アイビーちゃん、可愛いと思ってたのに」「調教だけはうまいんだよ、こいつは」


 どよんと淀み切った言葉の数々。

 何を吹き込まれたんだこいつら。そしてスイレンってやつは何がしたいんだ。


 アイビーは彼らへの説得を諦めて俺を振り返った。


「ここまでくれば誰かの意図を感じるよ。リンクを狙い打ってる」

「過去、こんなことはあったか?」

「ないし、まだ誰がやりそうとかもわからない。スイレンって名前も聞き覚えもない」


 アイビーが聞き覚えのない名前。

 百回以上も人生を繰り返して情報収集を行ってきたアイビーの目をかいくぐっているなんて、そんなことがありえるのか。


「おまえにわからないってことがあるのか」

「私も正直戸惑ってる。私が知らない人物なんて、この時代にはいないと思ってた。驕りかな」

「いや、それもそれでヒントになりそうだな」

「けどきっと、王子たち側の誰かの策略だと思う。ここでリンクを狙うっていうのは、マリー関連でしょ」


 色恋に疎い霊装使いを利用するだなんて、中々に人の心を弄ぶ策じゃないか。この作戦を考えたやつは中々に性格が悪い。

 俺がやり返せないのもわかっててやってるんだろう。こいつらは味方につけたい存在なのだから。


「とりあえず逃げましょう、リンク様」


 シレネが教室の扉を開けたので、俺はそれに続いて外に出た。廊下を駆け出す。


 当然追ってくる生徒たち。十人規模の男たちが血眼になって俺を追掛けてくる。その中にはプリムラの側近たちもいた。同じく血眼になっているところを見るに、利用されている立場だろう。


「なんだよこれ」


 背後からは霊装が放り投げられてくる。足元、天井、色んな場所に殺意が突き刺さっていく。

 一歩間違えれば死ぬような状況だ。


 でも、流石にこんなところで死にたくはないぞ。



 ◆



「すべての起点は貴方だものね。随分と優秀な人」


 スイレンは薄っすらと笑って、リンクの逃走劇を上階から見つめていた。


「だけど詰めの甘さは随所に見受けられるわ。貴方の敗因は”中途半端な”仲間を作ったことよ」


 リンクが男子生徒の集団に応戦し始めた。

 霊装を弾き、昏倒させようと拳を振り上げて奮闘している。


 それを見て、スイレンの笑顔が濃くなっていった。


「ああ、リンク。駄目じゃない、そんな風に蹴り飛ばしたら。せっかくお友達になったのに、もう友達でいられなくなってしまうわ。

 ええ、人を信じるのにはとんでもない労力がいるの。過去を顧みて、周囲を確認して、未来を慮って――幾度もの疑いをかけた後に、信頼というものは生まれるのよ。それは綺麗でなくてはならない、淀みなんてあってはならない。一朝一夕にできるものじゃないでしょう。人は結局、信じない方が簡単なんだから」


 悪魔の証明にも近い。

 裏切ることは簡単に疑えても、裏切らないことは確証を得られない。


 リンクが色んな女の子を侍らせていること、カーストの最下層から頂上に一気に上がったこと。それらは彼の無実を証明する盾どころか、逆に彼を疑わせる剣となる。

 信用を積み上げなかったことが悪い。傾奇者として嘯いていた報いだ。


「ああ、これで貴方は信用を失った。ここで殺されてくれれば満点だけど、私はそこまで望まない。兄さんとは違うもの。欲張りはしないわ。

 信用を失って、ここの霊装使いが似非王女の仲間にならないで、リンクのことを良く思わなければいい。似非王女と一緒にリンクが王城に上った際に、彼に不評の嵐が流れればいい。今まで似非王女の剣であり盾だっだ貴方が、似非王女の足かせになればそれで大丈夫。焦ることはないの。貴方たちが一個でも階段を踏み外せば、勝つのは私たちなんだから」


 これは政争だ。

 政治において、登壇する者は清廉潔白でなければならない。

 自分を白くするか、相手を黒くするか。灰色の中でより白いものが勝つ。政争とは、そういうものだ。


「思う存分、汚してあげる。貴方たちの外聞をね」


 スイレンの目はリンクと一緒に走っているマリーへと向けられた。


「貴方はそんな状態で王城に来れる? そんなハンデをぶら下げて私たちと戦える? 実際の戦いは、こんなものじゃないわよ」


 スイレンはリンクたちに背を向けた。

 眼前にある、”秘密の道”に足を向ける。過去、王城に危機があった際にいち早く霊装使いが駆け付けられるように、あるいは王族がここに逃げ込めるように作られた抜け道。知っている者は限られる。


「じゃあね。私は兄さんと違って、リスクは侵さない。最後まで見守ることで誰かに見つかるようなへまは犯さない。この騒動の結末がどうなろうと、私はどっちでもいいもの。真っ白なままここまで来た貴方たちが汚れれば、それだけでいいの」


 彼女の姿は扉の向こうに消える。

 扉は固く閉ざされた。

前へ次へ目次