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94.











 ◇



 その日の教室はざわついた。

 同じクラスに新入生がやってきたからだ。


 名前はアイビー・ヘデラちゃん。

 もう少しで卒業というところで入り込んできた特例の女の子。


 特別なところは入学時期の他にも沢山あって、首輪をつけているところ。顔に痛々しい殴打の跡があるところ。服の隙間の肌に多数の傷があるところ。教官が自己紹介もそこそこに、あまり触れたがらないところ。なぜだかすでに面識のある生徒が多いところ。


 そして、自己紹介の時も含めて、リンク君の近くを離れないところ。


「私はリンクと離れちゃいけないんだよ。そう、聖女様からも忠告されているの」


 照れたような笑顔に文句を言う人間はいなかった。言える人間はいなかった。

 近くの生徒たち同士で、曰く付きのやつが来たぞとざわざわしている。


 なんて。

 アイビーに何も言わない代わりに、俺に憎悪が飛んでくるんだろ、知ってる。あいつは今度は何をしたんだ。あの万年最下位野郎、また女の子を侍らせやがって――みたいな。


 と、いつもならそうなっていただろうが、今回は少し風向きが異なっていた。何故だか男女ともに俺に憎しみの視線を送ってこないのだ。むしろ尊敬と言うか、畏怖と言うか、そんな不可思議な視線を感じる。


 これはこれで気持ちが悪いな。


「あんたが優勝したからでしょ」


 答えはマリーから。とっても不機嫌そうだ。


「ああ、そういえばそんなこともあったな」

「何言ってるの。つい最近の話じゃない」


 最近別件で殺伐としたやり取りを続けていたから、学園の催しがあったことを忘れていた。そうか、あの時俺はスカビオサに勝利して優勝していたんだった。祝勝会もやったっけ。なんだか随分前に感じるな。

 優勝商品は名誉だとか何だとかを表彰式の際に言われてどうでもよくなったから、大会の結果自体もどうでもよくなっていた。


「この評価が副賞ってことか」

「嬉しい?」

「何も」


 今さら俺の評価が上がったところで何も変わることもない。他人の評価なんか気にする人間でもないしな。

 

 しかし、この居心地の悪さはどうにかならないだろうか。

 今までは教室の端っこで舞っている埃のような扱いだったのに、今や誰かの視線を感じない時はない。一躍時の人。自業自得と思って諦めるしかないか。


 ため息をついて机の中に手を入れると、手紙が出てきた。可愛い便せんに、俺の名前が宛てられていた。


「おいおい……」


 なんだよ、誰だよまったく。急に風向きが変わっても困るんだけどな。俺は孤独を愛する男なんだけどな。いやいや、しょうがねえな、ホントに。


 俺はため息をついた。

 深く深く。


 とりあえず後で読むかと思ってそれをしまおうとして、

 俺が反応するよりも早く、その便箋は引き裂かれていた。俺が一辺を握っている中、マリーとシレネとアイビーが他の端っこを掴んで引っ張って、一瞬で引きちぎっていた。中身の手紙ごといっていた。同じ力が加えられていて、凄まじいチームワークだった。


 ええ……?


「リンクさんは前科持ちですからね」とレフが素知らぬ顔で忠告してくる。他人事だけど、前回はおまえの責任もあるだろうが。差出人の名前を書けよ。

「綺麗な手紙だねえ」とアイビーは笑う。「つい手が滑ってしまいましたわあ」とシレネは笑う。「面白そうなものもらってるじゃない」とマリーは笑う。


「ねえ、嬉しい?」


 満面の笑みのマリーが怖い。


「おまえ、俺に優勝してほしいとか言ってたくせに……」

「あんたがモテる時代が来るなんて思わないでしょ」


 ひどい。


 まあ逆に言えば、これで実証できたことになる。人間は風貌や性格ではない、客観的評価が重要なのだ。モテるということはつまり、実績を残すことなのだ。


 俺の様な人間でもモテ期は来る。

 よし、論文を書こう。


「で、なんでここにアイさんがいるの?」


 マリーの目がアイビーに向く。

 さっき教官からの紹介では、事情があってという説明しかされていなかった。


「色々やらかしちゃって、聖女様とスカビオサ様が働きかけて、学園に編入になっちゃった。管理のために、リンクの傍に置かれないといけないんだ。何かしでかしたら、リンクにすぐにでもおしおきしてもらわないといけないの。要は、リンクに飼われてるんだ、私」

