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 ◆



 初めて人を殺した日のことはもう思い出せない。

 同時に、最後にヒトを殺した日のことも、もう思い出せない。


 二振りのデュランダル。

 歴史に残るような”良い試合”を眼下に。

 剣と剣とがぶつかり合う音を聞きながら、スカビオサ・エクスカリバーは過去に思いを馳せた。過去を顧みるなんてのは、随分と久しぶりだった。こんなことを考えているのはこの世界に久々に入ってきた人間がいたから。


 彼が四人目だと気が付いたのは、彼が入学して早々だった。今まではつまらなそうに一人で頬杖をついてよく授業を抜け出していたのに、いつの間にか人に囲まれるようになっていた。彼の周りにいるのは、ほとんどが学園に残るはずのない人間だった。


 意図的にそういったメンバーを集めたことは想像に難くない。


 シレネ・アロンダイトの暴走を止めて、

 レフとライ、二人のお供の命を救って、

 レド・マーフィの矜持を保ってあげて、

 マリーが首を吊って死ぬ未来を消して、

 ザクロ・デュランダルに自信をつけて、

 優秀な人物たちを自分の周りに添えた。


 失われた青春を取り戻そうとしたのか、魔王討伐に必須だと考えていたのか、彼の本心はわからないが、彼の選んだ選択肢は理解した。


 味方を集めて、魔王を倒す。

 ”いつかの私とまったく同じ”選択だった。


 霊装使いを集めて、戦力として、魔王に立ち向かう。魔王を殺すという目的において、それが一番効果的で、間違いがない。それはそうだ。人間の世界を守るために、人間の全力を求める。何も間違ってはいない。


 間違っているのは、前提だ。


「ただの人間では、あれに太刀打ちなんかできないのに」


 人間が力を合わせたところでどうしようもないのが、魔王と魔物という存在なのだ。圧倒的な戦力と物量で人間の世界を飲み込んでいく魔物たち。それにはどんなに戦力を揃えたって勝ちようがない。武器一つ携えただけの人間にできることはない。


 もう何度も繰り返した自分が一番よくわかっている。このままでは絶対に勝てない。リンクがこれからをどう思っているかはわからないが、ただ数人の霊装使いを救っただけの現状に満足しているというのなら、間違いなく敗北を喫するだろう。


 事態の重さは、一度死んだくらいじゃ理解できない。

 できるかも、という妄想ができなくなってからが戦いだ。


 拍車をかけるのが、自分しか過去のことを知らないという状況。今度はもっと全力で戦おうと思っても、敗北の事実を知るのが自分だけな以上、誰もついてこれない。魔物との戦闘だって、自分にある経験値が他の者には存在しない。初見となって簡単に牙に沈んでいく。

 自分の記憶だけが地続きで、他人の想いは消えていく。

 これがこの世界。


 自分だけ突っ走ると誰もついてこれなくて。

 他の人に歩幅を合わせると何もできなくて。

 温度差に、乖離していく。戦力差に、絶望していく。


 一番効率が良かったのは、結局単騎での戦闘だった。自分一人が真っすぐ魔物に斬りかかる――その時が最も多くの魔物を殺すことができた。


 しかし、足りない。エクスカリバーだけでは足りない。この剣だけでは、魔物を殺すのにはまだ足りない。たった一本の剣では、数百の単位で襲い掛かってくる魔物に対処できない。自分も結局は、人間の枠をはみ出ない。


 だから――自分を強化しないといけない。

 間違いないのは、剣を増やすことだった。

 一本で足りないと感じたのなら、二本にすればいい。三本にすればいい。足りないのなら、もっともっともっと。

 そのために――


 最初は怖かった。恐ろしかった。

 ごめんなさいと呟いた。背後から突き刺した剣に、『どうして?』と崩れ落ちる相手の顔が暗くて虚ろで見向きもできなかった。


 過去、先祖の片方は婿、あるいは嫁としてエクスカリバー家にやってきている。その家系にも、霊装が宿っている。文献を漁って親族を紐解いて、血が繋がって霊装を持っている人を探した。見つけると、有無を言わさずに持ち主を殺して、霊装を自分のものにした。


 一つ目の霊装を得るときには、どこまで殺せば霊装が自分を選ぶかわからなくて、移り変わる霊装の所有者を全員殺して回った。その親族を根絶やしにするくらいに殺した。その時はまだ手は震えていて、涙を流していて、ただただ、



 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

 まおうのせいなんです。

 ぜんぶ、あいつをころすためなんです。

 そうしないと、せかいがすくわれないんです。すすめないんです。

 ずっとずっと、このままなんです。


 真っ赤になった頭蓋に額をこすり付けて、赦しを請うた。周囲の化け物を見るような視線が嫌だった。手にこびり付いた鉄のような匂いが嫌だった。自分に二つ目の霊装が宿った時の霊装の重さが嫌だった。

