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58.




 ◆



 僕は常に流されている。

 出生に、周囲に、運命に。

 自分の足で立っているはずなのに、その足元はおぼつかなくて。

 一歩踏み出したはずの足元はぐずぐずに溶け切っていて。


 今、この場所にいるのだって、はたして自分の意志だったのだろうか。


「恐らく、明日が決行となるはずですわ」

「どうしてわかるんだ?」

「おそらく、この四日間は紅蓮討伐隊も友好的な態度をとっていたと思いますわ。そうなれば、一週間の中で動くとしたらここでしょう。警戒が解け、油断が顔を見せる時期ですわ」

「まあ、シレネが言うのならそうなんだろうな。で? 俺たちはどうするんだ?」

「当然、加勢に行くべきですわ。リンク様は強いですが、流石に全員を相手どるのは無謀でしょう」

「あいつならなんとかしそうだけどな。だからあいつのためじゃなく、俺は俺のために助太刀にいくぜ」


 夜、トイレに立つと、テントの外からはそんな話声が聞こえた。

 レドとシレネの声。


 ザクロはその声を聞いて、ああそうか、とだけ思った。

 やっぱりあちら側は大変なことになっている。

 蒼穹討伐隊に配属された自分たちは、やたらと反対側の心配をされていた。

 友人たちは大丈夫かと詰問される日々。


 紅蓮討伐隊と蒼穹討伐隊。その違いは偏に、立場にあった。

 紅蓮討伐隊は騎士団所属者を中心とした、国として武力と権力を有した集団。反して蒼穹討伐隊は民間上がりの傭兵や私兵が中心となっている。


 この二つの討伐隊の差異は、単純に区別。国に所属しているか、国として偉いか偉くないか。だから蒼穹討伐隊にいる隊員たちは、王女に対して曖昧な態度をとっている。彼女を擁立する行動をとれば、紅蓮討伐隊の輩に詰め寄られるのは明確だからだ。

 突き詰めると、紅蓮討伐隊こそ王家の息がかかった集団だといえる。彼らのほとんどは王子のために行動を起こそうと画策している。


 それを早いタイミングで察したシレネたちだったが、紅蓮討伐隊だけではなく蒼穹討伐隊の面々にも止められる始末。事を荒げないでくれと下らない言葉に押し留められた。

 しかし、流石に決行のタイミングでは介入するようだ。レドとシレネが強い意志を固めたのを見て、ザクロは彼らに背を向けた。


 ――僕にできることなんかない。


 あるのはただ一つ、諦念だった。

 レドのように愚直に進むことも、シレネのように計略をもって前に出ることもできない。


 じゃあ僕には何ができる?

