61.
◆
ライが飛んできた。
と思ったら、不時着した。
顔面から地面に飛び込んでいったライの上げた顔つきは、状況に反して真面目なものだった。
「助けて!」
その言葉でシレネとレドは何が起こっているかを察したらしい。
有無を言わずにライに場所を聞いて、森の中を走っていく。
ぽかんとしているのは他の蒼穹討伐隊の面々だった。しばらく三人が駆けて行った先を見つめていたが、ライが紅蓮討伐隊に参加していた学生だと知るや、あちらの状況を鑑みて顔をしかめた。
彼らはシレネたちが動いたのを止めなかった。しかし、自分が動こうともしなかった。
そんな彼らを見て、ザクロは自分の中に怒りがあることに気が付いた。紅蓮討伐隊で何かがあったことに見向きもしない、日和見の人間たち。彼らは自分に火の粉が飛んでこないことだけを祈っている。
そしてそれは、自分も同じだった。
シレネとレドの姿はもう見えなくなっている。
立ち尽くす自分と、プリムラだけがこの場に残された。
「貴様は行かないのか?」
プリムラと自分はこの場所に立っている。だが、状況はまったく異なっていた。
動かないという選択をしたプリムラと、動かないという選択すらしていない自分と。
自分の意志を持っている人間と、何も持っていない人間と。
情けなさに体が震えた。
「下らないな」
プリムラはザクロから顔を背けて、「調査を再開しましょう」と蒼穹討伐隊の隊員に告げる。
その行動にも違和感があった。
「二人の事、止めなかったんだね」
「なぜ私がそんなことをしなければならない?」
「二人が行くことでマリーさんは生き残るよ。いいの?」
レドもシレネも随一の力を持っている。彼らの参戦で状況が変わることは間違いがない。それがわからないプリムラではないはずなのに。
「……」
プリムラは鼻息を吐いて、「役者不足だ」とだけ言った。
「誰のことを言っているの?」
「わからないならそれでいい。恐らく私が行動に移したところで結果は変わらないと見ている。私は無駄なことに時間を割くような道化師ではない。矜持も有している」
それだけを言い残して背を向けた。
ザクロは立ち尽くす。
これで残されたのは、自分だけになった。
僕はどこに立っているのだろう。
どこに立っていたいんだろう。
シレネとレドが向かっていった。自分より強い二人が向かっていったのだ。自分が行かなくても大丈夫。むしろ、行かない方が足手まといが増えなくて問題ない。
そうだ。だから、動かないのが唯一の正解。
積み重なっていく言い訳、逃げ口上。
口が強張っているのがわかった。
笑うにも権利がいると気づいたのはいつだっただろうか。大口を開けて笑っていられる大人が少数だということを察して久しい。
自分は明日、笑えるだろうか。
笑う権利を有しているだろうか。
「……僕はさ」
もう周りに誰もいなかった。
誰に向けてかわからない言葉が零れ落ちる。
レドとシレネは前方、森の奥に消えていき、プリムラと蒼穹討伐隊の隊員は背後、森の浅いところを歩いていった。
「何かを成したいとか、大それたことは考えてない」
四聖剣を賜ったけれど、それは自分の意志じゃない。自分が努力して手にしたものじゃない。ただ転がってきたものを拾っただけ。そんなものに頼る人生は違うと思う自分がいる。けれど結局は振り回されているのが自分でもあった。
自分は矮小な人間だ。わかってる。
戦う理由なんかない。だから、戦わない。
じゃあ逆に、どうして背を向けないのか。見てみぬふりをしないのか。
立ち尽くしているということは、すでにそれが答えではないのか。
「楽しかったんだ」
リンクとレドと下らない話をするのが。自分を色眼鏡で見ない二人と過ごすのが。
シレネやレフやライ、マリーとグループとして過ごすのだって、楽しかった。ここでなら何の気負いもなく笑いあうことができた。
四聖剣を手にしたことで捨てないといけないと思っていた日々。そんな理想が眼前にはあって。
守りたいのは、そういった時間。
「駄目だなんて言うだけじゃ、何も変わらないもんね」
首を振って項垂れて俯いて。それで世界が変わったことなんかないのに。
そんなこと、わかっているはずなのに。
まだ震えている自分の手足。
未来はわからないことばかりだ。
一個だけ、わかっているとしたら。
――ここで動かなければ、もうみんなと一緒に笑いあうことはないんだ。
逃げた自分には、笑う権利すら与えられない。
