68.
外に出て、人と会う。
目的の人物――アイビーとは毎日部屋で顔を合わせているはずなのに、何故か久々に会ったという感覚だった。彼女の外行きの服を見るのが久々だったからかもしれない。
外出のための書類を作るのにも慣れてきて、この日は遅刻もなく出会う事ができた。約束の時間よりも大分早く待ち合わせ場所にたどり着くことができて鼻高々な俺だったが、すでにアイビーは待ち合わせ場所にいた。「あれ。早いね」なんて言われたが、どっちの台詞だよ。
時間よりも早いけれど、集まった以上時間を無為にする必要もない。俺たちは並んで歩き出した。
自然に繋がった手。どっちから握ったのかもわからない。二人とも特に議題に挙げることなく足と会話は進んでいく。
「えー。リンクは学園の大会に本気出さないの? 勿体ないね。私は頑張ってるリンクを応援に行こうと思ったのに」
最近学園で起こった出来事を伝えると、アイビーは拗ねたように唇を尖らせた。しかし、不満も一瞬。瞬きの後には快活な笑顔が戻っていた。
「ま、リンクがそう言うならそれでいいんじゃない? 他人がとやかく言う事でもないし、そもそも人にとやかく言われて頑張るタイプでもないでしょ?」
「よくわかってるな。その通り、俺は応援されるとむしろやる気を失くすタイプだ」
「天邪鬼う」
快活に笑われた。
街も少なからず賑わいを見せていた。
学園の披露会に合わせて祭りが開催されるからだ。霊装使いという超常の存在たちが集まる学園でのイベントに便乗しようと、商人たちがここでも手腕を見せつける。祭りの気配とあれば飛んでくるひょうきんものの存在も相まって、学園の外では多くの出店も立ち上がっていった。
商人は稼ぐため、国の重鎮は見極めるために。彼らは明確な目的があるから当然として、多くの一般人も大会を一目見ようとやってくる。学園の披露会は、唯一と言っていい学園と外界の接触手段だ。武器を内包した生徒たちに興味を持つ人間は多い。学園の闘技場に招かれた客たちは、そこで霊装の強大さと恐ろしさを知っていく。
恐れと敬いをまき散らすための、一大イベント。
その盛り上がりを横目に、アイビーはため息をついた。
「そっかあ、リンクは頑張らないのかあ。さっきはどっちでもいいって言ったけど、やっぱり残念だよ。せっかくリンクの札を買い集めたのに」
彼女が懐から取り出したのは、俺の名前の書かれた札だった。掛け札だ。複製されないよう主催グループによる捺印も為されている。
非公式でありながら、この大会は賭けの対象にもなっている。民が盛り上がるなら、と国が黙認している中、催しは年々大きくなり、今となっては掛け金の総額は国庫の何割かにも及ぶとも聞く。誰もが一攫千金のチャンスを有することになったから、ここまで盛り上がっているわけだ。
まあ、そんなことはいい。
恐ろしいのは、アイビーの手元、俺に賭けた金額だ。彼女が懐から手元に広げていく掛札は一枚二枚と増えていき、手のひらを覆い尽くす。最終的に数十枚にもなった掛札は、おいそれと買えるものじゃないはず。
「持ち過ぎだろ……」
「すごい?」
「……すごいはすごいけど、おまえ、いくら賭けたんだ」
「全財産」
「ヒェっ……」
「まあまあ、落ち着いてよ。これを失ったら一文無しだなんては流石に言わないよ。私だってそこまで馬鹿じゃない。今後の活動資金は抜いてあるから」
「活動資金以外は全部ぶちこんだってことかよ」
「お金なんか貯めたって使い道もないし。ここで投資しないでどうするのさ」
「他にもいっぱいあるだろ。聞きたくないけど、具体的にいくらつぎ込んだんだ?」
アイビーが口にしたのは、この国で一般市民が働いて得ることのできるおおよそ一年間の所得総額だった。
流石にめまいがした。
「一年とそこらでそこまで貯めたのはすごいけどよ……」
「頑張ったからね。商人見習いとして同席したこの前の討伐隊遠征もいいお小遣いになったし」
これで俺に毎月少なくないお金を渡して来るのだから、恐ろしい子だ。俺に何を求めてここまで投資してくるんだ。怖くなってくる。
「……何が目的なんだ。そんな期待を向けられたって、俺は何にもできないぞ」
「あはは。面白いこと言うねえ。私は別に何も求めてないよ。リンクはただ私の隣にいてくれればそれでいいの」
「離れるつもりもないが。おまえ、絶対俺以外の男のところに行くなよ。貢がせるような男と付き合うなよ。身も心も破綻するぞ」
「行くわけないって。私は人を見る目だけは自信があるんだよ。ってかビビりすぎ。こんなのただのお金じゃん。お金ってのは貯めるものじゃなくて、消費するものだよ」
「怖いよお……」
「まあ、一個だけ要求するのなら、私の手をしっかり握っててよ」
小さい手が俺の手を握り直してくる。
人を見る目があるなんて言ってるけど、どうだろうか。俺に引っかかっている時点で、相当見る目がないと思うけれど。
まあしかし、彼女が有能であり、俺の近くにいてくれるというのなら、俺がこの手を離す理由はない。
「ちなみに今のリンクのオッズは二百倍です」
え。つまり俺が勝てば普通の人が二百年暮らせるくらいのお金が入ってくるの?
