86. 向合うフタリ
アイビーを抱えながら部屋に戻ると、部屋の中にはレドのほかに、シレネがいた。シレネは青い顔で佇んでいたが、俺を認めるとほっと息をつく。
「何やら大きな音が聞こえたので駆け付けたのですが、何があったんですか?」
「悪いが、一言じゃ説明できない」
「そうですか……」
シレネの視線は、壁に空いた大穴、俺の腕の中のアイビー、そして俺の顔へと移り変わる。
「……とてつもなく気にはなりますが、説明は後で聞くとして、では、余波がない様にだけ取り計らっておきますわ。この部屋の壁は私のアロンダイトの能力の不発によって起きたことと、寮長と他の生徒に説明しておきます。私の仁徳であれば、御咎めも最小限でしょう」
中々に大変な仕事だろうに、シレネは請け負ってくれた。
「悪い。助かる」
「随分衰弱している様子ですが、アイさんはどうしますか? 渦中のこの部屋に寝かせておくわけにもいかないでしょう。私の部屋は一人部屋なのでベッドが空いていますが、そこに移動しますか?」
「ここにいたら野次馬とかが寄ってきそうだし、頼めるか?」
「わかりましたわ」
アイビーの身体をシレネに預ける。ついでに、俺は霊装フォールアウトを手にして、それもシレネに渡しておいた。
「少ししたら、俺もこのナイフのところに移動する。アイビーとは話さないといけないことが沢山あるんでな。アイビーをベッドに寝かせたら、合図してくれ。このナイフの大まかな位置は把握できるから」
「了解ですわ。では、さっさと移動することにします。誰に見られるともわかりませんからね」
シレネはさっさと部屋を出ていった。聞きたいことが無限にあるだろうに、献身的な子だ。彼女のためにも、俺は俺ができることをしないと。
部屋には俺とレドが残る。
レドはシレネに介抱されて、意識を取り戻したところらしい。頭を振りながら、俺を睨みつけてきた。
「おまえが青い顔で帰ってきたと思ったら、スカビオサとマーガレットがなだれ込んでくるし、なんなんだよ、まったく……」
「悪いな。だけど助かった」
「とりあえずは何とかなったのか? アイビーは死んでないよな?」
「ああ。スカビオサもマーガレットも、一旦は納得してくれた」
「そうか。――で、どういうことだ」
「魔王がアイビーだった」
一言で告げるが、当然、レドが納得するわけもない。誰だって納得できないだろうよ。
「意味わかんねえ。じゃあ、アイビーがこの魔物をけしかけて、この世界を終わらせようとしているのか? おまえはアイビーを殺すために色々と画策してきたのか?」
「そうなるな」
「ふざけてる場合じゃねえぞ」
「俺がふざけてるように見えるか? いっぱいいっぱいだよ」
「……なんだってんだよ。俺だってアイビーを殺すために鍛えていたわけじゃねえぞ」
レドは壁を蹴りつけた。
「俺だってそうだ。ここまでの努力は、アイビーをどうにかしたいからじゃない」
「じゃあ、状況を把握するためにアイビーと話すんだな?」
「ああ。アイビーが目を覚ましたところで、話してみる」
「……俺はアイビーが魔王だとは思えねえ」
レドはそっぽを向くと、外に目を投げた。
俺だって同じ気持ちだ。むしろ、魔王だと断定できればどれほど楽か。
シレネからの合図があった。俺のナイフが不規則に移動している。
「じゃあ、俺は行くぞ」
「……ああ」
レドはこちらを振り返らなかった。
◇
ただ、その寝顔を見つめる。
シレネの部屋で一人、ベッドに横たわる少女から目を離さない。
アイビーの寝顔は、何度も目にしてきている。それこそ、毎日のように隣で眠っていたのだ。誰よりも長い間一緒にいた存在だといえる。その間、色んなアイビーを見てきた。楽しそうな顔も、哀しそうな顔も、怒った顔も、多くの顔を見てきた。
今見えている寝顔も、いつもと何ら変わりのない寝顔だった。
俺の知るアイビーだった。
アイビーは、アイビーだった。
だから俺は、判断することができない。
アイビー・ヘデラを、どうすればいいのか。
アイビーは、どうしてほしいのか。どうして、魔王なんかを名乗っているのか。
アイビーは中々目を覚まさない。俺の手の跡は、いまだ首に残ってしまっている。それほどまでの激情をアイビーに向けてしまった。俺は――アイビーを殺してまで、世界を救いたかったんだろうか。世界、人類、それらは、一人の少女よりも大切なものなのだろうか。
ただただ、無為に時間が過ぎていく。外は真っ暗、月明かりがアイビーの顔に当たって、彼女だけを照らしている。
どれくらい経っただろうか。永遠にも一瞬にも感じられる時間を経て。
それでもずっとじっとアイビーを待ち続けていると、ついに、もぞもぞと、布団が動き出す。
「……鏡が欲しいな」
目覚めて最初の一言は、それだった。
目はまだ閉じたまま。口だけを動かして、言葉を紡ぐ。
