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95.













「なんか学園生活も久々だなあ」


 前を歩くアイビーは、目を細めながら周りを見回している。

 足取りは軽い。まだ身体が痛むはずなのに、それを感じされないステップ。スキップまで加われば、うきうき気分の完成だ。


 学園内を案内してやれという教官の有難いお言葉もあって、今は二人きり。それも彼女の高揚に一つ買っているだろう。


「しばらく学園には通っていなかったのか?」

「うん。ハナズオウになってからは、一度もね」


 聖女は過去、スカビオサと学園で接点をもった。ネメシアの時もマーガレットと学園で接触している。ハナズオウとなって、学園に通わなくなって何回になるのだろう。


「なんで学園に通わなくなったんだ? そりゃ、アイビーの姿やネメシアの姿だったらすぐにあの二人が出張ってくるだろうけど、ハナズオウの姿では魔王だと気づかれないだろ。ここに入学して友人を作って戦力を集めた方が効率がいいだろう」


 俺だってそう考えて、他所よりもここで戦力を集めることを選んだわけだし。


「マーガレットはトキノオリに閉じ込められてから学園に入らずに自分の道を進んだけど、スカビオサはまだ残ってる。戦力を集めようとしたりとか、いつもと違う行動が目立てば、バレちゃうでしょ」

「それはそうだな。おまえは魔王だった」

「それに、ここには思い出が多すぎる」


 アイビーは天を見上げた。天井で覆われたそこに見るべきものはないはずだ。


「昔ね、同じクラスの霊装使い全員と仲良くなって、誘導して、戦いに望んだこともある。全員死んだよ。誰一人例外ない、無残な死に方だった」

「……」

「それを全学年で試したこともあったっけ。私の知るすべての霊装使いを巻き込んで、勝負を挑んだ。でも結局、結果は変わらなかった。全員死んだ」


 ……。

 本当に俺は何とかできるのか?


 アイビーだって馬鹿じゃない。むしろ賢い部類に入る。多くを考えて、予想して、組み立てて、自分ができる全力を注ぎ込んだだろう。でも、事を成すことができなかった。


 俺に、できるのか。


 いや、後ろ向きに考えることはないはずだ。トキノオリに閉じ込められた俺を含めた四人の、根本的な目的は統一できている。四聖剣も三人はこちら側で、決闘に勝てばもう一人の協力も得ることができるだろう。死にゆく霊装使いを何人も生かすこともできている。


 俺が描いていた理想通りだ。

 俺が描ける理想的な筋書きから何も逸れてはいない。

 だから間違いなんて、ないはずなんだ。


「その時、可能性はありそうだったか?」

「回数こなして何とかなりそうだったら、とっくに試してるよ。そしてもう終わってる」

「……そうかい」


 駄目だ。

 この話はやめよう。

 もっと後で、覚悟をもって聞くことにしよう。


「で、それが学園に来ない理由とどう関係があるんだ?」

「私はここにいる全員の死に顔を知っている。顔を見ると同時に死に顔も連想しちゃうんだよね。あまりいい気分はしない」

「……悪かった。もう変なことを聞くのはやめる」

「まあ聞いてよ。リンクには私の全部を聞いてほしいんだ」


 にっこりと笑う。

 その裏でどこまでの感情が揺れ動いているかは計り知れなかった。


「でも、今のリンクの傍にいる子たちはいいよね。皆、素敵だよ。私が死に顔を見たことない子ばかりだし、一緒にいて楽しい。彼らの存在がきっと世界を救う鍵になると思う」


 俺の介入がなければ、シレネは暴走していて、レフとライは死んでいて、レドは学園を去っていて、マリーも自殺していて、ザクロはまだ真価を発揮していない。


 俺も同感だ。彼らを救ったことが、一番の変化。

 この檻に風穴を空けるきっかけになるだろう。


「ちなみに過去、俺はどうなってたんだ?」

「ザクロと協力して戦って、大体、魔の森の半ばで死んでたよ」

「妥当なところだな。じゃあなんで一つ前の時はおまえまでたどり着けたんだ?」

「スカビオサは毎回違うルートで魔の森をつっきってくるからね。そこら辺のランダムが上手く引っかかったんでしょ」


 スカビオサが俺を殺すはずだった魔物でも殺してくれたのだろうか。

 まあ、何にしたって偶然。

 人生何があるかわからないものだ。


「ごめん。……少しだけ、浸ってもいいかな」

「お好きにどうぞ」


 アイビーは目を瞑った。


 何を思い出しているのだろう。

 何を考えているのだろう。

 今、アイビーが抱えているもの。それはとてつもなく重い。そして、誰かが肩代わりできるようなものでもない。こうやって俺に本音や過去を打ち明けてくれることで、ほんの少しでもアイビーの気持ちが軽くなればいいと思った。