どこかで僕は動かなかった、と罪悪感に苛まれる。実際、過去を鑑みても眠れない夜を過ごしたこともあった。
ここが分岐点だ。
自分がどうなりたいか、決めないといけない。
「僕は――」
◇
「――ここに立っていたい。もう、逃げたくない」
俺の眼前に立ったザクロという男は、根はひどく臆病である。
人の気持ちがわかって、自分のふがいなさを呪って、立ち止まることも多かった。
けれど間違いないのは、魔王討伐のために先陣を切ったこと。自分の信頼する人間を集めて、人々の明日のために尽力したということ。
その背中に救われたのは、俺だってそうだ。その手に引かれて俺は仲間という文字を知った。自分の霊装の強さを知った。
ザクロの背中――今の姿に、未来の姿が重なっていく。
懐かしい背中が見えた時に、自然と浮かんだのは笑みだった。
「やっぱり主人公は俺じゃない」
人には役割がある。
人々の羨望を集め、先陣を切るべき人間は、そういう素質を持っている。逆立ちしたって一般人には手に入れることのできない才能だ。
レドでも、シレネでも、マリーでもなく。俺にとっての物語の主役はこの男だ。
「……遅れてごめん」
至極申し訳なさそうに。
「いいよ」
「何度も見過ごしてごめん。マリーさんが苦境に立たされている時も保身を考えちゃってごめん。プリムラと戦っていた時も見て見ぬ振りをしてごめん。聖女様のところに向かった時も同行しなくてごめん」
「何を謝ってるのかわからないな。俺は頼んでない。おまえに責任は一切ないだろ」
「だとしたら――頼まれる存在になれなくて、ごめん」
積み重なる謝罪。
顔をこちらに向けないのは、懺悔が積み重なっている証拠だ。
「今、ここにいてくれる。それだけで十分だ。なあ、マリー」
背後のマリーに問いかけると、憮然としながらも頷いていた。
「リンクと同じ意見よ。どうして貴方が謝る必要があるの? 貴方にとって私はただの他人でしょうに。他人のために戦場に行くなんて、それほど意味がないわ」
「他人じゃないよ」
そこでようやくザクロは振り返った。
目を潤ませて、四肢は震えていて、けれど、決死の覚悟を決めた男の顔だった。
「友達だよ。これからも一緒に笑いあいたい、大切な友達なんだ。僕は、皆と過ごすのが好きだった。普段の生活も楽しかったし、飲み会も楽しかった。君たちがいてくれたから、僕は学園を楽しむことができてる。そんな日々を、これからも続けていきたい。失うなんて嫌だ。だから――僕も戦うよ」
「そう。そうなら止めないわ」
マリーはあっけらかんと答えて、微笑んだ。
「友達と言ってくれて嬉しいわ。私の一方通行な思いじゃなくて嬉しい」
「僕も嬉しいよ。君が友達だと言ってくれるのなら、この剣を振るうのに躊躇いはない」
ザクロの手元が光り輝く。
現れたのは、白銀の長剣。
身の丈ほどもあるその剣を軽く振ると、ザクロは笑顔を向けてきた。
「今この時ばかりは聖剣を受け継いで良かったと、そう思えるんだ。自分勝手かな」
「使えるものを使って何が悪いんだ。貰いものでもなんでも、使えるものはしっかり使ってやらないとな」
「はは。リンク君らしいね」
ザクロは駆け出して、戦線に加わっていった。
レドもシレネもすでに戦局をコントロールしていて、十人の紅蓮討伐隊に対して圧倒している。そこにザクロが混ざったことで、結果は確定したと言ってもいい。
勝負はついた。
俺は何とか賭けに勝ったみたいだ。
今回の賭けの立役者――ライが疲労感に塗れた顔で大きな息を吐いた。
「……何とかなりそうね」
「ああ。ライが三人を呼んできてくれたおかげだ。ありがとう」
「そう言ってくれると頑張った甲斐があるわ」
ため息と共に、その場にへたり込んだ。
「でも、色々と疲れた。間に合うかどうか心配だったし、どうなるかもわからなかったもの」
「ライが必死に動いてくれたことは知ってたからな。俺は時間を稼ぐだけで良かった。それだけだったら、どうとでもできる」
「頼もしいわね」
「逆におまえが協力してくれなかったら詰んでたよ。流石に十人を相手にするのは厳しい」
「五人は一人で何とかしたくせに?」
「算数は習っただろ。十は五の二倍だぜ。全然違う」
「五を二回で十でしょう。変わらないわ」
どっちもどっちだな。
まあ正直、全力を尽くせば十人の相手はなんとかなったかもしれない。けれどそれはあくまで”しれない”の話。分の悪い賭けの範疇だ。ベットするには心もとない。
