62.
「……」
キーリは口を堅く閉じた。
余計なことは言わないように、脳内で逡巡しているようだ。
キーリが断った場合、紅蓮討伐隊のこの場全員が王女を殺害しようとした容疑で処罰される。表立っての戦闘だ、逃げることは叶わない。王子派だってわざわざ事を大きくして彼女らを守ろうとは思わないだろう。それほどの価値もないのだから。
キーリが承諾した場合、ここで起こったのは魔物との戦闘。森に深く入りすぎたことによって不覚をとったことになる。他人は誰も見ていない魔の森の中で行われたあらゆることは、当人の証言でしか証明できない。被害者も加害者もいない事件は事件ではありえないのだから。
最後の一押しは、王子たちについて、
「王子が貴族の席を用意するとも限らないのに、よくもまあ踊ったものだ」
少しの呆れはあった。
霊装がないと王になれないと考え、マリーを殺すことに躍起になっている王子たち。霊装がなくても求心力を見せつければ、また違った未来もあったのに。考えが一つに絞られている彼らにできることは何もないと思える。
キーリは逡巡の後、答えた。
「……貴方の配下となります。信じてください」
そう答えるしかない。生殺与奪の権利はこちらが握っているのだから。
「そうですか。歓迎しますよ」
俺はキーリに、昏倒している者を起こして野営地に戻るよう指示をした。
比較的軽傷な者たちが重傷者を抱え込んで歩き出す。
「やはり面白い男だね、君は。先ほどまで殺し合っていた敵を仲間と呼ぶのかい」
傍にハクガンが立っていた。この場にいる人間の中では軽傷の彼は、飄々とした様子で立ち上がっている。
「敵の敵を仲間にしていかないと立ち行かないんでね」
戦わないとわからないことは多い。
相手の思いや力量は、敵だからこそよく見える。
「ははは。末恐ろしいね」
「貴方はどうですか? マリーに忠誠を誓ってくれますか?」
「無理だね」
ハクガンは即答した。
口端を歪めて、言葉を継いだ。
「まだ何も成し遂げていないお嬢さんに仕えるなんて、ナンセンスだ。君はただ王冠を持っているだけの女の子を尊敬できるのかい?」
「これからには賭けられないか?」
「君らしくもない。未来は等しく不明瞭で不確定だ。その子が死んだとして、僕に王冠が巡ってくる可能性も零じゃない。そうなったら君は僕に傅いてくれるか?」
「ないな」
「はは。となると、君の尽力は王という役職ではなく、その子本人に向けられているということになる。君とその子の関係を聞くつもりはないけれど、僕とその子の関係は明確だ。”他人”。他人に傅くには理由がいる。当然だろう?」
のらりくらりと躱される会話。
対話がうまいかどうか、議論が強いかどうかは、その人物が何を持っているかに依る。
何も持っていない人間の方が、何とでも言える。何の矜持もない人間が、無敵な会話を可能にする。
俺も然り。
「じゃあいいや」
俺はハクガンに背を向けて、次の人物に話を持っていこうとする。
「ま、待ってくれよ」とハクガンが少々焦った顔で回り込んできた。
「話はまだ終わっていないじゃないか」
「終わったよ。マリーの味方になれないなら、あんたは敵だ」
「僕の力は見ただろう? それなりにやると自負している。それがわからないほど君は阿呆じゃないだろう?」
確かに、ハクガンは今回戦闘があった人物の中では最も強かった。四聖剣の次には強いと言えるだろう。
「弱い信者と、強い傾奇者なら、俺は前者の方が有用だと思ってる」
「君に尽くそう」
ハクガンは俺の手をとった。
「君の在り方は、まさにマーベラス。つまらないと思っていた僕の人生を変えた。君と共にあれば、中々に刺激的な人生が待っていそうだ」
……。
打算だ、打算で考えろ。
こいつが仲間になった方が絶対に有益だろう。
何勝手に俺の手を取ってるんだとか、俺の感情で断るのは愚の骨頂だ。
「いやだ」
結果、断っていた。
「では、勝手に君に従うとしよう。最初の仕事はそこな雑種を運び込むことだな。任せたまえ」
満足げに笑っていまだ動けない紅蓮討伐隊の隊員を背負い込むと、歩き出していってしまった。
「あんた、そんな顔もするのね」とはマリーの弁。
「俺は女の子が好きだ。男に言い寄られて喜ぶ趣味はない」
「知ってるわよ。よおく、ね」
ジト目。
そういえば、ライの霊装が使用できるようになっていることについて、俺は何も釈明していなかった。
いや、別に、俺が望んだわけじゃないし。あっちが勝手にそう思ってるだけだし。
なんて、人の想いを無下にする言い方なんかしないけれど。最終的にはそうなってしまうとしても、想ってくれたことは嬉しいから。
「……もう何を言ってもダメそうね」