「今の私が誰なのか、確認しないといけない」
「確認する必要もない。おはよう、アイビー」
「おはよう、リンク。――なんて、いつもみたいに言えたらいいんだけどね」
口調は軽い。
言葉は重い。
「不用心だね。腕すら縛っていないなんて」
アイビーが目を開き、俺と視線を合わせてくる。死の淵を彷徨ったばかりだというのに、その視線は力強い。「ここどこ? まあ、どこでもいいけど」むくりと起き上がると、かかっていた布団を乱雑に放り投げた。
「人類の敵を前にして、優しいんだね。どうして優しくベッドの上に寝かせてくれてるのかな。私、自己紹介しなかったっけ?」
「聞いてないな」
「何? 聞かなかったことにするつもり? そんな甘い考えなら、何度でも聞かせてあげるけど」
「いんや。聞かなかったことになんかしない。けど、俺はおまえの”本当の”自己紹介は聞いてない。おまえの嘘しか聞いてないってことだよ」
嘘つき同士、向かい合う。
いまはまだ、互いに嘘つきだった。
「やっぱりリンクはどうしようもないね……。私が魔王だって、まだ信じられないの? じゃあ、実体験として教えてあげるよ。私の能力を実際に見せてあげる。その矮小な脳みそに刻み付けてよね。次はハナズオウとして逢おうか」
アイビーは虚空からナイフを取り出して、自身の首に当てた。俺はそれを止めなかった。
嘘には、嘘だ。
「ここでアイビーが自殺したら、俺も後を追うことにする」
「……はあ?」
「冗談じゃないぜ」
俺もアイビーが持つナイフとまったく同じものを取り出した。行動も同じく。アイビーと同じように、首に当てる。
「リンクって、交渉事が苦手なんだね。それじゃ、交換条件になってないよ。別に私はリンクが死のうと、どうだっていい。二人して死んでみる?」
「そうか。ならどうでもいいよな」
俺はナイフをそのまま首に突き刺す。
のを、アイビーの手がナイフの柄を掴んで止めていた。
口は嘘を吐く。
しかし、行動は真実を語る。
俺の首からは血が垂れてきた。
アイビーの顔からは血の気が引いていた。
「ば、馬鹿じゃないの? 今の勢い、本当に死ぬつもりだったじゃん」
「なんでおまえが俺の心配をするんだ? 別に死んだって、構わないだろう? それに、俺は”次”に行くだけだ。本当に死ぬわけじゃない」
「……それは、」
「なあ、アイビー。なんでおまえは今、俺を止めたんだ?」
アイビーの虚飾はかなり厚いだろう。
虚飾の鎧。本当のアイビーと出会うためには、一つ一つ、剥がしていかないといけないみたいだ。
いいさ、全部全部付き合うよ。
アイビーは頬を引くつかせながら、
「単に、癪だっただけだよ。リンクの思い通りにされるのが気に食わないだけ」
「一つ一つ、話していこうか。時間はたくさんある」
「時間がある? 何を言ってるの? スカビオサは私が生きていることを知ったんでしょう? マーガレットだって、スカビオサが気づいたのなら連鎖的に気づいていく。私はマーガレットに霊装を見られているんだから。のんびりしてたら、リンクも殺されちゃうよ。二人を納得させられるわけもないし」
「ああ、二人とも、おまえが魔王であることに気づいたよ」
「そっか、……そりゃ、そうだよ。気づくに決まってる」
「さっきまでひと悶着あった。アイビーを殺す殺さないで戦いあったばかりさ」
「それで? リンクが無事ってことは、二人は殺したの?」
「二人とも、帰ったよ。俺に処遇を任せてくれた」
「スカビオサが? ……マーガレットも? リンクに任せて、帰ったの? 本当に?」
信じられないものでも見るように、アイビーは目を見開いた。
まあ、気持ちはわかる。あいつらはどこかねじが外れているからな。いや、外されてしまっているから、止まる気配が見えないんだ。交渉が通じるとは思えない。
だけど、わかってくれた。これは二人のためにも成功させないといけない会話なんだ。
「ここでおまえがぬくぬく眠っていたことが証拠だ」
「……リンクは、交渉事が得意だね」
「さっきは逆のことを言ってただろ」
「ううん。わかってたよ。リンクならできるって」
アイビーはため息をついた。諦めたかのようなため息で、一歩前進したことを知る。
まず、一枚。順々に鎧を剥がしていく。
「話を戻そうか。なんでおまえがそんなことをしているか、それを明らかにしていこう。俺がおまえと一緒に過ごしてきて、違和感を覚えたところを伝えていく。おまえが魔王だと仮定して、違和感を持つところだ」
「私が魔王だっていうのはわかってるでしょ。魔王しか知らない言葉を吐いたんだから」
「おまえは確かに魔王だが、人類を滅ぼそうとしているとすると、矛盾が出るところだ」
「何を言っても平行線だね。どうぞ。勝手に話せば」
じゃあ、勝手に話すことにしよう。
俺は話すことは得意なんだ。