 何のために生きているのだろうか。


 テントの中に戻ると、プリムラがベッドに腰かけてこちらを見つめていた。


「なんだ、内緒話は終わりか?」


 プリムラ・アスカロン。

 蒼穹討伐隊に配属された四人の中で、彼だけはこの現状を変えようとはしていなかった。

 それもそのはず、プリムラは王子派の人間。マリーが死ぬことはむしろ望ましい。

 きっとプリムラが手を挙げて調査任務に加わったのは、戦力となる人物の足止めが目的だろう。シレネ、レド、そして自分。この場で戦闘力を有する人間を観客席に送る役割。


 そこまではザクロだってわかっている。


「僕はトイレに出ただけだよ」

「そうか。それは悪かった」


 プリムラは鼻を鳴らした。

 ベッドの中に戻るつもりはなさそうで、その場から動かない。


「レドのやつはどこに行った?」

「知らないよ。僕はトイレに立っただけだって言ったでしょ」

「まったく、こそこそと鬱陶しい」


 憎々し気に呟いた。

 苦虫を噛んだような顔で続けた。


「あいつらに負けさえしなければ、この場で動けなくしてやるものを」

「負けた?」


 ザクロが首を傾げると、プリムラはその眉を上げた。


「なんだ、聞いていないのか」

「……何の話?」

「何でもない。忘れろ」

「忘れられる感じじゃないよね」


 詰め寄る。

 プリムラは不遜に鼻を鳴らすだけ。


「俺から言う事はない。知りたければお仲間に聞くんだな」

「……」

「なんだ? 聞けないのか? いつも仲良く一緒にいるではないか」


 足が動かなくなった。

 いつも一緒にいるのはその通り。


 リンクが彼の性格ではありえない突っかかりをシレネに行っていたことも。

 彼がマリー王女に近寄っていって、お昼での食事を常習化させたことも。

 学園を抜け出して誰かと何らかの交渉に行っていたことも。

 今だって、わざわざ討伐隊の調査に参加したことだって。


 全部、知っている。

 何らかの意図をもって行動していたことも。

 必死に何かを掴もうともがいていることも。


 しかし。

 その意図を聞いたことは一度もなかった。


「……いつまでそこにいるつもりだ。貴様と話していても何もない。これならばまだリンクと話していた方がまだ有意義だ。さっさと去れ」


 無味無臭の人畜無害。

 プリムラはザクロをそう判断している。


 ――それは、正しい。


 ザクロは項垂れる。

 何もしていないのだから、それは当然だ。どんな名刀を持っていようが、持ち主が案山子であれば何の意味もない。害鳥だって横を素通りだ。


 ザクロは動けなかった。

 プリムラに突っかかることも、自分のベッドに戻ることもできない。

 ただの案山子。


「何してんだよ、おまえら」


 そこに声がかかった。

 レドがシレネとの対話を終え、帰ってきたようだった。


「明日も早いんだ。早く寝ろよ」

「貴様を待っていたんだ。シレネ・アロンダイトとは実のある話はできたか」

「ああ。間違いないな。おまえには口が裂けても言わないけどな」

「聞く必要もない。私の役割は決まっているからな」


 レドもプリムラも互いの顔から視線を逸らして、自分のベッドへと向かう。

 自分の意志で、自分の足で。

 僕は――。



 ◆



『リンク君、だよね?』

『……そういうおまえは、ザクロか』

『久しぶり。学園以来だよね。元気にしてた?』

『ああ、まあ、ぼちぼちな』

『そうなんだね。良かった。卒業後は何をしているの? 僕はチームを作って衛兵まがいのことをしてるんだ。せっかく四聖剣になったんだから、国民の平和を守りたくて』

『聞いてねえよ』

『……あ、ごめんね。どうも発足したばっかで不安だったんだ。勝手に話しちゃってごめんね。

 ……それじゃ、またどこかで会おうね』

『さっさとどっか行け』

『……』

『……』

『……』


『ねえ、やっぱりさ。どこかでもう少し、話でもしない?』



 ◇



 五日目。

 今日は調査の中で最も深く森の中に入っていくということらしい。

 地図で説明されたが、俺とシレネが戦ったところくらいまで。要は魔物が常駐しているところまで歩みを進めるという事。


 参加する小隊は三つ。キーリ副隊長が率いる小隊と、その他二つ。


「何か質問はあるかな?」


 キーリは森に入る前に今回のルートを説明し終え、地図をしまうと笑顔を見せた。


「今日はいつもよりも深く魔の森の中に入っていく。当然、危険性は増すけれども、このまま手をこまねいていても仕方がない。魔物の恐ろしさの一つはその数だ。君たちも将来のために、目の当たりにする経験は必要だと思う。心配しなくても私たちが魔物に後れを取ることはない。それはこれまででよくわかってくれているだろう?」

「はい。皆さんとっても良い腕をしていました」


 レフが元気よく返事をする。


「うむ。君たち学生は私たちが守るから安心してくれていい」

「心配なんかしていませんよー。私も将来のために頑張ります」


 純粋無垢なレフはセリンに「いい子だねえ」と頭を撫でられている。


 が、俺は流石に額面通りに受け取ることはできない。魔物が多くいるということは、万が一が起こりうるということ。きっとここで狙われることになる。


 問題はこの三隊の中、どこまでが敵なのかということ。いや、考えても無駄だな。三×五で十五人、全員敵だ。下手したら伏兵を含めると、二十を超えるかもしれない。

 頭が痛い案件だな。


「マリー。いざとなったら霊装の使用を許可する」

「嫌よ」


 神妙な感じで伝えたはずなのに、一蹴された。


「冗談で言ったんじゃないんだけど……」

「私だって冗談のつもりはないわ。私は霊装を使わない」

「……おまえの騎士は優秀だからな」

「ええ。わかってるじゃない」


 満面の笑み。

 はいはい、二十人くらいどうってことないですよ。

 やけくそで倒してやる。かかってこいや。


「私はどうすればいいの?」


 ライが緊張の面持ちで近づいてくる。

 流石に顔つきが強張っている。霊装使いも混じっている本場の人間たち、この場の全員が襲い掛かってくるかもしれない、なんて、普通の女の子には刺激が強すぎる。


「大事な役目だ。いざとなったら、シレネたちを呼んでほしい。蒼穹討伐隊も今日は森の中に入ってくるみたいだからな」

 

 アイビーを使ってすでに情報は集めている。

 ライの霊装は、飛行能力を有する竹箒。人を探すのには最適だ。


「……でも」

「いざとなったとき、戦力は必要だ。万が一、百人が相手の場合は、どうすることもできない」


 最後の手段は有しているが、使いたくはない。


 霊装、ティアクラウン。

 その霊装があったせいで負けた。なんて勘違いされてしまえば、追手が消えることはない。学園内とは状況が異なる。相手は不特定多数なのだ。

 どんな状況であれ、勝てない。そういった敗北意識を植え付けるのが必要命題なのだ。


「わかったわ。何かあったときに、シレネ様たちを呼びに行けばいいのね」

「シレネには以前の場所にいると言えば伝わるから」

「襲われる場所がわかってるの?」

「相手に立場になって考えれば容易だよ。自分が魔物に殺されない程度の浅さで、人目につかない深さが求められる。そうなれば、場所はある程度特定できる。おあつらえ向きにあっちはこちらを侮っているみたいだしな」


 レフの存在が大きい。

 何の不安もなさそうに小隊と笑いあっている彼女を見て、俺たちが何かを考えているとは思わないだろう。


「……貴方って」

「なんだよ」

「別に。ぼけっとした顔をしているのに、色々と考えているのね」


 親に謝れ。どこにいるか誰なのかも知らんけど。


「色々と話を聞いて、ようやくわかったわ。シレネ様もマリー様も、貴方の傍にいる理由が」

「後学のために教えてくれ」

「嫌」


 却下された。

 やはり俺のコミュニケーション能力はよろしくないようだ。


 キーリが出発の合図を出している。

 いよいよ正念場だ。

 緊張している様子のライと、何の気負いもないマリーを引き連れて、俺たちも森の中に入っていく。

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