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59.




 ◇



 懐かしい光景だ。

 まだ一年が経ってはいないが、この森の中でシレネと死闘を繰り広げたんだ。


 その時と魔物の出現数は変わっていないように思えた。出てくる魔物の大きさも種類も、前回と大差がない。そして、俺の知っている魔王の侵攻時に比べたら大したことはない。

 魔王が魔物を指揮して攻め込んでくるまで、時間はある。まだその前兆すら出ていないというのは朗報だ。まだ人類は準備することができる。


 変化がないことを確認したことで、目的の一つを達成。

 マリーがこの催しに参加して国民からの支持を受けたことで、目的の二つ目も達成している。

 残り一つは、これから起こることだ。


「どうしたの、リンクちゃん。何か怖い顔してるよ」


 セリンが近寄ってきて笑顔を見せてきた。

 森の中に入って数十分。目的地の少し前あたり。


「普段通りのつもりなんですけど、怖い顔してますかね。どうも生まれつき、目つきが良くないみたいで」

「可愛い顔してると思うけどねえ。でも今は眉間にしわが寄っちゃって可愛くないぞ」


 眉間に指を当てられた。


「どうすればよくなります?」

「笑顔笑顔。笑ってればいいことあるから」


 笑ってみた。


「えっと……、まあ、無理に笑う事もないよ」


 引かれた。

 そっちが吹っ掛けたのにひでえや。


 視線を周囲に投げる。キーリとレフが話しながら前を歩いている。先頭にはバン。後方、殿はハクガンとヨウム。

 俺たちを囲うような陣形は、俺たちを守るとも俺たちを逃がさないとも受け取れる。


 このまま歩いていけば、目的地にたどり着く。

 つまりはきっと、お仲間がたくさん待ち構えているんだろう。

 後手に回ることもない。まだ比較的優位な状況で行動を移そう。


「ちなみに、なんでセリンさんは笑ってるんですか?」

「え、どういう質問?」

「何が楽しくて笑ってるんですか?」


 この質問には特に意味があったわけじゃない。

 かといって意味がないわけでもなかった。


「何って、えっと、ごめんねえ、質問の意図が読めないというか……」

「意図なんかないですよ。ただの興味ですから。人はどうして笑うのかという単純な疑問です」

「そういう意味なら、楽しいから、じゃない?」

「じゃあセリンさんは今、楽しいんですか?」

「楽しいよ。学園の後輩とこうして触れ合っているのは、昔を思い出して初心にも帰れるしね」


「人を殺そうとしているからじゃなくてですか」


 しん、と水を打ったかのように静まり返る。

 全員が俺たちの会話を聞いていたようで、その他の会話がすべて中断された。


 先頭を行くキーリが足を止めて振り返ってきた。


「……リンク君。君は何を言っているのかな」


 その瞳を見て、状況を把握する。

 彼女は、敵側だ。

 つまり、この集団は俺たちを包囲しているのだ。


「意味がある言葉じゃありませんよ。無視してください」

「無視するにはいささか剣呑だったね。王女様を守る立場として神経が過敏になっているのはわかるけど、ここにいるのは全員が味方だ。君たちは絶対に守る」

「そもそも本当にマリーを王女として守ろうとするのなら、こんな人数で森の中に入れるわけがないでしょう」

「マリー王女が望んだことだろう。この調査任務に参加して、魔物の動向を確認するんだろう」

「すでに魔物は何匹も目にしています。危険を冒してまでここまで進む必要がありますかね」

「森の浅いところでなにがわかるという。調査に来ているのだから当たり前だろう」

「俺だったらこんなところまで学生なんかを連れてきません」


 リスクが高すぎる。

 調査としてここまで来るのは間違いじゃない。しかし、わざわざ自分の王を連れてくるか。リスクに対してのリターンが少なすぎる。


「……それなら、この計画を話した時に一言くれればよかったのだ。ここに来て臆病風に吹かれるなんて、見込み違いだったようだな」


 俺の評価が下がるのは望むところだ。どうも最近、無駄に評価を上げてしまっている。俺なんかは一人では何もできない道化師。

 が、一人ではない限りなんでもできる奇術師でもある。


「まあ別にどこに行くでもいいんですけどね。あんまり行くと、処理が大変なんですよ」

「何を言ってるんだ」

「あんたたち全員の死体に魔物の牙を突き刺して、森の外まで運ばないといけない。憔悴した顔で、涙も用意しなくちゃいけない。こっちは少人数なんで、あんたらと違って忙しいんですよ」