呆れられたら勝ちだ。
森からは人がいなくなっていく。
残ったのは俺たち、学園でのいつもの面子になる。
その中でもいまだ立ち上がらないのは、レフだった。
普通の女の子であるレフにひどいことを言ったのはこの俺だ。人質の価値もないだなんて、その場を切り抜けるためであっても、言っていいことではない。
許してほしいだなんて言うことはない。だけど、立ち直ってほしいとは思っている。
俺は近寄ってきたザクロの脇を突いた。
「え、なに?」
「レフが傷心だ。声をかけてやってくれ」
「何があったの、って、まあ、こんな戦場にいたら、そりゃあ疲れちゃうよね」
少し勘違いをしながらも、ザクロはレフに近づいていった。レフは顔を上げれずにいたが、ザクロの話は聞いているようだ。後は任せておけばいいか。
続々と俺たちのところに集まってくる面々。
レドは特にいい顔をしていた。
「良い戦闘だったぜ」
「満足げだな」
「ああ。俺は強い。それがわかっただけで嬉しいぜ」
戦闘狂ここに極まれり。生き生きとした顔の彼は、危なげなく相手を屈服させていた。
「月一くらいで同じようなことに巻き込まれてもいいな」
「馬鹿じゃないの。こっちの心臓が持たないわよ」
「マリーの傍にいれば巻き込まれるから、仲良くなっておいて良かった」
「はあ? あんたと仲良くなった覚えはないんだけど」
マリーとレドも大分打ち解けているな。
というか、マリーがここまで他人と仲良くなれたのは、嬉しい誤算だった。もう一人部屋で泣いている少女はいない。
「雛を見守る親鳥ですわ」
シレネがにやにやしながら。
「何がだよ」
「今の、マリー様を見る視線ですわ。卵から大事に大事に育ててきた雛が飛び立ったのを見た様な顔をしていましたの。のんのん」
「そんな上から目線であいつに接したことはない」
「では、愛情ゆえということにしておきましょう」
にっこりと笑って、森の中と、残った俺たちの顔つきを見回した。
「百点満点ですわね」
「ああ。おおよそ理想としていた状況にすることができた」
「これでマリー様は王女としての一歩を踏み出した、と。盤石の体制ですわね。流石は王女の騎士。貴方に任せておけばすべてがうまくいきますわ」
「おまえも傍にいてもらわないと困る」
「ふふ。一番の口説き文句ですわ」
◇
野営地に戻ると、早々にエクセルに呼び出された。
レフは気分が優れないというので救護室に。ライは付き添いでそちらに向かった。
俺とマリーとで隊長のテントまでやってくる。
「入れ」という低い声に促されて、テントの中に入る。他に誰もいない空間で向かい合った。
「大変だったようだな。森の中で大量の魔物に襲われたということだったな」
「ええ。しかし、紅蓮討伐隊の皆さんの尽力によって魔物はすべて追い返すことに成功いたしました。私たち学生を全力で守ってくださった彼らには感謝の念が絶えません」
「ああ。中々に骨のある動きで見直したぜ。キーリのやつも大怪我を負いながらもいい目をしていた」
エクセルは深く頷いて、眼の色を変えた。
凄みのある眼力が飛んでくる。
「とは、現場を管理する立場からすると納得できないのは当然だ。切り傷刺し傷殴打の跡。魔物との戦闘でできたものとは言い難い。貴様はどう釈明するつもりだ」
「釈明することはありません。これが貴方の賭けたコインに対する結果です」
「なるほどな」エクセルは頷く。「で、配当金は?」
「未来。貴方がいまだ俺たちに賭け続けてくれるというのなら、それなりのポストを用意いたしましょう」
「……先日は俺がホスト側だったはずなんだがな」
「どちらでも構いません。互いに得をする関係であれば、それでいいでしょう」
利益さえあれば、騎手でも馬でも構わない。俺はそう考えるが、彼はどうだろうか。
「少なくとも、無能を担ぐことはなくなるか……」
エクセルは黙考し、答えを出した。答えは龍の紋章の入ったブレスレットの形をしていた。
「くれてやる。何かあれば俺の名前を出すといい。お灸を据えられたキーリたちも従うだろうさ」
「ありがとうございます」
俺たちとエクセルたち紅蓮討伐隊との関係を決定づける品の提供。彼は俺たちに未来を預けたも同義だった。
「後は私の方でまとめておく。悪いようにはしない。キーリの独断の件を収めてくれたこと、一応、謝罪と御礼だけは言っておく」
「人が悪いですね。わかっていて泳がせていたくせに」
「俺はおまえと違って賭け事が好きでな。どちらが表になるのか見てみたかった」
食えない男だ。
安全圏から俺たちを見下ろして、見定めていたわけだ。
まあいいや。権力を持っていて友好的な人とは仲良くするべき。
一通り話を終えると、エクセルは俺たちに退出を命じた。