 毎晩夢にうなされ、碌に眠れない日々が続いた。その時は、身体中をかきむしって、とても裸体を人に見せられるものではなかった。


 結果、魔物をもっと多く殺せた。

 世界の救済に一歩近づいた。

 何度もやり直すたびに、誰を殺せば自分の手に霊装がやってくるか、最短距離ががわかってきた。段々と殺す人数が減ってきた。最適化したら、次の霊装を求めて、同じように試行錯誤した。殺す人数は最適化することで減って、次の霊装に手を伸ばすことで増えて。


 殺して、霊装を得る。

 殺して、世界を救う。

 いつの間にか、赤色は気にならなくなっていた。


『貴方、おかしいですよ』


 まだこの世界にやってきて間もない頃のマーガレットは、当初、引きつった顔を作っていた。あれはいつだったか。『これからは私に任せてください!』と鼻高々にマーガレットがやってきたので、一緒に霊装を集めようと誘って、いつものように人に剣を突き立てた時だったか。死体を蹴り飛ばして次に行こうとした私に、絶望の目を投げていたっけ。


 甘ちゃんだな、と思ったのを覚えている。結果、彼女は甘ちゃんだった。

 マーガレットはそう時間を置かずして、何も言わなくなった。

 彼女は諦めたのだ。私に文句を言えないと、気が付いたのだ。


 そう、理解したのだ。

 このやり方が正しいと。

 このやり方しか、正しくないと。

 このやり方だけが、世界を救えるのだと。


「私、先輩なんだあ」


 少しだけ、自覚する。


 誰よりも長くこの世界にいるのだ。いわば、私は大人。まだまだもがいているだけの貴方は赤ん坊。

 自分が、導いてあげないといけない。

 自分だけが、導いてあげられる。


 青臭い理想を掲げているクソ野郎を、現実の肥溜めに突き落としてやる。


「教えてあげるよお、リンクぅ」


 たった今、ザクロ・デュランダルに対して勝利を挙げた少年に、スカビオサは熱のこもった視線を投げた。



 ◇



 俺の一閃でザクロが倒れこんだ瞬間、会場が阿鼻叫喚の地獄絵図になった。


 なんでぽっと出のおまえが勝ち上がってるんだ、といった内容の悲鳴と怒号がオーケストラ。耳が痛けりゃ心も痛い。いや、後半は嘘だけれど。掛札が会場内に放り投げられ、学園の教員たちが出張るくらいの騒ぎになっていた。

