70.
心臓が早く動いている。足もそれに急かされるように早く動いた。
噂は噂。
正確性は一切ない。
けれど、俺は前の世界でその数字を噂レベルでも聞いていないのだ。
キーリとセリンと別れた後、俺はその足で教会へと向かった。アイビーは外で待ってると扉の前で止まったので、俺は一人で教会内へ。
教会内で俺は胡乱な目で見られたが、すでに何度か訪問しているし、マーガレットからは勝手に通してくれと言われているらしく、ひと悶着もなく俺はそのまま奥へと通された。
殺伐とした視線を切り抜けて、執務室にいたマーガレットの元へ。一人で机に向かっていた彼女は俺を認めると、目を細めて口元をもぞもぞとさせた。
「はぁーあ、また来たんですか……。貴方、暇なんですか? ここはカフェの類ではないんですよ。いいですか、勘違いしないでくださいよ。私と貴方は別に仲間でも何でもないんですからね。こんな何度も来られて馴れ馴れしくされても困ります。私だって暇ではないんです。
まあ、貴方がどうしても暇だというなら、付き合ってあげてもいいですけれど。寛大な私かつ、このタイミングに感謝してくださいね。仕事に一区切りついて、ちょうどお茶を入れようとしていたところですし――」
「スカビオサ・エクスカリバーという名前に聞き覚えは?」
「私の話はまだ終わってませんよ……って、あれ、気づいたんですか?」
きょとんとした顔。俺のカマかけをカマかけとも思っていない素っ頓狂。もしもマーガレットが口を割らなかったら、最悪の場合はティアクラウンを使用しようかと思っていたけれど、その手間を省かせてくれた。
俺はマーガレットに詰め寄っていった。
「あいつが二人目なんだな?」
「本人と話したんですか?」
「いいや。ただ、俺の知る彼女の行動と、今回の行動が異なってる。殺している人間の数が違う。そんなことになるのは、”今”に干渉できる、俺たちと同じ存在だけだ」
「あらあら。じゃあ正体が判明したのは本人のせいですね。これからの話の発端は私ではないと。私は悪くないということで」
飄々と笑った。
マーガレットによく見られる責任転嫁に突っ込んでいる暇も惜しい。
「スカビオサが二人目……俺たちと同じ、時間遡行者か」
「私は超越者、って呼んでますけどね。まあ、その通りです。いずれかのタイミングでわかることだと思ってましたけれど。むしろ今まで良く互いに干渉することなく同じ学園に通っていましたね」
「あっちが俺と接触を持とうとはしていなかったからな。黙られたらわかることもわからない。そもそも俺は遡行したて、二回目だからな。それで? 俺に接触して来なかった理由は、あいつもおまえと同じなのか? 魔王を倒そうともしていないと、そういうことなのか?」
机に手を置いて詰め寄る。俺の剣幕に押され、マーガレットが身を引いた。この場にカストールがいれば、俺は一発殴られていただろう。
「なんで私に聞くんですか。同じ学園に通っているのだから、自分で聞いてくださいよ……」
「相手がどういう人間なのか知らないと、動きようがない。俺が魔王を倒そうと考えてる、と言った途端に斬りかかられても困る。どういう人となりか、まずは情報を集めたい」
「その心配はないと思いますよ。彼女は魔王を殺したがっていたはずです」
第一関門突破。
スカビオサは恐らく、霊装を持っていないマーガレットよりも幾分も強い。スカビオサと意志の疎通がとれなくて殺し合いになるのは分の悪すぎる賭けになる。その心配はなさそうだ。
「じゃあなんで俺に接触して来ないんだよ。魔王を倒そうとしているのなら、普通、一緒に協力して魔王を倒そうと思うはずだろ おまえに対しては呆れてたんだろうけど」
「一言余計ですよ。……うーん、と、多分ですけど、貴方と彼女は根本的に考え方がずれています。ゴールは同じなんですけれど、過程がまるで違うんですよ」
「過程? 魔王を倒すことに全力を尽くすことに、何の違いがあるというんだ」
「彼女は確かに魔王を恨んでいます。けれど、私たちと協力する気はないみたいです。私はあの人に、もうこれ以上関わるなと言われました」
「それはおまえが何もしない木偶の坊だからだろ」
「……ひぃ。言葉の槍が痛いです」
涙目になるマーガレット。
落ち着け。ここで彼女を虐めても何にもならない。ただの八つ当たりで進む話はないんだ。
「関わるな、っていうのはどういうことだ? おまえの行動が邪魔だったのか?」
「私がどうこうという意味ではありませんよ。私が有能でも、あの人は同じ言葉を使ったでしょう。――って、私が無能の前提で話を進めないでください!」
「自分で言ったんだろ……。有能なら話を進めてくれ」
「彼女が言ったのは、私がやるから手を出すな、という意味です。その言葉以降、言葉を交わすことも許されなくなりました。彼女の目的は貴方と同じ、魔王の討伐。しかし、彼女はそれを一人でやると言っているんです」
言っている意味が最初、わからなかった。
マーガレットの考えは、納得はしないでも理解はできる。自己保身という考え方の意味はわかるから。
しかし、スカビオサの一人でやりたいというのは意味が分からない。ゴールが魔王を殺すことなのなら、同じ目的だろう。
「なんで……。絶対に複数人で事に当たった方が間違いがないのに」
「私に聞かれてもわかりません。しかし、私と違って彼女は並々ならぬ思いで魔王を殺そうとしています。それは間違いありません」
「そうかい」
「倒し方なんかわかりもしないのに、よくやりますよ」
鼻で笑うマーガレット。その顔を殴りたくなる思いをなんとか抑えこんだ。
「そんな顔をするのなら、直接会って話せばいいんです。私だって、彼女と口を聞いたのは数えるほどしかありません。彼女のことをほとんど何も知らないのだから」
「そうすることにするよ」
俺はマーガレットに背を向けた。
「……もう帰るんですか? せっかく淹れるのに、紅茶はいらないんですか?」
なぜか寂しそうな声。
「俺たちは仲間じゃないんだろ。実際、俺はおまえを仲間だと思っていない」
「それは、そうですけど」
「……」
俺は朴念仁ではない。何となく、マーガレットの気持ちも理解している。
彼女は寂しいのだろう。
彼女には現状を話せる人物がいない。この環境を誰に話そうが、誰も理解はしてくれない。”次”の時に、この話を覚えている人間が他にいない。
俺はマーガレットと同じ存在。次があるとしても、今のこの瞬間を覚えている。状況を共有できる存在。それは考えようによっては得難い大切な存在だ。
「俺に全面的に協力するのなら、お茶会にも参加してやるよ」
「もう十分協力してるじゃないですか」
「まだだ。全然足りないね。その及び腰を直せば、おまえのことを認めてやる」
「年下の癖に生意気ですね」
「こうなったら関係ないだろ」
「確かに。一年なんか、誤差ですよね」
くすりと笑うと、マーガレットは外の景色を見遣った。
「少し考えさせてください」
「考えてくれるのか?」
「私だって別に、ここにずっといたいわけでもないんですよ」
自分が死なないことが一番。余裕ができれば、この永遠の道程を終わらせたい。
「おまえ、ただの阿呆だな」
「貴方は人を否定してばかりですね」
「今のは少し、褒めてるんだよ」
マーガレットは根っこから腐っているわけではない。環境と状況によって幹を捻じ曲げられてしまった哀れな道化。
逆に言えば、環境と状況とが揃えば、どうとでも育ちそうだ。
「また来るよ」
「勝手にどうぞ」