 ◇



「レド様あああぁ。不肖、ハナズオウ、今日も今日とて貴方の元に馳せ参じました。ご飯食べましょ」


 食堂で食事をとっていると、半々くらいの確率でハナズオウがやってくる。そのまま俺たちの昼食に混じってくるのが慣習化している。

 目当ては勿論レドである。一年近くもアタックを続けている効果もあって、最近はレドもぞんざいな扱いはしていないようだ。むしろ牙城を崩されて行って、好感触になりかけている。


 しかし、今日は少し勝手が違った。


「……」

「あら? レド様? 今日はいつもと違うお調子?」


 ハナズオウはぐるぐるとレドの周囲を旋回する。

 俺からすれば外面はいつもと変わらずに見えるんだが、よく気づくものだ。


「別に」

「別に、ってそんな感じではないですケド」

「いいんだよ、ほっとけ」

「がーん。最近ようやくレド様の心の鎧を剥がせたと思っていたのに、どうしてこんなことに……」


 がくっと肩を落として、睨まれるはこの俺。


「貴方でしょ。貴方がまた変なこと言ったんでしょ!」

「なんでだよ。冤罪良くない」


 まあ、原因は俺なんだろうけど。


 アイビーが死ねば次の聖女はハナズオウだ。今のハナズオウはぴいぴいと五月蠅いが、聖女の記憶が流れ込めば、この限りではいられない。人格は歪められ、今の元気いっぱいのハナズオウはいなくなる。

 レドの反応が悪いのは、そのことを知ってしまったことが所以だろう。


 やっぱりレドには伝えるべきではなかったか。しかし、あのやり取りの後でアイビーを傷つけてしまった経緯を説明しないわけにもいかないし。今後、レド抜きで物事が進められるとも思わないし。


 誰に何を伝えるか。こればかりはとても難しい。


「そういう日もあるんじゃないか」

「ありません。レド様のこの反応は初めてなんです」

「じゃあ今日が初レドに出会えた記念日だ。二人の大事な日だ。大切にしろよ」

「……貴方も普段と違いますね。いつもの棘がありません」

「俺も考えを改めた。過去のことは悪かったよ」

「どれですか。心当たりいっぱいでわかりません」

「全部だよ」


 殺そうとしたこと、疑ったこと、ぞんざいな態度をとったこと。

 魔王を巡る話の中だし仕方がないこととはいえ、謝罪と贖いは必要だ。


「調子が狂いますね」


 ハナズオウは息をついて、助けを求めるように周囲を見渡した。


「あれ、見ない方がいらっしゃいますね」


 そこでハナズオウの目はアイビーに向いた。アイビーは「やっほー」と軽い返事。


「えっと確か、アイビーさん。披露会の会場で会いましたよね」

「うん。あの時はどうも」

「なんでここに? 大会には参加していなかったし、学園の生徒ではありませんよね?」

「つい最近編入してきたんだ」

「霊装使いだったんですね。なんでここにいるんです? 新入生枠では?」


 また同じような話になりそうなので、皆にしたのと同じように説明をした。最初は驚いていたハナズオウだったが、最終的には「へえ」と頷いていた。


「良かったですね。今の方が楽しそうに見えますよ」

「ありがとう。ハナズオウも、今が一番綺麗に見えるよ」

「やっぱりそう見えますか? 私、ここ最近ずっと体調が良くって良くって。レド様が放課後少しだけ一緒にいてくれたりだとか、手を繋ぐのを許してくれたりとか、幸せなことがいっぱいなんです」


 頬に手を当てて、心底嬉しそうに笑うハナズオウ。この笑顔は、今の彼女にしか作れないものだろう。やっぱり、失ってはいけないものだ。


「へえええ、あのレド君がねえ。放課後そんなことしてるんだ」


 ハナズオウの発言を聞いて、ザクロを初めとするその場にいるほとんど全員の目がレドに向いた。生暖かい目に晒されて、レドの顔が段々と赤くなっていく。


「ハナズオウ」

「はいっ」

「うるせえ」

「はい!」


 怒られても嬉しそう。

 まあ、レドは口調は乱暴だけど、内心優しい奴だからな。それがわかる子にとっては嬉しいものなのかもしれない。


 ハナズオウが積極的に話しかけることで、レドの調子も普段通りに戻ってきた。

 厚かましいハナズオウと、硬派なレド。意外といい組み合わせて、会話は楽しそうに進んでいっている。


 人生に正解はない。

 どれもが正解で、どれもが失敗。人の成功は誰かの失敗。

 けれどアイビーを守って、ハナズオウがここにいること。それだけは正解に思えた。


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