「……」


 マリーの目が度し難いものを見るようなものになる。


 魔王を追い詰めたら魔王の飼い主になっていた件。

 よし、小説を書こう。


 だからそんな目を俺に向けるのをやめてくれ。


「……そういうのが好みなの?」

「違うっつの」


 しかし事の全貌をこの場で伝えるのもどうなんだろうか。

 魔王の正体を知らない人たちには、そのまま架空の魔王を見てもらった方が都合がいい。わざわざ状況を難しくすることもないだろう。アイビーについての詳細は黙っていた方がいい。


 となると、今の俺とアイビーの関係を上手く説明できないわけで。


「事情があってな……」


 結果、玉虫色の説明になってしまう。

 マリーの俺を見る目が段々と細くなっていった。 


「へええ」

「なんだよ」

「……あんたが望むのなら、ちょっとくらいならいいけど」

「違うだろ。迎合しようとするなよ」

「主従関係を結ばせたい性癖なの? 変態なの?」

「なんでそっち方向に話を持ってくんだ」

「あんた、傷フェチっぽいし……。好きな子に傷をつけるのが好きなんでしょ。シレネもそうじゃない」


 なんだよ傷フェチって。


「全部結果論だろ。傷なんかない方がいいに決まってる」

「やっぱり私のこともばっさり斬ってくれない? このあたりでいいわ」


 腹部辺りを指さすマリー。

 前もこんなこと言ってたなこいつ。


「駄目だっつの」


 額をつつくと頬を膨らまされた。


 ある程度戯れが落ち着いてくると、状況を見守っていたレフが手を挙げた。


「えと、質問があります」

「どうぞ」

「なんでアイビーさんは、このクラスなんですか? 霊装使いなのはわかりましたけど、来年入ってくればいいのでは? だってこのクラスはあと少しで卒業ですよ」

「さっき言ったよ。私はリンクの傍を離れてはいけないの。リンクに管理されないといけないの」

「えっと、その理由を聞いてるんです。なんでそんなことに?」

「大罪人だからかな。リンクじゃないと、私を管理できないんだ」


 にこにこと笑顔なのに、言ってることが野蛮。

 そのギャップにレフはお手上げのようだった。「そうなんですか……」と身を引いていた。


「公にはされないだろうけど色々あって、罪を犯した私は聖女様に捕まって、聖女様の預かりになったんだよね。でも、聖女様には霊装がないから、霊装使いである私のことは止められない。白羽の矢が立ったのが、先日大会を優勝したリンクってわけ。現状最強な存在なわけでしょ? 聖女様直々に頼まれてたよね」

「まあ、そうだな」


 こいつもこいつでぺらぺらと良く口が回るよな。


「そういうことだから、よろしくね。ああ、心配しないでも大丈夫。もう変なことをしようとは思ってないから。そもそも、リンクの傍じゃそんなことできないしね。次は殺すって脅されてるし」