少し揺らぐな……。
「考え直した? 魔王討伐にはお金も必要なんじゃない?」
「それはそうだけど……。簡単には頷けねえよ」
そして自分で招いたことだけど、そこまでの低評価であることが少し寂しい。
「投資みたいなもんでしょ」
「投資っていうのは少なからず勝てる可能性があるところでするもんだ。俺の勝率はゼロなんだから申し訳ないがムダ金だよ。賭けるならスカビオサにだろ。どうせあいつが優勝する」
スカビオサ・エクスカリバー。
四聖剣の一人でもある彼女は、押しも押されぬ一番人気。賭けのオッズも三十五人もいる中で、堂々の四倍。ちなみに二番手のシレネは十倍だ。
スカビオサがどういった人物か、どういった戦闘能力を有しているか、多くの噂が流れているから知っている人間は多い。ほとんどが悪評だろうが、強いことは間違いがない。悪評は真実も多分に含まれているが、”その強さゆえに”赦されている部分も多い。
前世でも彼女が優勝していた。堅実にお金を稼ぐのなら、スカビオサに賭けるのが真っ当だ。
「やだ」
しかして、アイビーは強く否定する。
「絶対に、やだ。彼女だけにはベットしない」
「何か理由があるのか?」
「だって”身内斬り”だよ。そりゃあ強いだろうさ。いくつ霊装持ってるんだって話。でも、それは多くの人の屍の上に成り立ってるんだよ。私は赦せない」
霊装は所有者がこの世からいなくなれば次の所有者を探す。
所有資格はその血だ。それぞれの霊装は、先祖から受け継いできたもの。血が繋がっていれば、その霊装の所有資格を得る。明確な基準はわからないが、一般的に血が濃い順に霊装は流れ着く。該当者がいなければ、次に血が濃い者へ。人間は何世代も交配を繰り返してきたから、その血が絶えることはなく、どこかで誰かには行きつくのだ。
所有者を求めて霊装は移動を続け――最終的に、一人の少女、スカビオサの元へたどり着く。
「俺だって納得できるものじゃない。直接的にせよ、間接的にせよ、あいつは何人も殺してる。殺したのは二十六人だったか?」
「それくらいだったかな? 霊装を得るためにだからって、そんなの許されることじゃない」
エクスカリバーという四聖剣を有していなければ、即座に縛り首だ。
しかし現実に、スカビオサは聖剣を有する四聖剣家の跡取りで、エクスカリバー家は彼女一人しか後継者がいない。好き勝手やったとしても、ある程度は目をつぶられる。スカビオサ・エクスカリバーの価値は、そこいらの市民と比較するのもおこがましいくらいに高い。民を何人か殺したところで説教だけで済むくらいには。
「そういった悪政も直したいよな」
「マリー王女に期待だね。彼女だったらそういうの、許さないと思うな」
「そうだな」
頷きながら、俺としては、彼女を殺すことはしない。
打算。
魔王を殺すためには、スカビオサの力は必要不可欠だ。今から代用を探したんでは間に合わない。訓練を見ていても、剣術も運動能力も群を抜いて高い。
殺された人間に対して思うところはある。けれど、結局俺は彼らに会ったこともない。俺だけの意志ならば、魔王を倒すことの方が大切なのだ。
アイビーはうっすらと笑う。
「ま、ぐだぐだと言っちゃったけど、リンクの好きなようにやってよ。私は何があってもついていくから」
「その妄信も怖いんだよな」
「怖い怖いって何だよ。失礼しちゃうなあ。じゃあ、怖いこと言ってやろ。私は行けなかったけど、皆で行った温泉、楽しかった?」
にこにこと笑うアイビー。
急に刺しに来るじゃないか。その懐からナイフが飛び出してきて俺の腹を刺したとしてもおかしくないくらいに、綺麗な笑顔だ。
両手を挙げるしかない。
「悪かったって」
「リンクが謝ることじゃないでしょ。あの時、旅行に行く権利があったのは、討伐隊の調査任務に参加した学園の生徒だけだもん。しがない商人見習いの私がついていくのは違和感だよね。わかってますとも」
「わかったって。だからこうやって埋め合わせしてるわけだろ」
「埋め合わせって言い方かあ。そっかそっかあ」
「アイさんと、出かけたかったんです。デートしたかったんです」
俺が頭を下げると、アイビーはくすくすと笑う。
シレネともマリーとも違う攻め方に、ため息をつくしかない。俺の周りの女子はそれぞれ別のベクトルで強いのだ。もしくは、俺が弱いのだろうか。尻に敷かれる未来しかないしがない男なのだろうか。
「男の子はね、尻に敷かれるくらいがちょうどいいんだよ」
「ついに俺の考えていることを読めるようになったのか」
「そうだよ。リンクの考えていることはわかりやすいからね。私がリンクのことを好きなところに、主導権を持たせてくれるところもあるんだよ。ちょうどよく隙を作るのが上手いよね」
「まるで俺がわざとやってるみたいな言い方だな」
「どうだろうね。でも、わざとやってる時もあるでしょう?」
「おまえらと話してる時はほとんど素だよ。勝てる気がしない」
「あはは。じゃあそういうことにしておこうかな」
会話もそこそこに、二人で王都を巡る。