 誰も口を開かない時間があって初めて、森の中の音を聞いた。風に揺れる木々の声は、案外心地よいものだった。


「……リンク君、何を言ってるんですか?」この場で一番困惑しているのはレフだった。逆に言えば、レフ以外は特に驚くことなく状況を見守っている。


「わざわざあんたたちのお仲間が待っているところまで行く必要はない。俺は間違ったことを言っていますか?」


 俺はマリーを抱き寄せる。

 小隊の面々には逡巡が映った。演技を続けるか、行動を起こすか。各々に迷いが見て取れる間に、俺は行動を起こしていく。


 ライに目くばせすると、彼女は頷いて霊装を展開した。

 ライの手に箒が握られると同時、セリンの手元に鞭が現れた。


「行け」


 俺が声を発すると、ライは箒に跨って宙に浮いた。そのまま森を引き返すように進み始める。

 セリンの鞭がその後を追った。俺はバルディリスを手にし、それを叩き落とす。

 ライの姿が見えなくなったところで、しばしの静寂が流れた。


「え、え、え」


 レフが視線を右往左往。俺とマリーと、それと対峙するキーリ小隊。どちらかというとキーリの近くにいた彼女は、キーリにその腕をとられた。


「君たちは動くなよ。逃げるなら、この子を殺す」


 息を飲むレフ。

 演技を辞めたキーリの視線には殺意が宿る。


「良かった。あんたはやっぱりそっち側だったか」

「良かったとはどういう意味だ」

「この小隊全員が敵だと判断できる」


 俺は五人順々に視線を巡らせる。

 五人に共通しているのは、マリーに熱い視線を投げている点。


「余裕だな。この子を人質にしているんだぞ」


 キーリは腰から剣を引き抜くと、レフの首に押し当てた。レフはすでに真っ白な顔で浅い息を吐くだけになっている。


「わかってないのはそっちだよ。そいつに人質の価値はない。何も知らないのがその証拠だ」


 レフの目が大きく見開かれる。

 キーリの目は反対に細められた。


「薄情なことだ」

「人の命には貴賤がある。そのことをおまえたちは知っているから、こうして俺たちの反対側に立っている」


 人の命の価値が同じなのならば、こんなことにはなっていない。

 マリーの首と、レフの首。同じ首なのに、その価値は人によって天と地ほども違う。キーリはレフの首が欲しいとは毛ほども思っていないだろう。

 人は生まれにして不平等だ。どちらがいいかは知らないけれど。


「この子とマリー様では吊り合わないと?」

「わかってるだろ。その子に天秤に乗せるだけの価値はない。むしろ、あんた一人の動きを奪う事に意味がある」


 キーリは鼻を鳴らすと、レフを突き飛ばした。

 レフはその場で蹲ったまま動かない。できればそのままでいてくれればいいけれど。


「で? 勇ましく公言してくれたのはいいけれど、君はどうするつもりだ? この場五人を相手にすることができると?」

「俺は賭けが嫌いなんだ」

「というと?」

「勝てる勝負しかしないことにしている」


 空気が変わった。

 はっきりとした殺意が飛んでくる。


 セリンの鞭がマリーに向かって振るわれた。

 バルディリスを振るってその進路を妨害しようとするが、蛇の頭のように先端が蠢いて、それを躱される。「ち」舌打ち一回、俺はその鞭を蹴り飛ばした。

 蹴り飛ばされた鞭は行き場を失う――はずだったが、そこは霊装。セリンが一振りすると、俺の足首に絡みついてきた。簡単に振りほどくことはできず、そのまま中吊りにされる。


 キーリが笑うのが見えた。「話にならないな」呟いて、駆けだす。

 俺という護衛がいなくなったマリーに、キーリとバンが一直線に駆け寄っていった。


「破天」


 俺は右手に掴んだアロンダイトの能力を起動する。衝撃波が生み出され、鞭が弾かれて足首が自由になる。

 宙に舞いながら手にするはフォールアウト。それをマリーの足元に放り投げると、移動。眼前に迫っていたキーリとバンが目を丸くして俺を見たところで、バルディリスを二振り。