「ひいい。私が知らない間に、何が起こってるんですかぁ」


 ついにはレフは頭を抱えてしまった。


 あれ、アイビーの受け入れ態勢が整わないか、と思いきや、


「最初から疑ってないよ。リンク君と仲がいいんならね」


 ザクロが爽やかスマイルと共に手を差し出した。アイビーと握手。「よろしくね」「うん。よろしく」ザクロを皮切りに、いつもの面子との挨拶が始まっていった。


「いいの?」


 この場で状況を知っているのは俺、アイビー、シレネ、レド。あとはライだった。彼女には特に何も説明していなかったし、小声で確認された。


「いいんだ。あいつはこの状態に置いておかないといけない」

「わかった」


 それだけ聞くと、ライもアイビーに近づいていって、挨拶を交わした。





 そんなこんなでいつもの面子に一人加わった。八人という大人数でいつものように下らない話をしていると、いつもではあり得ない存在が近づいてきた。


 プリムラ・アスカロン。仏頂面を隠そうともせず、俺の眼前に立った。


「随分と楽しそうだな。自分の立場がわかっていないようで何よりだ」

「おかげさまで。おまえの方も、わざわざ俺に話しかけてくるなんて、自分の立場がわかってるみたいで何よりだな」


 プリムラの眉間のしわが深くなる。

 皮肉で俺に勝てるわけないだろ。


「で、何の用だ? 見ての通り楽しくしてるから、おまえの相手をしてる暇はないんだが」

「決闘を申し込む」


 プリムラは腕を組んで告げてくる。


「貴様は今まで、上手い具合に実力を隠してきたわけだ。マリー王女殿下の懐刀というのにもようやく納得がいった。そうやって隠れながら事を運んできたわけだ。そんな貴様を今、ここで叩いておかなけばならない」

「卒業した後の方がいいんじゃないか? 学園を出れば、おまえたちのとれる選択肢は増えるだろうに」

「今だからこそ必要なこともある」

「卒業する前に俺の力を計ってこいとでも言われたか」


 俺たちが卒業すればどうなるか。それはマリーが安全な学園の外に出るということ。どこで誰に狙われるかもわからない、無感情な殺意に晒される。

 誰が命令しているかといえば、王子様たちだろう。学園の中で殺せなかったマリーは、今やそれなりの求心力を有し、彼女を擁立しようとする派閥も多く立ち上がっている。そろそろ手段を選んでいる場合でもなくなってくる。


 そうなれば邪魔になるのはこの俺だ。マリーの殺害計画を散々邪魔してきて、しかもその実力は披露会で四聖剣を差し置いて優勝するというもの。目下のたんこぶの実力を把握しておかないと、どういった手段をとっていいのかもわからない。


 プリムラは押し黙った。


「求められてるのはおまえの勝敗じゃないんだろ。あくまで俺の上限値を確かめてこいって話。天下の四聖剣様が俺の試金石扱いとは、哀しいね」


 口端を歪めて見せると、プリムラは俺の胸倉を掴んできた。


「調子に乗るなよ。野良犬が」


 いい具合に怒りが溜まっている。

 こいつも四聖剣。今は敵ながら、実力は言うまでもない。うまく魔物討伐の中に組み込まないといけない。


「それが人に頼む態度か? 俺はそっちの我がままに付き合わされるわけだ。あまり気乗りはしないな」

「貴様に拒否権はない」

「だが、乗ってもいい」


 俺はプリムラの手を弾いた。


「条件を出す。何度もおまえと勝負してたら、時間が足りない。俺も暇じゃないんでね。一つ目、今回でおまえが負けた場合、もうこれ以上勝負を挑んでくるな。二つ目、勝負は学園の中、ここにいる同輩たちの観戦を可能とすること。訓練場あたりで戦おう。三つ目、俺が勝てば一つ、おまえに俺の言う事を聞いてもらう」

「……何をさせるつもりだ」

「これからマリーの行う政策、魔物の討伐に積極的に参加してもらう」


 睨み合う。

 今までのプリムラだったら「下らない」と一蹴するところだ。けれどそれを言えば俺は戦闘することはない。彼は王子たちからの要望に応えられない。


 しばらく逡巡した後、プリムラは頷いた。


「わかった。その条件を飲もう。しかし、こちらも条件を出させてもらう」

「ご自由に」

「一つ、今回の戦闘では貴様が全力を出すこと。今までの様な手抜きは許さない」

「わかった。今の手持ちを全部見せよう」

「一つ、王冠の霊装は使うんじゃない」

「了解。ティアクラウンは使わない」

「一つ、私が勝った暁には、卒業後、貴様はマリー王女殿下の傍を離れろ」


 はっきりと言ってくるものだ。

 まあ、わかりやすくていい。


「了解。俺はマリーに近づかない。学園の中はいいのか?」

「構わん」


 もう学園の中での襲撃は諦めたということだろうか。散々失敗しているし、呆れられたという意味合いもありそうだ。


「わかった。その条件で戦おう」

「また追って連絡する」


 用件を告げるとプリムラは去っていく。


 プリムラが去ったことで、中断していた会話が再開された。

 誰も大丈夫? なんて聞いてこなかった。

 俺も信頼されるようになったということだろうか。ほんの少し、寂しい。


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