72.
スカビオサの姿は訓練場にあった。
鍵のかかった訓練場の扉を破壊して中に押し入ると、陽光を浴びて一人の少女が立ち尽くしている。
剣を振るわけでもなく、精神を統一しているわけでもなく、ただただ物思いに耽る様にそこに立ち尽くす少女。予想外であるはずの俺の登場にも一切の身じろぎのないその姿に、思わず感嘆してしまった。
白銀の髪は短く切り揃えられ、陽光を浴びて水面のように輝く。どこか人の世と一線を画したように見えるのは、俺が彼女の背景を知っているからだろうか。
女子としても小柄。腕も線も細い。けれど、霊装使いにとっては体型など関係がない。自身に宿った霊装は見た目がどんなに重厚であっても、細枝の様な腕で軽く振り切ることができる。彼女は一本の線だった。傍目には弱弱しく、けれど本質は曲がらない。
紫の瞳がゆっくりと動いていき、俺を射抜いた。
紫電のような視線は、咎める様な色を有していた。
「無粋」
俺の背後には鍵の壊れた扉が存在している。彼女は一言だけ呟いて再び目を閉じた。俺の存在など意に介していないような所作だった。
流石に寂しくなる。
「一言で終わりかよ。せっかくあんたに会いに来たんだから、そんなつれないこと言わずに少し話そうぜ」
「……」
「長話をする性分でもないだろう? 単刀直入に言う。おまえが二人目なんだろ。とある筋から魔王を倒そうとしているとも聞いた。同じ目的を持っているのに、なんで俺に話しかけてこなかったんだ? 俺は大声で魔王を倒すつもりだと言っていたつもりだけど」
「……」
「霊装を集めてるのも、魔王を倒すためなんだろ。俺はおまえが身内を殺していようが、咎めるつもりはない。目的のための最短距離だと言うのなら、必要な犠牲も存在する。なあ、ここは互いに協力して、魔王を倒していこうぜ」
「……無駄」
スカビオサはようやく目を開いた。俺ばかりが言葉を重ねた会話の後、彼女の目はひどく冷たかった。
「貴方は無駄なことはしなくていい。魔王は私が殺すから、貴方はぼうっと二回目の人生を過ごしていればいい」
「マーガレットのように?」
「そう。今回で終わるから」
スカビオサは唸る様に、「今回で、終わらせるから」と呟いた。
俺が近くにいるのに、独り言のように聞こえる。俺の言葉は彼女の鼓膜を揺らしているが、届いているとは言い難かった。
「終わらせられる算段があるってことか?」
「そのための霊装」
「本当に大丈夫か? 任せてしまっても問題ないのか」
「貴方が考えることはない」
「おまえは何回目なんだ?」
「百から先は数えていない」
「……」
絶句だ。
戻されてから魔王の襲来があるまで十年だとすると、十×百で、千。千年以上を生きていると考えるのは、想像が追いつかない。
人は一年を過ぎるごとに、時間の感覚に緩慢になっていく。十歳では十分の一の一年が、五十歳では五十分の一の一年。その感じ方も価値もまったく異なっている。千分の一の人生とは、一体どんなものなのだろうか。
そんな中に取り残されたとしたら――
話が逸れた。今大切なのはそこじゃない。
「話を戻すぞ。おまえの目的も魔王の討伐なんだろう? この世界を魔物の脅威から救うことなんだろう? だったら、ここで協力するべきだ。俺のことはもうわかってるだろう? 四人目、と言えばわかるか?」
「わかってる」
「自己紹介が省けて助かるよ。随分と動いたからな。おまえの耳にも届いていただろう。で、俺たちは同じ目的をもってる。協力し合わないか?」
「私にうまみがない」
「はあ?」
「貴方と協力して好転することはない」
呆れた目を向けると、呆れた目が返ってきた。
「私は貴方に価値を見出していない。いずれ枯れる草に水をあげるほど暇じゃない」
「俺はマーガレットとは違うぞ」
「同じにしか見えない。マーガレットも少し前までは貴方と同じことを言っていた」
「……」
心外だが、返す言葉もなかった。
俺はマーガレットに見切りをつけた。向上心を持つことのない馬鹿。自分のことだけを抱きしめる阿呆。実際、それは間違った評価じゃない。けれど、最初は頑張ろうとしていたのだとすれば、少しは同情心も持てる。
幾度も繰り返される世界。
俺だって死の色は覚えている。無機質で、真っ暗で、痛くて、冷たくて。何度も受け取りたいものではなかった。
「人はいずれ腐る。悠久の時の中で、肉体が老いることはなくとも、精神が、根性が、心が、腐っていく。例外はない」
「あんたもか」
「……」
スカビオサは答えなかった。けれど、すでに答えだった。
「百歩譲る。俺も人間だ、将来的にマーガレットと同じ立場になったとする。だが、今は違うのは断言できる。そうなる前に終わらせればいい。この一回、この十年でカタをつける。そのために協力しろ」
「無理」
スカビオサは笑った。張り付けた様な、ぎこちない笑顔だった。
「貴方一人加わったところで何も変わらない。この檻は砕けない」
「矛盾だな。おまえ、今回で終わらせるってさっき言ったばっかだぞ」
「言った?」
「言ってた」
「そ」
興味なさそうにスカビオサは視線を逸らした。
「まあ、そういうこと。私がやるから、貴方はぼうっとしていればいい」
堂々巡り。さっき言われた言葉だ。
「協力は得られないってことか?」
「意味がないから。これは私にしかできない」
「……じゃあ、せめて同じ方向だけは向いていてくれ。俺たちは今、魔物の襲来に対抗するために、組織を創り上げている。マリーを中心に、前回までとは異なった対抗策を講じている。実際に魔物が侵攻してきたとき、おまえも一緒に活動に参加してくれ。討伐隊でその手腕を振るってくれ」
「それに何の意味が?」
「は?」
会話がうまく繋がらない。
俺はおかしなことを言ってるか?
