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 シレネの部屋から夜の中に飛び出した。窓からナイフを放り投げて、地面の上に立つ。霊装を使っての移動は音すら立つことはない。物音を立てたことで誰かに見つかって騒ぎ立てられては敵わないしな。


 などと思いながら歩き始めると、


「わ!」

「わあっ!」


 突然の声に思わず大声を上げてしまった。

 身を引いて音の発生源を探すと、そいつは目の前にいた。


「あはは。わあ、だって。貴方もそんな反応するのね」


 ライだった。けらけらと笑いながら、寝間着の格好で夜の帳の中にいる。


 シレネの隣の部屋に目をやると、その窓は開いていた。シレネの部屋とライの部屋は隣同士。どうしてこんな状況になっているのかは想像に難くなかった。


「話を聞いてたのか」

「少しだけね。貴方がシレネ様に話しているところを聞かせてもらったわ」


 きっとシレネはレフとライ、二人の睡眠を確認してから自分の部屋に戻ってきただろう。話を聞かせないように、そういう気遣いはしているはずだ。けれどライは狸寝入りを決め込んでいたということだ。

 ライは強かだったが、それ以上にこちらの情報管理の甘さが露呈したな。いっぱいいっぱいだったとは言え、もっと周囲に気を配るべきだった。


「安心して。レフはぐっすり眠っているわ」

「別にそこは心配してないって。話をどこまで聞いたんだ?」

「アイビーって子が魔王だってところ」

「ほとんど全部かよ」


 核心の部分を聞かれてるじゃないか。救いなのはライとアイビーにほとんど面識がなく、ライがアイビーに何の感情も持っていなさそうなことか。ここで感情のままに動かれて、事を深刻化させていたら最悪だった。


 すでに異常なことばかりが目白押しなんだ。これ以上イベントは増えてほしくない。


「そうか。じゃあ一旦、今日あったことは忘れてくれ。後でまた伝え直す」

「手伝うわ」


 俺の心情を知ってか知らずか、単刀直入に用件を告げてくるライ。

 無償のものほど怖いものはないんだぜ。


「申し出は嬉しいけど、いらない」

「どうして? 話を聞くに、色んなところで色んな人の感情が炎上しているみたいじゃない。鎮火するのに、貴方の手だけでは足りないんじゃない? 猫の手も借りたい状況なんじゃない?」

「状況をよくわかってくれて助かるよ。だからこそ、余計な手は必要ないんだ。変に手を出されて本当に手に負えない状況にされちゃ、どうしようもない」

「……そう」


 残念そうな顔になるライ。

 小柄な彼女の、寝る寸前だったからか結っていない髪の毛が風に揺れる。


「えっと、他に何か私にできることはない?」

「気持ちだけ受け取っておくよ。今日はもう帰って寝てくれ」

「……私って、そこまで信用がおけない? そりゃ、シレネ様とは比べるのもおこがましいほど何もかもが劣っているけど、貴方の力になりたいのは本心なの。貴方だって私に協力を頼むって、言ってくれてたじゃない」


 その目は真剣だった。

 夜も深い。そんな中、眠気を押さえて隣の部屋の会話を必死に聞いていたくらいだ。彼女がふざけているとは当然思っていない。


 それはわかってる。


 正直に伝えるのなら、ライの評価はシレネとは比べるまでもない。能力の差も勿論あるが、根本的な考え方の違いもある。シレネの物事の考え方は俺とよく似ているから、放っておいても大事にならないと思える。反面、ライの考え方の根本がわからないから、知識という武器を与えて任せることはできないんだ。


「必要になったら声をかけるから、今は帰ってくれ」

「……」

「別におまえが必要じゃないとかじゃない。今はそういう状況にないだけなんだ。適材適所ってやつで、まずは俺とシレネで何とかする。その後に、必要であればおまえにも声をかけるよ」

「……私は、貴方の力になりたいの」


 ライは折れない。


 彼女が俺のことを好きでいてくれることはわかっている。

 自惚れでもなく、俺の霊装の能力で、彼女の霊装はいまだ使用することができる。それはつまり、彼女の想いは俺に向かっているということ。


 でも、それとこれとは別だ。


「これ以上踏み込むと、おまえにも危険が及ぶんだよ。わかってくれ」

「危険なんか、最初からわかってるわよ」

「どうしてそこまで食らいつくんだよ」

「何もない人間には、なりたくないの」


「……何もない人間?」

「ただ現状に甘んじて、流されるままに生きているだけにはなりたくない。私は、私が生きてきた証明を残したい。私が私だったことを、証明したいの」


 初めて、ライのことをしっかりと見た気がした。見ることができた気がした。


「貴方は魔の森で、貴方であることを証明したわ。貴方しかできないことを成し遂げた。私だって、私でしかできないことをやりたいの。今、貴方たちの話を盗み聞きした私。許されることじゃないとわかってる。でも、これが”私にできた”ことなの。”私にできる”ことなの。これが、私なの。私だから、今、この時、貴方の目の前に立てているの。……言ってること、わかる?」


 ライの言葉は人によっては要領の得ないものだろう。そりゃそうだと思う人もいれば、だから何だと思う人もいる。本人だって伝わっているかどうか不安そうだ。


 でも、


「よくわかるよ」

「偶然の出会いも、奇跡の出来事も、降ってわいた幸運も、全部をひっくるめて、私を形作ってるの。今、ここにいるのが私。えっと、だから……」

「真実を知ったおまえだって、おまえだ。誰もが知りえない真実を知るに至ったのは、おまえだから。その時点でライはライとして、ここにいる」

「そう!」


 気持ちの良い笑顔をいただいた。

 自分の証明というのは難しい。そして、それを考え続けることの無意味さを、普通の人は知っている。考えても答えの出ないことを知っている。


 でも、求めてしまうんだ。

 だからライは、このまま進みたい。

 手に取った真実を、自分が特別になった一瞬を、見逃したりはしたくない。


「私は――何かになりたい。特別、特異、奇異、一般と違う事をそんな風に呼ぶけれど、私はそうなりたい。”私”になりたい」


 普通の人ではつまらないから違う人間になりたいとか、頭抜け出してちやほやされたいとか、そういったことではない。

 自分という存在を大勢の人の中に投げ入れた時でも、すぐに見つけられるようになりたい。どこにいたって一目見ただけで自分だと思える様な、何かになりたい。


 私を、定義したい。

 その渇望は少しだけ俺と似ていた。


「ライはライになりたいのか」

「そう言うと何を言ってるんだって話だけどね。おかしなやつだと笑うかしら」

「いや。何もおかしなこともない。おまえの気持ちはよくわかるよ」


 俺はライの頭に手を置いた。気障ったらしく、その髪を撫でる。


「わかった。何かあったら、絶対に声をかける。だから待っていてくれ」

「本当?」

「これからはおまえの力が必要になる。間違いない」


 渇望とは、熱意だ。

 乾いた喉が水を求めるのは、当然の摂理。そのためになら、何だってする。何だってできる。


 彼女もきっと、化け物になれる存在なのだ。


 俺と同じで。


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