「まず、おまえの他人への評価だ。基本的におまえは他人をフラットに見てるよな。四聖剣であるシレネにも、未来の王女であるマリーにも、物おじしない。むしろ、マリーの方がおまえを苦手にしているくらいだ」
「私はそういう性格なんだよ」
「そんなおまえが、嫌悪感を示したのが、マーガレットとスカビオサの二人だ。二人の話になると、顔を歪めていた。後から考えればよくわかる。おまえは”過去に戻った二人”に嫌悪感を覚えていたんだ。隠しきれないくらいにな」
「偶然でしょ。人の好き嫌いをとやかく言わないで」
「理由はわからない、いや、わからなかった。おまえが魔王だとわかってからも、なんで檻に閉じ込めた二人を嫌うのか、意味がわからなかった。おまえが自分で閉じ込めたんだろうが。考えられるのは、二人がおまえの期待に沿わなかった可能性。おまえは二人の、檻の中での行動が気に食わなかった」
「二人とも、リンク程楽しく喚いてはくれなかったからね」
「逆だ。二人とも、”諦めたから”おまえは嫌っていたんだ。だから、マーガレットにも、”今の貴方は”なんて言い方をした。今の、生にしがみつくマーガレットを咎める言い方だ。スカビオサだって、おまえの理想とは考えがずれてしまったんだろう。そんな二人を、変わってしまった二人を、おまえは嫌っていた」
「……」
アイビーは押し黙る。
だが、俺は口を閉じることはしない。
「次だ。おまえの行動が不審だったのは、マーガレットとの教会での一件。おまえはマーガレットのことを一歩間違えれば本当に殺すつもりだった。制裁のつもりだったのか? 自分の思い通りに動いてくれないマーガレットを咎めるつもりだった」
「リンクだってマーガレットのことは嫌ってたじゃん。同じ理由だよ」
「その喧騒の中で、おまえはマーガレットが霊装を使おうとしたところを止めたな。俺の邪魔をしたかったのなら、あそこで止める理由はない。あの時は気が付かなかったが、今思えばあの行動は、”前に出過ぎ”だ。俺がもう少し賢かったら、おまえの正体に気づいていたかもしれなかった。そんな危ない橋を渡ってまで俺たちを救おうとした」
「……ただの勘だよ。マーガレットが何かしそうだったから、止めただけ」
「おまえは魔王だ。だから今更、なんでマーガレットの霊装の存在を知っていたのかと聞くことはしない。だが、なんで止めたんだ。俺たちを助ける様な真似を、自分の正体を危険に晒してまで行ったのはなぜだ」
「……」
アイビーは言葉を失う。
一枚一枚、アイビーを囲う鎧が砕けていく。
事実は事実。
嘘で捻じ曲げられるのは、無限に広がっている未来だけ。過去はたった一つで決まりきっているんだ。
俺の目で見た事実こそが、魔王を殺す銀の弾丸足りうる。
「俺がスカビオサと逢おうとしたら、おまえは止めたな。不安そうな顔をしていた」
「……それが、何?」
「……いや、悪い。これは最後でいい。
別の話からしよう。なんでレドに、俺を助けろなんて伝言を遺したんだ。わざわざ俺のいないところで、俺を支えてあげてなんて、献身的な台詞を吐いたんだ。おまえは魔王だろう。俺をぐちゃぐちゃにしたかったんだろ。違うのか?」
「……」
アイビーの顔が下を向いた。
もう少しで、生身のアイビーが見える。
俺ははっきりと告げた。
「おまえは、魔王だ。でも、魔王ではない」
「自分で何言ってるかわかってる? 意味が分からないよ」
「おまえは魔王を名乗っている。それは真実。スカビオサとマーガレットを閉じ込めたのも、おまえだろう。そういう意味では、おまえは魔王だ」
けれど。
「人類の敵、魔物の王という意味では、おまえは魔王ではない。むしろ、逆だ。人類を救おうとしている立場。そうであれば、すべてに意味が通る」
なんで何度も人生を繰り返しているか。
――人類の危機を救うため。
なんで人間をこの時間の牢獄に閉じ込めているのか。
――閉じ込めているのではなく、味方として引き入れているだけ。
なんで俺に対して、矛盾ともいえる行動をとっていたか。
――彼女にとって、必要なのは人類の脅威を排除すること。そのために、魔物を対処しようとしている俺を助ける必要があった。
「人類の敵ってのは、魔物だな。あの大勢の魔物こそが、人類を破滅させる存在。そしておまえは、それを止めるための、人類の味方」
魔王はあくまで人間。だから、同じように魔物に襲われていた。倒れた途端に喰われることになった。
「一つだけわからないのは、なんでこんな迂遠な方法をとったかだ。そのせいでややこしい話になっている。普通に魔物の脅威があることを伝えて、一緒にことに当たった方が有意義じゃないか? わざわざ俺たちに恨まれるように動く必要もない」
「友愛は十回、憎悪は百回」
そこでアイビーが口を開いた。
まっすぐに、俺を見つめてくる。
「――もう、いいじゃん。やめようよ、この話は。意味がないよ」