 こつん、と掛札が頭に当たる。このままじゃ何が投げ込まれるかわからない。さっさと出ていった方が良さそうだ。


 そそくさと控室に戻ろうとすると、ザクロと目が合った。

 何故か捨てられた子犬のような目をして倒れこんでいたので、近寄って肩を貸してやった。


「何やってんだ。早く立たないと怪我するぞ」

「……良く言うよ。リンク君の人気が無さすぎるせいでしょ」

「軽口叩けるなら大丈夫だな」


 そのまま一緒に控室まで引き上げた。本当は喧嘩とかしないように対戦相手二人の控室は別なんだけど、俺たちの仲ならどうでもいいだろう。

 戻ってくると、ザクロは疲労困憊といった様子で椅子に座り込んだ。


「おめでとう、リンク君。これで決勝は君のものだよ」

「ありがとう。で、そんな顔してどうしたんだ? 本気で優勝したかったわけでもないだろう」

「自分の実力を知って、落ち込んでるんだよ」


 大きなため息。


「なんて。最初からわかっていたけどね。僕じゃリンク君に勝てないことなんて。でも、なんというか、君の背中を掴みたかったというか、ね」


 寂しそうな顔。

 何を他人行儀なことを言っているんだ。


「俺とおまえはそんなに離れてるのか?」

「僕だけがそう考えているのかもしれないけどね」

「じゃあ勘違いだ。俺はおまえの実力を買ってるし、今回だって運が良かっただけだ」

「じゃあさ、一個だけ約束してよ」


 真面目な顔のザクロ。


「何かあるときには、相談して」

「何を言うかと思えば。当たり前だろ。俺だけにできることなんかないんだから。色々と手伝ってもらうよ」

「恥ずかしいけど、僕はリンク君に信じてもらえる男になりたいんだよ」


 真面目すぎるなあ。

 別に俺なんかの意見に人生を左右されなくてもいいのに。


「わかった。とりあえず、約束するよ。何かあったら相談する」

「良かった。それが聞けるのなら、僕も頑張った甲斐があったよ」

「優勝よりも欲しかったのか?」

「うん。どっちみち、優勝なんか貰ったってしょうがないし。特に行きたいこともないし、将来はリンク君、レド君と同じく討伐隊に入ろっかな」

「おまえは四聖剣だろ。もっと行けるところがある」

「でも僕が討伐隊に行った方が討伐隊に箔がつくんじゃない? その方がリンク君の目的に近づくんじゃないかな」

「それは、まあ」

「良し。決まり。レド君にも話してこようっと」


 ザクロは立ち上がり、「いてて」と言いながらも特に気にすることなく駆けて行ってしまった。


「あ、決勝、頑張ってねえ!」


 彼は清々しい笑顔を残していきました。

 とは言っても、俺も一度皆の待つ観客席には戻っていくんだけど。


 皆のいる場所に行くと、観客で大賑わいの会場には、俺の座る場所はなかった。ちょうど今からスカビオサとプリムラの準決勝も始まるってことで試合も佳境だし、その後の決勝の結果が気になる人が大多数だもんな。


「あ、リンク。お疲れ様」


 所在なさげにしていると、マリーに見つかった。


「何そわそわしてるのよ。こっち来なさいよ」

「そっちに行ったって座る場所がないだろ。もう詰め詰めだし」

「何を遠慮してるの。ここ空けるから座りなさい」


 自分の席を空けてくれるマリー。俺のために自分が立つことを選択するとは、なんて献身的な子なんだ。

 俺は御礼を言ってその席に座る。マリーは何も言わずに俺の上に乗っかってきた。


「……」

「何よ」

「いえ。席を空けてくれてありがとうございます」

「リンクも疲れているでしょ。私に密着する権利をあげるわ」

「ありがたき幸せ……」


 まだ学園の中とか森近くの辺境ならそんな感じでいいんだけど、ここは人の目が多すぎるんだけど。あれ、マリー王女だよな。変なやつの膝の上で何やってんだ、なんて変な噂立てられたくないんだけど。

 と思いつつも、マリーがいつになく上機嫌だから、俺は反論する術を失った。ま、柔らかい感触は確かに癒されるし、今は観客たちはスカビオサとプリムラの試合に目が向いているからいいか。


「お疲れ様でしたね」


 シレネが隣から。


「どうですか、調子の方は?」

「問題ない。勝つよ」

「誰が誰にですか?」

「俺が、スカビオサに。わかってるだろ」

「いえいえ、少し確認させていただいただけですわ」


 にっこりと微笑み。


「確認なんかいらないわ。私の騎士は勝つもの」


 マリーもにっこりと微笑み。

 わーい、みんなにこにこだあ。


 と。忘れないうちに。


「アイ。おまえの霊装を貸してくれないか?」

「え?」


 声をかけるとアイビーはびくりと肩を震わせた。少し顔が青ざめる。


「……なんで? 今?」

「なにビビってんだよ。次の試合で使おうと思ってな」

「どう使うの? リンクが持ってても能力が使えるのは私だけだけど」

「いいんだよ。能力を使うつもりはない」


 能力が使えなくたって、そこにあるだけで意味がある。俺が使えるものはすべて使うぞ。あっちだっていくつ霊装を持ってるって言うんだ、卑怯だとは言うまい。


「……まあ、リンクが言うんなら」


 渋々といった様子でフォールアウトを渡してくれた。それを懐にしまう。


「ちなみに、何かあったらすぐに手元に戻せよ。あくまで俺はスカビオサに勝つための一つの選択肢にするだけだからな。これがないと勝てないってわけでもない」

「わかってる。どう使うのか、楽しみに見ておくよ」


 アイビーも最後には笑っていたから、良しとする。


 スカビオサとプリムラの試合が終わった。やはり勝ったのはスカビオサだった。

 レドの時と同じく、三つの霊装を使用しているスカビオサとプリムラは良い試合をしていた。しかし、四つ目の霊装が出た途端、保っていた均衡が一気に崩れ、プリムラが地に伏す結果となった。


 スカビオサの強さを目の当たりにして、会場は大盛り上がり。

 そのまま変な男を倒してくれと期待がかかっている。


「良し、行くか」


 マリーを立ち上がらせてから、自分も立ち上がる。


 スカビオサを倒す。

 そして、俺の目指す道で、同じゴールを目指してもらう。

 魔王をこの手で、協力して倒すんだ。


「一応、応援だけはしておきます」


 そんな魔王とまったく同じ顔をしたハナズオウから、応援の言葉をもらった。

 こいつの正体がもう少しわかれば、やれることやらなくていいことがもっとはっきりするんだけど。


 まあ、応援は応援か。もらったのに返却するのも少し違う。


「おう。ありがとな」

「ま、勝ち負けはどっちでもいいですけど」

「あ、そ」


 魔王さんと何の味もしない会話を交して、俺は最後の戦いの場に進んでいった。


 

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