レド、シレネ、ザクロ。三人がいてくれれば、それは確実な勝利になる。
さて、戦闘は三人に任せて、俺は事後処理に勤しむとしよう。
俺の足はキーリに元に向かっていく。青い顔で顔を俯かせている彼女に声をかけた。
「話をしましょうか。キーリ副隊長」
「……どうとでもするといい」
諦念の滲む答えだ。
まあ、無理もない。十五人も用意した精鋭たちが圧倒的敗北を喫しているのだ。これ以上打てる手はないのだろう。
「貴方たちが俺たちに戦闘を仕掛けてきて、俺たちは自己防衛のために応戦した。何か間違いはありますか」
「ない」
どっちが仕掛けたかは今後、重要な話となってくる。
俺たちの陣営には権力者である四聖剣の二人がいる。特にシレネは人望もあるし、頭も回る。言い合いになれば、こちらが優位だ。キーリもここで勝つ見込みのない舌戦を繰り広げようとは露も思っていないようだった。
「貴方たちは王女に弓を引いた反逆者だ。いくら紅蓮討伐隊が”そういった側面”の強い部隊だとしても、叱責は免れない。トカゲのしっぽである貴方たちは切られることを逃れられない。わかっていますよね」
「良くて死刑だろう。わかっているさ」
「ちなみに、王子からの成功報酬は何でしたか?」
「恒久的な資金援助。そして、一代限りだが貴族の称号を与えられる予定だった」
彼女たちが市民の出だというのは間違いがなかったようだ。
だから、なのか。彼女は貴族という立場をちらつかされてそこに飛びついてしまった。
それは偏に、王国は変わらないという思いがあるから。マリーでは市民に優しい国をつくることはできないと考えているから。
マリーなんかいつでも害せるという慢心。このままでは何もなしえないという焦燥。二つの要因で、彼女は動くことになった。
その前提をもって、
「取引しましょう、キーリ副隊長」
「……」
胡乱な眼差しが向けられる。
「マリーに忠誠を誓ってください。そうすれば、お咎めを無しにしましょう」
「なに?」
キーリの視線はマリーへと移った。マリーは特に言葉を発することはなかった。視線は俺に戻ってくる。
「何を言っているんだ。こんなことをした私たちを許し、仲間に引き入れるだと?」
「両者に利のある話だと思いますけどね。知っての通り、マリーには仲間が少ない。だからマリーの絶対の味方となってください。そうすれば、この場は”魔物との死闘があっただけ”ということになります」
視界の端で、レド、シレネ、ザクロが戦闘を終えた。
後から戦闘に参加した紅蓮討伐隊の十人も、すでに全員が動ける状態ではなくなっていた。
「何をさせるつもりだ」
「特に。王子たちの攻撃の壁になり、王子たちへの槍になってくだされば。ああ、討伐隊の業務もこなしてくださいね」
「……私たちを信じられるのか」
キーリの瞳は不審に寄っている。
彼女視点、誰よりも不気味に映っているのは、この俺だろう。
学園からの評価は最弱。しかしキーリの編成した隊員たちとの戦闘の中、五体一をひっくり返し、マリーの意見も聞かずに重要な話を進めていく。
こいつはなんなんだ。それだけが脳内を支配している。
それでいい。
理解は人を安堵させる。安定した土壌に立った人間は別の思考に移りやすい。
が、不明瞭は人を不安にさせる。自分の立っている場所が立つべき場所なのか、出口のない思考に捕らわれる。
余計なことなんか考えなくていい。
おまえには選択肢はない。
飼い殺されるか、ただの尻尾として切り殺されるか。
どちらにしたって碌な人生じゃないんだから。
「俺たちがどう思おうと関係ない。見ての通り、あんたが思うほど、俺たちが弱くない。吹けば崩れるような掘っ立て小屋だと思ってるのは愚か者だけだ。あんたが言うべき言葉は、”信じてください”以外にはない。それ以外の言葉は必要としていない」
正直、キーリがどちらを選ぼうが、どっちでもいい話だ。
この一件の結末が知られれば、どちらにせよマリーに傾倒する人間も増えてくる。彼女は学園にて四聖剣の二人を味方に従え、敵の真っただ中で生き残った。戦況をひっくり返す力があるとわかれば、力を貸そうと思う人間は少なくない。
今日、この結果を有して、マリー王女は賭けの対象となった。
今まではオッズに明確な開きのあった王様レースに、賭けるだけの価値が見出される。甘い蜜を吸いたい人間が増えてくる。そうしてマリー派の人間が増えて、こちらが優勢になってまた人が増えて――
そうしてマリーは王になる。
「……」
キーリは口を堅く閉じた。