 バンの左腕とキーリの剣にそれぞれ命中し、前者は腕を切り落とし、後者は剣を弾き飛ばされ無力となった。


「ぐ。あああああああああああああ」


 獣のような声を上げるバンの左腕からは大量の血液が放流される。

 セリンが鞭を振るってバンの左手に絡ませると、簡易的な止血を施していた。


「……どういうことだ」


 キーリは遠くの木に突き刺さった自分の剣を見つめてから、俺を睨んでくる。


「なんで貴様のような男が、この場にいる」


 報告を受けていない、そんな顔をしている。

 そりゃそうだ。今回の調査任務に参加した八人の中で、強弱をつけてメンバーを分けたのだから。こっちには弱い人間しかいるはずがない。学園の中の話であれば、俺の評価は最低ランクに位置しているだろう。


「持論なんだが、強さってのはひけらかすもんじゃない」

「見誤ったな」


 キーリは憎々し気に呟いて、懐からナイフを取り出す。


「イレギュラーはいつだって起こりうる。が、まさか王女にここまでの男がついているとはな。道理でここまで仕事が降りかかってくるわけだ。かといって、任務を放棄するわけにはいかない。わかってるな」


 他の四人に発破をかける。

 バンは血眼になった目を、セリンは呆れの混じった目を、ヨウムは無機質な目を向けてきていた。

 一人、ハクガンだけは飄々としている。俺たちのことを見てもいない。


 バンが動いた。

 右手に持った剣を怒りに任せ、闇雲に振り回しての突進。俺と彼との体格差では、受け止めればそのまま押し切られる危険性がある。


 四聖剣と呼ばれる霊装の力を見せる時。どうしてアロンダイトが他の霊装と一線を画した呼ばれ方をしているのか。

 俺に向かって一直線のバンに、衝撃波をぶつける。手加減なしの一撃は、大柄な彼を吹き飛ばすのには十分だった。木々をへし折って視界の果てに消える男。


 攻撃は止まらない。セリンとキーリがそれぞれ逆側から俺に向けて刃と鞭を差し向ける。俺はフォールアウトをキーリに向けて投擲する。キーリがそれを受けると、ナイフ同士が接触し、俺のナイフは宙を飛んだ。

 そこに転移。

 空中からバルディリスをキーリに振り下ろした。彼女も彼女で実力者。俺の投げたナイフの能力の一端を理解し、即座に振り返ってナイフで応戦しようとするが、すでに速度の乗っている斧を防ぐには心もとない。ナイフは砕け散り、斧は肩口に深く突き刺さった。「ぐ、う」その場に崩れ落ちるキーリ。


 鞭が俺の片手に絡まった。必死な顔のセリンが見える。「捕まえた!」先ほどと同じように放り投げようと腕を振り――、空いた自分の手に黒剣が握られているのに気が付く。


「え」


 呆けた声。

 刹那、その身体ははじけ飛ぶ。俺が押し付けたアロンダイトから衝撃がほとばしり、木々よりも高く打ち上げられた彼女は、そのまま地面に叩きつけられ、動かなくなった。


 俺はアロンダイトを手元に戻した。

 対人戦において、アロンダイトを凌ぐ霊装はそうは存在しない。

 それに加えて、移動のフォールアウト、速度のバルディリスだ。最高の手札が揃った俺がそう負けることはない。


 三人を無力化することに成功し、残りは二人。

 俺の戦いを見ていたヨウムは俺ではなく、マリーを標的とした。俺よりも位置的にはマリーに近い。霊装だろう、大槌をマリーに振り下ろさんとする。

 俺はフォールアウトを近くに投げ込み、マリーとヨウムの間に割り込むと、バルディリスの柄でヨウムの腹部を思い切り殴りつけた。彼は大槌を振り下ろす前に、無言のまま大地をバウンドして、地面に転がることになった。


 四人が全員倒れたのを見て、息をつく。

 キーリだけが意識を保っているようで、血がだくだくと流れる肩口を抑えながら、俺を睨んできていた。


「……王女の騎士の名は伊達ではないとでも言いたげだな」

「そうでしょう!」


 何故かマリーが得意げ。ヨウムの大槌を眼前にしても瞬き一つしなかったこの王女様は、なんとも豪胆であった。


 苦渋の表情のキーリの視線は次に、攻撃に一切参加しなかった男に向けられた。


「……ハクガン。なぜ動かない。おまえが動いていれば、状況も変わっていただろうに」

「クール、クール、そして、クール! まっこと素晴らしい騎士だ君は。口だけの有象無象とは違う。僕の心も踊り狂っているよ」


 ハクガンはキーリには一切の目を向けなかった。

 その視線は俺に固定されて動かない。


「ハクガン! 貴様、裏切るのか! 騎士団からも厄介者扱いされていたのは知っているぞ。状況を変えようと考えていたんじゃないのか」

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