96.
リンクとプリムラが決闘するってよ。
そんな噂は瞬く間に広がって、当日、気が付けばほとんど全生徒が訓練場に集まっていた。俺たちの同級生だけでなく下級生も見に来ているようで、訓練場の外周部は人で埋まってしまっている。
演劇でも見るようにキラキラとした目で待機している彼らを見て、嘆息してしまうのも仕方がない。
「……皆、暇なのか」
「娯楽を求めているという意味ではそうなんでしょうね。ご存じの通り、この学園生活は意外と時間を持て余す時がありますから」
俺は俺で訓練場の隅に座り、プリムラの登場を待っていた。
隣ではシレネが微笑んでいる。
「ここでプリムラを倒せば、貴方は四聖剣全員に土をつけたことにもなりますし。伝説誕生の瞬間ですわ」
披露会で俺はシレネ、ザクロ、スカビオサを破っている。プリムラを倒せば、コンプリートだ。
つまりは何のとりえもない男が、最強の四聖剣を破る下剋上が巻き起こっているわけだ。時と状況によっては後世に語り継がれるかもしれない珍事。そりゃ注目もされるか。でもあんまり集まると教師も見に来て、戦闘を止められそうなんだけど。
という心配は必要なかったみたいで、あろうことかギャラリーの中には教師の姿もあった。「危なくなったら止めるから」なんて言って、飲み物片手に観戦に徹している。まあ、それでいいならいいんだけど。
観客の中にはスカビオサの姿もあった。こういう催しには一切参加しなかった印象があるが、俺が絡んでるということで確認に来たんだろう。
俺と目が合うと、ゆっくりと近づいてくる。
「なにこれ。必要なの?」
戦闘の意義を問いかけているらしい。魔物の討伐に関係するの? ということだ。
「ああ。しっかり未来のことを考えているから安心しろ。魔物の討伐には戦力の増強が必須項目だ。四聖剣には全員同じ方向を向いてほしい。これに勝てば、プリムラも魔物討伐に協力してくれる。四聖剣全員で魔物の討伐に向かうことができる」
「ふうん」
スカビオサは気のない相槌を打って、
「私たちの役目を忘れていないのならいい」
用件は終えたはずなのに、その場から去らずにきょろきょろと辺りを見渡している。誰を探しているかはよくわかった。
「アイビーなら飲み物を取りに行ってるぞ」
「……は? 貴方、ちゃんと監視してないの?」
怒っている。それはそうだ。
「俺の手持ちに王の霊装があることは知ってるだろ? それを使って命令した以上、あいつはもう逃げられない。安心していい」
本当のことを言うと、王冠ティアクラウンは直後の行動しか指示できない。今ここでできること以外は命令しても意味がないのだ。人の心も変えられないし、未来の行動も指定できないし、これからずっと俺から離れるなという命令もできない。
が、アイビーが俺から逃げること、それは必要のない心配だ。アイビーが今から離反することはあり得ない。他にも仮面を有していて俺が見抜けなかったというのなら、どちらにせよもう俺の手に負えることでもない。
できることとできないことを理解して線引きすることが大切だ。
「……そうならいいけど」
少しの不満を抱えながらも、スカビオサは頷いた。
「じゃあ、王の霊装を使ってこの試合は終わり?」
「いや、今回は真剣に戦う。こんなに大勢が見ている中でティアクラウンは使いたくない」
「どうして?」
「マリーの価値が下がる」
この霊装を有しているから、マリーは王女なのだ。マリーが優位性を保っているのは、この霊装の威光が大きい。そんなものをほいほい披露できるか。使う場所は選ばせてもらう。
「それに、あいつから条件として提示されたのもあるしな。ここは本気でぶつかっておいた方が良い。それがあいつのためにもなりそうだ」
「なんでそう思うの? 人間――特にプリムラはそう簡単に変わらない」
「他でもない俺に完膚なきまでに負けたら、悔しいだろ。自分の在り方を見つめ直すいい機会になる」
「そういうもの? 私にはわからない」
スカビオサは目を細めて、「まあ、頑張って」と去っていった。
良かった。今のスカビオサに変なところはなかったし、精神は安定していそうだ。
「仲がよろしいようで。意外ですね」
俺とスカビオサの会話を黙って聞いていたシレネは、不思議そうな顔でスカビオサの背中を見送っていた。