「魔王を殺すのと、魔物を討伐するのに何の関係がある?」
「魔物は魔王が操ってるんだから、関係するだろ」
「魔王を殺せばいいのに、魔物なんかに構ってる暇はない」
「魔王を倒すのと魔物を殺すのとは同義だろ」
「魔王を殺せばこの世界は終わる。他にかまけている時間はない」
ようやく、合点がいった。
俺とスカビオサ、二人の中にあった溝。
魔王だけを自分の手で殺したいスカビオサと、
魔王を初めとした脅威全てを排除したい俺と。
全体を見ているか、局所を見ているか。本丸だけを見ているか、全体を見てしまっているか。絶対的に、乖離的に、二人には壁があるのだった。
「おまえの考え方だと、人が大勢死ぬぞ」
「人? ああ、人ね。それに何の問題が?」
「魔王を倒したって人が生きていなくちゃ何の意味もないだろ」
「どうせ次では生き返る。貴方は地に落ちた葉っぱ一枚一枚を拾うつもり?」
「……次なんて、ないだろうが」
とてつもなく矛盾している。
今回で終わらせると豪語しておきながら、次は次はを口に出す。今に拘っているつもりで、終わりのない未来に期待している。
「人生に次なんかないんだよ。忘れちまったのか?」
「そ」
スカビオサは興味を失ったようで俺に背を向けた。
暖簾に腕押し。いくら俺が言葉を重ねても、意味はないのだろう。スカビオサには届かない。マーガレットとは異なった意味で厄介だ。彼女の意見は覆ることはない。言葉は鼓膜を揺らしているが、心を揺らせてはいなかった。彼女も彼女で壊れてしまったということなのだろうか。
方法を変えるしかない。
言葉が届かないのなら、必要なのは何だ。
「確認するが、おまえは俺が魔王に対して何もできないから、手伝いもしないんだな。俺の存在が取るに足らないのが原因だな」
「そう」
「じゃあ、俺が魔王討伐に役立つ人間であればいいんだな。おまえにとって価値のある人間であればいいんだな。つまり、俺がおまえよりも強ければ、おまえのその糞みたいな理論は破綻するということだな?」
「ありえない」スカビオサは肩を竦めた。「貴方は夢見心地のお子ちゃま」
「言質を取らせてもらう。俺がおまえに勝てば、おまえは俺に協力するんだな」
「できるのならね」
「その言葉、忘れるなよ」
スカビオサ・エクスカリバー。
彼女は俺が知るだけでも、六つの霊装を有している。聖剣であるエクスカリバーは当然として、どこに出しても恥ずかしくの無い霊装が他に五つ。それらを同時展開できるのだから、誰がどう見たって最強の存在だ。
人を殺して得た霊装。
いや、スカビオサは殺した人を人とも思っていない。次の世界では飄々と生きているのだから、勝手に生えるキノコくらいに思っているのかもしれない。
魔王を倒すために、他人の人生を摘む。打算的な俺からすれば間違った選択ではない。けれど、本当に彼女は魔王を倒せると思ってそうしているのだろうか。ほとんど惰性で、ただただ正しいと思える道を歩いているだけなのではないだろうか。選択肢のない人生を強いられているのではないだろうか。
それはとっても、
だれにとっても。
「――」
俺は言葉を飲み込んで、スカビオサに背を向けた。
「あれ。ここでやるんじゃないの?」
スカビオサは俺の背中に声をかける。
「霊装使い同士が殺し合ったら捕まっちまうよ」
「別にどうでもいい。牢屋番を殺して外に出ればいい」
「……」
俺は答えなかった。
学生である俺たちが本気で戦闘を繰り広げるのは許されない。それも相手は四聖剣。喧嘩を吹っ掛けたのであれば、俺に対する批難は轟々。勝敗をつけることは叶わない。
だけど、今ならば。ちょうどおあつらえ向きのイベントが用意されている。
披露してやるよ、俺の力を。
別に顕になって困るものでもない。隠しておくことで王子たちに余計な心配を与え、構えられても困ると思っただけだ。油断した相手以上に倒しやすいものはないのだから。
だけどこうなれば話は別。全力をもって、スカビオサを倒す。俺のもてる全てで、スカビオサを倒す。これが目的に対して一番最短の道。
そうして、証明してやるのだ。
彼女の道には別の道があるということを。
「そ」
スカビオサの返答は、相変わらずどうでも良さそうなものだった。