「話を聞いていた限り、もっと険悪な感じになってるかと思いましたわ」
「アイビーだけを敵にしたんだよ。アイビーを憎むという意味で俺たちは手を取り合い、仲間になった。もう険悪になんかなりようもない。人と友好関係を築くのには敵を作った方が早いからな」
「全部思い通りということですか。悪い人ですわすわ」
「ああ、俺は悪い奴なんだ」
一言で言えば、俺はアイビーを蹴り落としたのだ。
スカビオサとマーガレットと和解する道もあったのかもしれない。アイビーを交えて四人で魔物に向かう道もあったのかもしれない。けれど俺の考えでは、それはあまりに遅い判断だった。アイビーと二人の溝は埋められないほどに深まっていた。だとすれば、それが溝だと思えないくらいに離してやっても変わらない。
俺は容易に成し遂げられる道を選んだ。
アイビーに罪がある以上に、俺にこそ罪がある。
罪には、贖いを。
覚悟は決まった。
俺が人類を救って見せる。
「スカビオサに関してはそれでも意外な反応と思いますわ」
「あいつも意外と優しいからな」
「ふうん。手は出さないでくださいね。アイビーさんとも私のあずかり知らぬところで何かあったみたいですし」
にこにこ、にこにこ。
なんかこの感じ、久々でいいね。日常に戻ってきた感じがする。
「俺がそんな軽薄に見えるか?」
「少し薄味なボケですわ。二十点」
「まあ、真面目な話、スカビオサとどうこうなることはないな」
あいつもあいつで気難しいからな。俺に好意を向けることはないだろう。
そして、俺に彼女への好意はない。あるとしたら同情くらいなものか。
「俺たちの関係は、良くて戦友って言ったところか」
「信じてもよろしいので?」
「任せる」
「これ以上言ってもしょうがありませんわね。何を言っても、貴方は誰にでも勝手にちょっかいをかけるんですもの」
シレネに呆れられた。
アイビーが飲み物を持ってきてくれたので、礼を言って頭を撫でてあげた。ごろごろと喉を鳴らすさまはまるで小動物のようだった。
とかそんなことをやっていると、プリムラが顔を見せた。
「なんだこの人だかりは。煩わしいな。貴様が集めたのか?」
「まさか。俺だって予想外だよ。どこからか噂を聞きつけられたらしい」
嘘つきここにあり。
噂を流したのは俺だ。正確に言えば、俺たちだ。
同級生たちにそれとなく話を伝え、下級生にはハナズオウ経由で伝えてもらった。シレネには教官たちに事前相談をしてもらったが、言い方が上手かったのだろう、むしろ教官が観戦に来るくらいであった。
なんでか。
理由はいくつかあるが、大きいものでいえば、ここで俺とプリムラの印象を決定的にしておきたい。俺とプリムラの勝負の結果を見て、俺たちの側についた方が良いという意識を植え付けておきたい。
ここにいるのはいずれも霊装使い。誰もが戦力になりえる存在だ。
卒業も近い。この機会に彼らを味方につけなくてどうする。
「観客がいるとやりづらいか?」
「私のやることは変わらない」
プリムラは仏頂面を崩さずに背を向けた。
俺もプリムラに背を向けて、所定の場所につく。
俺たちが向かい合ったのを見て、観客のざわめきが収まっていった。
大人数が詰まった訓練場に、痛いくらいの沈黙が降りてくる。
「貴様こそ、約束を違えるなよ」
「ああ、おまえもな。何ならここにいる全員に証人になってもらおうか?」
「……」
無言になるなよ。少し哀しくなるだろ。俺に勝つと大声で宣言しろよ。
自信もなく、慢心もない。事実として、この勝負は俺が勝つだろう。
問題は、どう勝つか。プリムラという存在を、どう育てていくことができるか。
「――ったく、楽じゃねえな」
ため息をつくと、少し勘違いしたプリムラがその太い眉を寄せた。
「調子に乗るなよ。他の四聖剣を倒そうとも、私は違う。貴様のような野良犬に正義の鉄槌を下してやる」
「正義ってのには賞味期限がある。あんまり何度も口にするなよ」
ここぞという時に袋から出して使いましょう。
「俺が正義だ。マリーこそが王にふさわしい」
だから俺はここで使う。
皆に聞こえるように使う。
「ふざけろ!」
プリムラが激昂し、霊装を手にする。
俺も自身の霊装を手にした。
さあ、最後の代理戦争を始めよう。